十四の巻 からくり職人と忍びの手
地下水路の入口は、川の岸壁にあった。
きゅう太に案内されなければ、気づかなかったと思う。岩の隙間に見えるが、近づいてみると人が一人通れるほどの幅がある。水は膝ほどの深さで流れており、奥に続く暗い通路が見えた。
五人で来ていた。雪乃、こはく、鈴音、きゅう太、そしてたまだ。
たまは来るとは思っていなかったが、朝にまたたび湯の前で合流したとき「わしも行く」と言い、それ以上の説明はなかった。たまが来ることに異論を言える者は、この中にはいなかった。
「暗いぞ。おいらは平気だけど」
「私は夜目が利きます」
「わたしも少しなら」
「わしは問題ない」
「わたしは」
鈴音はそう言い、工具袋から小さな箱を取り出した。
「これがあるから」
箱の蓋を開けると、中から青白い光が出た。鈴音が作った照明装置で、からくりの原理で油を使わずに光る仕組みだという。
「爆発しませんか」
雪乃が訊いた。
「これは爆発しない。爆発するのは別のやつ」
「別のやつが存在することが問題だと思います」
「大丈夫大丈夫。行こう」
鈴音が先に水路に入った。きゅう太が続き、こはく、たま、雪乃の順に入った。
水路の中は、思ったより広かった。
膝まで水に浸かりながら進むと、しばらくで天井が高くなった。岩盤が丸く削られており、水路というより洞窟に近い形になっている。鈴音の照明が壁を照らすと、石の表面に細かい刻み目があった。
「人工的に掘られています」
雪乃は言った。
「そう」
鈴音が頷いた。
「自然の水路じゃない。昔、誰かが掘った」
「古いからくり師が、ということですか」
「たぶん。材質を見ると、相当昔の工事だけど、精度が高い。適当に掘ったのではなく、設計図があって掘られている」
たまが壁を見た。
「わしが猫又坂に来たとき、既にこれはあった。百年以上前のことじゃ」
「百年より古いですか」
「もっと古いかもしれん。この刻み目の様式は、わしが見知っているものより古い」
きゅう太が先に進んでいた。
「こっちに分かれ道があるぞ」
三方向に分かれる場所があった。鈴音が写しを出し、確かめた。
「右が猫又亭の下。左がまたたび湯の岩場の方向。真ん中は、まだ分かってない」
「真ん中は、坂の上に向かうはずじゃ。社のあたりに出ると思う」
「では左に進みましょう」
雪乃が指示した。
左の水路を進むと、床が変わった。
石畳のように、平らな石が敷き詰められている。水の流れが緩くなり、深さが浅くなった。
鈴音が照明を前に向けた。
通路の両脇に、管が走っていた。またたび湯の岩場で見たものと同じ形だ。ただ、ここの管は大きい。胴回りが雪乃の両腕を合わせたほどもある。
「大きい」
こはくが呟いた。
「これが本管だ」
鈴音がそう伝え、管に触れた。
「細い管は、これから分岐して地上に向かっている。またたび湯の岩場の管も、猫又亭の床下の管も、ここから繋がってる」
「本管は、どこから来ていますか?」
雪乃は訊いた。
「もっと奥から来てる。源泉の方向」
鈴音は写しに書き込みをした。
「分岐点はここより奥だと思う。進もう」
さらに進むと、水路が低くなった。
天井が下がり、体を屈めなければ進めない。水の深さが腰まで上がった。こはくが冷たいと言い、たまが眠そうな顔のまま淡々と歩いた。
きゅう太は楽しそうだった。
「ここ、おいらの秘密の遊び場の近くだぞ。もう少し行くと、広いところに出る」
「秘密の遊び場というのは」
こはくが訊いた。
「川から来た魚とか、変な石とか、いろいろあるんだ。おいらだけ知ってる」
「人は来ませんでしたか」
「来なかった。おいら以外、ここに来るやつを見たことない」
「最近はどうですか」
雪乃が訊くと、きゅう太は少し考えた。
「最近は、一回だけ、変な音がした。ガチャガチャする音。でも誰もいなかった」
「いつのことですか?」
