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くノ一お雪、里を抜けたら湯けむり茶屋の看板娘になりました ~任務で潜入したはずなのに、妖怪の町で帰る場所ができてしまいました~  作者: 明石竜


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十五の巻 狐火さらい

 新月まで、あと七日になった頃から、町の空気が変わった。

 雪乃だけが感じているわけではなかった。

 きゅう太が「川の魚が減った」と言った。川の水量は変わらないのに、魚が上流に逃げているという。たまが「温泉の湯量が少し変わった」と言った。源泉の温度が、ここ数日でわずかに上がっているという。鈴音が「地下の管に圧力の変化がある」と言った。

「月のせいかもしれない」

 鈴音が、写しに線を引きながら言った。

「満月を過ぎてから、地下の圧が少しずつ変わっている。猫又坂の仕掛けは、月の満ち欠けに合わせて、地下水と妖気の流れを調整しているみたい」

「満月と新月に意味があるのですか」

 雪乃が訊くと、たまが頷いた。

「満月の頃に力を溜め、新月の頃に流す。古い封印には、そういう作りのものがある。月の光が消える新月は、封じる力が一瞬、薄くなるのじゃ」

「では、玄斎は」

「新月の夜を狙うじゃろう。仕掛けを動かすには、その夜がいちばん都合がよい」

 玄斎が、動き出している。

 雪乃はその晩から、月見庵の周囲を巡回することにした。こはくが一人で外に出ないよう、こはくが出かけるときは必ず一緒に行った。鈴音との作業は昼間に進め、夜は警戒に充てた。 

 あやめも、こはくから少し離れた場所から町を見回していた。

 二人で話すことはなかったが、お互いがどこを見ているかは、何となく分かった。


 事件は、次の日の昼間に起きた。

 雪乃が鈴音の工房で部品の組み合わせを確認しているときだった。

 きゅう太が飛び込んできた。

「たいへんだ、たいへんだ」

 息が切れている。

「何がありましたか」

「川の下手の方で、子どもが落ちた。石が崩れて、川に落ちて、岩場に挟まって。おいら、助けようとしたけど、岩が大きくて動かせなくて」

「場所を教えてください」

「こっちだ、来い」

 きゅう太が走り出した。

 雪乃は鈴音に「こはくさんのことを頼みます」と言い、あとを追った。


 川の下手、猫又坂の端から少し離れた場所に岩場がある。

 川沿いの岩が続く地帯で、普段は子どもが遊びに来ることもある場所だった。近づくと、確かに人の声がした。泣き声と、大人が呼びかける声が混じっている。

 岩場に着くと、子どもが岩の隙間に挟まっていた。十歳くらいの男の子で、崩れた岩の間に足が入り込んでいる。水が岩の隙間を流れており、このままでは増水した場合に危ない。周囲に大人が三人いて、岩を動かそうとしていたが、重くて動かせないでいた。

