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くノ一お雪、里を抜けたら湯けむり茶屋の看板娘になりました ~任務で潜入したはずなのに、妖怪の町で帰る場所ができてしまいました~  作者: 明石竜


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六の巻 からくり芝居小屋の大騒動

 猫又坂のからくり芝居小屋は、坂の中ほどにある。

 建物は古く、壁板が黒ずんでいる。だが屋根の上に大きな提灯が吊り下がっており、夜になると遠くからでもよく見えた。看板には「からくり座・猫又亭」と書かれており、その下に演目の札が下がっている。今月の演目は「鬼退治絵巻」だった。

 月見庵の常連客が話題にしていたのを、雪乃はずっと耳に入れていた。

「猫又亭の芝居は面白い。人形がちゃんと動くし、最後の立ち回りは毎回違う」

「からくりがよくできているんだ。あの小屋の人形師は腕がいい」

 雪乃は一度行ってみるべきだと思っていた。町の娯楽の中心に、からくりを扱う場所がある。今回の事件との関係を確かめるためにも、内部の構造を把握しておきたかった。

 こはくに話すと、すぐに「行きましょう」と言った。

「わたしも最近行ってないです。鈴音ちゃんも誘いましょうか」

「鈴音さんに話したいことがあるので、ちょうどいいかもしれません」

 雪乃はまだ鈴音に返事をもらっていなかった。またたび湯の部品を預けてから数日が過ぎていた。


 昼の営業を終え、三人で猫又亭に向かった。

 鈴音は工房で呼ぶと、すぐに出てきた。作業着のまま、頬に今日の油汚れをつけている。

「部品のこと、調べてた」

鈴音は工房を出るなり、挨拶より先に言った。

「分かりましたか」

「少し。話しながら行こう」

 四人で坂を上りながら、鈴音は話した。

「あの部品ね、素材が珍しいんだよ。普通の鉄じゃなくて、鉄に何かを混ぜてある。軽いし、錆びにくい。猫又坂じゃ手に入らない素材」

「どこで手に入るのですか?」

「それが分からなくて。ただ、昔の文献に似た記述があった。忍びが使う金属の配合に、近い」

 雪乃は少し止まった。

「忍びが使う金属、ですか」

「うん。昔の忍具の記録に、錆びにくい合金の話が出てくる。それと素材の特徴が近い。全部一緒じゃないけど、系統が似てる感じ」

「忍びとからくりが組み合わさっている、ということですか?」

「そういうこと。しかも最近の技術じゃなくて、どこか古い知識を使ってる気がする。昔の忍術書と、からくりの原理が、一緒に誰かの頭の中にある感じ」

 こはくが雪乃を見た。雪乃は視線を受け取り、小さく頷いた。

 忍びの知識とからくり技術を持つ者。猫又坂の地下に何かを仕掛けようとしている者。またたび湯を幽霊騒動で閉め出そうとした者。

 一人の人間の影が、少しずつ像を結びつつあった。

「岩場の管のことも気になってます。あれの用途が分かれば、全体が見えてくるかもしれません」

「管は明日もう一度見に行く。写しを取っておいたから、文献と照合する」

 鈴音は自信ありげに言った。

「ありがとうございます」

「お礼は発明の材料で。忍具の部品とか、あったりする?」

「持っていません」

「えー」

 猫又亭の提灯が見えてきた。


 猫又亭の中は、思ったより広かった。

 入ってすぐに土間が広がり、前方に舞台がある。舞台は高さが一段あり、幕が下りていた。客席は桟敷席と立ち見の場所に分かれており、昼の回はそれほど混んでいないが、それでも二十人ほどの客がいる。

 雪乃は席に着きながら、小屋の構造を確かめた。舞台の袖に人形師が入る場所があり、天井から糸が下がっている仕掛けが見えた。床下にも何かあるらしく、踏む場所によって音が変わる。

「楽しみだなあ。猫又亭のからくり、精度が上がってるって聞いた」

 鈴音の目は、もう舞台ではなくその裏側にある仕掛けを見ているようだった。

「雪乃さん、芝居は見たことありますか」

こはくが訊いた。

「ありません」

「初めてですか。それは楽しみですね」

 こはくは素直に嬉しそうな顔をした。

 幕が上がった。


 芝居は「鬼退治絵巻」という演目で、里の若者が鬼を退治する話だった。

 人形は膝ほどの高さで、動きが滑らかだった。手足が細かく動き、顔の向きが変わり、衣装の裾が翻る。糸の制御が精緻で、人間が操っているとは思えないほど自然に見えた。

 雪乃は舞台を見ながら、しかし目線の端で小屋全体を観察していた。天井の梁、床下の空洞、袖の影、入口の位置。非常時に動ける経路を頭に入れるのは、狭い場所に入るときの習慣だ。

