↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/27

第17話 王宮の使者は、箱の中身を知っている

第17話です。

王国鉱務局と王宮の馬車が、ついにレヴィン領へ到着します。


しかし、彼らは鉄箱を確認するより先に、その“中身”について口にしてしまいます。


「その鉄箱を開けましたね」


王宮から来た男の第一声は、それだった。


挨拶でもない。


名乗りでもない。


村の惨状を見た感想でもない。


彼は馬車から降りるなり、私の後ろにある屋敷を見て、そう言った。


朝。


レヴィン領の広場には、王国鉱務局の騎兵十二名が整列している。


馬車は四台。


三台には鉱務局の紋章。


最後の一台には、王家の紋章。


村人たちは遠巻きにその光景を見ていた。


昨日まで王都の人間を見ると目を伏せていた人々が、今日は逃げずに立っている。


カイが私の隣に立つ。


村長もいる。


セリナは少し後ろで、いつもの木片と炭を持っている。


私は目の前の男を見た。


年齢は四十前後。


濃紺の上着。


細身。


銀色の髪をきれいに後ろへ流している。


身なりは派手ではない。


むしろ、ベルトラムよりずっと控えめだ。


だからこそ。


この男の方が、ずっと危険に見えた。


「初対面の方へお尋ねすることではないかもしれませんけれど」


私は静かに言った。


「まず、お名前を伺ってもよろしいかしら」


男は一瞬だけ目を細めた。


それから、完璧な角度で頭を下げる。


「失礼いたしました」


柔らかな声。


「王太子府政務補佐官、ヴァルター・クレスでございます」


空気が変わった。


ヴァルター。


鉄箱から見つかった王宮文書。


そこに署名されていた名前。


《ヴァルター・クレス》


私は表情を変えなかった。


(本人が来たのね)


その隣には、鉱務局の制服を着た恰幅のいい男が立っている。


こちらは額に汗を浮かべていた。


「王国鉱務局北部管理官、ダリオ・ベルンです」


声が少し上ずっている。


ヴァルターとは対照的だった。


カイが短く言う。


「目的を」


「二つございます」


ヴァルターは微笑んだ。


「第一に、北採石場で発見された王国鉱務局所有物の回収」


「鉄箱ですね」


「ええ」


「第二は?」


ヴァルターの視線が私へ向く。


「リディア・フォルスティア様を、王都へお連れすることです」


カイの声が落ちた。


「断る」


早い。


ヴァルターが眉を上げる。


「まだ理由をご説明しておりませんが」


「必要ない」


「カイ様」


私が横から呼ぶ。


「先に聞きましょう」


「聞くだけです」


「もちろんよ」


ヴァルターは、私たちを見比べた。


口元にはまだ笑みがある。


「王太子殿下は、リディア様の身を案じておられます」


その瞬間。


村長が小さく鼻を鳴らした。


聞こえないふりをしてあげよう。


「婚約を破棄して辺境へ送った方が?」


私が尋ねると、ヴァルターは一切動じない。


「殿下にも、ご事情がおありでした」


「便利な言葉ですわね」


「ご立腹はもっともです」


「怒っていると決めつけないでちょうだい」


ヴァルターの笑みが、ほんの少しだけ薄くなった。


「では、何を?」


「確認しているだけです」


私はノートを開いた。


「王太子府政務補佐官ヴァルター・クレス様。到着後、第一声で“その鉄箱を開けましたね”と発言」


ペンを走らせる。


ヴァルターの視線が、私の手元へ落ちた。


「記録がお好きだとは聞いております」


「ええ。最近、とても役に立っていますの」


「では、正確に記録していただきたい」


「もちろん」


私は顔を上げた。


「だから、一つ教えてください」


「何でしょう」


「どうして鉄箱を開けたと分かったの?」


広場が静かになった。


ヴァルターは答えない。


鉱務局のダリオが、わずかにヴァルターを見る。


ほんの一瞬。


でも。


見逃さない。


「私は“鉄箱を発見した”としか外部へ報告していません」


私は続ける。


「中身についても、まだ正式にはどこにも送っていないわ」


カイも言った。


「屋敷の立会人以外は知らない」


村長が杖を鳴らす。


「わしも口は固い方ですぞ。耳は遠いですがな」


今は誰も笑わなかった。


ヴァルターは、ようやく口を開く。


「推測ですよ」


「推測?」


「リディア様ほど好奇心の強い方が、箱を発見して開けないとは思えませんでした」


私は少しだけ首を傾ける。


「それなら、“箱を開けましたか”と尋ねるのが自然ではないかしら」


沈黙。


「あなたは断定した」


ヴァルターの笑顔が消えた。


(当たった)


