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くノ一お雪、里を抜けたら湯けむり茶屋の看板娘になりました ~任務で潜入したはずなのに、妖怪の町で帰る場所ができてしまいました~  作者: 明石竜


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8/22

八の巻 妖怪縁日、月夜のふたり

 翌日。川沿いの畑に野菜の差し入れを届けに行った帰り、川岸で水切りをしていたきゅう太が駆け寄ってきた。

「雪乃ねえちゃん、縁日、知ってるか」

「何の縁日ですか」

「妖怪縁日だよ。毎年この時期にやるんだ。人間も来ていいやつ。屋台がいっぱい出て、からくり見世物もあって、お化け提灯が踊るんだ」

「今年もやりますか」

「やるやる。三日後だよ。こはくねえちゃんも来るか?」

「私が決めることではありませんが」

「来てよ。おいら、案内してあげる」

 きゅう太は尻尾のないところをぶんぶん振るような勢いで言い、川に飛び込んで去っていった。

 月見庵に戻ってこはくに話すと、こはくの目が輝いた。

「縁日ですか。行きましょう、絶対行きましょう!」

「仕事があります」

「三日後は夕方から開くんです。閉店後に行けます。お銀さんに聞いてみます」

 お銀に話すと、「行ってこい。ただし深夜になる前に戻れ」と言った。それで決まった。


 三日後の夕方、閉店と同時にこはくが着替えてきた。

 紺地に白い花の着物で、帯は薄い水色だ。普段は作業着か、接客用の小紋を着ていることが多い。改まった着物姿を見るのは初めてで、雪乃は少し目が止まった。

「変ですか」

こはくが訊いた。

「変ではありません」

「雪乃さんも着替えましょうよ。旅装束のままでは縁日らしくないですよ」

「任務中なので」

「縁日も任務です。警備という名目で一緒に回ってください」

 こはくは言い切った。雪乃は少し考えて、持ってきた着物の中から一枚を選んだ。灰青の地に細い縞が入ったもので、目立たない色だ。

「それを選ぶのですね」

「何か問題がありますか」

「問題はないですけど。もう少し明るい色はないんですか」

「これが一番動きやすい色です」

「動きやすい色というものが存在するのですね」

 こはくは笑い、雪乃はそれ以上言い返さなかった。


 猫又坂の妖怪縁日は、坂の上の広場で開かれた。

 広場には普段、井戸と古い社があるだけだが、縁日の夜は別の場所になる。提灯が数十並び、屋台が左右に連なり、社の前には小さな舞台が組まれている。

 人も妖怪も、区別なく混じっていた。

 二本の角を持つ鬼が焼き鳥を売っており、河童が飴細工を作っており、狸が酒の入った瓢箪を抱えて踊っている。人間の子どもたちは妖怪の屋台の前に列を作り、おとなたちは温泉まんじゅうを頬張りながら見物している。

 きゅう太がどこからか現れた。

「来た来た! こっちに面白いのがあるぞ」

「きゅう太くん、浴衣を着ているんですね」

こはくが突っ込んだ。

 きゅう太は、人間の子どもが着るような小さな浴衣を着ていた。きゅうりの絵柄だ。本人はいたって真剣な顔をしている。

「おいらは縁日の正装だぞ」

「似合ってますよ」

「分かってる。こっちに来い」

 きゅう太に引っ張られ、雪乃とこはくは広場に入った。


 最初に連れていかれたのは、射的の屋台だった。

 屋台の主は古狸で、白髪交じりの顎ひげを生やしている。棚に人形や菓子が並び、竹の筒に小さな弾を入れて的を狙う。

「やってみますか」

こはくが雪乃を見た。 

「得意ではありません」

「射的を得意ではないんですか」

「これは、勝手が違います」

「じゃあ、わたしがやってみます」

 こはくは竹筒を受け取り、狙いを定めた。真剣な顔で、息を吸い、吐いた。弾を放った。

 外れた。

「もう一回」

 また外れた。

「もう一回」


「三回目も外れたね」

きゅう太が笑いながら言った。

「言わなくていいです」

 こはくは竹筒を返し、雪乃を見た。

「雪乃さん、やってみてください」

「先ほど得意ではないと言いました」

「でも、外れてほしくないので」

 論理の筋が通っていないが、こはくに頼まれると断りにくい。雪乃は竹筒を受け取った。

 的を見た。小さな招き猫の人形だ。

 息を整えた。手裏剣と弾は違うが、照準の取り方は変わらない。重心を確かめ、弾を放った。

 人形が倒れた。 

「すごい! もう一回」

 きゅう太が褒めた。

「もう一回やれば人形が増えます」

「増えたら嬉しいです」

 こはくが笑っていた。雪乃はもう一回だけやり、小さな狐の人形を取った。

「これをどうするのですか?」

「持ち帰ります」

「なぜ狐を選んだのですか?」

「棚の端にあったので」

 こはくは何か言いたそうな顔をしたが、言わなかった。


 飴細工の屋台に寄り、月見まんじゅうを食べ、からくり見世物を三人で見た。

 からくり見世物は、小さな舞台に人形が並び、自動で動く仕組みになっている。茶を運ぶ人形、手を振る子ども、刀を振るう武士。精緻な動きに、観客から歓声が上がった。雪乃は人形の背中の構造を目で追い、猫又亭の人形との違いを比べた。こちらは改造されていない、本来のからくりだ。

