十一話 画期的な移動手段
「地球に戻るための方法を探そうと思ってたんだけど……もしかして人里、行かない方が良いのか?」
小春の話を聞けば聞くほど、今自分達が置かれている環境の異常さと、この世界の過酷な構造が浮き彫りになっていく。
もしこの家の存在や、無限に物が増える仕組みが外の人類にバレたらどうなるか。
……考えるまでもない。間違いなく戦争になる。奪い合いか、俺を神として崇めて囲い込むか、それとも恐怖して殺しに来るか。
自分のことをお人好しだと自覚してはいるが、決して見ず知らずの他人のために命を賭せる聖人君子でも、世界を救う救世主でもないのだ。命の危険に怯えながらドロドロした政治的争いや欲望の渦に巻き込まれるなんて、絶対に御免だった。
「でもそれだと地球に戻れない」
「そうなんだよなぁ~~」
俺の葛藤を他所に、淡々とした声で身も蓋もない残酷な現実を突いてくる小春。
この森に引きこもり続ければ安全で贅沢な暮らしはできるが、異世界転移の真相も地球へ帰る手掛かりも何一つ掴めないままだ。それどころか、この世界のどこかにいるかもしれない召喚の鍵を握る人物――大賢者だか大魔導士だかが、飢餓や病気、あるいは魔獣の襲撃で死んでしまえば地球帰還ルートは永遠に消滅する。
「二者択一にしては、あまりにも極端すぎるだろ……」
「和樹は大事なことを一つ見落としてる。ここにいても安全とは限らない。遅かれ早かれ人間は食料を求めてここまでやって来るし、私より遥かに強い魔獣が襲ってくる可能性だってある。それに復元や道具強化が永遠に続く保証なんてどこにもない」
「ぐ、ぐうの音も出ねえ……」
正論すぎる小春の指摘に、俺はガックリと肩を落とした。
散々気にしていたことなのに、いざリスクを背負うことになった途端に全幅の信頼を寄せてしまった。逃げるための言い訳にしていた。我ながら情けない。
深々とため息をつき、頭を冷やすように冷めたお茶を飲み干すと、俺は正面でじっとこちらを見つめている元愛犬の瞳をしっかりと見つめ返した。
「……やっぱリスクを冒してでも現地人と交流するしかないか」
「それが一番現実的だと思う。大丈夫。和樹のことは絶対に守るから」
その細い身体からは想像もつかないほど頼もしい言葉。元愛犬の健気で真っ直ぐな忠誠心に胸が温かくなると同時に、男としての情けなさが込み上げてくる。
「ほんと、頼むぞ?」
が、この非常時において無駄なプライドなど何の役にも立ちやしない。
格好をつけて命を落としたら元も子もないのだ。やれるやつがやればいいし、頼れる者には全力で頼るのが正解である。男とか女とか、成人だとか子供だとか、人間だとか獣だとか、そんなくだらない括りは今すぐゴミ箱に捨ててしまえ。
そして俺はそれに甘えるだけの愚か者でもない。
俺にできること――すなわち、地球産の道具による一撃必殺の攻撃力と、この世界では何物にも代えがたい圧倒的な食料供給だ。
「硬い魔獣や数の多い敵は任せてくれ。金槌、包丁、殺虫スプレーで一撃よ。ただ、いくら身を守るためとはいえ、人相手に使うわけにはいかないからな。対人戦は頼んだぞ」
「和樹は何もしなくていい」
「……え?」
「和樹にしか使いこなせなくても、地球の道具は珍しい物に変わりはない。人前で使わないのはもちろん、投げるのもやめた方がいい。絶対失くすし奪われる。毎回回収するのも面倒」
「そ、そうですね…」
力強い頷きを期待していた俺の目論見はあっさりと崩れ去った。
それどころか、頼みの綱だった自分の存在意義(最強の攻撃力)が根底から全否定され、引きつった顔で苦笑いを浮かべるしかない。
ま、まぁ、この安全で快適な拠点を用意して物資を生み出していることこそが最大の功績だし? 俺がこの家を守ってるからこそ小春も安心して暮らせるわけだし? 彼女の手柄は実質俺の手柄と言っても過言ではないのでは!?