 芝居は中盤まで、特に問題なく進んだ。

 変わったのは、鬼が登場する場面だった。

 舞台の奥から大きな人形が現れた。鬼の人形で、赤い面をつけ、棍棒を持っている。普通の人形より一回り大きく、動きも力強い。観客から歓声が上がった。

 そこまでは、普通だった。

 問題は次の瞬間に起きた。

 鬼の人形が、棍棒を振り上げた。演技の動作のはずだった。だが、振り下ろした先は舞台の床ではなく、舞台の縁だった。桟敷席に近い部分の木が、激しく打ち据えられた。

 観客が悲鳴を上げた。

 人形師の声がした。「止まれ、止まれ」と叫んでいるが、人形は止まらない。棍棒を振り回し、舞台の上を動き回る。糸が絡まっているのか、それとも別の何かが起きているのか、人形師の操作に従っていない。

 客が席を立ち始めた。

 雪乃はすでに動いていた。

「こはくさん、出口へ」

「雪乃さん、あの人形」

「分かっています。先に客を」

 こはくと鈴音を出口の方へ押しやり、雪乃は舞台に向かった。

 人形は暴れ続けている。棍棒が舞台の柱に当たり、木片が飛んだ。舞台の照明用に吊るしていた提灯が揺れる。落ちれば火が出る。

 雪乃は舞台に飛び上がった。

 客の視線が集まったが、今はそれより人形を止めることが先だ。人形の動きを見る。棍棒の軌道を読む。振り下ろしのタイミングに合わせ、腕に手をかけた。

 固い。普通の人形の感触ではない。金属の芯が入っている。

 雪乃は人形の背後に回り込み、糸の根元を探した。背中の上部に、通常の操作糸とは別の、細い黒い糸がある。それが人形の動きを狂わせている原因だ。

 糸を掴み、断ち切った。

 人形の動きが止まった。

 棍棒を持ったまま、静止した。

 小屋の中が、一瞬静かになった。

 それから、まだ残っていた客から、何かが起きたのかよく分からないような、ざわめきが広がった。


 人形師が舞台に上がってきた。

 五十代ほどの男で、顔が青ざめている。

「済みません、済みません。こんなことは初めてで、人形が急に言うことを聞かなくなって」

「人形を見てもいいですか」

 雪乃がそう言うと、人形師は頷いた。

 雪乃は人形の背中を開けた。またたび湯の人形と同じ構造だ。中に、余分な部品が取り付けられている。歯車と細い管と、黒い糸が繋がっていた。

 鈴音が舞台に上がってきた。雪乃の隣に来て、人形の内部を覗き込む。

「同じだ。またたび湯の部品と、同じ作り」

「取り外せますか」

「うん。ちょっと待って」

 鈴音は工具を取り出し、作業を始めた。

 こはくが舞台の端から見ていた。雪乃と目が合った。こはくの顔が、いつもより真剣だった。

 人形の内部から部品を外し終えると、鈴音が言った。

「さっき見つけたものと、全部同じ。材質も、歯車の噛み合わせも。同じ人が作った」

「猫又亭にいつから」

雪乃は人形師に訊いた。

「いつから、というのは」

「この人形が、いつ小屋に置かれたか」

「三月ほど前です。新しい大道具として作ってもらいました。近在の職人に頼んだものですが」

「その職人の名は」

「旅の職人で、名前は教えてくれなかった。ただ、腕は確かで、値段も安かったので」

 旅の職人。名を明かさない。腕が確かで、値段が安い。売り込んできた側だ。

 雪乃は頭の中で線を繋いだ。またたび湯の人形は元からある飾り物を改造された。猫又亭の人形は最初から仕掛け入りで作られて持ち込まれた。より計画的になっている。

「この小屋に、他にも新しい人形はありますか?」

「二体ほど、同じ時期に作ってもらいました」

「全部調べさせてください」


 調査に一刻かかった。

 二体の人形のうち、一体は問題なかったが、もう一体にも同じ部品が仕掛けられていた。鈴音が外し、三体分の部品が揃った。

 客は全員帰っており、小屋の中には人形師と、雪乃たち四人だけだった。

 人形師は頭を抱えていた。

「こんなことになるとは。誰かに恨みを買った覚えはないのですが」

「この小屋を狙ったというより、町の中に仕掛けを増やしていると考えた方が自然です。またたび湯と、この小屋。他にも同じものがある可能性があります」

 雪乃は伝える。

「何のために」

 答えはまだ分からない。だが、手がかりは増えた。

「今夜、調べていいですか。小屋全体を」

「構いません。何でも協力します」


 人形師が帰り、小屋の中を調べた。

 雪乃は舞台の床下に入り込んだ。狭く、暗く、埃が積もっている。提灯を持って奥まで進むと、床の支柱の一本に、またたび湯の岩場で見たものと同じ形の管が取り付けてあった。

