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3/7

第3話 雑草は、最初の薬になる

第3話です。

枯れた土地の調査を始めたリディアのもとに、村の子どもが倒れたという知らせが届きます。

今回は、薬草と毒草を見分けるリディアの観察眼が試されます。


夜の村は、思っていたよりも静かだった。


王都の夜とは違う。


馬車の音も、酔った貴族の笑い声も、遠くの楽団の音もない。

聞こえるのは、乾いた風が家々の隙間を抜ける音と、どこかで軋む古い戸の音だけ。


その静けさの中を、私は侍女に案内されて歩いていた。


足元は暗い。

月明かりはあるが、道は細く、ところどころ石が浮いている。

王都の石畳に慣れた令嬢なら、歩きにくいと文句を言うところかもしれない。


でも、私は前世で何度も夜の調査地を歩いたことがある。


山道。

湿地。

農地の端。

懐中電灯を片手に、葉の状態を見に行った夜もあった。


もちろん、今は懐中電灯などない。


あるのは、薄い月明かりと、私自身の目だけだ。


「こちらです」


侍女が立ち止まったのは、村の外れにある小さな家の前だった。


壁は泥と木で作られ、屋根は古い藁で覆われている。

扉の隙間から、弱い灯りが漏れていた。


中から、すすり泣く声が聞こえる。


私は軽く息を整えた。


人を診るのは、畑を診るのとは違う。


植物なら、多少失敗してもやり直せることがある。

けれど人間は違う。

命を扱う時に、知っているふりをしてはいけない。


私は医師ではない。

前世でも、薬草の研究はしていたが、人を治療する専門家ではなかった。


だからこそ、できることと、できないことを間違えてはいけない。


扉を開けると、土の匂いと、湿った布の匂いがした。


部屋の中央に、細い男の子が寝かされていた。

年は六つか七つほどだろうか。


頬は赤く、唇は乾いている。

呼吸は浅く、時々小さくうめく。

額には濡れた布が置かれていたが、その布もすでにぬるくなっていた。


その横に、少女が座り込んでいた。


薄茶色の髪を一つに結び、痩せた腕で弟の手を握っている。

おそらく、この子がセリナだ。


彼女は私を見ると、はっとしたように立ち上がった。


「リディア様……」


その声には、期待よりも戸惑いがあった。


王都から追放されてきた令嬢。

植物魔法しか使えない無能。

そんな人間に、弟を任せていいのか。


そう考えているのが分かった。


当然だ。


私だって、突然知らない人間に大切な家族を任せろと言われたら、簡単には信じない。


「弟さんの名前は?」


「ノエルです」


「いつから熱が?」


「昨日の夜からです。今日はほとんど食べられなくて、水も少ししか……」


セリナの声が震える。


私はノエルのそばに膝をついた。


「触れてもいいですか」


セリナは小さくうなずいた。


私はノエルの額に手を当てた。


熱い。

ただ、意識が完全にないわけではない。

呼びかければ、かすかに反応する。


次に、手を取る。

指先が冷たい。

唇は乾いている。

額には熱があるが、体は弱っている。


飢え。

脱水。

疲労。

そこに、何かしらの熱が重なっている。


薬草だけでどうにかなる、と言い切ってはいけない状態だった。


「医師が必要です」


私が言うと、セリナの顔が青ざめた。


「でも、この村には……」


「分かっています。だから、今できることをします」


「治せますか?」


その問いは、あまりにも真っ直ぐだった。


私はすぐには答えなかった。


治せる、とは言えない。

言ってはいけない。


でも、何もしない理由にはならない。


「今すぐ完全に治せるとは言えません。けれど、熱で体力を奪われるのを少しでも抑えて、水を飲める状態に近づけます」


セリナは唇を噛んだ。


それでも、何度も何度もうなずいた。


「お願いします」


その言葉を聞いて、私は立ち上がった。


「きれいな水はありますか」


「井戸水なら……」


「そのままではなく、一度沸かしてください。鍋はありますか」


家の奥にいた老女が、慌ててうなずいた。


ノエルとセリナの祖母だろうか。

痩せてはいるが、動きはしっかりしている。


