二十一の巻 からくり仕掛けの夜明け
仕掛けの起動部分を切り離す作業は、十日かかった。
玄斎と鈴音が毎日地下に降り、議論しながら、少しずつ進めた。爆発は三回あった。鈴音によれば全部小さい爆発だったが、三回目は玄斎の眉が少し焦げた。玄斎は何も言わなかった。鈴音は「眉は生えてきます」と言った。それも何も言わなかった。
十日目の夕方、二人が地下から上がってきて、「終わった」と言った。
雪乃、こはく、お銀、あやめ、たま、きゅう太が月見庵の前で待っていた。
「本当に終わりましたか」
こはくが訊いた。
「終わった。移動用の歯車を全部切り離した。温泉は今まで通り出る。仕掛けが動き出しても、町は動かない」
鈴音は言う。
「たまさん、確認してもらえますか」
「行ってくる」
たまが地下に降りた。
しばらく待った。
たまが上がってきて、伝えた。
「問題ない。温泉の流路は生きている。移動に関わる仕掛けは、完全に切り離されている。こはくが強化した封印も、そのまま保たれている」
全員が少し動かなかった。
それから、きゅう太が叫んだ。
「やったぞ」
その夜、月見庵で小さな宴になった。
農家の男、荒物屋の主、大工の夫婦、番頭が来た。お銀が酒を出し、こはくが団子を焼き、鈴音が「わたしの功績が一番大きい」と言い、きゅう太が「おいらも頑張った」と言い、あやめが「どちらも大きい違いはない」と言い、二人が「ひどい」と言った。
玄斎は縁台の端に座り、酒を一杯だけ飲んだ。農家の男が隣に座り、話しかけた。
「お前さんが、からくりを切り離したのか」
「鈴音と二人でやった」
「この町の地下に、そんなものがあるとは知らなかった。長いこと、ここに住んでいるのに」
「知らない方が、多い。どんな町でも」
「そうかもしれないな」
農家の男は酒を飲んだ。
「あんたは、これからどうするんだ」
「まだ決めていない」
「ここにいてもいいんじゃないか。お銀さんに言えば、置いてくれると思うが」
「お前が言うのか」
「俺が言ってもいいし、あんたが言ってもいい。どっちでも、お銀さんは聞いてくれる」
玄斎は少し間を置いた。
「考えておく」
「そうしてくれ」
農家の男は立ち上がった。
「うちの畑に、人手が要るときは声をかける。力仕事なら体を使ってくれ」
「からくりの方が得意だが」
「からくりで畑仕事ができるなら、それでいい」
「……考えておく」
農家の男は笑い、他の人々のいる方に歩いていった。
宴が終わり、人々が帰ると、月見庵が静かになった。
あやめが、雪乃に声をかけた。
「少し、話せるか」
「はい」
二人は坂道に出た。
夜の猫又坂は静かだった。提灯が揺れ、遠くから三味線の音がかすかに聞こえた。
「明日、里に戻る」
あやめは伝えた。
「そうですか」
「最後の報告を書いた。玄斎の計画を阻止したこと、仕掛けを切り離したこと、猫又坂の安全が確保されたこと」
「雪乃のことは」
「お前が里の命令に従わなかったことは、書いた。ただし、その理由と結果も書いた。お前がここにいたことで、計画が止まったこと。里の判断では間に合わなかった可能性があること」
「それで、里はどう判断しますか」
「分からない」
あやめは少し間を置いた。
「ただ、すぐに追っ手を出すほど余裕のある状況でもない。玄斎の件が片付いたことで、里の警戒は一段落する。しばらくは、そっとしておくと思う」
「しばらく、のあとは」
「そのときに考えろ。今は、今のことだけでいい」
「あやめさんらしくない言い方です」
「そうか」
あやめは前を向いたまま言った。
「こはくに言われた。先のことを全部考えてから動こうとするから、疲れると」
「こはくさんが、あやめさんにそんなことを」
「いつの間にか話していた。あの娘は、話しかけてくる」
「そうですね」
「……悪くはなかった」
雪乃は少し笑った。
「あやめさん、里に戻って大丈夫ですか」
「大丈夫だ。私は里の忍びだ。それは変わらない」
「変わらなくていいと思います。ただ」
「ただ」
「帰りたい場所がないと言っていました。それは、変わりましたか」
あやめは少し間を置いた。
「変わったかもしれない」
「どこが帰りたい場所になりましたか」
「言わなくていいか」
「言わなくていいです」
「……月見庵の団子が、美味かった。それだけだ」
「団子が、帰りたい場所ですか」
「団子と、それを食べる場所だ。それだけだ」
「いつでも来てください。こはくさんが用意します」
「里の任務の合間に、宿場町に寄ることは、規則上は問題ない」
「では、規則の範囲内で来てください」
「……そうする」
あやめは坂を見た。
「雪乃」
「はい」
「お前が選んだ道が正しいかどうか、今の私には分からない。ただ」
「ただ」
「お前の顔が、里にいたときと違う。それだけは分かる」
「どう違いますか」