「鈴音ちゃんに見せたい」

こはくが言った。

「呼べばよかったですね」

「声をかけたんですが、実験中で来られなかったんです。何かが爆発していました」

「またですか」

「小さい方だったので大丈夫だと言っていました」

 雪乃は大丈夫ではないと思ったが、言うのをやめた。

 きゅう太が知り合いの河童の子どもたちを見つけ、「またな」と言って走っていった。残された雪乃とこはくは、広場をゆっくり歩いた。

 夜が深くなるにつれ、縁日の明かりが増した。提灯が揺れ、舞台では三味線が鳴り始めた。妖怪たちが踊り出し、人間の観客が手拍子を打つ。

「楽しいですね」

こはくが言い、

「そうですね」

雪乃は相槌を打った。

 答えてから、少し驚いた。楽しい、という言葉が自然に肯定できた。

 雪乃は任務として広場を見回していた。怪しい人物がいないか、からくり忍軍の気配がないか。だがそれと同時に、屋台の明かりを見て、甘い香りを嗅いで、三味線の音を聞いて、確かに楽しいと思っていた。

 二つが、矛盾なく同時にあった。


 舞台の演目が始まり、広場の人波が前方に集まった。

 こはくが「こっちから見ましょう」と言い、社の脇の石段に導いた。少し高い場所から広場が見渡せる。

 二人で石段に並んで座った。

 舞台では狐の面をつけた踊り手が舞っている。扇を広げ、袖を翻し、提灯の明かりの中で動く。

「きれいですね」

「はい」

「猫又坂の縁日、毎年来ているんですが、毎年見とれてしまいます」

「こはくさんが踊ったら、うまそうですね」

 こはくが雪乃を見た。

「急に何ですか」

「そういう動きが、向いていそうだと思って」

「褒めてくれているんですか」

「事実を言っています」

「雪乃さんの褒め方はやっぱり不器用ですね」

 こはくは笑った。雪乃は少し口をつぐんだ。

 しばらく、二人で踊りを見た。

 こはくが穏やかな声で言った。

「雪乃さん、ここが好きになりましたか。猫又坂が」

「……好きかどうかは、分かりません」

「分からない、ですか」

「でも」

雪乃は少し間を置いた。

「悪くないと思っています。ここで過ごす時間が」

 こはくは何も言わなかった。ただ、少し微笑んだ気がした。

「わたしはここ以外に居場所がないんです」

 小さな声だった。舞台の音楽に混じって、雪乃の耳にだけ届くくらいの。

「猫又坂が全部です。月見庵が全部です。だから、ここが好きかと訊かれたら、好きというより、ここが全てで」

「全て、ですか」

「前のところを出てきてから、ずっとそうです。ここに来て、お銀さんに拾ってもらって、こはくとして生きてきた。他の場所での暮らし方を、わたしは知らないので」

 雪乃は横を向き、こはくを見た。

 こはくは舞台を見ていた。提灯の橙色の光が横顔を照らしている。笑っているが、さっき雪乃が言い当てた、本当に楽しいときの顔とは少し違う。

 何かを言おうとした。

 そのとき、空気が変わった。

 雪乃の背中を、冷たいものが走った。

 気配だ。人ではない、機械のものだ。広場の外から近づいてくる。

 雪乃は立ち上がった。

「こはくさん、ここを動かないでください」

「え、何が」

「来ます」

 社の裏手から、影が現れた。

 膝ほどの高さの、からくり人形だ。猫又亭で暴れたものより小さいが、動きが速い。黒い甲冑を纏い、小さな刃を持っている。目の部分が赤く光っている。

 人形は雪乃を無視した。

 まっすぐ、こはくに向かった。

「雪乃さん」

 こはくの声が変わった。

 雪乃は人形の前に出た。刃が振られた。腕を動かし、軌道をずらした。衣の袖が裂けた。

 人形は止まらない。もう一度刃を振り、こはくに向かおうとする。

 雪乃は手裏剣を抜いた。

 縁日の広場で手裏剣を投げれば、正体が割れる。周囲には人がいる。縁日の人波は舞台の方に集まっているが、社の近くにも何人かいる。

 一瞬、迷った。

 こはくが叫んだ。

「雪乃さん、後ろ」

 雪乃は体を回した。二体目だ。社の反対側から来ていた。

 迷っている場合ではなかった。

 雪乃は手裏剣を投げた。一体目の関節部分に当たり、腕の動きが止まる。二体目に向かい、蹴りを入れた。小さな体が石段を転がった。

「伏せてください」

 こはくはすでに石段の陰に入っていた。

 雪乃は二体の人形を同時に見た。一体目は腕が動かないまま、それでも足を動かしてこはくに向かおうとしている。二体目は立ち上がり、刃を構え直した。

 奥義を使えば早い。だが、人目がある。

 考えながら体を動かし、一体目の頭部に踵を落とした。金属の音がして、人形が崩れた。二体目が雪乃の背中に回り込もうとした。

 こはくの手が、伸びた。

 青白い光が、こはくの指先に集まった。

 雪乃は見た。

