出発前夜
ガイルの工房から『特命専属冒険者』のバッジを貰ってから数日。伝説の浮遊島へ向かうための魔導馬車の完成を待つ間、メルたちは王都の自宅兼工房で、旅の準備を進めていた。
「よし、これで次の旅に持っていく『乾燥レインボー・トラウトの出汁粉末』の完成!」
メルは、すり鉢で細かく砕いた七色の粉末を小瓶に詰め、満足そうに微笑んだ。お気に入りの大鍋は、星砂のおかげで新品同様に光り輝いている。
「メル、次の浮遊島って、どんな美味しいものがあると思うの? ポポは今からお腹のスペースを空けて待ってるの」
「うーん、浮遊島っていうくらいだから、珍しい鳥の卵とか、雲の上で育つ不思議な果物とかがあるかもしれないね!」
「果物……! メルの特製パエリアに、甘酸っぱい果物のアクセント……悪くないの、実に創造的なの!」
ポポとメルがそんな食いしん坊な会話を交わしていると、工房のドアが開き、買い出しに出ていたリュカが戻ってきた。
その両手には、王都の市場で仕入れてきた最高級の食材が溢れんばかりに抱えられている。
「ただいま、メル。お前の欲しがっていたスパイスと、ついでに美味そうなエビと貝を見つけたから買ってきた」
「わあ、リュカ、おかえり! すごい、こんな立派なエビ、どこにあったの!?」
「ギルドの横の市場だ。……お前が次の浮遊島へ行く前に、王都の海の幸でもう一度パエリアを食べたいって言っていただろ」
リュカは荷物を置くと、ごく自然にメルのすぐ後ろに立ち、彼女の肩に顎を乗せるような距離で小瓶を覗き込んだ。
「準備は順調そうだな。……だけど、少し詰め込みすぎて手を痛めてないか?」
「ひゃゃっ!? り、リュカ、近いってば! 手は全然平気だよ!」
耳元で囁かれる低音ボイスに、メルは心臓が跳ね上がる。渓谷から戻って以来、リュカの「幼馴染み」というフィルターが完全に外れたようなスキンシップは、日々エスカレートしている気がする。
「平気じゃない。ほら、指先が少し赤くなってる」
リュカはメルの手からすりこぎを取り上げると、彼女の小さな手を両手でそっと包み込んだ。そして、いたわるように親指で優しくマッサージを始める。
「リュカ、本当に大丈夫だから……っ」
「だめだ。お前の手は、俺に美味い飯を作ってくれる世界一 prep(大切)な手だ。俺がいつでもメンテナンスしてやる」
(もう、メンテナンスって何!?)
真っ赤になって固まるメルを見て、リュカは満足そうに目を細めると、今度は彼女の耳たぶを指先でちょんと触った。
「それから、さっき市場で、ギルドの若い奴らがお前を『可愛い魔道具師』って噂してた」
「えっ? 私が?」
「……今回の浮遊島の旅、やっぱり俺たち以外に誰もついて来られないように、ガイルの馬車を完全密閉型に改造してもらう。お前を他の男の視界に入れたくない」
「それはただの監禁なの! リュカ、腹黒い独占欲が漏れ出してるの!」
ポポがすかさず岩の上からツッコミを入れるが、リュカの瞳は至って本気だった。メルはそんな彼の「重すぎる愛」に呆れつつも、嬉しくて胸がキュンとしてしまうのを止められなかった。
「もうっ、リュカ、そんなこと言わないの! ほら、せっかくリュカが買ってきてくれたエビと貝が新鮮なうちに、お夕飯にしよう?」
「……そうだな。お前がそう言うなら、今日は大鍋を囲んで、王都の思い出の味にしよう」
リュカはメルの手を名残惜しそうに離すと、すぐに袖を捲り上げてエビの殻を剥き始めた。その手つきは、ギルドの最高ランク依頼をこなす時と同じくらい真剣だ。
その日の夜、3人は新しく生まれ変わった大鍋で、王都の魚介と渓谷の出汁を融合させた「最高傑作のパエリア」を囲んだ。
パチパチとお焦げが焼ける良い音。
濃厚なエビの旨味と、レインボー・トラウトのコクが染み込んだお米は、口に入れた瞬間に幸福感で満たされる。
「美味い……。メル、やっぱりお前は天才だ」
「ふふ、リュカが美味しい具材をたくさん買ってきてくれたおかげだよ!」
「ポポも大満足なの! これなら明日の出発、いつでもいけるの!」
お腹いっぱいになったポポが、メルの膝の上で丸くなって幸せそうに喉を鳴らし始める。
リュカはそんなポポを少し邪魔そうに見つめながらも、メルの隣へと静かに椅子を寄せた。
「メル。明日から、いよいよ伝説の浮遊島だな」
「うん。ちょっと緊張するけど……でも、不思議と怖くはないよ。リュカがいるもん」
メルが真っ直ぐにリュカを見つめて微笑むと、リュカは一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから、今までで一番優しく、蕩けるような笑顔を浮かべた。
「ああ。どんな空の果てでも、お前を危険の『き』の字にも触れさせない。……だからお前は、安心して俺の隣で笑ってろ」
窓の外には、明日向かう広大な夜空と、きらめく星々が広がっている。
2人と1匹の絆(と、リュカの過保護な胃袋)は、新しい空の冒険で、さらに美味しく、さらに甘く深まっていくのだった。