「あります。すぐに」


「布も何枚か。できれば清潔なものを」


「はい」


私は部屋を見渡した。


食べ物は少ない。

棚にあるのは硬そうな黒パンの残りと、乾いた根菜が少しだけ。

薬草の束らしいものも吊るされていたが、色が悪く、古い。


使えない。


私は外へ出た。


カイが家の前に立っていた。


「どうですか」


「良くはありません」


私が正直に言うと、カイの表情が硬くなった。


「助かりますか」


「分かりません」


その言葉に、彼の目がわずかに揺れた。


私は続けた。


「ただ、今できることはあります。熱を下げる補助と、水を取らせる準備。それから、使える薬草を探します」


「夜に?」


「夜だからこそ、見えるものもあります」


私は道の端にしゃがみ込んだ。


昼間、畑へ向かう途中で見た草。

家の裏に生えていた、少し青みの強い葉。

乾いた土でも生き残っていたもの。


あれが必要だった。


ただし、似た草がある。


前世でもそうだった。

薬になる植物と、毒になる植物は、見た目だけでは紛らわしいことがある。

葉の形。

匂い。

茎を折った時の液。

葉脈の走り方。

生えている場所。


一つだけで決めてはいけない。


私は月明かりの下、道端の草を見ていった。


カイが後ろからついてくる。


「何を探しているのです」


「青灯草です」


「アオトウソウ?」


「この辺りでは、そう呼ぶかは分かりません。葉の裏が少し青く、茎を折ると薄い香りがする草です。熱で弱った体を楽にする補助に使える可能性があります」


「可能性?」


「確かめてからでなければ使いません」


私は一株を見つけ、手を伸ばしかけた。


だが、すぐに止める。


違う。


葉の形は似ている。

けれど、葉脈の分かれ方が浅い。

茎の根元に赤みがある。

これは違う。


「これは駄目です」


「同じに見えますが」


「似ているだけです。こちらは使いません」


「なぜ?」


「苦みが強すぎる。たぶん、体に負担が出ます」


本当は、もう少し細かく説明できる。

葉脈、匂い、根の色、茎の液。


けれど今は講義の時間ではない。


私は別の場所へ向かった。


家の裏手。

壁際に、乾いた風を避けるように草が集まっている。


その中に、探していた葉があった。


細長い葉。

縁はわずかに波打ち、裏側に青みがある。

茎を折ると、ほんの少しだけ涼しい匂いが立つ。


私は指先で葉に触れた。


緑脈視グリーン・リード


視界の中で、草の輪郭が淡く光る。


青白い筋が、葉の中心から静かに広がっていた。

強い力ではない。

けれど、荒れた土地の中で、まだ水を抱えている。


間違いない。


ただ、これだけでは足りない。


「カイ様、灯りを少し近づけてください」


カイは持っていた小さなランプを下げた。


私は葉の裏、茎の断面、根元の土を確認した。


似た毒草ではない。

少なくとも、私が警戒していたものではない。


「これを少しだけ使います」


「少しだけ?」


「薬は、多ければ良いものではありません」


私は必要な分だけ葉を摘んだ。

根は残す。

全部取れば、次がなくなる。


「根こそぎ取らないのですか」


「この村で、また必要になるかもしれませんから」


カイは黙った。


その沈黙は、さっきまでの疑いとは少し違っていた。


私はさらに、別の草を探した。


水分を取りやすくするための、香りの弱い葉。

胃に負担をかけにくいもの。

ただし、強い薬効はいらない。


必要なのは、奇跡ではない。

ノエルが水を飲めるようになることだ。


家に戻ると、湯が沸いていた。


私は青灯草の葉を水で丁寧に洗い、手で細かく裂いた。

煮出しすぎないように、火から下ろした湯へ入れる。


強く煮れば、成分が出る。

だが、苦みも出る。

弱った子どもには負担になる。


だから、香りが立つ程度に留める。


「それだけですか」


老女が不安そうに聞いた。


「はい。まずはこれだけです」


「もっと強い薬は……」


「今のノエルには、強すぎる薬は危険です」


私は布でこし、少し冷ました。


香りを確認する。


青い。

苦みは弱い。

刺激も少ない。


