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くノ一お雪、里を抜けたら湯けむり茶屋の看板娘になりました ~任務で潜入したはずなのに、妖怪の町で帰る場所ができてしまいました~  作者: 明石竜


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12/22

十二の巻 湯けむりに紛れる黒い羽

 あやめは夕飯を、黙って食べた。

 こはくが用意したのは、山菜の炊き込みご飯と、豆腐の味噌汁と、きゅうりの浅漬けだった。簡素だが、手が込んでいる。あやめは最初、月見庵で食べることを渋った。だが雪乃が「話しながら食べた方が効率がいい」と言うと、座った。

 三人で食卓を囲んだ。

 あやめはこはくを一度見て、それからご飯に視線を落とした。こはくはあやめに「よかったら召し上がってください」と言い、それだけで余計なことは言わなかった。

 お銀は帳場で食べると言い、顔を出さなかった。気を利かせているのだと、雪乃には分かった。

「美味い」

 あやめが言った。誰にともなく、ぽつりと言った。

「ありがとうございます」

 こはくが言った。

「……礼を言われることを言ったわけではない」

「でも、美味しいと言ってくれたので」

 あやめは黙った。

 雪乃は玄斎の文をあやめに渡した。あやめは読み、黙った。一度だけ、文の端を指で押さえ、それから折り返した。

「次の新月までか」

「はい」

「地下の全容が分かっていない段階では、短いな」

「そうです。だから明日から動く必要があります」

「私も動く」

「里への帰還は」

「延ばす」

あやめは文を雪乃に返した。

「この文を里に送れば、追加の人員が来るかもしれない。だが今は、人員より情報が先だ」

「分かりました」

 こはくが茶を注いだ。あやめは受け取り、一口飲んだ。

「黒羽玄斎のことを、詳しく聞きたい」

「わたしにですか」

「たまという猫又が、この町の古い事情を知っていると聞いた。お前はたまと近しい。玄斎がこの町に来たことがあるなら、何か知っているかもしれない」

「たまさんから聞いた話なら、少しあります」

「聞かせてくれ」

 こはくは茶碗を両手で持ち、少し考えた。

「玄斎という人が猫又坂に来たのは、十年ほど前のことだと、たまさんは言っていました。その頃、町の地下に古いからくりの仕掛けがあることを発見して、調べていたそうです」

「十年前。玄斎が里を出て、数年が経った頃だ」

「里を出てから、いろいろな場所を旅していたらしいです。からくりの知識を集めながら。猫又坂に来たときはまだ、今のような計画はなかったとたまさんは言っていました。ただ、地下の仕掛けに強く興味を持って、何日もかけて調べていた」

「地下に何があるか、たまは知っているか」

「たまさんが言うには、猫又坂はもともと、古い時代のからくり師が作った町だそうです。地下に大きな仕掛けが眠っていて、それが何なのかは、今の住人はほとんど知らない。たまさんも詳しくは知らないと言っていました。ただ、一つだけ知っていることがある、と」

「何を」

「この町の温泉は、地下のからくりが動いているから湧いているんだそうです。仕掛けが止まれば、温泉も止まる。仕掛けが動きすぎれば、温泉が暴走する」

 あやめは少し考えた。

「からくり城、という話を聞いたことがある。里の古い記録に、移動する城の伝説がある。まさか」

「たまさんは、城とは言いませんでした。ただ、地下のものが全部動いたとき、この町がどうなるかは分からない、と言っていました」

 雪乃は頭の中で情報を繋いだ。

 地下に眠る古いからくりの仕掛け。温泉を動かしている機構。玄斎が十年前に発見し、今、起動しようとしている。こはくの狐火がその鍵になる可能性がある。

「あと一つ、聞いていいですか」

こはくがあやめに言った。

「何だ」

「玄斎という人は、なぜ里を出たのですか。雪乃さんは、里に失望したからだと言っていました。どういう失望だったのか、分かりますか」

 あやめは少し間を置いた。

「里の記録には、能力の無駄遣いを理由に里を罰した、と書いてある」

「能力の無駄遣い、とは」

「玄斎は天才だった。忍術の才能だけでなく、からくりや工学の知識も持っていた。里はそれを、任務に使うことだけを命じた。玄斎が独自に研究を続けようとしたとき、里はそれを禁じた。忍びは道具だ、使われる以外の目的を持つなと言われた」