「里にいたとき、お前は前を見ていなかった。どこを見ているか、分からない顔をしていた。今は、前を見ている」
雪乃は少し考えた。
「里にいたとき、前に何があるかを知らなかったからだと思います」
「今は、前に何があるか分かるのか」
「月見庵があります。こはくさんがいます。お銀さんがいます。それで十分です」
あやめはしばらく黙ってから、「そうか」と言った。
「あやめさんも、いつか前が見える場所を見つけてください」
「見つかるかどうか、分からないが」
「分からなくていいです。探しながら歩けばいいと思います」
あやめは少し笑った。
声に出した笑いではなく、口元だけが動く程度の笑い方だった。
「お前に言われると、しょうがない気がする」
「なぜですか」
「お前が言うことは、大体、正しいことが多い。腹が立つが、正しい」
「腹が立ちますか」
「立つ。ただ、それも悪くない」
翌朝、あやめが出立した。
月見庵の前で、こはく、お銀、雪乃が見送った。
あやめは旅装束に戻り、荷をまとめていた。
こはくが包みを渡した。
「道中の分です。草餅と、きなこ団子と、月見まんじゅうです」
「多すぎる」
「足りないと困ります」
「一人でこれを食べ切れるか」
「食べてください。甘いものは、疲れに効きます」
あやめは包みを受け取った。そして、
「ありがとう」
こはくに向かって言った。
「いつでも来てください」
「来る。規則の範囲内で」
「規則を気にしなくていいときも、来てください」
「そういうときが来れば」
「来ます」
あやめはお銀を見た。
「世話になった」
「世話をした覚えはない。ただ、また来るなら、団子を食べていけ」
「……そうする」
あやめは雪乃を見た。
「元気でいろ」
「あやめさんも」
「玄斎の件が、里でどう処理されるかは分からない。ただ、しばらくは大人しくできると思う」
「ありがとうございます」
「礼はいい」
あやめは坂の上を向いた。
「では行く」
「あやめさん」
「何だ」
「竹林で戦ったとき、わざと負けてくれましたね」
あやめは少し止まった。
「言い訳をしたいが、事実だから言えない」
「ありがとうございます。あのとき、勝てたのはあやめさんがそうしてくれたからです」
「負けたのは本当だ。加減したことは認めるが、それでも負けだ」
「では、次に来たとき、また戦いましょう。今度は本気で」
「今度こそ連れ帰るかもしれないが」
「そのときはそのときです」
あやめは少し笑った。また、声には出ない笑い方だった。
「では、またいつか」
坂を上り始めた。
三人は見送った。
あやめが坂の上に消えるまで、見ていた。
その日の昼、月見庵には久しぶりに賑わいが戻った。
玄斎の騒ぎのあと、客足は少し鈍っていた。それでも今日は、噂を聞いた者、心配して様子を見に来た者、ただ団子を食べに来た者が、次々に縁台へ腰を下ろした。
こはくがいつも通り客を迎えた。
「いらっしゃいませ」
雪乃は配達に出て、洗い物をして、薪を割った。
いつもの仕事だった。
昼過ぎ、きゅう太が来た。川からきゅうりを一本、差し出してきた。
「お土産だ」
「きゅうりが、土産ですか」
雪乃が訊いた。
「川で採れた。新鮮だぞ」
「月見庵に持っていけば、こはくさんが喜びます」
「そうする」
「ただし、川で採れたという説明は少し考えた方がいいです」
「なぜだ」
「食材として、少し不安になります」
「洗えば平気だ。雪乃ねえちゃんは、最近ずっとここにいるな」
「はい」
「ずっといるつもりか」
「そのつもりです」
「よかった。おいら、雪乃ねえちゃんがいなくなると思って、少し心配してた」
「いなくなりません」
「本当か」
「本当です」
「じゃあいい」
きゅう太はそう言って、月見庵に走っていった。
夕方、玄斎が縁台にいた。
お銀と話していた。
雪乃は少し離れた場所から聞くともなく聞いた。
「置いてもらいたい」
「理由は」
「作業が終わった。次に何をするか、決まっていない。決めるまで、ここにいたい」
「働くか」
「働く」
「薪割りと帳簿の計算は、続けるか」
「続ける」
「あと、団子の仕込みを手伝え。人手が要る」
「団子の作り方は知らない」
「教える。覚えろ」
「……分かった」
「それだけだ」
お銀が帳場に入った。
玄斎は縁台に座ったまま、坂道を見ていた。
歯車丸が、縁台の端に立っていた。
「玄斎様」
「何だ」
「命令確認。本機の次の任務を指示してください」
「任務はない」
「任務がない場合の行動方針を指示してください」
「好きにしろ」
「好きに、という概念は」
「好きなことをしていいということだ」
「本機が好きなことは、団子を見ることです。しかし食べる機能がありません」
「隣で見ていろ」
「了解した」
歯車丸は縁台に並んで立った。玄斎は何も言わなかった。