「ひと月くらい前」
一月前。またたび湯の幽霊騒動が始まった頃と近い。玄斎の準備が、その頃から本格化していた可能性がある。
低い天井が続いた先で、きゅう太の言った通り、広い空間に出た。
広さは、月見庵の調理場の三倍ほどある。
天井が高く、壁が丸い。鈴音の照明を上に向けると、天井に大きな歯車が見えた。今は動いていないが、噛み合った歯車が何枚も組み合わさっており、それぞれの軸が壁の中に入っている。
「これが……」
鈴音の声が上擦った。
「これが地下の仕掛けか」
「中枢ではありませんが、近いと思います」
「すごい。こんなの、見たことない。設計が全部違う。現代のからくりとは、根本的な考え方が違う」
鈴音は照明を持ったまま、あちこちを見回した。歯車の軸を触り、壁の刻み目を確かめ、床の石の組み合わせを調べた。
「これ、全部繋がってる。歯車が動けば、壁の中の軸が回って、管に圧力が伝わる。管が圧力を受ければ、弁が開いて、何かが地上に向かう。温泉も、この仕組みで押し上げられてるんだと思う」
「止めることはできますか」
「この歯車を全部固定すれば、仕掛け全体が止まる。でも、固定するのは難しい。材質が特殊で、普通の工具では歯に噛み込めないと思う」
「特殊な合金ですか」
「そう。またたび湯の部品と同じ材質。古い時代の、忍術と組み合わされたもの」
「玄斎が使っているものと同じ」
「設計の系統が一緒だから、玄斎はここの設計を参考にして自分の部品を作ったんだと思う。十年前にここを調べたとき、この素材の作り方を学んだんじゃないかな」
たまが歯車の一枚に手を当てた。
「封印がある。この歯車の中心に、術が施してある。古い術じゃ。これを解かなければ、動かせない」
「封印を解く方法は」
「特殊な火で焼くことじゃ。普通の火では解けない」
「狐火が」
雪乃は呟いた。
「そうじゃ。玄斎はここを調べて、こはくのような力を持つ者が必要だと分かった。だから狙っておる」
こはくは歯車を見上げた。
「わたしの火で、封印を解けるのですか」
「できる。だがそうなれば、仕掛け全体が動き出す。玄斎が望む状態になる」
「じゃあ、逆はできませんか」
全員がこはくを見た。
「逆というのは」
雪乃が訊いた。
「封印を解くのではなく、封印を強化することです。今の封印は、玄斎に解かれる前に、もっと強くすることができませんか。わたしの狐火は、解くためだけに使えるとは限らないはずなので」
たまが少し目を細めた。
「賢いのぅ」
「できますか?」
「できるかもしれん。封印を作ったのも、おそらく特殊な火だ。同じ性質の火で、上書きすることができる可能性はある」
「わたしの火は、温かい火だとたまさんが言っていました。封印を解く火は、破壊する火のはずです。わたしの火は、宿す火だと」
「そうじゃ」
「なら、わたしの火は封印を解くより、封印を守る方に向いているかもしれません」
雪乃はこはくを見た。
こはくが、自分で考えた。狙われていることを知り、力を恐れていたはずのこはくが、その力を使う方法を自分で見つけた。
「試せますか?」
雪乃はたまに訊いた。
「今すぐは難しい。封印の構造を正確に把握してからでないと、誤った方向に力を使えば、逆に弱めてしまうかもしれない」
「では、構造を把握してから」
「そうじゃ。鈴音、この歯車の設計を写し取れるか」
「やる」
鈴音は即座に言って、工具袋から紙と炭を取り出した。
「時間をくれ」
鈴音が写しを取る間、雪乃は広間の奥を調べた。
大きな歯車の背後に、さらに通路が続いている。壁の刻み目が、奥に行くほど細かく、丁寧になっている。中枢に近づいている感覚があった。
通路を少し進むと、新しいものを見つけた。
壁に、最近取り付けられた金属の板がある。板の表面に、細い溝が刻まれており、溝は複雑な模様を描いている。
「鈴音さん」
