第9話 ちくはぐな現実
記憶の断片を取り戻したアルテナが、気恥ずかさを抱えて目覚めた朝。
三人は『 巨大石の家 』を後に、フィリムが新たに示した『 砂漠地帯・南東部 』へと向かって歩き始めていた。
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砂の質量が変わった。
耳慣れない微弱な電波が、
彼のツノをかすかに震わせる。
ノエマ「……フィリム?」
ノエマがいち早くフィリムの変化に気づいた。腕の中で丸まっていた彼は、ツノをぴくつかせる。
フィリムのツノが再び、なにかに反応していた。
と、その時
ツノが、周囲に舞う砂を震わせるように
「キィィィン……」と強く光り出した。
砂漠の空気そのものが微細な振動を帯びたようで、フィリムの肌がざわっと逆立つ。
ノエマ「……また、よんでる。」
ノエマがフィリムを見る。
「さっきより、つよい。」
アルテナ「さすがにもう、母ちゃん……
じゃないよな?」
アルテナは左胸を押さえた。
「でも……なんか。胸が」
フィリムは二人を振り返り、まだ一度も踏み入れたことがない『 蜃気楼が揺らめく地平 』へと視線を向けた。
ノエマ「フィリムが、あっちの方に
行けって言ってる。」
ノエマがアルテナにそう伝える。
少女の翡翠色に輝く瞳には、何かを覚悟したような光が宿っていて。
アルテナ「……うし!そんじゃあ、みんなで行っか。」
アルテナは自分の気持ちを確かめ、足元の砂を踏みしめた。
『俺たちの探してるもんがそこにあるんなら……おれは逃げねぇ。』
アルテナの言葉にノエマも頷き、三人は、砂漠の果てを目指してまた、歩き出した。
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砂漠をしばらく歩くと空気が変わった。
そして砂が、数字になった。
0……1……2……3
アルテナは初め、自分の目がおかしくなったのかと思った。けど次の瞬間にはまた、数字が砂に戻ったり、数字に見えたりする。
0の粒は上へ、1の粒は下へ、3の粒は横へ。
規則も意味もまったくわからない軌道で空中を舞っている。
ほんの一瞬だけだったが、重力という地球では当たり前の法則が、その場からなくなったような気がした。
アルテナ
『砂粒が、一つ、二つ五つ、六っつ……』
アルテナは自分にしか聞こえない小さな声でそう呟く。
砂は次から次へと0数字1と2いう情報に3その形4を変化5させ、6空中7を8踊り続けている。9
ノエマ
「むー……」
ノエマもなんだかよく分からない現象を前にして言葉につまっていた。
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いつもの青空が歪んで見える。
その端がまた『 欠けた 』そして--
破けた。
最初はほんの指先ほどの『 裂け目 』が、みるみるうちに広がって。その向こうに何もない『 透明な裏側 』が見えた。
『 視界の端が欠けた 』のではなく、『 絵を描いたキャンバスの端が削れ落ちていく 』ような感覚。
見えていたはずの青い空もまるで『 そこに存在していない 』ようだった。
今いる現実の世界が『 透明な画面の裏側 』へと引きずり込まれていくかのような異常な予感がする。
足元は今にも崩れてなくなりそうな気がして。そんな漠然とした不安が、たちまち二人に襲いかかって来た。
ノエマ&アルテナ
「……」「……」
ノエマの体はすこしだけ震えたが、その震えは恐怖だけのものではなかった。感覚では分かってる。
アルテナの心が、砂漠地帯に散らばっている『 記憶の欠片 』を引き寄せているのだと。
そして目の前で、そこらじゅうに散らばった記憶の砂が渦を巻いて空中で踊り、やがてまた散っていく。
フィリムだけは怯えず、むしろ興奮したように前へ、前へとガンガン進んでいった。
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すると突然目の前で、一枚の紙を鉛筆で突き破ったように、砂漠の地平が裂けた。
さっきからずっと異常な現象が立て続けに起こっている。完全に麻痺したこの感覚も、もう当てにはならなかった。
ただ音もなく世界が一直線上に伸びて、一本の線のようになる。
声が聞こえた。
闇色に塗り潰された視界、光の点と点が線を結び、アルテナの頭の奥から暗く重たく響いた知らない声。
けどそれは頭の中からではなく、胸の内側から響いて来た。
『 言葉になりきれない 』『 黒い震え 』が左胸の装置の鼓動と混ざる。
『ッッ!!やめろ………来んなっ……!!!』
言葉になりきれない叫びが
脳裏をかすめた瞬間ーー
足元の感覚がなくなって。二人は裂け目の中へと
引きずり込まれて行った。
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眩い光の中で、アルテナは目を覚ました。
そこは、天地が存在しないような
『 あやふやな空間 』だった。
アルテナの心そのものが、シャボン玉のようなふわふわした球体のなかに映像となって映し出され、意識がそれに強く引っ張られていく。
〈 幼い頃に過ごした、木造の小さな家。
トンカントンカンと規則正しいリズムで鳴るトンカチの音。母ちゃんが直してたのは、ノーブルのじっちゃんの古い揺り椅子。〉
〈天気の良い夏の朝に橋の上からジャンプして、川に飛び込んだ日。雨でずぶ濡れになって、さらに泥がついたまま家に帰って、母ちゃんにぶん殴られた日。沈んで行く夕陽を土手に座ってずっとながめていた日。母ちゃんと星を観察しに出かけた夜。〉
だけど母ちゃんの顔だけがぐちゃぐちゃに黒く塗りつぶされてて。
そのすべてが古いフィルム映画のように次々と流れていって、光のパネルのような物へと還っていく。
ノエマ「……これはぜんぶ……アルテナ
のきおく?」
ノエマが少年に聞いた。
アルテナ「……ちげぇ。全部じゃ……ねえ」
アルテナは曖昧な空間のなかで拳を固く握りしめた。そうして一瞬なにかが視界の端に映り込んだ。
歪みと共に現れた黒い影。
何者かの影が歪な空間を横切った。
アルテナ
「おいおいおいちょっと待てよ……マジかよ」
「誰かが……俺の記憶を勝手に……
作り変えたっていうのかよ……」
アルテナは、怒りと恐怖で慄いた。
アルテナ
「はは……きっとそうだ……間違いねぇ!《《本当の》》……俺の記憶を……誰かが隠しやがったんだ。」
ノエマは少年の袖をぎゅっと強く掴んだ。
少女の心にも、少年の痛みと混乱が同じだけ流れ込んできて。胸の奥で『 何かを思い出しかけて疼く 』のを感じていた。
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辺り一帯にフィリムの叫び声が響く。
「フィィィイーーーーッ!!!」
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すると突然、空間が風船のようにバンッ!と割れて、そこへノエマとアルテナが落っこちて来た。
ぽてっ! ……どさ!
二人の視界が戻った時そこには--
砂漠の果てが見えていた。
ノエマ「……かべ?」
ノエマが呟いた。
半透明の白紫色の壁の向こう側には、さっきまで自分たちがいたはずの広大な砂漠地帯が広がっている。
今立っている場所はちょうど、砂漠とその先との境界線だった。
そして後ろへ振り返った少女が
次に目にしたのは--
壁のように立ちはだかる『 巨大な樹 』。
そこは、鬱蒼と茂る密林への入り口だった。
アルテナ
「……この先に……俺たちの《《なんか》》が、きっとあんだよな……」
アルテナは静かにそう、呟いたのだった。
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