表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
くノ一お雪、里を抜けたら湯けむり茶屋の看板娘になりました ~任務で潜入したはずなのに、妖怪の町で帰る場所ができてしまいました~  作者: 明石竜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/22

十三の巻 あやめの刃

 鈴音との話し合いは、半日かかった。

 工房に入ると、鈴音はすでに地下の管の写しを広げていた。雪乃がたまから聞いた話を伝えると、鈴音は写しの上に書き込みをしながら、ひとつひとつ確認していった。

「源泉の真下に中枢がある。管はそこに向かって走っている。合ってる」

「地下の構造は、どこまで分かりましたか」

「またたび湯の岩場から猫又亭の床下まで、管が繋がっていることは分かった。他にも分岐がある。猫又坂の地下全体に、網の目みたいに広がってる」

「全部を把握するには」

「もっと調べないといけない。地下水路を通れば、直接確かめられると思う。きゅう太に頼めないかな。川から地下水路に入れる場所を知ってるかもしれない」

「きゅう太に頼みましょう」

「あと」

鈴音は写しの一点を指で押さえた。

「中枢への道を塞ぐなら、管の要所を止めればいい。全部止める必要はなくて、源泉に一番近い分岐点を塞げば、中枢への経路が遮断できると思う」

「その分岐点はどこですか」

「またたび湯の岩場の、さらに奥。今は人が入れない場所だけど、地下水路から回れば行ける」

「次の新月までに、できますか」

「やってみないと分からないけど、やる」

 鈴音はきっぱり言った。十四歳の顔に、迷いがなかった。

「危険があります」

「爆発より危なくないでしょ」

「そうとは言い切れませんが」

「大丈夫。わたし、本当に危ないときは逃げ方を知ってるので」

 雪乃は少し考えて、頷いた。


 問題は、その翌日に起きた。

 朝、雪乃が月見庵の前を掃いていると、あやめが坂を下りてきた。いつもの旅装束だが、表情がいつもより硬かった。

「話がある」

 雪乃は箒を置いた。

 あやめは路地に入り、雪乃を手招きした。

「里から伝令が来た。昨夜、里の早便で届いた」

「内容は」

「お前の帰還命令が出た。私が期限を延ばすと報告したことに対して、里が正式に命令を出した。お前を今すぐ連れ戻せ、という内容だ」

 雪乃は少し間を置いた。

「あやめさんの判断を、里が覆したのですか」

「そういうことだ」

あやめは視線を外した。

「私の越権行為だったと、そう判断された」

「あやめさんが叱責を受けましたか」

「それは関係ない」

「関係があります」

「ない」

あやめは雪乃の方を向いた。

「里の命令だ。お前は今日、月見庵を出て、私と共に帰還する。それが命令だ」

 雪乃はあやめを見た。

 あやめの目が、まっすぐ雪乃を見ていた。その奥に、別のものがある気がした。雪乃には、それが何かを言葉にできなかった。

「帰りません」

 雪乃ははっきりと言った。

 あやめの目が、少し変わった。

「命令だと言った」

「聞こえています」

「里の命令に従わなければ、お前は抜け忍になる」

「分かっています」

「分かっていて、従わないのか」

「はい」

 あやめはしばらく雪乃を見た。何かを考えている時間があった。

「理由を言え」

「新月まであまり時間がありません。その間に玄斎を止めなければ、この町が動く。今、私が離れれば、止める手が足りなくなります」

「それは任務の都合だ。里が判断することだ」

「里はこの町の人々のことを知らない。知らないまま、命令を出している」

「里の命令が間違っていると言うのか」

「間違っているとは言いません。ただ、今ここにいる私には、従えない理由があります」

「任務ではなく、個人的な理由があるということか」

 雪乃は少し間を置いた。

「両方です」

 あやめはため息をついた。

「お前と話していると、疲れる」

「すみません」

「謝るな。謝るなら従え」

「従えません」

「…………」

 あやめはしばらく黙った。

 それから、着物の袖から何かを取り出した。

 小さな刃だった。任務用の短刀だ。あやめが雪乃に向けた。

「戦え。勝てば、里への報告は考える。負ければ、連れ帰る」

「戦う必要がありますか」

「ある。里への口実が必要だ。私がお前に負けたという事実があれば、連れ帰れなかった理由になる」

 雪乃はあやめを見た。

 あやめは刃を向けたまま、まっすぐ雪乃を見ていた。口実、という言葉を使った。つまり、あやめはすでに、雪乃を連れ帰るつもりがない。ただ、その理由を形にする必要がある。