飲ませる前に、自分の舌にほんの少しだけ触れさせる。


問題はない。

ただし、これは治療薬ではない。

体を楽にするための補助だ。


私はセリナに向き直った。


「一度にたくさん飲ませないでください。唇を湿らせるところから。飲み込めるなら、ほんの少しずつ」


「はい」


セリナの手は震えていた。


私は彼女の手に、自分の手を重ねた。


「大丈夫。焦らなくていいです。こぼしてもいい。少しずつで」


セリナはうなずき、木の匙をノエルの唇に近づけた。


最初の一口は、ほとんど口の端からこぼれた。


セリナの顔が歪む。


「失敗じゃありません」


私は静かに言った。


「唇が濡れました。次です」


二口目。


ノエルの喉が、小さく動いた。


セリナが息を止めた。


三口目。


今度は、少しだけ飲み込んだ。


老女が口元を押さえた。


「飲んだ……」


まだ安心するには早い。

けれど、確かに飲んだ。


私は濡らした布を取り替え、ノエルの首筋と脇を冷やした。

部屋の空気も少し入れ替える。

ただし、冷やしすぎない。


熱を下げることだけを考えて、体を冷やしすぎれば逆効果になる。


「セリナ。弟さんは今日、何か変わったものを食べましたか」


「変わったもの……」


「普段食べない草や実。川の水。古い食べ物でもいいです」


セリナは必死に思い出そうとしていた。


その様子を見るだけで、胸が痛む。


まだ子どもなのに、ずいぶん大人びた顔をしている。


「昨日、ノエルが畑の近くで赤い実を拾いました。でも、私がすぐに取り上げました。食べてはいないと思います」


赤い実。


私は顔を上げた。


「その実は残っていますか」


「外に捨てました」


「場所を教えてください」


カイがすぐに動いた。


少しして、彼は布に包んだ小さな赤い実を持って戻ってきた。


私はそれを受け取り、灯りにかざした。


丸い。

皮は薄い。

表面に黒い点がある。

甘い匂いはほとんどない。


食べていないなら、直接の原因ではないかもしれない。


でも、畑の近くにこれがあるのは気になる。


「これは食べてはいけません」


私が言うと、セリナの顔がさらに青ざめた。


「ノエル、少しかじったかもしれません……」


「どのくらい?」


「分かりません。口に入れたのを見て、すぐに出させました」


私はノエルの口元を確認した。

舌に強い変色はない。

腹部を強く痛がる様子もない。


原因の全部ではなさそうだ。

ただ、弱った体には負担になった可能性がある。


「カイ様、この実が生っている場所を明日、確認します。村の子どもが食べないように、今夜だけでも注意を出してください」


「分かりました」


カイはすぐに兵へ指示を出した。


その動きは早かった。


王都の貴族なら、まず会議を開くだろう。

誰が責任を取るのか。

どの家の許可が必要なのか。

そんな話で、夜が明ける。


でもカイは違った。


必要だと思えば、すぐ動く。


辺境で人を守るには、そうでなければ間に合わないのだろう。


私はノエルに視線を戻した。


呼吸はまだ浅い。

熱も高い。

けれど、さっきより唇の乾きが少しだけ和らいでいる。


セリナは何度も、少しずつ薬草湯を飲ませた。


こぼしても、諦めない。

弟が飲み込むたびに、泣きそうな顔で笑う。


その姿を見て、私は前世のことを思い出した。


研究室の片隅で、枯れかけた苗を見つめていた夜。

どうしてこの株だけが生き残ったのか。

なぜ、この条件で根を伸ばしたのか。


答えを知りたくて、何時間も観察した。


あの時、私は植物を見ていた。


今は、人を見ている。


いや、違う。


植物も人も、同じだ。


生きる条件がある。

弱る理由がある。

回復するために必要な順番がある。


奇跡ではなく、条件。


私はそれを見つけたい。



夜明け前、ノエルの呼吸が少し落ち着いた。


額の熱はまだ残っている。

だが、うなされる声が減り、眠りが深くなった。


セリナは弟のそばで座ったまま、何度も頭を下げた。


「ありがとうございます。リディア様、本当に……」


「まだ安心はできません」


私は静かに言った。


セリナの表情が強張る。


