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第16話 鉄箱には、この土地の病名が書かれていた

第16話です。

第七坑への水を止め、瀕死の管理人オスカーを救出したリディアたち。


しかし彼は、黒い滓の下に埋められた“王都印の鉄箱”について語ります。


それは、この土地が「呪われた」と呼ばれるようになった、本当の理由へつながる証拠でした。



「あの箱には……この村が呪われた理由が入っています」


夜が明けたばかりの屋敷。


寝台に横たわるオスカーは、掠れた声でそう言った。


私は、彼の額に置いていた布を止めた。


「呪われた理由?」


「……はい」


右脚は木板で固定してある。


坑道で岩に挟まれたため、ひどく腫れていた。

額の傷は縫えないため、きれいな布で圧迫している。


幸い、大きな出血は止まった。


けれど、顔色はまだ悪い。


「無理に話さなくていいわ」


私は言った。


「まず休んでちょうだい」


「今、話さなければ……」


「オスカー」


少しだけ声を強くする。


「あなたが死んだら、証言そのものが一つ消えるのよ」


オスカーが黙った。


(聞きたい。今すぐ全部聞きたい。でも、それでこの人を追い詰めたら、ベルトラムと変わらないわ)


知りたいことと、聞いていい時は同じではない。


私は水を少しだけ口に含ませた。


「一度に話さなくていいの。質問するから、答えられるものだけ答えて」


「……分かりました」


寝台の脇にはカイが立っていた。


村長も椅子に腰掛けている。


マーサ婆さんは少し離れた場所で薬草を整理していた。


全員が、オスカーの言葉を待っている。


私はノートを開いた。


「まず、第七坑へ入った理由を教えて」


オスカーの目が閉じられる。


「昨日……監察院から使者が来たと聞きました」


「ラウル様ね」


「はい」


「そのことと、第七坑が関係しているの?」


「……王都が、証拠を回収し始めたと思いました」


カイの目が鋭くなる。


「だから箱を先に回収しようとした?」


「はい」


「一人で?」


カイの声が低くなる。


オスカーが苦しそうに笑った。


「誰を……信用すればよいか、分からなかったのです」


部屋が静かになった。


「俺もか」


カイが聞いた。


オスカーは答えなかった。


その沈黙が答えだった。


カイの表情が少しだけ固くなる。


私は割って入った。


「責めるのは後にしましょう」


「責めてはいません」


「声が責めていますわ」


「……そうですか」


「ええ」


村長が鼻を鳴らした。


「十分責めておりますな」


カイは黙った。


私はオスカーへ向き直る。


「あなたは三年前から、あの箱の存在を知っていたのね」


「はい」


「なぜ黙っていたの?」


長い沈黙。


オスカーの手が、布団の上で震えた。


「怖かったのです」


その声は、先ほどまでよりも小さかった。


「王都が?」


「王都も。商会も。そして……自分がしたことも」


私はペンを止めた。


「あなたがしたこと?」


オスカーは目を伏せた。


「三年前、水路工事が行われた時、私は屋敷側の資材管理を担当していました」


知っている。


古い帳面も、彼の管理下にあった。


「王都から来た工事責任者は、村人を採石場へ近づけるなと言いました。危険な工事だから、と」


「グレゴール・ハイン?」


私が名前を出すと、オスカーの顔がわずかに強張った。


「……その名前を、どこで」


「資材帳簿に残っていたわ」


「まだ残っていたのですか」


「受領確認の頁だけは切り取られていましたけれど」


オスカーが目を閉じる。


「切ったのは……私です」


村長が身を乗り出した。


「あなたが?」


「はい」


カイの声が冷たくなる。


「なぜだ」


「守るためでした」


「証拠を消しておいて、守る?」


「カイ様」


私は彼を止めた。


「続きを聞きましょう」


オスカーの呼吸が少し乱れている。


マーサ婆さんが水を渡した。


「ゆっくりなされ」


「……ありがとうございます」


少し落ち着いてから、オスカーは続けた。


「工事の最終日、私はグレゴールに受領印を求めました。村から出した資材が、確かに工事へ使われたという記録が必要だったからです」


「それで?」


「彼は印を押しました。ただし、王都の工事業者の印ではなかった」


私は息を止めた。


「ルヴァン商会?」


「はい」


村長が低くうなった。


「やはり」


オスカーは続けた。


「私は問いただしました。なぜ薬草商会の印なのか、と」


