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くノ一お雪、里を抜けたら湯けむり茶屋の看板娘になりました ~任務で潜入したはずなのに、妖怪の町で帰る場所ができてしまいました~  作者: 明石竜


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22/22

最後の巻 湯けむりの町で、今日も任務中

 夜、閉店後。

 雪乃とこはくが後片付けをした。

 いつも通りの作業だった。串を洗い、板の間を拭き、明日の仕込みの確認をする。

「今日も無事に終わりましたね」

こはくが言った。

「はい」

「明日も無事に終わりますよ」

「そうですね」

「明後日も」

「そうですね」

「雪乃さん」

「何でしょう」

「うちの忍びさんは、今日の任務は何でしたか」

 雪乃は少し考えた。

「団子を焼くこと。店を掃くこと」

「それだけですか」

「それと」

「それと」

「こはくの隣にいること」

 こはくは少し止まった。

 それから、照れ隠しのように顔を横に向けた。

「もう、急に」

「訊いたのはこはくさんです」

「訊きましたが、そういう答えが来るとは思いませんでした」

「何と答えると思っていましたか」

「配達、とか、洗い物、とか」

「それも任務のうちです」

「はい、でも、最後のがあったので」

「最後のが、何か問題でしたか」

「問題ではないですが」

こはくはまだ横を向いていた。

「照れます」

「照れるのですか」

「照れます。普通、そういうことを、急に言いますか」

「急ではないと思います。考えてから言いました」

「それがまた」

「何ですか」

「考えてから言ったことが、また照れます」

 雪乃は少し待った。

「こはくさん」

「はい」

「こちらを向いてください」

「少し待ってください」

「何を待つのですか」

「照れが収まるまで」

「どのくらいかかりますか」

「分かりません。初めてのことなので」

「初めてですか」

「こんなに照れたのは、初めてです」

 雪乃は少し間を置いた。

「では待ちます」

「ありがとうございます」

 しばらく、こはくは横を向いていた。

 板の間に、二人の影が並んでいた。

 やがて、こはくが正面を向いた。

「収まりました」

「よかったです」

「雪乃さん」

「はい」

「では、よろしくお願いします。うちの忍びさん」

「はい。よろしくお願いします」

 二人は少し笑った。


 翌朝、月見庵に客が来た。

 旅装束の若い女だった。見たことのない顔だ。街道を歩いてきたらしく、荷を背負っている。

 こはくが出迎えた。

「いらっしゃいませ。お一人ですか?」

「一人です。少し休ませてもらえますか」

「どうぞ。今日の団子は草餅と、きなこ団子があります」

「どちらが美味しいですか?」

「どちらも美味しいですが、草餅は今朝摘んだよもぎを使っています」

「では草餅を」

 客は縁台に座った。

 雪乃が茶を運んだ。

「ありがとうございます」

 客が言った。

「どちらから来たのですか?」

 雪乃は訊いた。接客の習慣として、自然に出た言葉だった。

「山の向こうから来ました。猫又坂は初めてです」

「そうですか。ゆっくりしていってください」

 雪乃は茶を置き、調理場に戻ろうとした。

「あのう」

「はい」

「この町、不思議な感じがしますね。街道を歩いていて、何となく引き込まれるような」

「そういう町です」

雪乃は言った。

「居心地がよさそうで」

「居心地はいいですよ」

「羨ましいです。こういう場所に住めたら、と思います」


 雪乃は少し考えた。

「来てみれば、分かりますよ」

「え」

「しばらくいれば、分かります。この町が自分に合うかどうか」

「そんなに簡単に、しばらくいられるものではないですが」

「最初は誰でも、そう思います」

雪乃は少し笑った。

「でも、気づいたら長くなります。この町はそういうところです」

「あなたも、そうでしたか」

「そうでした。屋根から落ちたまま、そのまま住み着きました」

 客は少し不思議そうな顔をした。

「屋根から」

「いろいろあります。猫又坂は」

 こはくが草餅を持ってきた。

「お待たせしました。どうぞ」

「ありがとうございます」

 客は草餅を一口食べた。

「美味しい」

「よかったです」

こはくが笑った。

「ゆっくりしていってください」

 客は縁台で草餅を食べ、茶を飲み、坂道を眺めていた。

 雪乃は調理場に戻り、洗い物を再開した。

 窓から坂道が見えた。湯けむりが流れ、提灯がまだ揺れている。猫又坂の昼が動いていた。

「雪乃さん」

こはくが調理場に来た。

「何でしょう」