「でも、悪い方には進んでいません。水を少しずつ続けてください。熱が上がりすぎるようなら、布を替える。無理に食べさせない。目が覚めたら、薄い粥を少しだけ」


「はい」


「それから、赤い実には近づかないように。ほかの子どもにも伝えてください」


「はい」


セリナは真剣にうなずいた。


部屋を出ると、外は薄く明るくなり始めていた。


夜明けの冷たい空気が、頬に触れる。


カイが家の前で待っていた。


「ノエルは?」


「今は落ち着いています。ただ、医師が必要な状態であることは変わりません」


「手配します。隣町まで早馬を出す」


「お願いします」


私はそう言って、少しふらついた。


カイがすぐに手を伸ばし、私の腕を支えた。


「また、力を使ったのですか」


「少しだけです」


「少しだけ、という顔色ではありません」


確かに、頭が重い。

体の奥が乾いているような感覚がある。


緑脈視を使い、夜通し薬草を見分け、ノエルの様子を見ていた。

疲れないはずがない。


でも、眠る前に見たいものがあった。


「北畑へ行きます」


カイの眉が跳ねた。


「今から?」


「はい」


「あなたは休むべきです」


「畑は待ってくれません」


「畑より、あなたの体が先です」


珍しく、少し強い声だった。


私は思わずカイを見た。


彼は怒っているようにも見えた。

でも、それは私を責める怒りではない。


無茶をする人間を止めようとする顔だ。


少しだけ、返答に困った。


前世の研究室では、無理をしても誰も止めなかった。

徹夜で実験しても、成果が出れば褒められた。

倒れそうになっても、「頑張っている」と言われた。


だから、こうして止められると、どう反応していいか分からない。


「……見るだけです」


「本当に?」


「触りません。魔法も使いません。観察だけです」


カイは疑わしそうに私を見た。


私はまっすぐ見返した。


しばらく沈黙が続く。


先に折れたのはカイだった。


「分かりました。ただし、私も行きます」


「助かります」


「見張りです」


「それも助かります」


カイは小さく息を吐いた。


その横顔を見て、私は少しだけ笑いそうになった。



北畑には、すでに村長がいた。


「村長」


カイが驚いた声を出す。


村長は杖をつきながら、畑の端に立っていた。


「年寄りは朝が早いのです」


そう言いながら、彼の視線は昨日作った小さな区画に向いていた。


一つ目。

何もしなかった土は、白く乾いたままだった。


二つ目。

草地の土を混ぜた区画は、少しだけ表面の色が落ち着いている。


三つ目。

藁を敷き、灰を少し混ぜ、あの草を移した区画。


私はしゃがみ込んだ。


草の葉が、昨日よりほんの少し立っている。


劇的な変化ではない。

伸びたわけでも、花が咲いたわけでもない。


でも、葉の角度が違う。

萎れていた先端が、わずかに上を向いている。


私は指を伸ばしかけて、止めた。


カイとの約束を思い出したからだ。


触らない。

魔法も使わない。

観察だけ。


村長が低く言った。


「……枯れておらん」


「はい」


「昨日、移したばかりなのに」


「条件が少しだけ合ったのだと思います」


村長は黙った。


その顔に、信じたい気持ちと、信じるのが怖い気持ちが混ざっていた。


失望に慣れた人間は、希望を簡単には持てない。

希望は、外れた時に痛いからだ。


私はゆっくり立ち上がった。


「村長。昨日の区画を、今日もう少し増やしてもいいですか」


村長はすぐには答えなかった。


カイも黙っている。


風が畑の上を通った。


白い土の上で、小さな草が揺れる。


やがて村長は、深く息を吐いた。


「北端だけですぞ」


昨日と同じ言葉だった。


でも、声の色が少し違っていた。


私は頭を下げた。


「ありがとうございます」


村長は顔を背けた。


「礼を言うのは早い。まだ、腹は膨れておりません」


「はい」


「だが……」


村長は杖で畑の端を示した。


「藁なら、古いものが少し残っています。灰も、家々から集めれば多少はある」


カイが村長を見た。


村長は不機嫌そうに続けた。


「どうせ捨てるものです。使えるというなら、使えばよい」