「グレゴールは何と?」


「余計なことを知る必要はない、と」


声が震える。


「その日の夜、私の部屋に男が二人来ました」


「商会の人間?」


「分かりません。顔は見せませんでした」


「何をされたの」


オスカーの手が布団を握る。


「息子の名前を出されました」


私は何も言えなくなった。


「当時、息子は王都で働いていました。逆らえば、事故に遭うかもしれない、と」


村長が拳を握る。


「外道が」


「私は……怖くなりました」


オスカーの目から、涙が一筋落ちた。


「だから受領頁を切りました。燃やせと言われました」


「でも、燃やさなかった」


私は言った。


オスカーがうなずく。


「頁は燃やしました。ですが……帳面そのものは残しました」


「黒い封蝋も」


「はい。切り取る時に、裏表紙へ少し付着していることに気づきました。そこまでは消しませんでした」


(この人は、従った。でも、全部は消さなかった)


勇敢だった、とは簡単に言えない。


彼は証拠隠滅に加担した。


でも、家族を脅されていた。


そして三年間、完全に沈黙していたわけでもない。


四株目の月白草を使って、土地の異常を調べていた。


私は責める言葉を飲み込んだ。


「鉄箱は?」


オスカーがゆっくり目を開ける。


「工事の六日目に見ました」


「中身も?」


「一部だけ」


部屋の空気が張りつめる。


「何が入っていたの?」


「書類です」


「どんな?」


「採石場で行われていた処分作業の記録です」


「処分?」


「石を掘っていたのではありません」


オスカーは声を絞り出した。


「少なくとも、第四坑から先は」


村長の昔話。


第一から第三は、石を出す坑道。


第四から先は――石を入れる坑道。


「何を入れていたの?」


「黒い滓です」


やはり。


「何の滓?」


「分かりません。ただ、箱の書類には《青晶鉱精製副滓》と書かれていました」


私は初めて聞く言葉に眉を寄せた。


カイが答える。


「青晶鉱は魔導器具に使われる鉱石です」


「高価なの?」


「かなり。軍用魔導具にも使われます」


村長が低く言う。


「そんなものを、ここで?」


カイが首を振った。


「この地域で青晶鉱が採れた記録はない」


私は気づいた。


「採る場所ではなく、捨てる場所だった」


「おそらく」


カイが答える。


オスカーが続ける。


「王都近郊で精製した後の滓を、夜間に荷車で運び込んでいました」


資材帳簿。


夜間、採石場へ荷車一台。


積荷不明。


あれだ。


「なぜここへ運んだの?」


「処分費を減らすため、と聞きました」


その言葉に、胸の奥が冷たくなった。


「……それだけ?」


「それだけではありません」


オスカーは苦しそうに首を振った。


「副滓は、水に触れると成分が流れ出る。だから本来は、専用の処理場で固めなければならない、と書類にありました」


村長が立ち上がりかけた。


「では、それをこの村の下へ、そのまま!」


「村長」


私は制止した。


でも、自分の声も冷たくなっているのが分かった。


「王都は危険性を知っていたのね」


「……はい」


オスカーの返答は、ほとんど囁きだった。


(事故ではない)


誰も知らなかったわけではない。


危険だと分かっていた。


処理が必要だと分かっていた。


それでも、ここへ捨てた。


「それで、水路を変えた」


私は言った。


「清水枝を塞ぎ、水抜き路も塞ぎ、調整槽を第七坑側へ固定した」


カイが地図を見る。


「滓を水の中へ沈めておくため?」


オスカーが答える。


「書類には“粉塵飛散防止のため坑内湿潤状態を維持”とありました」


私は目を閉じた。


言葉だけなら、もっともらしい。


粉塵を防ぐ。


坑内を湿らせる。


環境を守るための処置のように聞こえる。


でも、実際にやったことは。


有害かもしれない副滓を地下へ捨てる。

水を流し込む。

出口を塞ぐ。


そして、その水が地下へ染み出す。


「結果として、地下水へ成分が溶け出した」


私は言った。


「北畑の白化も、赤茶けた水も……そこから始まった可能性が高いわ」


オスカーは目を伏せた。


「三年前の秋から、井戸水が苦くなりました」


マーサ婆さんが、小さく息をのんだ。


村長は何も言わない。


怒りすぎて、声にならないのだろう。


私はノートへ書いた。


青晶鉱精製副滓。


第四~第七坑へ搬入。


水との接触で成分流出の記載。


坑内湿潤維持。


清水枝閉鎖。


水抜き路閉鎖。


(病名が見えた)