鈴音も来た。板を見て、すぐに顔色が変わった。
「これ、玄斎が取り付けた」
「どうして分かりますか」
「素材が同じだから。またたび湯の部品と、猫又亭の人形の部品と、同じ合金。それに」
鈴音は溝を指でなぞった。
「この溝の模様、設計図として読める。これは、起動の手順を示している」
「起動の手順が、ここに彫ってあるのですか?」
「そう。ステップが七つある。最後のステップに、火の記号がある。特殊な火を使うステップが、最後に来る」
「最後に狐火が必要な手順」
「そういうこと。最後まで来て、狐火を使えば、仕掛けが全部動く。玄斎はここまで準備を進めてある。あとは最後の一手だけ残っている状態」
雪乃は板を見た。
玄斎の準備は、雪乃たちが思っていたより進んでいた。地下の管の設置、からくり人形の改造、またたび湯と猫又亭への仕掛け、そして起動手順の刻み込み。全部が繋がっており、最後にこはくの力だけを待っている状態だ。
「こはくさんを守ることで、時間を稼いでいる間に、封印を強化することを優先すべきです」
「だが、この板が示す手順を見ると、玄斎は最後のステップ以外を、別の方法で代替できる可能性がある」
「どういうことですか?」
「狐火が使えないなら、別の方法を使うかもしれない、ということ。完全に代替できるかは分からないけど、可能性はある。こはくちゃんを守るだけでは、完全には止められないかもしれない」
「封印を強化することが、根本的な解決になる」
「そう。封印が十分に強くなれば、何を使っても解けなくなる」
雪乃は決めた。
「両方を同時に進めます。こはくさんを守りながら、封印の強化方法を調べる。鈴音さんは構造の把握を続けてください」
「分かった」
「たまさんは、封印の強化に必要な条件を教えてもらえますか」
「分かった」
「きゅう太は」
きゅう太が顔を上げた。広間の隅で、壁の石を興味深そうに触っていた。
「おいら、何をすればいい」
「地下水路で変な音や人の気配がしたら、すぐに知らせてください。きゅう太の耳は、私たちより良いはずです」
「任せろ。おいら、見張りをする」
きゅう太は胸を張った。
広間に戻ると、こはくが歯車を見上げていた。
雪乃が近づくと、こはくが振り返った。
「奥に何がありましたか?」
「玄斎の準備が、かなり進んでいました。起動手順が刻んである板がありました」
「そうですか」
こはくは歯車を見た。
「これが動いたら、どんな感じになるのかな、と思って」
「怖くありませんか?」
「怖いです。でも、怖いからこそ、見ておきたくて」
「見て、どうでしたか」
「大きいな、と思いました」
こはくは少し笑った。
「でも、動いていない今は、ただの歯車ですね。大きいけど、止まっている」
「封印があるから、止まっている」
「そうです。封印を守れれば、これは動かない」
「こはくさんが、封印を強化できるかもしれません」
「やってみます」
こはくは迷いなく言った。
「たまさんに教えてもらいながら、やってみます。うまくいくかは分かりませんが、やらないよりやった方がいい」
雪乃はこはくを見た。
「怖くないのですか。自分の力を使うことが」
「怖いですよ。でも、怖いまま使わなかったら、もっと後悔する気がします。雪乃さんが忍術を使って守ってくれているなら、わたしも使える力は使いたい」
「無理はしないでください」
「します」
「え」
「無理は、します。でも無謀はしません。無理と無謀は違います」
雪乃は少し止まった。
「こはくさん、それは」
「お銀さんが言っていました。無理はしていい、無謀はするな、と。無理をしない人は、大事なところで踏ん張れないから、と」
「お銀さんが」
「はい。わたしに言ったんじゃなくて、昔の話をしていたんですけど。でも、そうだと思って」
雪乃は少し考えた。
「分かりました。無謀はしないでください」