私はペンを動かした。


「発言理由について、“推測”と回答」


「リディア様」


声が低くなる。


「言葉遊びをしに来たわけではありません」


「私もよ」


私はノートを閉じた。


「だから、本題へ進みましょう」


◇


鉱務局の一団を、広場の長机へ案内した。


鉄箱そのものは出さない。


代わりに。


箱の外観記録。


管理番号。


発見場所。


立会人名。


そして中にあった書類の一部写し。


すべて机に並べる。


ダリオは資料を見るなり、顔色を変えた。


《北部特別処分区 環境影響試験報告》


その表題を見た瞬間だった。


「これは……」


「ご存じなの?」


私が尋ねる。


「い、いや」


ダリオは首を振る。


「私は北部管理官ですが、三年前は別部署におりましたので」


「そう」


私はそれ以上追わなかった。


今は。


ヴァルターが資料を見下ろす。


「国家機密に該当する文書です」


「そうなの?」


「青晶鉱は軍事利用される鉱物です。精製方法、処分方法、試験記録はいずれも王国機密に含まれる」


「村人の井戸水が苦くなることまで?」


「……何ですと」


私は報告書の該当部分の写しを指した。


「ここです」


《井戸水への混入時、味覚変化および健康影響の可能性あり》


ヴァルターは紙を見た。


その表情は変わらない。


「機密であることと、危険性の有無は別問題です」


「ええ。その通りだわ」


私はうなずく。


「だから、危険性を知っていた人が、なぜ居住地の近くで処分を続けたのか知りたいの」


ヴァルターの目が鋭くなる。


「その判断は鉱務局の管轄です」


すると。


隣のダリオが慌てて口を開いた。


「い、いや、待ってください!」


全員が彼を見る。


「当局が承認した処分方式なら、当然、安全性審査を通っていたはずです!」


「この報告書には“不適”とありますわ」


私が答える。


「そんなはずは!」


ダリオが写しへ手を伸ばす。


カイが先に資料を押さえた。


「見るだけだ」


「もちろんです!」


ダリオは紙を読んだ。


目が動く。


一行。


二行。


そして。


《本処分方式は居住区域への影響が大きく、恒久運用には不適》


そこまで読んで。


彼の顔から血の気が引いた。


「……これは」


「偽物かしら?」


私が聞く。


「違います」


即答だった。


今度はヴァルターがダリオを見る。


ダリオ自身も、自分が何を言ったか気づいたらしい。


口を閉じる。


でも遅い。


「どうして偽物ではないと分かるの?」


私は穏やかに聞いた。


「それは……様式が」


「様式?」


「鉱務局の試験報告書は、この形式です」


「では、本物の可能性が高い?」


「少なくとも……書式は」


ヴァルターが割って入った。


「書式など、模倣できます」


「なるほど」


私はまたノートを開く。


「鉱務局北部管理官ダリオ・ベルン様、報告書について“偽物ではない”と発言。直後、“書式から判断した”と補足」


ダリオが青ざめる。


「わ、私は断定したわけでは」


「訂正しますか?」


「……書式は正規のものに見えます。ただし、内容の真正性は確認していない」


「分かりました」


私はそのまま書き直した。


ヴァルターが深く息を吐く。


「リディア様。その記録の取り方は、人を追い詰める」


「違いますわ」


私は彼を見る。


「逃げ道を、嘘に使えなくしているだけです」


カイが小さく横を向いた。


村長がぼそりとつぶやく。


「やはり性格が悪――」


私は村長を見る。


「何か?」


「何も申しておりませんぞ」


◇


「鉄箱を返還していただきたい」


ヴァルターが言った。


「王国の所有物です」


「受領書をお願いします」


「用意しております」


意外だった。


彼はすぐに書類を出した。


前回のような曖昧な紙ではない。


対象。


鉄箱一個。


内部文書一式。


管理番号。


受領者。


保管先。


日時。


かなり整っている。


「写しは?」


私が尋ねる。


ヴァルターが止まった。


「何のことでしょう」


「私たちが作った写しを保持してよいか、書かれていません」


「国家機密です。廃棄していただきます」


やはり。


「断ります」


「これは命令です」


「どの法令に基づくもの?」


ヴァルターの眉が動く。


「国家機密管理令」


「条項は?」


「第八条」


「対象文書が国家機密として指定された日付は?」


今度は。


ヴァルターが黙った。


「リディア様」


「はい」


「王都であれば、あなたはすでに拘束されていますよ」


カイが一歩前へ出る。


「脅しか」


「事実です」


「では、ここでは?」


「ここでも可能です」


鉱務局の騎兵たちが、わずかに姿勢を変えた。


村人たちの間に緊張が走る。


セリナが木片を胸に抱く。


私はヴァルターを見る。


怖い。


剣を持つ人間が十二人。


こちらの兵より多い。


その気になれば、力で奪える。


(でも、本当にそれをするつもりなら、最初から話し合いには来ない)