「それで、里を出た」

「最後は強制的に出された、という方が正確かもしれない。玄斎が里の命令に従わなかったとき、里は彼を排除しようとした。玄斎はそれを逃れ、抜け忍になった」

 こはくは黙って聞いていた。

「可哀想な人ですね」

「敵だ」

あやめは強く言う。

「敵でも、可哀想なものは可哀想です。自分の力を好きに使えない、という気持ちは、分かるので」

 あやめはこはくを見た。こはくは視線を受け取り、逃げなかった。

「お前が狐の血を引いているからか」

 こはくは少し驚いた顔をした。それからすぐに、穏やかな顔に戻った。

「知っていたんですか」

「察しただけだ。確認するつもりはなかった」

「どう思いますか」

「任務と関係のないことには、意見を持たない」

あやめは視線を外した。

「ただ、お前が月見庵にいる理由は、理解できる気がする。それだけだ」

 こはくは少しの間、あやめを見ていた。

 それから、にこりと笑った。

「あやめさん、明日もご飯を食べに来てください」

「任務中だ」

「任務中でも、ご飯は食べるでしょう」

 あやめは答えなかった。


 あやめが帰ったあと、雪乃とこはくは後片付けをした。

 食器を洗いながら、こはくが言った。

「あやめさん、難しい人ですね」

「そういう人です」

「でも、根は優しいと思います」

「そうでしょうか」

「だって、雪乃さんのために期限を延ばしてくれたんでしょう。任務の判断だって言うけど、雪乃さんのことを心配しているから、だと思います」

「あやめさんは、そういう言い方をしない人です」

「言い方と、中身は違います」

こはくは茶碗を拭きながら言った。

「わたし、今夜のあやめさんの顔を見て、この人は雪乃さんの友達なんだと思いました」

 雪乃は少し止まった。

 友達。あやめと自分が友達かどうか、考えたことがなかった。幼い頃から同じ訓練を受け、同じ場所で育ち、任務で顔を合わせてきた。それを友達と呼ぶかどうか、里では誰も言わなかった。

「友達、という言葉を里では使わなかったので」

「使わなかっただけで、いたんじゃないですか。あやめさんに怒られたことはありますか」

「何度も」

「叱ってくれる人は、気にかけてくれている人です。わたしはそう思います」

 雪乃は食器を拭きながら、あやめのことを考えた。

 里を出てから、あやめのことを考える機会が減っていた。こはくに言われて初めて、思い返した。

 訓練で転んだとき、あやめが立てと言った。弱いなと言ったが、引き上げてくれた。任務で失敗したとき、次はこうしろと言った。慰めではなかったが、見捨てなかった。

「そうかもしれません」

「いつか、ちゃんと話せるといいですね。二人で」

「あやめさんが、そういう話をする人かどうか」

「してくれると思いますよ。時間がかかるかもしれませんが」

 こはくは食器を棚に戻しながら、鼻歌を歌い始めた。いつもの曲だ。雪乃はその音を聞きながら、後片付けを続けた。


 翌日の朝、雪乃はたまを訪ねた。

 またたび湯は朝から静かだった。幽霊騒動が解決してから客足は戻り、今は普通の温泉宿として機能している。たまは宿の奥の小部屋にいた。いつも通り、眠そうな顔で茶を飲んでいた。

「来たか」

「聞かせてほしいことがあります」

「分かっておる。玄斎のことじゃろ」

 たまは雪乃を招き入れた。雪乃は座り、単刀直入に訊いた。

「地下の仕掛けが全部動いたとき、この町はどうなりますか」

 たまは少し間を置いた。眠そうな目が、少し遠くを見た。

「古い話じゃ。わしが猫又坂に来た頃、この町はもっと小さかった。街道沿いの小さな宿場町で、温泉だけが自慢だった」

「はい」

「温泉が出るのは、地下の仕掛けのおかげだ。昔から、この町の古老たちはそれを知っていた。仕掛けを動かし続ければ温泉が出る。仕掛けを止めれば温泉も止まる。だから、誰かが管理してきた」

「誰が」

「代々の湯守じゃ。わしが来る前は、人間の湯守がいた。その前は別の妖怪が。仕掛けに触れる方法を知っている者が、管理してきた」

「今は誰が管理しているのですか」

「誰もおらん」

 雪乃は少し止まった。

「管理する者がいなくなった理由は」

「百年ほど前、管理していた者が死んだ。その後、仕掛けが暴走しかけたことがある。町の一部が壊れた。そのとき、誰かが仕掛けの中枢を封じた。眠らせた。だから今の温泉は、その封じられた状態で細々と動いている」