 こはくは自分の手を見ていた。光が指先に宿っている。止めようとして、止められない、という顔をしていた。

 こはくが唇を噛んだ。

 光が、消えた。

 こはくの手が、素早く石段の陰に引っ込んだ。

 雪乃は二体目の人形に向き直り、腕を掴んで関節を逆に折った。からくりが軋む音がして、人形が止まった。

 広場の方を見た。舞台の演目が続いており、こちらに気づいた者は少ない。社の周囲にいた二、三人が驚いた顔でこちらを見ていたが、何が起きたか把握できていないようだった。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫です。雪乃さんは」

こはくの声は落ち着いていた。

「問題ありません」

 雪乃は袖の裂けた箇所を確かめた。深くは切れていない。

「雪乃さん、怪我を」

「浅いです」

 こはくが立ち上がり、雪乃の腕を見た。細い傷が一本、走っている。

「手ぬぐいを」

こはくは帯の間から手ぬぐいを出した。

「巻いておきましょう」

「大げさです」

「大げさじゃないです。動脈は大丈夫ですか」

「大丈夫です」

「ならよかった」

 こはくは雪乃の腕に手ぬぐいを巻いた。近い。こはくの息が、腕のすぐそばにある。雪乃は視線をどこに置くか、少し困った。

「人形、また来ますか」

こはくが訊いた。

「今夜は二体だったと思います。偵察か、試しのようなものかもしれません」

「わたしを狙っていましたね」

「はい」

「なぜわたしを」

 雪乃は答えなかった。こはくが半妖だということ、狐火があること、それが玄斎の計画に関係しているという可能性を、まだこはくには話していない。

「分かりません」

結局、嘘をついた。

 こはくは雪乃を見た。しばらく、まっすぐ見た。

「分からない、ですか」

「今夜のところは、そう言うしかありません」

「そうですか」

 こはくは視線を外し、崩れた人形を見た。

「雪乃さんは、忍者ですね」

 穏やかな声だった。

 雪乃は少し止まった。

「……どうしてそう思うのですか」

「手裏剣を持っていて、人形の関節を正確に攻撃して、袖が裂けても顔色が変わらない。それに、月見庵の屋根から落ちてきた最初の日から、ずっと周りを見ていました。人の動きも、屋根の位置も、逃げ道も。普通の旅人は、そこまで見ません」

「旅人にも、そういう人はいます」

「いないと思います」

こはくは笑わなかった。

「雪乃さんが忍者でも、わたしは怖くありません」

 雪乃は答えられなかった。

「ただ、わたしのことを、任務で調べていたなら、それは少しだけ、複雑な気持ちです」

 雪乃は目を伏せなかった。こはくの言葉を、まっすぐ受け取った。

「今夜は答えられません」

「いつか、答えてくれますか」

「……はい」

 こはくは少しの間、雪乃を見た。

 それから、手ぬぐいの結び目を確かめた。

「しっかり巻けました。ちゃんと手当てしてくださいね」

「はい」

「帰りましょうか。お銀さんが心配します」

 二人は社の石段を下りた。広場では縁日がまだ続いており、三味線の音が夜に溶けていた。提灯が揺れ、人と妖怪が笑い合っている。

 さっきまでと同じ縁日の光景だが、雪乃には少し違って見えた。

 こはくが隣を歩いている。手ぬぐいを巻いた腕が、少し温かい。

 任務のことを、しばらくだけ、考えるのをやめた。

 考えるのをやめたことに、気づいた。

 だが、それを問題にする気が、今夜に限っては起きなかった。


 月見庵に戻ると、お銀が起きていた。

「遅い」とお銀は言い、二人を見た。雪乃の腕の手ぬぐいを見て、一瞬目が止まった。何も言わなかった。

「座れ。飯が残っている」

 三人で遅い夕食をとった。お銀は飯をよそいながら、何も訊かなかった。ただ、雪乃の腕の傷に、あとで軟膏を塗れとだけ言った。

 食事のあと、雪乃は部屋に戻った。

 崩れた人形の部品を、袖に入れて持ち帰ってあった。机の上に出し、確かめた。

 やはり、同じ作りだ。鈴音に明日渡す。

 部品を包み直して、雪乃は横になった。

 今夜、こはくは狐火を出しかけた。それを自分で止めた。こはくの制御は、思っていたより安定していない。感情が揺れると、出てしまいそうになる。

 玄斎がこはくを狙っているなら、こはくの力を目的としているはずだ。それが何のためかは、まだ分からない。

 だが、人形がこはくを狙ってきた夜、雪乃がこはくの前に出た。

 任務のためだったか。

 考えたが、答えは出なかった。けれど、どちらでもよかった気がした。こはくが危なかった。だから出た。それだけだった。

 窓の外の月は、満月まであと少しだった。白く、穏やかに、猫又坂の夜を照らしていた。


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