 雪乃は状況を見た。

 岩の大きさと位置、子どもの体の入り込み方、周囲の地盤の状態。水遁の術で水の流れを変え、岩を動かしやすい方向に力をかければ、外せる可能性がある。

「少し下がっていてください」

 大人たちに言い、雪乃は岩場に入った。

 水が冷たかった。川の水はきゅう太の件のころより温度が上がっていたが、それでも足に響く。膝まで浸かりながら、岩の隙間に手を入れた。

 子どもが泣いていた。

「大丈夫です。今、出します」

 印を結んだ。水遁の術で水流を操り、岩の下から上へ向かう流れを作った。同時に、岩の側面に体重をかけた。岩がわずかに動いた。

 もう一度、術を使った。

 岩が転がった。子どもの足が自由になった。大人の一人が駆け寄り、子どもを引き上げた。子どもは泣きながら、大人に抱きついた。

「ありがとうございます、ありがとうございます」

大人の一人が言った。

「怪我はありますか」

「足を少し打ちましたが、大丈夫そうです」

「ならよかった」

 雪乃は川から上がった。

 その時だった。

 背後から、気配が来た。

 からくりの気配ではなかった。人の気配だ。だが、普通の人ではない。気配の消し方が、忍び並みに上手い。

 雪乃は振り向きながら、体を動かした。

 遅かった。

 何かが、視界を白く塗った。煙だ。白い煙が一気に広がり、周囲が見えなくなった。

 雪乃は息を止め、煙の外に出ようとした。だが煙は広範囲に広がっており、岩場全体を覆っている。

 子どもの声がした。大人の声がした。混乱している。

 煙の中を走りながら、雪乃は気配を探った。

 こはく、の気配がした。

 月見庵の方向ではない。

 坂道の方向から、こはくの気配がした。移動している。急いでいる。

 それから、別の気配。

 冷たく、機械的なものではない。人の気配だが、意志の強いもの。こはくに向かっている。

「こはく」

 雪乃は煙の中を走った。


 煙を抜けると、坂道が見えた。

 こはくが坂の中ほどに立っていた。月見庵から出てきたらしく、手提げを持っている。買い物に出たところだったのか。

 その前に、男が立っていた。

 三十代後半から四十代に見える。背が高く、黒い着物を着ている。羽の紋が、胸元に見えた。 

 たまが話していた名が、雪乃の頭に浮かんだ。

 黒羽玄斎。

 雪乃は走りながら、間合いを計った。坂道まで十歩。

 玄斎がこはくに何か言っていた。

 こはくは動かなかった。

 五歩。

「こはくさん」

 玄斎が振り返った。

 雪乃を見て、少し笑った。芝居がかった笑い方だった。

「来たか、霧隠の娘」

「離れてください」

「急ぐことはない。話をしていただけだ」

「こはくさん、こちらへ」

 こはくが一歩、雪乃の方に動いた。

 次の瞬間、からくり忍軍が現れた。

 坂の両側から、坂の上から、一斉に出てきた。大きさと形が揃っており、今まで見たものより精度が高い。雪乃の前に三体、後ろに二体。

 こはくとの間に、人形が入り込んだ。

「雪乃さん」

「動かないでください」

 雪乃は三体に向かった。

 速い。今まで対峙した中で、一番速い。手裏剣を投げ、一体の関節を外した。残り二体が左右から来た。一体の腕を掴み、もう一体の盾にした。後ろの二体が動いた。

 五体、同時だ。

 雪乃は動きながら、こはくを視野の端で追っていた。こはくはその場にいた。

 玄斎がこはくに近づいた。