「よし、方向性は決まったな! 近くの村までどれくらいの距離があるんだ? 美味しいもんカバンに詰め込んでさっそく繰り出すぞ!」
俺の心の中の見苦しい言い訳をすべて見透かしたような小春の冷ややかな視線を全力で無視し、テーブルを軽く叩いて立ち上がると、俺は力強く言葉を紡ぐのだった。
「み、三日っすか……」
「そう。私がシルヴィアだった頃の感覚だけど」
小春の口から告げられたのは、往復で最低一週間はかかるという、あまりにも過酷な長期遠征プランだった。
「……? 車なら数時間の距離。何をそんなに怯えてるの?」
「あー、そういえば小春はまだ見てないか。車の性能自体は上がってそうだけど、攻撃力や防御力、安定性は地球のままなんだよ。あれで森を突っ切るのはどう考えても無理無理」
機動力、保温性、対候性、運搬力などなど、もし無事に走らせることができるならあれほど頼もしい移動手段はない。
しかし、外に広がっているのは舗装された道路など一切存在しない原生林。
立ちはだかる巨木や大岩をすべて薙ぎ倒す攻撃力か、魔獣の襲撃をことごとく弾き返す装甲、あるいは悪路を踏破してもビクともしない安定性――そのどれかがなければ、車という現代文明の象徴はただの豪華な物置きでしかない。
「まぁ気にするな。幸い、うちにはキャンプ道具なら一式揃ってる。大人しく徒歩と野宿で行こうぜ」
急に黙り込んでしまった小春を慰めるように言葉をかけつつ、俺は頭の中でガレージの棚の光景を思い浮かべる。
折りたたみ式のワンタッチテントに、耐寒仕様の寝袋、携帯用ガスコンロ、多機能万能ナイフ、そして高輝度LEDランタン。うちのガレージは、ちょっとしたアウトドアショップ並みにキャンプ用品の宝庫なのだ。
「それって秀樹が無駄に買い漁ったゴミ?」
「言い方! 父さんが形から入って二回で飽きたソロキャンプセットと言え!」
……いや同じか。
何にせよ、今となっては父さんの無計画な浪費癖に感謝するしかない。地球では物置の奥で埃をかぶっていただけの道具達が、この異世界においては最強の野営チートグッズへと化けるのだから。
テントの布地は魔獣の爪すら弾く超装甲になる……かは車の件があるので若干不安だが、LEDランタンの眩い光は夜の魔獣を威嚇するに違いない。それに何より小春がいる。
「そんなもの使わなくても、私が車ごと担いで運べばいい」
「……はい?」
一瞬、耳を疑うような言葉が聞こえて思わず聞き返したが、小春は至って真面目な顔で首を傾げている。
「……車を、担ぐ?」
「ん。障害物も飛び越えられるし、雨風もしのげる。寝床も要らない。それに徒歩よりずっと速い」
「…………できるの?」
「余裕。車なんて角熊より軽い」
そう言えば軽トラ並みの巨体を楽々持ち上げてたな……。
やっぱりキャンプセット、いらない子でしたわ。
「じゃあ、いくよ。ちゃんとシートベルト締めてて」
「もちろんバッチリだ! いつでもいけるぞ!」
物は試しということで、後部座席に物資を少し積み込み、実際に森の中をテスト走行(?)してみることに。運転席に乗り込み、シートベルトを装着した俺は、遠足前のようなワクワク感を胸に窓の外へと視線を向けた。
車外に立った小春が、華奢な両腕を車の下へと差し込む。
直後、ギチギチと鉄板が軋むような不穏な音が響いたかと思うと、フッと浮遊感が襲ってきた。エレベーターが上昇した時のような感覚とともに、フロントガラス越しに見える視界が数メートル上へと持ち上がる。
「うおおっ……本当に持ち上がった……」
「それじゃ、出発」
「おう、頼むぞ。くれぐれも安全運転でな――って、ぶへっ!?」