呪いではない。


自然災害だけでもない。


土地の病気。


そして、その病気を作ったのは人間だった。


◇


昼前。


オスカーを休ませたあと、私たちは第七坑へ向かった。


今度は準備を整えている。


坑道経験者二名。


兵六名。


縄。


支柱。


灯り。


布。


木箱。


証拠を触るための道具。


そしてカイ。


私は当然のように同行しようとした。


当然のように止められた。


「今回は中へ入れません」


「鉄箱を確認するのは私の役目でもあるわ」


「坑道の安全が確認されるまでです」


「安全が確認されたら?」


「その時考えます」


「考えるということは、可能性はあるのね」


カイが嫌そうな顔をした。


「言葉尻を取らないでください」


「記録を取る人間なので」


「ベルトラムに似てきましたよ」


「それは少し傷つくわ」


「では、やめてください」


村長が横で笑った。


「今日も仲がよろしいですな」


「違います」


「違いますわ」


「相変わらず、そこだけは揃いますな」


結局。


坑道経験者と兵が先に入り、安全を確認。


その後、カイ。


さらにその後ろを、私が入ることになった。


条件は厳しい。


前へ出ない。


勝手に物を触らない。


魔法を使うなら先に言う。


崩れた場所には近づかない。


「分かっていますわ」


「全部復唱してください」


「子ども扱いしている?」


「必要な確認です」


「……前へ出ない。勝手に触らない。魔法を使う前に言う。崩れた場所へ近づかない」


「よろしい」


「本当に保護者みたいね」


村長が言う。


「村長は黙っていてください」


カイの声は冷たかった。


◇


第七坑の中は、想像以上に広かった。


昨日まで膝近くあった水は、足首ほどまで下がっている。


地面は黒い。


泥ではない。


泥と黒い滓が混ざり、粘るような層を作っている。


踏むたびに、ぬちゃ、と嫌な音がした。


壁には赤茶色の筋。


天井から落ちる水滴も、一部が黄色く濁っている。


「植物が一本もない」


思わず口から出た。


坑内だから当然。


でも、入口近くの湿った岩なら、普通は苔くらいあってもいい。


ここにはない。


何も生えていない。


(生き物が避ける場所)


月白草の根が黒い滓を避けた理由が、よく分かる。


奥へ進む。


やがて、大きな空間へ出た。


そして。


誰もが言葉を失った。


黒い山。


オスカーがそう表現した意味が分かった。


坑道の奥に、黒い滓が積み上げられている。


人の背丈の三倍ほど。


いや、それ以上。


何十台分あるのか分からない。


表面には白い結晶が浮き、ところどころ赤茶色の水が染み出している。


村長は同行していない。


見せなくてよかったと思った。


これを見たら、怒りで倒れていたかもしれない。


「こんな量を……」


カイが低く言う。


私は言葉を失っていた。


(これが、村の下に三年間)