相手にも避けたいものがある。


騒ぎ。


目撃者。


正式記録。


そして。


この箱の存在が、さらに広まること。


私はゆっくり言った。


「拘束するなら、してください」


「リディア」


カイがこちらを見る。


私は彼に小さく首を振った。


「ただし」


ヴァルターを見る。


「理由を書面にしてください」


「……何ですと」


「リディア・フォルスティアを拘束する理由。根拠となる法令。拘束命令者。証拠品の受領者。そして、この村で発見された環境影響報告書の存在を確認した日時」


私は村人たちを見渡した。


「立会人は、これだけいます」


ヴァルターの目が、周囲を動く。


村長。


カイ。


マーサ婆さん。


セリナ。


兵。


村人。


誰も逃げない。


「それでも私を拘束するなら、どうぞ」


私は両手を下ろしたまま言った。


「でも、“何も知らない追放令嬢を保護した”という話にはできませんわ」


沈黙が落ちた。


長い。


ヴァルターは私を見ている。


笑みはない。


やがて。


「……本当に面倒な女性だ」


小さな声だった。


私は少しだけ微笑む。


「王都でも、似たようなことを言われましたわ」


「殿下も苦労されたでしょうね」


胸が、少し痛んだ。


でも。


昔ほどではない。


「そうかもしれません」


私は答えた。


「でも、今は私の性格ではなく、この村の水の話をしましょう」


◇


その時。


広場の端から、声が上がった。


「リディア様!」


セリナだった。


顔色が変わっている。


「どうしたの?」


「北畑です」


「北畑?」


「草が……」


セリナは息を切らしている。


「昨日作った灰なしの区画。葉が起きています」


私は一瞬、言葉を失った。


あの実験区画。


灰を入れた処置が失敗し、やり直した場所。


草地の土。


藁。


灰なし。


雨水。


「どのくらい?」


「昨日より、はっきり」


(こんな時に)


