二十の巻 月見団子と細い月
その日の昼、玄斎と鈴音が地下に降りた。
起動部分の切り離しについて、実物を見ながら話し合うためだった。雪乃も一緒に行き、きゅう太が案内した。
地下の中枢で、玄斎と鈴音は歯車を見ながら話した。
「ここの軸を外せば、移動用の歯車が切り離せる」
玄斎が言った。
「外せるか確かめる」
鈴音は工具を出した。
「待て。構造を確認してからにしろ。外したあとに戻せなくなる可能性がある」
「確認する。少し待って」
二人はしばらく、歯車を見ながら話し続けた。時々意見が分かれた。玄斎が設計上の問題を指摘し、鈴音が別の方法を提案し、また話し合う。
爆発は、一度だけ起きた。
鈴音が試作した固定器具が、予想外の圧力で弾けた。小さな破片が散り、玄斎が顔を伏せ、雪乃が後ろに飛んだ。きゅう太は水に飛び込んだ。
「大丈夫か」
玄斎は訊いた。
「大丈夫。これは想定内」
鈴音が答える。
「想定内か」
「この大きさの爆発は、計算していた」
雪乃は服についた小さな煤を払った。
きゅう太は水路から顔だけを出していた。
「計算に、おいらの避難は入ってたか?」
「入っていない」
「入れてくれ」
きゅう太は水をぽたぽた垂らしながら、水路から上がった。
「ならなぜ防がなかった」
「防ぐのと爆発させるのと、どちらが部品の状態確認に早いか考えたら、爆発させた方が早かった」
玄斎はしばらく鈴音を見た。
「面白い考え方をする」
「そうですか」
「俺の若い頃に、似ている」
「玄斎さんも爆発させながら確認しましたか」
「した。里では毎回叱られた」
「わたしも叱られます。でもやめません」
「そういうものだ」
二人は続きの作業に入った。
雪乃はその様子を見ていた。
玄斎と鈴音が並んで作業をしている。元里の天才忍者と、猫又坂のからくり職人の少女が、地下の歯車を前に真剣に話し合っている。
一月半前には、想像できなかった光景だった。
作業が終わり、地下から出た頃には夕方になっていた。
川岸で水気を払い、坂を上り、月見庵に戻った。
こはくが夕食の準備をしていた。
今日は月見団子も作るつもりだと言い、串を用意していた。
「手伝います」
「じゃあ、あんこを練ってください。鍋の火は弱めにして」
「分かりました」
雪乃は鍋の前に立った。
玄斎が台所の入口から顔を出した。
「手伝うことはあるか」
「あります。月見団子の丸め方、できますか」
こはくは尋ねた。
「やったことはない」
「教えます。こっちに来てください」
玄斎が台所に入ってきた。こはくが生地を渡し、丸め方を説明した。
「こうやって、手のひらで転がして、丸くします。力を入れすぎると崩れます」
「こうか」
「少し力が強いです。優しく」
「優しく」
「はい。団子に申し訳ないと思いながら丸めると、ちょうどいいです」
「団子に申し訳なく、か」
玄斎はしばらく手の中の生地を見た。
「団子に謝罪するのは初めてだ」
「初めてで大丈夫です。だいたいの人が初めてです」
「こはくさんの教え方は、独特です」
「でも、うまく丸まります」
こはくが言った。
玄斎は黙って団子を丸めた。しばらくして、一つ丸め終えた。
「上手です」
「本当か」
「はい。最初にしては、かなり上手いです」
「……」
こはくに褒められ、玄斎はまた丸め始めた。何も言わなかったが、少し丁寧に丸めていた。
夕食は、六人で食べた。
雪乃、こはく、お銀、玄斎、あやめ、歯車丸。歯車丸は食べられないが、席に座っていた。
「命令確認。本機は食事ができない。しかし同席することは、任務として定義されているか」
「定義していません」
こはくが答えた。
「ただ、いてほしいので」
「了解した。同席を継続する」
「ありがとうございます」
「感謝は不要です。ただ」
歯車丸は少し間を置いた。
「月見団子の香りが、処理できません」
「食べたいですか」
「食べる機能はありません。しかし、何らかの処理が発生しています」
「羨ましい、ということかもしれません」
こはくが言った。
「羨ましい、という概念は定義されていません」
「じゃあ、新しく定義してください。月見団子を前にして、食べられないときの感覚のことを」
「月見団子感覚、と定義します」
「いい名前ではないですね」
こはくが笑った。
「改善案があれば、提案してください」
「わたしも考えます」
「しかし、意味は分かります」
雪乃が言うと、あやめが団子を飲み込んだ。
「分かるのか」
「少しだけ」
あやめが月見団子をもう一口食べながら言った。
「変な話をしている」
「変ですか」
こはくが訊いた。
「普通の夕食の会話ではない」
「月見庵では、これが普通です」
「そうか」
あやめはさらにもう一口食べた。
「悪くない」
「月見庵の普通が、ですか」