 しかも今回は、管の先が床板を貫いて地面の下に続いていた。

 雪乃は管の取り付け方を確かめた。ただ固定されているのではなく、弁のような仕掛けがある。何かの信号を受けると、開く仕組みになっているらしい。

「鈴音さん」

雪乃は床下から声をかけた。

「これを見てください」

 鈴音が床の隙間から顔を覗かせた。

「来る」

 小柄な鈴音は、雪乃より動きやすそうに床下に入ってきた。管を見て、すぐに表情が変わった。

「これ、弁だ。開閉できる」

「何のための弁だと思いますか」

「地下から何かを通すための、入口みたいなもの。気体か、液体か。下に通じてるなら、地下で何かが動いてる」

 地下。またたび湯の岩場の管も、地下に向かっていた。

「猫又坂の地下に、何かある」

「配管か、通路か。大規模なものだよ、これは。一人が仕掛けられる規模じゃない」

鈴音の声が低くなった。


 床下から出ると、こはくが舞台の縁に座っていた。

 雪乃が上がっていくと、こはくは横を向いていた。何かを考えている顔だ。

「こはくさん」

 こはくが振り返った。

「雪乃さん、さっき」

「はい」

「人形を止めるとき、舞台に飛び上がりましたね」

「客に当たる危険があったので」

「それはそうなんですが……」

こはくは少し間を置いた。

「わたし、危うく狐火を出しそうになりました」

 雪乃は少し止まった。

「人形が暴れていたときに、雪乃さんを守ろうとして、咄嗟に手が動いて、でも、ここで出したら人に見られると思って止めました」

「止められたのですね」

「はい。でも、ぎりぎりでした」

 こはくの声が穏やかだった。どこか、自分に呆れているような。

「わたし、自分が思っていたより制御が甘いみたいです。気が動転すると、出てしまいそうになる」

 雪乃はこはくを見た。

 狐火。こはくが隠していること。裏庭で灯し、裏山で使い、そして今日、咄嗟に出そうになった。こはくにとって、それは自然に出てしまうものだ。

「誰かに見られましたか」

「鈴音ちゃんには気づかれなかったと思います。でも」

「でも?」

「たまさんが来ていました」

 雪乃は小屋の隅を見た。いつの間にか、桟敷席の奥にたまが座っていた。提灯も持たず、目を細めて舞台の方を見ている。

「芝居を見に来ていたのか、それとも……」

「たまさんは、たぶん全部知っています。わたしのことも。ずっと前から知っていて、でも何も言わない人です」

「信頼できますか」

「はい。たまさんは、誰の味方でも敵でもないですが、悪いことはしない人です」

 雪乃はたまのところへ歩いた。

 たまは雪乃が近づいても動かなかった。相変わらず眠そうな顔で、舞台を見ている。

「たまさん」

「見ておったよ。よく止めた」

「こはくさんのことも」

「見えた」

たまは少し間を置いた。

「こはくは危なかったのぅ。ただ止めた。それが大事じゃ」

「たまさんは、以前から知っていたのですか。こはくさんが半妖だということを」

「ずっと前からの」

「なぜ黙っていたのですか?」

 雪乃が訊くと、たまは少しだけ目を細めた。

「こはくは、半妖であることそのものを恥じておるわけではない」

 たまは舞台の方を見た。

「ただ、自分の火を怖がっておる。昔、まだ力の加減を知らぬころ、狐火で人を驚かせたことがある。大きな怪我はなかった。じゃが、向けられる目は変わった」

「それで、隠すように」 

「ここでは、ただのこはくでいたいのじゃろう。月見庵の看板娘として、団子を作り、茶を出し、おかえりと言う。それを失うのが怖いのじゃ」

 たまは雪乃を見た。眠そうな目に、しかし確かな光がある。

「お前もそうじゃろ。こはくの秘密を知っても、追及せなんだ」

「……同じ立場なので」

「そうじゃの」