「雪乃さん」

こはくが叫んだ。

 雪乃は人形を二体崩し、残り三体を振り切ろうとした。追いつかない。

 玄斎がこはくの腕を取った。

「離して」

「狐火を使えば、誰かが傷つく。分かっているだろう」

 こはくが止まった。

 玄斎は人形を指で示した。人形が、こはくを囲んだ。

「お前の力が必要だ。それだけだ。協力すれば、この町は傷つけない」

「嘘をつくな」

雪乃が叫んだ。

「嘘ではない。俺はこの町を武器にしたいわけではない。動かせることが分かれば、それでいい」

「動かせることが分かれば、次に使う。それが目的だろう」

「賢いな、霧隠の娘」

玄斎は少し笑った。

「だが、今は動かせるかどうかを確かめたいだけだ。こはく、来い」

 こはくは、動かなかった。

「雪乃さんを傷つけるなら、行きません」

「傷つけない。お前が来れば、この忍びも、この町も、今夜は手を出さない」

「約束できますか」

「できる」

 こはくが雪乃を見た。

 雪乃は首を横に振った。

「行かないでください」

「でも」

「約束は守られません。こはくさんを連れて行けば、それで終わりです」

「この町が危なくなる」

「行けば、もっと危なくなります」

 こはくは玄斎を見た。玄斎は待っていた。

 雪乃は人形を三体抱えたまま、こはくとの距離を縮めようとした。人形が行く手を塞いだ。

「雪乃さん」

「はい」

「わたしが行けば、玄斎さんは今夜、手を出さないと言っています。それを信じてみます」

「こはくさん」

「雪乃さんが来てくれれば、何とかなります。そう信じています」

 こはくは玄斎を向いた。

「条件があります。雪乃さんを傷つけないこと。月見庵を傷つけないこと。この二つを守ると、誓いますか」

「誓う」

「嘘だったら」

「お前の狐火は使えない。力は、自分が信じられないことには使えない。俺にはそれが分かっている」

 こはくは少し間を置いた。

「分かりました」

「こはくさん」

「雪乃さん、助けに来てください。必ず」

 こはくの声は落ち着いていた。怖がっていないわけではないと、雪乃には分かった。それでも、声が震えなかった。

 玄斎がこはくを連れ、坂を上り始めた。からくり忍軍があとに続いた。

 雪乃は残った人形を振り切り、坂を追いかけようとした。

 壁のように、人形が立ち塞がった。

 十体以上。

 今まで見たことのない数だった。


 半刻後、雪乃は月見庵に戻った。

 腕に傷が二箇所。片方は深い。息が上がっていた。

 お銀が出てきた。

「こはくは」

「連れて行かれました」

 お銀は一瞬だけ、目を閉じた。

「手当てをしろ。話を聞く」

「時間が」

「今の状態では動けない。手当てが先だ」

 雪乃は縁台に座った。お銀が薬箱を持ってきた。手際よく傷の処置をしながら、お銀は訊いた。

「玄斎が連れて行ったか」

「はい。こはくさんが、自分から行きました。私を傷つけないこと、月見庵を傷つけないことを条件に」

「あの子らしい」

「すみません。止められませんでした」

「お前のせいではない」

お銀は傷に薬を塗りながら言った。

「玄斎が煙で引き離したんだろう」

「はい」

「場所は分かるか」

「玄斎は坂を上っていきました。社の方向だと思います。地下への入口は、社の近くにあるかもしれない。たまさんが言っていた、水路の真ん中の分岐が社に向かっているということでしたので」