「分かりました」

 雪乃は構えた。


 竹林は、猫又坂の北の外れにある。

 人通りはない。鈴音の工房より先の、道が細くなるところに入口がある。竹が密集しており、昼間でも薄暗い。足元は竹の葉が積もっており、音が立ちにくい。

 あやめが場所を選んだ。理由は言わなかったが、雪乃には分かった。町の人の目から外れた場所で、かつ、広さがある。忍びが本気で動ける場所だ。

 二人は竹林の中程で向き合った。

「本気でやれ」

「あやめさんも本気ですか」

「当然だ。加減したら失礼だろう」

 あやめが動いた。

 速かった。里での訓練で常に雪乃の上にいただけある。踏み込みが深く、刃の軌道が読みにくい。雪乃は体を半歩引き、腕で軌道をずらした。

 あやめがすぐに引いた。次の動きに移る前の、わずかな間隙。

 雪乃はその間隙に踏み込んだ。

 あやめの刃を持つ手首を取り、向きを変えた。あやめが体ごと流れを受け、距離を取った。

 二人は止まった。

「速くなった」

「あやめさんも」

「里で訓練を続けている。当然だ」

 また動いた。今度はあやめが先に動かず、雪乃を待った。

 雪乃は動いた。正面から踏み込み、あやめの刃の内側に入ろうとした。あやめが体を開き、雪乃の腕を取った。投げようとする。雪乃は受け身を取りながら、あやめの腕を引いた。二人が同時に体勢を崩した。

 竹の葉が舞った。

 二人は間合いを取り、息を整えた。

「雪乃」

「はい」

「聞いていいか」

「何でしょう」

「月見庵に、本当に居たいと思っているか」

 雪乃は少し止まった。戦いの途中で、そういう問いが来るとは思っていなかった。

「はい」

「任務でなくなっても、ここにいたいか」

「はい」

「なぜだ」

「……言葉にするのが、難しいですが」

「難しくていい。言え」

 雪乃は竹林の薄暗さの中で、あやめの目を見た。

「ここでは、私が役に立つことをしなくても、ここにいていいと言われました。役に立つから居場所があるのではなく、ただいるから居場所がある、という場所です。そういう場所が、里にはなかった」