いや。


こんな時だからこそ。


私はヴァルターを見る。


「少し移動しましょう」


「何を」


「現地を見ていただきます」


「鉄箱の話をしているのですが」


「あなたたちは調査に来たのでしょう?」


私は北畑を指した。


「なら、紙だけではなく土も見てちょうだい」


ヴァルターの口元が歪む。


「私は農学者ではない」


「私も水利官でも医師でも財務官でもありませんわ」


ベルトラムへ言った言葉と、似ている。


「でも、分からないから見ています」


村長が杖を鳴らす。


「さあ、王都のお方。せっかく辺境までお越しになったのです。泥くらい踏んでいかれてはいかがですかな」


ヴァルターが村長を見る。


村長は、にこりともしていない。


カイが歩き出す。


「案内します」


ダリオが困った顔でヴァルターを見る。


「クレス殿……」


ヴァルターはため息をついた。


「いいでしょう」


そして。


彼は歩き出した。


ベルトラムと違い。


置かれた板を待たずに。


自分の靴で、畑へ入った。


◇


北畑。


三つの古い区画と、新しく作った区画。


新しい区画の草は。


たしかに葉を起こしていた。


劇的ではない。


青々と茂ったわけでもない。


ほんの少し。


昨日まで寝ていた葉が、空へ向いている。


私はしゃがみ込む。


葉先の白化なし。


茎も悪化していない。


表土の膜も、灰を入れた区画より少ない。


「セリナ、記録を」


「はい」


彼女は木片を見せる。


昨日。


今日。


葉の角度。


土の色。


水分。


簡単な印。


だけど、比較できる。


「悪くないわ」


私が言うと、畑の男が聞いた。


「成功か?」


「まだよ」


私は首を振る。


「一日良かっただけ。あと数日は見る必要があります」


男は少し残念そうな顔をする。


でも。


すぐにうなずいた。


「分かった。見る」


前なら。


“また待つのか”と言われたかもしれない。


今は違う。


村人たちは、結果が出るまで観察することを覚え始めている。


ヴァルターは、その光景を黙って見ていた。


私は白い畑を指した。


「この村では、三年間、作物が弱り続けました」


次に。


新しい区画。


「でも、条件を一つずつ変えると反応が出る」


ヴァルターは答えない。


「これは呪いではないわ」


私は彼を見る。


「土地固有の魔力不全でもない」


その言葉に。


ヴァルターの目が、わずかに動いた。


鉄箱の王宮文書。


そこには書かれていた。


《土地固有の魔力不全として処理すること》


「なぜ、その言葉を?」


ヴァルターが尋ねた。


しまった。


……ではない。


聞きたかった。


私は答える。


「鉄箱の中に書いてありましたから」


ヴァルターの表情が消えた。


完全に。


「王宮文書を読んだのですね」


「ええ」


「どこまで?」


私は黙った。


カイも彼を見る。


村長も。


そして。


私は静かに尋ねた。


「どうして、“王宮文書”だと分かったの?」


ヴァルターの瞳が止まった。


誰も。


王宮文書が入っていたとは言っていない。


私はただ。


鉄箱の中に書いてあった。


そう言っただけ。


環境影響報告書かもしれない。


鉱務局文書かもしれない。


なのに。


彼は言った。


王宮文書。


風が白い畑を通り抜ける。


草の葉が、わずかに揺れた。


私はノートを開いた。


「王太子府政務補佐官ヴァルター・クレス様」


彼は何も言わない。


「鉄箱内に王宮文書があることを、こちらから説明する前に認識していた」


ペン先を紙へ置く。


「そう記録します」


「……リディア様」


声が低い。


今までの丁寧さが消えかけている。


私は彼を見た。


「訂正なさいますか?」


沈黙。


長い。


そして。


ヴァルターは、初めて笑った。


これまでの礼儀正しい笑みではない。


諦めたような。


どこか冷たい笑い。


「あなたは、本当に厄介だ」


「それは先ほど聞きましたわ」


「殿下がおっしゃっていた通りだ」


今度は。


私が止まった。


「エリオットが?」


「ええ」


ヴァルターは白い畑を見た。


「植物の話になると、人の話を聞かなくなる」


「ずいぶんな評価ね」


「そして、小さな違和感をいつまでも覚えている」


胸の奥がざわつく。


彼は私のことを知っている。


ただの資料ではなく。


エリオットから聞いている。


ヴァルターが私へ視線を戻した。


「リディア様」


声はまた丁寧に戻っていた。


「明日の正午までに、鉄箱を引き渡してください」


「断ったら?」


「今度は、私どもだけでは来ません」


カイの目が鋭くなる。


「脅しか」


「警告です」


「何が来る」


ヴァルターはカイには答えない。


私だけを見る。


「殿下です」


風が止まったように感じた。


セリナが息をのむ。


村長が眉を寄せる。


私は、何も言えなかった。


エリオット。


婚約を破棄した男。


植物魔法を無能と笑った男。


そして今。


この土地が壊されることを知っていたかもしれない王宮文書の先にいる男。


ヴァルターは軽く頭を下げた。


「明日、殿下ご自身がレヴィン領へ入られます」


そして。


最後に付け加えた。


「鉄箱を回収するためではありません」


私は彼を見る。


「では、何のために?」


ヴァルターの口元が、わずかに上がる。


「あなたを連れ戻すためです」


(……今さら?)


怒りより。


最初に浮かんだのは、それだった。


今さら。


何をしに。


なぜ。


私は白い畑を見た。


足元では。


新しい実験区画の草が、ほんの少しだけ立っている。


王都から誰が来ようと。


この草には関係がない。


水が合えば育つ。


土が苦しければ枯れる。


植物は。


権力に忖度などしない。


私は小さく息を吐いた。


「分かりました」


ヴァルターが目を細める。


「では、鉄箱を?」


「いいえ」


私は微笑んだ。


「明日、エリオット殿下にも畑を見ていただきますわ」


「……何ですと?」


「せっかく辺境までいらっしゃるのでしょう?」


私はノートを閉じた。


「今度こそ、植物魔法が本当に無能なのか――」


白い畑の向こうを見る。


「ご自分の目で確かめていただきます」

第17話を読んでくださり、ありがとうございます。


今回は、王太子府政務補佐官ヴァルター・クレス本人がレヴィン領へ到着しました。


鉄箱の返還とリディアの王都帰還を求めるヴァルターでしたが、会話の中で彼自身が“鉄箱の中に王宮文書がある”ことを事前に知っていた可能性が浮上します。


一方、灰を使わずやり直した北畑の実験区画には、小さな改善も見え始めました。


そして次回――。


婚約を破棄し、植物魔法を“無能”と切り捨てたエリオット王子本人が、レヴィン領へやって来ます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。