畑が枯れた。


薬草が消えた。


水が苦くなった。


子どもが体調を崩した。


一つ一つの出来事が、目の前の黒い山へつながっていく。


その麓に。


鉄箱があった。


半分ほど滓に埋まっている。


大きさは、私の両腕で抱えるくらい。


表面には錆。


そして確かに、王都の紋章が刻まれていた。


王冠。


その下に、天秤。


さらに小さく、鉱務局の印。


「財務局だけではない」


カイが言う。


「王国鉱務局の箱です」


「持ち出せる?」


坑夫経験者が確認する。


「滓を少し外せばいける。ただ、箱の下に空洞があるかもしれねえ」


「無理に引かないで」


私は言った。


「周囲を先に確認してください」


「近づかない約束では?」


カイが見る。


「ここから言っているだけでしょう?」


「そのままでいてください」


「分かっているわ」


男たちが慎重に滓を取り除く。


黒い粒は直接触らず、木の道具で動かす。


やがて鉄箱の全体が見えた。


底は岩の上。


空洞はない。


縄をかけ、四人で持ち上げる。


重い。


しかし運べないほどではない。


箱を坑道の入口近くまで運び出した。


そこで初めて、私は近くで確認する。


錠前がある。


封蝋は失われている。


しかし、金属板へ番号が刻まれていた。


王国鉱務局。


試験管理部。


北部特別処分区。


管理番号七。


そして――


「三年前の日付」


私は指で文字を追わず、目だけで確認した。


水路が壊れたとされる大雨の、一か月前。


「大雨より前?」


カイが聞く。


「ええ」


私たちは顔を見合わせた。


これまで、すべては大雨から始まったと思っていた。


大雨で水路が壊れた。


その後、応急工事をした。


そして土地が悪化した。


でも違う。


鉄箱は、大雨より前からここにある。


(工事は、大雨への対応ではなかった?)


大雨を利用した。


元々行われていた処分を隠すため。


水路改変を正当化するため。


そんな可能性が浮かぶ。


「開けますか」


兵が尋ねた。


カイは私を見る。


私はすぐには答えなかった。


「立会人を増やします」


「ここで開けない?」


「ええ。坑道の中では駄目よ」


「なぜ?」


「あとから“中身を入れ替えた”と言われるから」


私は鉄箱を見る。


「村長、オスカー、ラウルの記録、兵。できるだけ多くの立会いのもとで開けるべきだわ」


カイが小さく息を吐いた。


「あなたは本当に、証拠の扱いだけは慎重ですね」


「だけ、というところが気になるわ」


「ほかは大胆すぎます」


反論できなかった。


鉄箱を屋敷へ運ぶことにした。


◇


その日の夕方。


屋敷の会議室に、鉄箱が置かれた。


立会人。


カイ。


村長。


マーサ婆さん。


兵二名。


オスカーは寝台から動けないため、部屋の隣で扉を開けて聞いてもらう。


そして私。


箱の外観を全員で確認する。


番号。


印。


傷。


錠。


すべて記録した。


「鍵は?」


村長が尋ねる。


「ありません」


「では壊す?」


「その前に」


私は箱の底を見た。


側面に、小さな差し込み口がある。


鍵穴ではない。


薄い金属板を差すような形。


オスカーが隣室から声を上げた。


「……帳面の背表紙を」


「帳面?」


「三年前の……資材帳簿です」


カイが保管していた古い帳面を持ってくる。


背表紙。


布が少し剥がれている。


その隙間に、薄い金属板が入っていた。


「こんなものが」


村長が目を丸くする。


オスカーが苦しそうに笑った。


「工事責任者が落としたものを……隠しておきました」


「先に言ってください」


カイが冷たく言う。


「申し訳……ありません」


「カイ様」


「責めていません」


「今日はずっとそれを言っていますわ」


金属板を差し込む。


かちり。


小さな音。


錠が外れた。


誰もすぐには箱へ触れなかった。


私は全員を見る。


「開けます」


カイが蓋へ手をかける。


ゆっくり持ち上げた。


中に入っていたのは。


金貨でもない。


宝石でもない。


兵器でもない。


書類だった。


大量の書類。


油紙に包まれ、湿気を防ぐための布が詰められている。


一番上には、厚い冊子。


表紙に文字がある。


《北部特別処分区 環境影響試験報告》


私は息を止めた。


環境影響。


つまり。


最初から調べていた。


私はページを開いた。


水質。


土壌。


植物。


井戸。


すべての項目がある。


三年前よりさらに一年前。


試験開始。


月白草。


銀葉草。


周辺雑草。


生育試験。


白化。


根腐れ。


生育阻害。


井戸水。


苦味発生。


飲用不適の可能性。


私の指が止まった。


村長が尋ねる。


「何と?」


私は読み上げる。


「“副滓浸出水に長期間接触した土壌では、作物の生育阻害を確認”」


誰も動かない。


さらに。


「“井戸水への混入時、味覚変化および健康影響の可能性あり。居住域周辺での処分は推奨されない”」


部屋の空気が、完全に冷えた。


オスカーが隣室で嗚咽する音が聞こえた。


村長の顔が歪む。


「知って……おったのか」


私は続きを読めなかった。


王都は知っていた。


土地が悪くなることを。


井戸水に影響が出る可能性を。


植物が枯れることを。


その全部を。


処分を始める前から。


(事故でも、失敗でもない)