「鈴音と、たまと、あやめに知らせる。きゅう太は地下水路で見張りをしているか」

「そのはずです」

「連絡を取れるか」

「川岸に行けば来ます」

「行け。私はここで待つ」

「お銀さんは」

「月見庵を守る。こはくが帰ってくる場所がなくなっては困る」

 お銀は包帯を結び、手を放した。

「雪乃」

「はい」

「こはくを頼む」

「はい」

「頼む、とだけ言う。あとは言わない。お前には分かるだろう」

「分かります」

 雪乃は立ち上がった。

 傷が痛んだが、動ける。手当てをしてもらったことで、体が少し落ち着いた。


 外に出ると、あやめが坂を下りてきた。

 走っていた。あやめが走っているのを、雪乃は初めて見た。

「見ていた。こはくを連れて行かれた」

「はい」

「追えなかった。人形が多すぎた」

あやめは息を整えた。

「社の方向に向かった。社の地下に入口があるなら、そこから地下に入った」

「鈴音さんに伝えてもらえますか。私は地下に行きます」

「一人では無理だ」

「人数を揃えている時間がありません。こはくさんが玄斎と地下に行けば、封印に近づかれます」

「私も行く」

「鈴音さんへの連絡が」

「あとでいい。今は行く」

 あやめはそれ以上の議論をしなかった。

 雪乃もしなかった。

「川岸できゅう太と合流しましょう。地下水路からの道を案内してもらいます」

「分かった」

 二人は走り出した。


 川岸に着くと、きゅう太がいた。

 顔が青ざめていた。

「地下で、人の気配がした。さっきから、奥の方で音がしてる」

「玄斎が入りました。こはくさんと一緒に」

「こはくねえちゃんが」

きゅう太の目が変わった。

「助けるんだな」

「はい」

「案内する。おいらは地下が一番速い」

 きゅう太は水路に飛び込んだ。

 雪乃とあやめが続いた。


 水路の中は暗かった。

 きゅう太が先導し、雪乃が続き、あやめが後ろを守った。走れないが、できる限り速く進んだ。水が跳ね、音が洞窟に反響した。

 分岐点に着いた。

 真ん中の通路から、光が見えた。

 玄斎の光だった。

「あそこです」

雪乃は小声で伝えた。

「こはくの気配は」

あやめが訊いた。

 雪乃は気配を探った。

 ある。奥から感じる。温かい気配だ。

「います。まだ大丈夫です」

「急ごう」

 三人は真ん中の通路に入った。

 光が近づいた。

 通路が開け、社の下の空間に出た。

 広間より狭く、天井が低い。壁に沿って管が走っており、中央に古い石の台がある。

 石の台の上に、玄斎がいた。

 こはくは、台の前に立っていた。

 玄斎がこはくに何かを言っていた。こはくは答えていなかった。

 雪乃は飛び込もうとした。

 あやめが腕を掴んだ。

「待て」

あやめが耳元で言った。

「人形がいる」

 壁際に、人形が並んでいた。六体。静止している。だが、動く準備ができている。

「こはくさんが狐火を出した瞬間、人形が起動する可能性があります」

「玄斎を先に止めるか、人形を先に止めるか」

「人形を。玄斎は私が引きつけます。あやめさんが人形を」

「きゅう太は」

「おいら、こはくねえちゃんのそばに行く。こはくねえちゃんが危なくなったら、水路に引き込む。ここは水路に繋がってるから、おいらが一番速く動ける」

「頼みます」

雪乃は言った。

 三人は視線を合わせた。

「行きます」


 雪乃は広間に飛び込んだ。

「玄斎」

 玄斎が振り返った。こはくが雪乃を見た。

「来たか」

玄斎は驚いていなかった。

「思ったより早い」

「こはくさんを返してください」

「返す気はない。ただ、お前には見ていてもらう」

「何を」

「これが動くところを」

 玄斎が石の台に手を置いた。台の表面に、刻み目が現れた。起動手順の記号だ。

「こはく、狐火を出せ」

「嫌です」

「嫌だと言っても、いずれ出る。感情が揺れれば出る。お前の力の制御は、まだ完全ではない」

「今日は出しません」

「なぜそう言える」

「雪乃さんが来てくれたから」

 玄斎は少し笑った。

「面白い答えだ」

 あやめが人形に向かった。壁際の六体が動き出した。

 雪乃は玄斎に向かった。

 玄斎は台から離れ、こはくを背後に置いたまま、雪乃と向き合った。

「お前と戦うつもりはない」

「ならば動かないでください」

「動かないが、こはくは渡さない」

「理由を教えてください」

「時間稼ぎのつもりか」

「違います。聞きたいから訊いています」

 玄斎は少し止まった。

「本当に聞くつもりか」

「はい。里から来た忍びが、何のためにこんなことをするのか、聞きたいです」

 玄斎はしばらく雪乃を見た。それから、少し笑った。今まで見た芝居がかった笑いとは、少し違う笑い方だった。

「お前は変わっているな、霧隠の娘」

「よく言われます」

「里は、忍びを道具として使い続ける。道具には理由を教えない。お前はそれを疑わないのか」

「疑っています」

「疑って、なぜ今も動いている」

「疑うことと、動くことは、別です。私は今、里のためではなく、この町のために動いています」