 あやめは何も言わなかった。

「こはくさんが、おかえりなさいと言います。それだけのことです。ただ、それだけのことが、里では一度もなかった」

「……おかえりなさい」

あやめが繰り返した。小さな声だった。

「はい」

「それが、そんなに」

あやめは少し視線を外した。

「大事なのか」

「私には、大事でした」

 あやめはしばらく黙った。竹林が風に揺れた。葉の擦れる音が続いた。

「私には、そういう場所がない」

 声が、少し変わっていた。平坦ではなかった。

「里に戻れば、また任務だ。また命令を待つだけだ。お前がここで笑っているのを見て、腹が立ったのは」

「はい」

「羨ましかったからだ。お前に言ったことがある。それは本当だ。私には、帰りたい場所がない」

 雪乃はあやめを見た。

 あやめの顔が、今まで見たことのない表情をしていた。里で訓練を受けていたときも、任務で顔を合わせたときも、こういう顔を見たことがなかった。

「あやめさん」

「何だ」

「月見庵に来てください。任務が終わったあとでも、来ていいと思います」

「里の忍びが、そう簡単に」

「こはくさんが言っていました。いつでも来てほしいと」

「あの娘が」

「お銀さんも、困った人を追い返すような人ではありません」

 あやめは少し沈黙した。

「お前は、里に戻らないつもりか」

「玄斎の件が片付いたあとのことは、まだ分かりません。ただ」

「ただ」

「今は、ここにいます。私の意思で」

 あやめはしばらく雪乃を見た。

 それから、短刀を収めた。

「続きをやれ」

「え」

「戦いの続きをやれ。口実が必要だと言った。有耶無耶にするわけにはいかない」

「……はい」

 二人は再び構えた。

 今度は、速かった。

 あやめが踏み込んだ。雪乃は受け、流し、あやめの軸足を払った。あやめが体勢を崩した。雪乃はあやめの背後に回り込み、短刀を持つ腕を取った。

 あやめが止まった。

 雪乃も止まった。

 二人は動かなかった。

「私の負けだ」

「あやめさんが本気でないのは、分かっていました」

「負けは負けだ」

「はい」

 あやめは腕を解かれ、立った。短刀を鞘に戻した。竹の葉を払った。

「里への報告は、私が書く。お前が私を破った、という内容で出す」

「ありがとうございます」

「礼を言うな」

あやめは雪乃をじろりと睨んだ。

「ただし、これで終わりではない。里が次の人員を送ってくる可能性がある。その前に、玄斎の件を片付けろ」

「はい」

「新月まで。お前が言った通り、今ここを離れることは得策ではないと、私もそう判断する。それが私の任務上の結論だ」

「分かりました」

 あやめは竹林の出口に向かって歩き始めた。

 三歩ほど歩いて、止まった。

「雪乃」

「はい」

 あやめは振り返らなかった。

「玄斎の件が終わったら」

「はい」

「もう一度、話す機会をもらえるか。お前と、ちゃんと」

 雪乃は少し止まった。

 あやめが、そういうことを言う人ではないと思っていた。少なくとも、今まではそうだった。

「はい。玄斎の件が終わったら、話しましょう」

「月見庵で、か」

「月見庵で」

「……団子を食べながら、か」

「こはくさんが用意してくれると思います」

 あやめはそれ以上言わず、竹林を出ていった。

 雪乃は竹林に一人残った。

 葉が揺れ、風が通り抜けた。

 あやめが帰りたい場所がない、と言った。里にいる間も、任務の合間も、あやめは一度も帰りたい場所を持てなかった。それを今まで言わなかったのは、言う言葉を持っていなかったからだろうと、雪乃は思った。

 里では、そういう言葉を持つ機会がなかった。

 雪乃も、猫又坂に来るまでは、そういう言葉を知らなかった。おかえりなさい、という言葉の重さを知らなかった。

 竹林を出て、雪乃は坂道に戻った。

 坂を下れば月見庵がある。こはくがいる。お銀がいる。鈴音ときゅう太がいる。

 新月までにやることがある。人がいる。守るものがある。

 雪乃は足を速めた。


 月見庵に戻ると、こはくが縁台にいた。

 きゅう太と並んで、草餅を食べていた。きゅう太が何かを言い、こはくが笑っている。

 雪乃が暖簾をくぐろうとすると、こはくが顔を上げた。

「おかえりなさい」

 いつも通りの言葉だった。

 雪乃は少し止まった。

「ただいま、戻りました」

「竹林に行ったんですか。竹の葉が少し、着いていますよ」

 こはくが雪乃の肩を指差した。雪乃は肩を払った。

「あやめさんは」

「帰りました。宿に戻ったと思います」

「そうですか」

こはくはきゅう太を見た。

「きゅう太くん、お願いがあるんだけど」

「何だ」

「地下水路のこと、詳しく教えてほしいんです。川から入れる場所があるって、鈴音ちゃんが言っていて」

「地下水路か」

きゅう太は草餅を口に入れながら言った。

「知ってるぞ。おいら、遊び場にしてるとこだ」

「案内してもらえますか」

「いいぞ。でも暗いぞ。人間は怖いか」

「大丈夫です。雪乃さんが夜目が利くので」

 きゅう太が雪乃を見た。

「雪乃ねえちゃん、一緒に来るか」

「来ます」

「じゃあ大丈夫だ。雪乃ねえちゃんがいれば、何があっても何とかなる」

 雪乃は少し止まった。

「何とかなるとは限りません」

「なる。雪乃ねえちゃん、いつも何とかするじゃないか」

 こはくが笑った。

「きゅう太くん、正しいですよ」

「こはくさんまで」

「事実だと思います」

 雪乃は二人を見て、少し力が抜けた。

 縁台に座ると、こはくが草餅を一皿出してきた。

「食べてから、作戦を話しましょう。お腹が空いていたら、考えがまとまらないので」

「今朝も同じことを言いましたね」

「毎回言います。大事なので」

 雪乃は草餅を手に取った。

 よもぎの香りがした。

 新月まで、まだ時間はある。今日分かったことを整理し、鈴音と組んで地下の調査を進める。あやめが里への報告を書いてくれる間に、こちらが動く。

 やることが、ある。

 雪乃は草餅を食べた。

 きゅう太が「おいらも一個くれ」と言い、こはくが「さっき三個食べたでしょう」と突っ込むと、きゅう太が「腹が減ったんだ」と言った。

 月見庵の昼が、いつも通り過ぎていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