試験をした。


危険だと分かった。


それでも実行した。


私はページをめくる。


最終頁。


赤い文字で書かれた結論。


《本処分方式は居住区域への影響が大きく、恒久運用には不適》


その下。


別の筆跡で一行。


《辺境人口減少区域につき、運用継続を承認する》


手が震えた。


「……人口減少区域?」


セリナの顔が浮かぶ。


ノエル。


村長。


畑の男たち。


井戸場の女たち。


あの人たちは。


数字の上では、減っても構わない人口だったのか。


(この村に、人が住んでいると知っていた)


怒りが、頭の中を白くした。


でも。


私は息を吐いた。


一度。


二度。


怒りに判断を奪わせない。


「署名を確認します」


声が自分でも驚くほど冷たかった。


カイが横から冊子を見る。


承認欄。


王国鉱務局。


財務局資産処理課。


そして。


民間協力事業者。


ルヴァン商会。


三つの印。


ただし、署名者名の一つが黒く塗り潰されている。


「隠している」


カイが言った。


「ええ」


私は冊子を閉じない。


「でも、これで十分ではないわ」


村長が私を見る。


「まだ足りぬと?」


「この報告書が本物であることを確認しなければならない。それに、承認した人物も特定する必要があります」


「ここまで書いてあるのに?」


「だからこそよ」


私は村長を見る。


「怒りだけで王都へ突きつければ、“偽造だ”の一言で逃げられる」


(悔しい。でも、ここで雑に扱えば、この村がまた負ける)


「原本を保管します。全頁を写す。立会人の署名をつける。紙、印章、管理番号も記録する」


カイが短くうなずいた。


「王都への送付先は?」


「一か所では駄目ね」


「また複数経路か」


「ええ」


私は次の書類へ手を伸ばした。


その時。


箱の底に、もう一枚だけ違う紙があることに気づいた。


封筒。


ほかの公文書とは違う。


上質な白い紙。


王家の紋章。


私は手を止めた。


「カイ様」


彼も気づく。


「王宮文書?」


「たぶん」


封筒の表には、短い文字。


《エリオット殿下 御内覧》


部屋の空気が変わった。


私の指先が冷たくなる。


エリオット。


私との婚約を破棄した王子。


植物魔法など王家に不要だと言った男。


カイが私を見る。


「開けますか」


私は封筒を見つめた。


(ここで、あなたにつながるの?)


偶然なのか。


王子本人が知っていたのか。


単に報告書を見せられただけなのか。


まだ何も分からない。


だからこそ。


「開けます」


私は答えた。


封蝋を全員で確認する。


王家の印。


すでに一度開封された跡がある。


中から一枚の書簡が出てきた。


短い文書だった。


私はゆっくり読み始める。


《北部処分区については、現行方式を継続されたし》


一行。


《当該地域の生産力低下については、自然災害および土地固有の魔力不全として処理すること》


二行。


村長が息をのむ。


そして最後。


《住民への詳細説明は不要》


私は、そこで読むのを止めた。


署名を見る。


エリオット本人ではない。


王子付きの政務補佐官。


ヴァルター・クレス。


ただし。


文書の上部に、別の文字で小さく書かれている。


《殿下確認済》


これだけで、エリオットが内容を読んだとは断定できない。


秘書が勝手に書いた可能性もある。


形式だけの承認かもしれない。


でも。


王宮まで届いていた。


この土地の問題は、辺境の工事業者だけが隠したものではない。


私は書簡を机に置いた。


手が震えていた。


怒りなのか。


怖さなのか。


たぶん、両方だ。


「リディア」


カイが私の名前を呼ぶ。


珍しく、様がなかった。


私は顔を上げる。


「平気か」


「……平気ではないわ」


正直に答えた。


「でも、大丈夫とは言わないことにしているでしょう?」


カイの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。


「ええ」


私は王宮文書を見る。


婚約破棄されたこと。


無能と呼ばれたこと。


植物魔法を笑われたこと。


それだけなら、私個人の傷で終わる。


でも。


この土地の人たちは違う。


知らないうちに水を変えられた。


土を壊された。


そして。


「呪われた土地」と呼ばれた。


自分たちが悪いのだと、諦めさせられた。


それは、許せなかった。


(エリオット。あなたが何を知っていたのか、今度は私が確かめる)