「します。無理は、ですよね」
「……はい。無理は、してください」
こはくはにこりとした。
地下から出たのは、昼過ぎだった。
川岸に戻り、水気を払い、それぞれの格好を整えた。鈴音は写しを持ち、すでに何かを考えながら歩いていた。きゅう太は服が濡れたまま気にせず、川に飛び込んで戻っていった。たまは眠そうに欠伸をしたが、出るときよりも少し表情が引き締まっていた。
「鈴音さん、分岐点を塞ぐことと、封印の構造把握、どちらを優先しますか」
雪乃は尋ねた。
「両方同時に進める。分岐点は、写しが取れたから設計図を作れる。封印の構造は、たまさんから聞きながら文献と照合する」
「何日かかりますか」
「五日あれば、ある程度まで分かる。あと五日で対策を作る。計十日。新月の数日前までには準備ができる計算」
「それでお願いします」
「ただし」
鈴音は立ち止まって雪乃を見た。
「材料が要る。分岐点を塞ぐための部品を作るのに、金属が要る。今の工房にある分では足りない」
「どこで手に入りますか」
「猫又坂の鍛冶屋に頼めばいい。でも、特殊な材質が必要だから、普通に頼んでも難しいかもしれない」
「玄斎が使っているものと同じ合金が要りますか」
「いや、封印を解かれないためなら、反対の性質のものがいい。玄斎の合金は起動に向いた素材だから、封印に向いた素材が要る」
「たまさん、分かりますか」
「古い文献に書いてある素材がある。わしが持っている記録に材質の記述がある。それを鈴音に渡す」
「ありがとうございます」
「それと」
たまは歩きながら言った。
「地下水路に、玄斎が来た痕跡はなかったの。あの板は、いつ取り付けられたか分かるか」
「一月から二月前だと思う。金属の状態を見ると、そのくらい経っている」
鈴音は言う。
「ならば、玄斎は既に準備を終えている。新月の夜に来るとすれば、それ以前に偵察に来る可能性がある」
「地下水路に」
「そうじゃ。きゅう太に見張りを頼んだのは正しい。ただ、一人では無理がある」
「交代で見張りを立てます。私が夜、きゅう太が昼に入れるところまで確かめてもらう」
「よかろう」
月見庵に戻ると、お銀がいた。
腰の具合が悪いと言っていたが、今日は帳場に座って仕事をしていた。雪乃たちを見て、「遅かった」と言い、それ以上は言わなかった。
こはくが夕飯の準備を始めた。鈴音は「また来る」と言い、工房に戻った。たまはまたたび湯に戻っていった。
夕飯は、いつも通りだった。
お銀が帳場で食べ、こはくと雪乃が調理場のそばで食べた。きゅう太が外から顔を出し、「おいらも」と言い、こはくがおにぎりを渡した。
食事のあと、雪乃は部屋で今日の記録を書いた。
地下水路の構造。歯車の広間。玄斎の起動手順の板。封印の位置。鈴音の計画。こはくの提案。
書きながら、こはくが言ったことを思い出した。
無理はします。でも無謀はしません。
雪乃は少し笑った。声には出なかったが、確かに笑った。
こはくはいつも、こういうことを言う。雪乃が思っていなかった角度から、当たり前のように大事なことを言う。
無理と無謀は違う。
確かにそうだと思った。
里では、無理も無謀も同じように戒められた。体を壊すな、力を温存しろ、感情で動くな。だから、無理をすることも、無謀をすることも、同じ意味に思っていた。
でも違う。
大事なところで踏ん張るために、無理をする。
それは、確かに必要なことだと、今は思えた。
雪乃は記録をたたみ、灯りを落とした。
窓の外の月は、少し欠け始めていた。満月を過ぎ、新月に向かって減っていく。
やることがある。仲間がいる。守るものがある。
雪乃は目を閉じた。
廊下の向こうで、こはくが部屋に入る音がした。
おやすみなさい、という声が壁越しに聞こえた。
「おやすみなさい」
雪乃は答えた。
猫又坂の夜が、穏やかに続いた。