私は胸の奥が温かくなるのを感じた。


これは大きな勝利ではない。

村が救われたわけでもない。

畑が蘇ったわけでもない。


でも、最初の一歩だった。


誰かが、捨てるはずだったものに価値を見た。


それだけで、世界はほんの少し変わる。


その時、遠くからセリナが走ってきた。


息を切らし、髪を乱し、それでも顔には明るさがあった。


「リディア様!」


私は振り返った。


「ノエルが……ノエルが、水を欲しいって言いました!」


村長が目を見開いた。


カイも、わずかに表情を緩めた。


私はゆっくり息を吐いた。


よかった。


まだ助かったとは言えない。

これから医師も必要だし、食事も、休息も、清潔な水も必要になる。


けれど、ノエルは水を欲しがった。


生きようとしている。


畑の草も、ノエルも。


どちらも、まだ終わっていない。


セリナが私の前で立ち止まり、何度も頭を下げた。


「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」


「私は少し手伝っただけです。ノエル自身が頑張っています」


そう言うと、セリナは涙をこぼしながら笑った。


村長が、ぽつりとつぶやいた。


「雑草も、薬になるのか」


私は村長を見た。


そして、静かに首を振る。


「雑草だから薬になるのではありません」


村長の眉が寄る。


私は畑の端に揺れる草を見た。


「名前を知らないだけです。役目を知らないだけです。使い方を知らないだけです」


それは、草の話だった。


でも、たぶん私自身の話でもあった。


王都で無能と呼ばれた私。

植物魔法しか使えないと笑われた私。

ここへ捨てられた私。


名前を間違えられただけかもしれない。

役目を知られていなかっただけかもしれない。

使い方を、誰も知らなかっただけかもしれない。


私は白い畑を見渡した。


「村長。まずは、薬草の場所を記録します。それから、水を安全に飲む方法を整えます。畑の実験も続けます」


「一度にそんなにできるのですか」


「一度にはできません」


私は正直に答えた。


「だから、順番を決めます」


カイが口を開いた。


「何からですか」


私は少し考え、ノートを取り出した。


最初に書くべきことは決まっている。


水。

薬草。

畑。


人が倒れる原因を減らす。

食べられるものを増やす。

土を戻す。


どれも地味だ。

王都の人間が喜ぶような、派手な魔法ではない。


でも、生きるためには必要なことばかりだ。


「まず、村の水を見ます」


私がそう言うと、カイが真剣な顔でうなずいた。


「井戸ですか」


「はい。井戸水が畑にも人にも影響しているなら、放っておけません」


村長が顔をしかめた。


「井戸まで悪いとなると、村は終わりですぞ」


「終わりかどうかは、見てから決めます」


私はノートを閉じた。


その時、北畑の奥で何かが光った。


朝日を受けた水たまりだ。


けれど、その水の縁に、妙な赤茶色の筋が見えた。


私は目を細めた。


赤茶色。

ぬめり。

水路の方向。

昨夜の赤い実が落ちていた場所。


胸の奥で、嫌な予感が小さく芽を出す。


畑の問題は、ただの塩害だけではないかもしれない。


「カイ様」


「何ですか」


「昨日、崩れたという北の水路を見せてください」


カイの表情が引き締まった。


「何か分かったのですか」


「まだ分かりません」


私は朝日に光る赤茶色の水を見つめた。


「でも、この土地が苦しんでいる理由は、一つではなさそうです」


風が吹いた。


白い土の上で、小さな草が揺れる。


私はその草から目を離し、北の水路へ続く道を見た。


研究は、いつだって一つの疑問から始まる。


そしてこの辺境には、まだ誰も解いていない疑問が多すぎる。


第3話を読んでくださり、ありがとうございます。

今回は、リディアが薬草を使ってノエルを支え、村人たちが少しだけ彼女を見る目を変える回でした。

次回は、井戸水と北の水路を調べることで、枯れた辺境の原因がさらに見えてきます。

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