私はノートを開いた。


新しい頁。


一行目。


北部特別処分区環境影響試験報告。


二行目。


副滓による土壌・井戸水への影響を事前把握。


三行目。


危険性確認後も運用継続。


そして。


四行目。


王宮へ報告済みの可能性。


ペンを止める。


「村長」


「はい」


「このことは、まだ村中には広めないでください」


村長の眉が寄る。


「なぜですかな」


「怒った村人が採石場や王都の人間へ向かえば、それを口実にされます」


「しかし」


「分かっています」


私は村長を見た。


「怒る権利があります。この村には。でも、怒りを利用されて、証拠を奪われるのだけは避けたいの」


村長は長く黙った。


やがて杖を握り直す。


「……分かりましたぞ」


声が震えている。


「わしも、年だけは食っております。怒鳴る時くらいは選びましょう」


「ありがとうございます」


カイが鉄箱へ蓋をしながら言った。


「次に来る相手は、徴税官程度では済まないでしょう」


「ええ」


「王都へ戻るよう命じられる可能性もあります」


「そうでしょうね」


「行かせません」


即答だった。


私は思わずカイを見る。


「まだ何も言っていないわ」


「先に言いました」


「ずるいわね」


「あなたには先回りが必要です」


村長がぼそりと言った。


「やはり保護者ですな」


「違います」


カイが答える。


私は少しだけ笑った。


でも、笑みは長く続かなかった。


机の上には、土地を枯らしたことを知っていた証拠。


そして、王宮の影。


問題の根は。


思っていたより、はるかに太い。


私は窓の外を見る。


遠くに白い畑。


その向こうに村。


そして、北の山。


地下にはまだ、黒い滓が眠っている。


でも。


原因が分かったのなら。


治す道は作れる。


「カイ様」


「何ですか」


「明日から、土地を戻す方の計画も始めましょう」


「この状況で?」


「この状況だからよ」


私は白い畑を見た。


「責任を追うだけでは、草は生えませんもの」


(戦うことと、治すこと。どちらかだけでは駄目)


「水を戻す」


「土を洗う」


「薬草を守る」


「畑を小さく試す」


一つずつ。


根のようにつなげていく。


そして同時に。


誰がこの土地を病気にしたのかも、最後まで調べる。


私は鉄箱へ目を戻した。


その時。


扉が叩かれた。


兵が入ってくる。


顔色が悪い。


「カイ様。王都街道に、大きな一団が確認されました」


「どこの所属だ」


「王国鉱務局です」


部屋の空気が凍る。


「人数は?」


「騎兵十二。馬車三台。それと――」


兵が言葉を詰まらせる。


「王宮の紋章を掲げた馬車が一台」


私は机の上の書簡を見る。


エリオット殿下。


王宮。


そして、こちらへ向かってくる王宮馬車。


「到着は?」


「明日の朝には」


カイの目が鋭くなる。


村長が低くつぶやいた。


「嗅ぎつけるのが、ずいぶん早いですな」


私はノートを閉じた。


怖い。


でも。


もう、王都の大広間で一人立っていた時とは違う。


今は。


カイがいる。


村長がいる。


マーサ婆さんがいる。


セリナがいる。


記録がある。


土がある。


植物がある。


そして。


鉄箱がある。


「分かりました」


私は立ち上がった。


「では、迎える準備をしましょう」


カイがこちらを見る。


「戦う準備ですか」


「いいえ」


私は静かに微笑んだ。


「調べに来たと言うのなら――」


鉄箱へ手を置かず、視線だけを向ける。


「今度こそ、本当に調べてもらいますわ」

第16話を読んでくださり、ありがとうございます。


今回は、オスカーの証言から、第七坑が“青晶鉱精製副滓”の秘密処分場所として使われていたことが判明しました。


さらに鉄箱からは、副滓が土壌・井戸水へ悪影響を及ぼす可能性を王都側が事前に把握していたことを示す報告書が発見されます。


そして、その情報は王宮にまで届いていた可能性が――。


次回、王国鉱務局と王宮の馬車がレヴィン領へ到着します。

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