「この町のために。この町は俺も同じだ。俺はこの町が好きだった。十年前、ここに来たとき、初めて面白いと思った場所だった」

「なら、なぜ壊そうとするのですか?」

「壊すつもりはない。動かすだけだ」

「動かせば、人々の暮らしが変わります。壊れなくても、失われるものがあります」

 玄斎は少し黙った。

「それでも、里への復讐が優先か」

 玄斎がこはくを見た。

「里への復讐とは言っていない」

「でも、そういうことです。里に道具にされた怒りを、この町を使って晴らそうとしている。違いますか」

 玄斎は答えなかった。

 あやめが人形を二体止めた音がした。

 玄斎が決断した。

「こはく、今すぐ狐火を出せ。でなければ、この部屋を崩す。地下から出られなくなる」

「出せません」

「出せないのか、出さないのか」

「出さないのです」

 玄斎が台に戻ろうとした。

 きゅう太が動いた。

 玄斎の足元に飛びつき、体重をかけた。玄斎が止まった。

「邪魔をするな、河童」

「こはくねえちゃんを返せ」

「放せ」

「嫌だ」

 玄斎がきゅう太を振り払おうとした。その一瞬、こはくが雪乃の方に走った。

 雪乃は手を伸ばした。

 こはくの手が、雪乃の手を掴んだ。

「行きましょう」

「はい」

 雪乃はこはくを引き、通路に向かった。

 玄斎が追ってきた。

 あやめが玄斎の前に出た。

「通さない」

「霞丸か」

「知っているか」

「里で天才と呼ばれた娘だ。知っている」

「なら、時間がかかると分かるだろう」

 あやめが玄斎と向き合った。

「行け」

「あやめさん」

雪乃が呼んだ。

「一人で大丈夫だ。行け」


 水路を走った。

 こはくの手を引き、きゅう太が先を走り、雪乃が後ろを確かめながら進んだ。水が跳ねた。暗い通路が続いた。

 川岸の出口が見えた。

 三人は水路を出た。

 川の岸に倒れ込み、息を整えた。

 夕暮れが近かった。空が橙色になっていた。

 こはくが雪乃の腕の傷を見た。

「また怪我を」

「大丈夫です」

「大丈夫じゃないです。血が滲んでいます」

「あとで手当てをします」

「今します」

こはくは帯から手ぬぐいを出した。

「こっちを向いてください」

 雪乃はこはくを向いた。

 こはくは傷に手ぬぐいを当てながら、下を向いていた。

「ごめんなさい」

「何が」

「連れて行かれてしまって。雪乃さんに助けに来させてしまって」

「謝ることではありません」

「でも」

「こはくさんが約束を取り付けてくれたから、月見庵が無事でした。お銀さんが無事でした。それは、こはくさんが考えたことです」

 こはくは少し止まった。

「雪乃さん、来てくれると思っていました」

「はい」

「信じていました」

「……はい」

「だから、行けました」

こはくは顔を上げた。目が少し赤かった。

「怖かったですよ。でも、雪乃さんが来てくれると思ったら、待てました」

 雪乃は何も言えなかった。

 言えないまま、隣に座った。

 川の音が続いた。きゅう太が「おいら、あやめねえちゃんを見てくる」と言い、水路に戻っていった。

 しばらく、二人は川岸にいた。

 玄斎に、こはくを連れて行かれた。止められなかった。

 それが、雪乃の中で重くなっていた。

「雪乃さん」

「はい」

「自分を責めていますか?」

「……責めています」

「責めなくていいです」

「止められませんでした」

「でも、来てくれました。それで十分です」

「十分ではありません。次は止めます」

「次は止めてください」

こはくは少し笑った。

「わたしも、次はもっとうまくやります。玄斎さんと話して、少し分かったことがあって」

「何が分かりましたか」

「玄斎さんは、本当にこの町が好きなんだと思います。だから、話が通じる部分があると思います」

「話が通じても、計画を止めるとは限りません」

「そうですね。でも、完全に話が通じない人ではないと思います。それは、諦めないでいい理由になります」

 雪乃はこはくを見た。

 さらわれて、怖い思いをして、それでもこはくは考えていた。

「こはくさんは」

「はい」

「強いですね」

 こはくは少し驚いた顔をした。それからすぐに、首を横に振った。

「強くないですよ。ただ、雪乃さんがいたから、大丈夫でした」

 川の水が流れた。

 夕暮れが深くなっていた。

 あやめが水路から出てきた。腕に傷があったが、立っていた。きゅう太があとに続いた。

「玄斎は引いた。追わなかった。今夜はこれ以上動かないと思う」

「ありがとうございます」

「礼はいい」

あやめはこはくを見た。

「無事か」

「はい。ありがとうございます、あやめさん」

「……礼を言われることではない」

 あやめは川の方を向いた。

 橙色の空が、川面に映っていた。

 新月まで、あと六日。

 こはくが連れて行かれた。止められなかった。玄斎はまだ動いている。

 だが、こはくは今、雪乃の隣にいる。

 雪乃はそれを確かめて、次のことを考え始めた。

 まだ、時間はある。


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