 たまは舞台に目を戻した。

「一つ、教えてやろう。今夜の人形の暴れ方、わしは見ていた。あれはただの誤作動ではない。誰かが意図的に動かした」

「遠隔で操作できる仕掛けがあると」

「それだけではない。気配があった。人形が暴れ始めたとき、この小屋の外に誰かがいた。一瞬だけ、強い意志の気配がした」

「見ましたか、その人物を」

「一瞬じゃ。背が高く、羽の紋の着物を着ておった」

 羽の紋。

 雪乃の中で、何かが繋がった。またたび湯の幽霊騒動のとき、鈴音が言っていた。猫又亭の人形の内部から、黒い羽の紋が見つかった、と。

「名前に心当たりはありますか」

 たまはしばらく黙った。眠そうな目が、少し遠くを見た。

「黒羽玄斎」

 たまはぽつりと言った。

「昔、この町に一度来たことがある男じゃ。忍びじゃった。今は、何をしておるか分からんが」

 黒羽玄斎。

 雪乃はその名を、知っていた。

 里で、語られていた名だ。天才と呼ばれ、しかし里を捨てた男。裏切り者として記録された元忍び。里に戻れば、罰を受ける者。

 雪乃は何も言わなかった。表情も動かさなかった。

 ただ、胸の中で、任務の輪郭が一段、はっきりした。


 帰り道、鈴音は工房に戻り、雪乃とこはくだけになった。

 夜の坂道を、二人は並んで下りた。提灯の明かりが石畳を照らす。

「たまさんが教えてくれた名前、知っていましたか」

 こはくに聞かれると、雪乃は少しの間、歩きながら考えた。

「聞いたことがあります」

「それだけですか」

「……猫又坂に来た理由と、関係があります」

 こはくは何も言わなかった。

 石畳の音だけが続いた。

「雪乃さん」

「はい」

「危ないことに関わっているのですか、雪乃さんは」

 雪乃は答えを選んだ。正直に言えることと、言えないことがある。

「危ないかどうかは、まだ分かりません。ただ、この町に何かが起きようとしているのは、確かです」

「わたしたちの町が」

「はい」

 こはくは少し黙った。


「雪乃さんが来てくれてよかったです」

 唐突な言葉だった。雪乃は少し面食らった。

「どういう意味ですか」

「一人だったら、わたし、気づかなかったかもしれない。ただ団子を作って、楽しく過ごして、知らないうちに何かが起きていたかもしれない。雪乃さんが来て、いろんなことが見えるようになった気がして」

「それは、任務のためにやっていることで」

「それでも、いいです」

 こはくは前を向いたまま言った。

「雪乃さんがいる理由がどんなものでも、雪乃さんがここにいてくれることは本当のことでしょう。それが、わたしには十分です」

 雪乃は答えられなかった。

 月見庵の屋根が見えてきた。お銀が店の外に出て、空を見ていた。雪乃たちが坂を下りてくるのを見て、中に入った。飯の支度をしているのだろう。

 雪乃はこはくの言葉を、しばらく胸の中に置いたままにした。

 任務のためにやっていることでも、いい。ここにいることは、本当のことだ。

 そういう言い方を、今まで誰からも聞いたことがなかった。

 里では、行動の理由が問われた。何のためにやるか、誰の命令か、任務に意味があるか。理由が先にあって、行動があとについてくる。それが当たり前だと思っていた。

 こはくは、理由より先に、ここにいることそのものを見ていた。

 雪乃は、それに何と返せばいいか分からなかった。

 だから何も言わずに、月見庵の暖簾をくぐった。

 お銀が「遅い」と言い、こはくが「ごめんなさい」と笑い、台所から温かい香りが流れてきた。

 その、どこにでもある夕方の始まりを、雪乃はいつもより少しだけ、大切なものに感じた。


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