恋の温度
渓谷の入り口近く、見晴らしの良い川べりまで戻ってきた頃には、空は綺麗な茜色に染まり始めていた。
「よし! ここをキャンプ地とするの!」
ポポが平らな岩の上でぴょんと跳ねて宣言する。リュカは手際よく周囲から乾いた薪を集めると、小さな火の魔術でパッと焚き火を起こした。パチパチと爆ぜるオレンジ色の炎が、2人の影を長く地面に映し出す。
「さあ、メル。まずはこいつを綺麗にしよう」
リュカが荷物から、あの焦げ付いた大鍋を取り出した。そして、先ほど手に入れたばかりの『研磨の星砂』を手のひらにすくい、サラサラと鍋の底に振りかける。
メルがどきどきしながら見守る中、リュカが布を使って優しく円を描くように磨いていくと――。
「わあ……! すごい、ピカピカになっていく!」
炭化してこびりついていた頑固な魔力汚れが、まるで魔法のように跡形もなく削り落とされ、本来の美しい鉄の肌が蘇っていく。
「よし、元通りだ。これで美味しいものが作れるな、メル」
「うん! ありがとう、リュカ! よーし、腕を振るっちゃうぞー!」
お気に入りの大鍋を取り戻したメルは、嬉しさのあまり腕まくりをして、すぐに調理に取りかかった。
まずは、リュカが仕留めてくれた『レインボー・トラウト』を贅沢に使って、大鍋でじっくりと出汁を取る。未開の地で採れた新鮮なキノコと、ピリッと辛い香草を炒めると、それだけで辺りにたまらない香りが立ち込めた。
「ポポ、お米を入れて。スープを吸わせるから、焦げ付かないように見ててね」
「任せるの。今度はポポがしっかり見張るの。……くんくん、もうすでに最高に美味しそうな匂いがするの!」
ポポが鼻をひくひくさせ、お皿を抱えて大鍋の周りをそわそわと歩き回る。
仕上げに、七色に輝く魚の身を美しく並べ、大鍋にぴったりと蓋をして、リュカの微弱な火魔術でじっくりと蒸し上げた。
数分後――。
「できた! 渓谷風、特製レインボー・パエリアの完成!」
メルが蓋を開けた瞬間、ふわっと白い湯気と共に、魚介の濃厚な旨味と香草の爽やかな香りが広がった。お米はスープをたっぷりと吸って、ほんのり黄金色に艶めいている。
「……美味そうだ」
いつもはクールなリュカが、すでにお皿を持ってメルのすぐ隣にぴたりと陣取っていた。あまりの距離の近さに、メルはパチパチと瞬きをして、少し顔を赤くしながら彼のお皿にパエリアを大盛りに Scoopingあげる。
「もう、リュカは相変わらず私のパエリアの時だけ行動が早すぎるよ。はい、どうぞ!」
「ありがとう。お前の料理を誰よりも早く食べるのは、俺の特権だからな」
リュカは当然のような顔でさらりと独占欲を滲ませると、スプーンでパエリアを口に運んだ。
一噛みした瞬間、リュカの目が見開かれ、すぐに幸せそうな、とても優しい表情に変わる。
「……美味い。魚の出汁がお米の芯まで染み込んでる。キノコの食感も最高だ。やっぱり、メルの作る飯が世界で一番落ち着く」
「本当!? よかったぁ……!」
リュカの美味しそうな顔を見て、メルは胸をなでおろし、満面の笑みを浮かべた。彼に美味しいと言ってもらえるだけで、旅の疲れなんて一瞬で吹き飛んでしまう。
「ごちそうさまなの! お米の部分がカリカリしてお焦げも最高なの! 人間たちのじれったい空気は無視して、ポポは2杯目に突入するの!」
「あ、ポポずるい! 私の分も残しておいてよ!」
賑やかな夕食の時間が過ぎ、夜が更けていく。
満天の星空の下、焚き火の温もりを感じながら、メルとリュカは隣り合って座っていた。
「……ねえ、リュカ」
「ん?」
「今回の旅、大鍋が焦げた時はどうしようかと思ったけど……リュカと一緒に来られて、本当によかった」
メルは膝を抱え、パチパチと燃える炎を見つめながら呟いた。
「私、魔力コントロールも下手だし、いつもリュカに迷惑ばっかりかけてるけど……これからも、色んなところに一緒に素材を探しに行きたいな。で、また美味しいものをたくさん作りたい」
少し照れくさそうに笑うメル。
リュカはそんな彼女をじっと見つめていたが、やがてふっと、周囲の誰も見たことがないほど甘く、深い愛着の滲む笑みを浮かべた。
「迷惑なんて思ったことは一度もない。……むしろ、お前が俺以外の奴と旅に出るなんて、想像しただけでその場所を更地にしたくなる」
「えっ? ええっ!?」
物騒な、だけど尋常じゃない重さの愛がこもった言葉に、メルは心臓を激しく脈打たせてリュカを振り返る。
リュカは逃がさないと言わんばかりに、メルの手を再びぎゅっと握りしめ、その綺麗な瞳で彼女を真っ直ぐに見つめた。
「これからもずっと、俺の隣にいろ、メル。お前が行きたい場所なら、世界の果てまでだって俺が守って連れて行ってやる。……だから、その代わり」
「そ、その代わり……?」
「一生、俺のために美味いパエリアを作ってくれ」
「それって、ほとんどプロポーズなの……」
と、離れた場所で丸くなって寝ていたはずのポポが目を細めて呟いたが、今の2人の耳には届かない。
「っ……、うん……! 約束、だよ」
真っ赤になった顔を隠すように、メルは小さく頷いて、リュカの手を握り返した。
幼馴染みの距離から、ほんの一歩。
未開の地での小さな大冒険は、2人の甘酸っぱい恋の温度を、確かに1つ上げるきっかけとなったのだった。