「団子が、だ」
「団子も、普通の方もですよ」
あやめは視線を外した。
「……両方、悪くない」
夕食のあと、片付けを終えると、こはくが縁台に出た。
雪乃も出た。
今夜は月があった。細い月だが、出ていた。新月から三日、少しずつ月が戻ってきている。
「明日、鈴音ちゃんと玄斎さんが、また地下に行って、起動部分の切り離し作業を始めます。うまくいけば、一週間ほどで終わると鈴音さんが言っていました」
「玄斎さんは、どのくらいここにいますか?」
「分かりません。作業が終わったら、どうするかは玄斎さん自身が決めることです」
「ここにいればいいのに、と思います」
「そうですか」
「いい人だと思います。ちゃんと話せば、分かります」
「最初から、そう思っていましたか」
「最初は、怖かったです」
こはくは少し笑った。
「でも、さらわれたとき、話せば分かる人だと思いました。完全には届かなかったけど、届いた部分がありました」
「その部分を、続けて広げていけばいいと思います」
「そうですね」
細い月が、坂道を照らしていた。
「雪乃さん」
「はい」
「お銀さんに話しましたか」
「話しました。今日の朝に」
「どうでしたか」
「置いてもらえることになりました。薪割りと、任務が入れば配達を担当することになりました」
「よかった」
こはくは笑った。
「本当によかったです」
「何がよかったのですか」
「全部が、です。雪乃さんがここにいることが、全部よかったです」
「こはくさん」
「はい」
「私も、ここにいることがよかったと思っています」
「本当ですか」
「本当です。裏庭に落ちた最初の夜から、今まで全部、よかったです」
こはくは少し間を置いた。
「裏庭に落ちた夜も、よかったですか」
「あの夜がなければ、ここに来られませんでした。だから、よかったです」
「大根を頭に乗せていましたね」
「乗っていました」
「あれは笑いました」
「見せたくない姿でした」
「でも、あのおかげで声をかけられました。普通の旅人が屋根から降りてきたなら、声をかけませんでした」
「そうですか」
「あの大根が、最初の出会いの立役者です」
「大根に感謝すべきですか」
「してもいいと思います」
雪乃は少し笑った。声には出なかったが、確かに笑った。
こはくも笑った。
細い月が、少し高くなっていた。
「雪乃さん」
「はい」
「これからも、隣にいてください」
「います」
「約束ですか」
「約束です」
こはくは少し黙った。
それから、縁台の上で、少しだけ雪乃の方に近づいた。
肩が触れた。
「寒いです」
こはくが言った。
「寒いですか」
「少しだけ」
「羽織を取ってきます」
「いいです。このままで」
「このままで、ですか」
「はい。このままの方が、温かいので」
雪乃は少し止まった。
それから、動かないことにした。
月見庵の縁台で、二人は並んでいた。
猫又坂の夜が続いていた。提灯の明かりが坂を照らし、遠くから川の音が聞こえた。
細い月が、少しずつ大きくなっていく。
明日になれば、また薪割りがある。配達がある。鈴音と玄斎が地下に行く。あやめが里への最後の報告を書く。きゅう太が差し入れの野菜を持ってくる。たまが温泉の確認に来る。
やることが、ある。
人が、いる。
こはくが、隣にいる。
雪乃は目を閉じた。
これが今の自分の場所だ、と思った。
里にいたとき、場所というのは与えられるものだと思っていた。命令で割り当てられ、任務で使われ、終われば次に移る。それが場所というものだと思っていた。
ここは、違う。
自分で選んで、自分でいる場所だ。
誰かに与えられたのではなく、雪乃自身が決めた場所だ。
目を開けると、細い月があった。
来月には満月になる。その頃には、仕掛けの作業が終わっているかもしれない。玄斎がどこかへ行くかもしれない。あやめも里に戻る。
だが、月見庵は変わらない。
お銀がいて、こはくがいて、この縁台がある。
「雪乃さん、眠いですか」
「眠くないです」
「そうですか。眠そうな気配がしたので」
「目を閉じていただけです」
「何を考えていましたか」
「来月のことを」
「来月のことを」
「来月の満月の頃、どうなっているかを考えていました」
「どうなっていると思いますか」
「こはくさんが、月見団子を作っていると思います」
「毎月作りますよ」
「お銀さんが帳簿を見ていると思います」
「毎日見ています」
「私が薪割りをしていると思います」
「毎朝しています」
「それだけです」
「それだけ、ですか」
「それだけで十分です」
こはくは少し間を置いた。
「十分ですね」
「はい」
「じゃあ、来月の満月も、縁台に出ましょう」
「出ます」
「約束ですか」
「約束です」
細い月が、猫又坂を照らしていた。
温かい夜だった。