念押しする間すら与えられなかった。ジェットコースター並みに急加速した車体は、俺の視界をグニャリと歪め、鬱蒼とした大樹海の中を凄まじい勢いで突き進み始めた。
「ひょえええええええっ!? は、速い速い速い!!」
実際の速度で言えば、もしかしたら大したことはないのかもしれない。だが、ここは障害物だらけの密林。目の前を掠めていく太い枝や大きな葉、そして巨木の幹が、体感速度を何倍にも跳ね上げていた。
「木がいっぱいあって邪魔」
「邪魔、じゃな――ぐはっ!?」
目の前に迫る樹齢数千年はあろうかという巨木。正面衝突を覚悟して目を剥いた瞬間、車体が真横へスライドし、直角に折れ曲がった。
横Gどころの騒ぎではない。強烈な遠心力で俺の頭がサイドガラスへと叩きつけられそうになり、シートベルトが胸骨を圧迫する。
「とびまーす」
「今度は上ぇぇええええっ!?」
息つく暇もなく、地表を埋め尽くす極太の根っこを避けるべく、小春が豪快に地を蹴って大跳躍した。
視界が一気に開け、遥か上空の木々の隙間から青空が見えたと思う間もなく、真っ逆さまに急降下。さらに追い打ちをかけるように着地と同時に左へ急旋回。
人間を乗せた自動車が、まるでピンボールの玉のように樹海の中を上下左右へ縦横無尽に跳び回る。
「す、ストップ! 一旦ストォォォオオップ!!」
俺の悲痛な叫びを聞きつけた小春がピタリと足を止め、車をそっと地面に下ろした瞬間、俺はドアを蹴り開けるようにして車外へ転がり出た。
「はぁ、はぁ、し、死ぬ……っ! 胃袋が裏返るかと思った……!」
そのまま青々とした草むらに両手両膝をつき、必死に荒い息を整える。喉の奥まで込み上げてくる激しい吐き気と格闘しながら、ぐるぐると回る視界をどうにか繋ぎ止めた。
「和樹、大丈夫? 乗り物酔い?」
小春がトコトコと歩み寄ってくると、不思議そうに首をちょこんと傾げながら、四つんばいの俺を覗き込んできた。
俺以上にハードな運動をしたはずなのに、呼吸一つ乱れておらず、額に汗すら浮かべていない。
「乗り物酔いなんて生易しいもんじゃねえよ! アトラクションの域を超えて戦闘機のGだあれは! ハンドルに何度おでこ叩きつけたと思ってんだ!」
ジェットコースターと同じで支えがあった方がいいだろうと、ハンドルを握れる運転席を選んだのだが、完全に逆効果だった。あれは支えではない。凶器だ。
「でも、障害物は全部回避した。車も和樹も壊れてない」
たしかに、車は驚くほど無傷だった。外装に凹み一つなく、小春の指が食い込んでいた車体下部が少し歪んでいる程度だ。
だが――乗っている人間の耐久力は脆弱な地球人のままである。
「見えないところで壊れかかってるよ! 急がなくていいから安全運転でやってくれ!」
「……? どこにもぶつかってないから安全のはず」
「そういう意味じゃねえよ! てか俺の頭がさっきから何度もハンドルにぶつかってんだよ!」
「それはシートベルトが悪い。もしくは運転席の空間に余裕を持たせなかった、自動車メーカーの構造的ミス」
「メーカーに責任転嫁してんじゃねえよ! とにかくスピード違反と急ターンは禁止! 今度俺の身体がどこかにぶつかったら一週間デザート無しだからな!」
「!!??」
料理人兼飼い主としての権限を行使した、非情かつ怒涛の脅迫。
直前まで淡々としていた小春のぴんと立っていたケモ耳が悲しげにペタンと伏せられ、黄金色の瞳が「そんな殺生な……!」と言わんばかりに揺れるのだった。
車が使えるなら多少の不利益は受け入れる覚悟だったが、あれは駄目だ。命がいくつあっても足りやしない。