「さっきのお客さんに、何を話しましたか。なんか、楽しそうに話していたので」

「この町の話をしました」

「どんな」

「居心地のいい町だと言いました」

「それだけですか」

「屋根から落ちた話をしました」

こはくは少し笑った。

「それを話すのですか」

「聞かれたので」

「何で聞かれたんですか」

「なぜここに住んでいるか、という話になって」

「なってから、屋根から落ちた話をしたのですか」

「そうなりました」

「雪乃さんらしいですね」

こはくは鍋を確かめながら言った。

「でも、それでいいと思います」

「何がですか」

「屋根から落ちたことが、出会いの話になっているのが、いいと思います。最初は不覚でも、今はここにいる。それが話として成立しているので」

「こはくさんが話しているように聞こえます」

「こはくさんが話しているのだから、合っています」

「それはそうですね」

 鍋が沸き始めた。こはくが火を調整した。

 調理場に、出汁の香りが広がった。

 縁台では、旅人の客が草餅の二本目を頼んでいた。

 お銀が帳場から出てきて、「もうすぐ昼の客が増える、準備しろ」と言い、また入っていった。

 玄斎が裏庭から薪を持ってきた。

「どこに積む」

「そこでいいです」

雪乃が言った。

「分かった」

 玄斎は薪を積み、裏庭に戻った。

 歯車丸があとを追った。「本機も運ぶ」と言いながら、薪を一本だけ持っていた。

 きゅう太が表から顔を出した。

「こはくねえちゃん、昼飯は食べていいか」

「もう少し待ってください」

「どのくらいだ」

「半刻くらいです」

「長い」

「きゅう太くんは待つのが苦手ですね」

「苦手だ」

「川で泳いで来てください。その間に準備します」

「分かった」

きゅう太はそう言って、走っていった。


 昼過ぎになると、客が増えた。

 こはくが接客をし、雪乃が配達に出た。

 坂道を下りながら、雪乃は猫又坂を見た。

 湯けむりが坂の上から流れてくる。提灯が昼間でも軒下に下がっている。石畳に、猫が一匹、昼寝をしている。遠くから、からくり芝居小屋の音が聞こえる。

 人と妖怪が、何気なく同じ坂を歩いている。

 二ヶ月前に、雪乃はここに来た。

 任務で来た。月見庵を調べるために来た。

 今は、月見庵で働いている。

 玄斎の計画は止まった。地下の仕掛けは切り離された。封印は強化された。あやめは里に戻った。

 里から追っ手が来るかもしれない。そのときはそのときだ。

 今は、猫又坂にいる。

 配達先の宿に届けると、番頭が言った。

「雪乃さん、これからもよろしく頼みます。またたび湯の配達、助かっています」

「こちらこそ」

「腕の傷は、もう大丈夫ですか」

「治りました」

「それはよかった。あの騒動は大変でしたが、終わってよかった」

「はい」

「これからは、穏やかな日々が続くといいですね」

「続くと思います」

「思いますか」

「猫又坂ですから、少しは騒がしいかもしれませんが」

「それもそうですね」

番頭は笑った。

「それくらいが、ちょうどいいです」

 雪乃も少し笑った。

 宿を出て、坂を上り始めた。

 月見庵の屋根が見えた。

 古い瓦が、昼の光に照らされている。軒先の風鈴が、風に鳴った。

 あの風鈴を、最初の夜に鳴らした。

 屋根から落ちて、こはくと出会った。

 そこから、今日まで来た。

 雪乃は坂を上った。

 暖簾が見えた。

 中から、こはくの声がした。客に何かを説明している声だ。

 お銀が外に出てきた。

「遅い」

「すみません。番頭と話してきました」

「余計な話をするな。昼の客が多い」

「はい」

「入れ」

 お銀は先に入っていった。

 雪乃は暖簾をくぐろうとして、少し止まった。

 振り返り、坂道を見た。

 湯けむりが流れ、提灯が揺れ、猫が石畳を歩いていた。猫又坂の昼が続いていた。

 里を出てから、ここまで来た。

 任務は、変わった。 

 最初は月見庵を調べるために来た。

 今は、この暖簾をくぐるために戻ってくる。こはくの隣に立ち、団子を焼き、客に茶を出すために朝起きる。

 自分でそう決めた。

 雪乃は暖簾をくぐった。

「いらっしゃいませ」

 こはくの声がした。客に向かって言った言葉だったが、雪乃には、自分に向かっているように聞こえた。

 気のせいかもしれない。

 だが、気のせいでも構わなかった。

「ただいま、戻りました」

雪乃はそう言い、調理場に向かった。

 月見庵の昼が、続いていた。

 猫又坂の春が終わり、夏が来ようとしていた。

 湯けむりの町で、くノ一お雪の、今日の任務が続いていた。                                  (了)


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