「玄斎は、その封印を解こうとしている」

「おそらくそうじゃ。封印を解いて、仕掛けを本来の状態で動かす。仕掛けが本来の状態で動けば、この町は動く」

「動く」

「町ごと、動く」

 雪乃は黙った。

「からくり城の伝説は、本当だったのですか」

「伝説ではない。この町が、元々そういうものじゃ。古いからくり師が作った移動する町。何かの理由で、ここで止まって、人が住み着いて、今の猫又坂になった」

「玄斎はそれを動かして、どこへ行こうとしているのですか?」

「それは知らん。ただ、文にあった通り、里への復讐が目的なら、町を武器として使うつもりじゃろ」

「移動する要塞として」

「そういうことじゃ」

 雪乃はしばらく黙った。

 猫又坂が動く。温泉の町が、人と妖怪が暮らす宿場町が、地下の仕掛けで動き出す。それが武器になる。今ここで暮らしている人々は、それを知らずに乗せられることになる。

「封印を、解かせないためにはどうすればいいですか」

「封印の中枢に触れないことじゃ。中枢は地下の深いところにある。そこに玄斎を近づけなければ、解けない」

「場所は」

「またたび湯の源泉の真下じゃ」

 雪乃は繋いだ。またたび湯の裏岩場に管が仕掛けられていた理由が、分かった。源泉の真下に中枢がある。管は中枢へ通じる経路を整えるためのものだった。

「たまさんは、なぜ今まで黙っていたのですか。地下のことを知っていたなら」

 雪乃は訊いた。

「誰かに言う理由がなかった。玄斎が来るまでは、仕掛けは封じられており、問題はなかった。余計なことを言えば、人が地下を掘り返す。それは望まなかった」

「今は話してくれた」 

「お前が来たからじゃ」

「私が来たから」

「お前は、この町を守る気があるじゃろ。任務だからではなく」

 雪乃は少し止まった。

「……はい」

「なら、話す価値がある」

 たまは茶を飲んだ。

「もう一つ、教えてやろう」

「何でしょう」

「玄斎が封印を解くには、特殊な熱源が必要じゃ。封印は、普通の火では解けない。そういう作りになっている」

「狐火が」

「狐の妖力を持つ火ならば、解けるかもしれない。玄斎がこはくを狙う理由はそこにある」

「こはくさんの狐火は、温かいです。普通の狐火より」

「そうじゃ」

たまは少し目を細めた。

「こはくの火は、普通の狐火とは少し違う。あれは、破壊するための火ではなく、宿す火だ。灯りのような火じゃ」

「封印を解くための火に、なりますか」

「玄斎が何を考えているかは分からん。ただ、こはくの火が鍵になるという考えは、間違っていないかもしれない」

「こはくさんを守らなければ」

「それだけではいかんぞ」

「と言いますと」

「こはくを守っても、玄斎が他の方法を見つければ意味がない。封印の中枢に近づかせないこと、それが根本じゃ。またたび湯の源泉の下、そこへの道を塞ぐことが最も大事じゃ」

 雪乃は頷いた。

「鈴音さんに相談します。地下の構造を把握して、中枢への道を塞ぐ方法を考える」

「よかろう」

 たまは目を細め、また茶を飲んだ。

「雪乃よ」

「はい」

「玄斎の文に、忍びとして生きるか茶屋の夢の中で溺れるか、とあったじゃろ」

「読みましたか」

「こはくが教えてくれた」

「そうですか」

「玄斎の言い方は間違っている。忍びとして生きることと、ここで生きることは、別々の選択ではない。お前が忍びとして持っている力を、ここで使うことができる。それは二つを選ぶことではなく、一つにすることじゃ」

 雪乃は少しの間、たまを見た。

「たまさんは、ずっとそれを見ていたのですか」

「見ていた。お前が来てから、毎日見ていた」

「何が見えましたか」

「迷っておる子どもが、少しずつ迷いを手放していく様子が見えた」

 雪乃は何も言えなかった。

「迷うことは悪いことではないぞ。迷えるということは、選ぶ余地があるということじゃ。選ぶ余地がある者は、幸いじゃ」

「玄斎には、その余地がなかったと」

「里が、奪った」

 たまは目を閉じた。眠そうな顔に戻った。

「話は終わりじゃ。行け、雪乃。鈴音のところに行って、地下の調べを進めよ」

「はい」

 雪乃は立ち上がり、部屋を出ようとした。

「雪乃」

「はい」

「こはくをよろしく頼む。あの子は、ずっと一人だった。お前が来てから、初めて、誰かに全部を見せた」

 雪乃は少し止まった。

「……はい」

「分かっておれば、それでよい」

 たまはそれ以上何も言わなかった。


 雪乃はまたたび湯を出て、坂道を歩いた。

 春の終わりの風が、坂を吹き上がってきた。湯けむりが流れ、猫又坂の朝が動いていた。雪乃は頭の中に、今日聞いたことを整理した。

 地下の中枢はまたたび湯の源泉の真下。玄斎は、こはくの狐火を鍵として使おうとしている。封印を守るためには、中枢に近づかせないこと。

 やることは、はっきりした。

 雪乃は鈴音の工房に向かって、足を速めた。

 猫又坂の石畳が、朝の光に照らされていた。


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