第193話 鬼の湯
「……」
「……」
男湯の扉を開けたら、火角紅葉がいた。
……なるほど。この状況が導く答えはたったひとつ。
火角紅葉は男だったのだ。
そう考えてみれば、なるほど彼女の胸が慎ましやかなのも納得がいく。
ほら、見ればわかるが膨らみは小さい。
そしてその股間には立派なものが……いや、無いな。見てみるがそんなご立派様は存在していなかった。
前言撤回。
彼女はちゃんと女の子であった。
だけど俺はちゃんと風呂に入る前に、男湯と書かれた青い暖簾を確認している。
男湯と女湯を間違えるなんて古典的な失敗はしないし、もちろんわざとではない。
ならこれは敵の攻撃か!
……いや違うな。攻撃ならもっと直接的にやってくるだろう。
そして俺には心当たりがひとつ。
風呂場の前にいた女性――火角楓。
あの人がすり替えたのだ、暖簾を。おそらくはそうなのだろう、そう考えれば納得がいく。
しかし何故こんなことを?
決まっている。
覗き野郎の汚名を着せて俺を社会的に抹殺するためだ!
おのれ火角楓、なんという策士か!
そう俺が正義の怒りをたぎらせていた時だった。
紅葉と目が合う。
あ、これ死んだ。
そう思ったが……。
「……」
紅葉は黙ってくるりと背を向け、そのまま……ざばん、と湯船に飛び込んだ。
ん?
こういう場合、馬鹿変態エッチ死ねおまわりさんこっちです、と叫びを上げてシャンプーやら石鹸やら風呂桶やらの無限投擲攻撃が始まるのではないのか。
それが古くからのお約束という奴だが――
「な、何してんのよ、風呂に入るんならドアを閉めなさいよ!」
彼女は顔を赤くしてそう言った。
「あ、はい」
俺は従った。
◇
「……」
「……」
さて、なにがどうなっているのやら。
とりあえず俺は身体を洗って湯船に入った。
俺が体を洗っている間に風呂から上がると思っていた紅葉は、そのまま湯船につかっていた。
そして俺は湯船につかる。
紅葉の隣に。
なお別に俺は彼女の隣にわざと入ったわけではない。
あっちから近づいて来たのだ。
無言で。
怖い。
「えーと」
俺は言う。
「こ、ここ……混浴だったのか」
入り口が男女別だけど風呂は同じ、という混浴風呂もあるらしい。
きっとそういうものなんだろう。
「……違うわよ」
違ったらしい。
「べ、別に私が間違えたわけでもないわよ、風呂に入る時確認したもん。
……たぶんお母さまね」
「やっぱりか。さっき風呂の前の廊下にいたからな」
「……まったく」
紅葉は顔を半分湯に沈め、ぶくぶくと泡をたてる。
「災難だったな」
「……まったくよ」
「俺が身体洗ってる間にとっととあがればよかったのに」
「それは……考えたけど、失礼かなって」
「そ、そうか」
別に失礼ではない、自然な流れだと思う。
少なくとも、罠に嵌められた不可抗力とはいえ、女の子の全裸をまじまじと見てしまった俺の方が失礼だろう。
「……で、どうだったの。感想」
「感想?」
宴会の事だろうか。料理の感想など……。
「さっきしっかり見たでしょ、私の……裸」
「……」
そっちかー。
紅葉は顔を真っ赤にしていた。
恥かしいのにそういう事を聞いてくるのか。
さて、どう答えよう。
「えーと……絶景でした」
ひとまず無難に答えておく。
いや待てどこが無難だ。しかしどう答えればいいのか。コメントで教えてくれ頼れる視聴者のみんな!
……そうだった今は生配信していなかった。
ていうか生配信してたらもっと大変な事になってたぞ。
俺が悪ノリして「ドキッ男だらけの男湯突撃生配信でーす!」とかやってなくて本当によかった。もしそんなことしてたら大事故だ。一発BANである。
「……そ。死ね」
紅葉は顔を赤くして目を逸らして言った。
死ねとは言ったが攻撃は来なかった。
まあ漫画じゃないしいちいちそうやって攻撃はしてこないよな。
「……それで。その、今日は来てくれて、ありがと。正直、来てくれないかと思ってた」
紅葉がぽつりと言った。
「なんでだ? 招待受けたしそりゃ行くだろ」
「……だって改めて考えたら、私、ひどいことしたじゃない」
紅葉は視線を落として言う。
ひどいこと?
「されたっけ?」
「……助けてくれたのに。
牢屋にいた時は励ましてくれて、そして助けてくれたのに……私、お礼もいわないで、そしてあの家にいた時もずっとひどい態度、とってて」
「あー」
そんなこともあったな。
「なんか怒ってたからな。理由があったんだろ。
千百合とかからは鈍感だの唐変木だの言われたけど」
俺は別にラブコメの鈍感主人公でも難聴主人公でもない。
だけどそれでも女心――いや他人の考えというのはよくわからないことだってある。
「勝手な私の思い込みで空回りだったけど。
ほら、私を助けてくれたあんたは――偽物だったじゃない」
紅葉は言った。
ああ、あれか。確かにそうだ。
あのダンジョンではやることが多すぎて、雲外鏡の幻覚による分身を使っていろいろしたのだ。
そしてその分身の一人が、紅葉を助け出した。
「勝手に期待して、勝手に裏切られたような気持ちになって……それでつらく当たっちゃった。本当に……ごめんなさい」
そう紅葉は謝って来る。
「なるほどな。
――じゃあ、俺も悪かったと思うよ、それは。
そうだよな、俺が助けるって言ったのに、助けたのは俺じゃなかった。
うん、それは俺が悪い」
結果だけ見れば確かに助けた、約束を守った。
しかしそれは第三者から見たらそうなっているだけだ。
本人からしたら――違ったのだ。
どう言い訳しても、俺が悪い。
「悪かったな、今更かもしれないけど、謝るよ」
俺は紅葉に向き直り、頭を下げる。
「――っ、そんなこと!」
俺の謝罪に、紅葉はあわててざばあっと立ち上がった。
「……」
つまり、見えた。
「~~~~っ!」
紅葉は顔を真っ赤にして、湯船に潜る。
うん、今度のは俺は悪くないぞ。
さっきと違って今度は至近距離でばっちりと見えてしまったが俺は悪くない。
悪くないから、謝罪は違うな。
となると……言うべきことは。
「ありがとうございました」
「なんでお礼なのよ!」
「いや、その……ごめん」
結局謝罪に追い込まれた。
「……は、話を戻すけど。
あんな態度とっちゃったから、もうこれ幸いにって、こっちには来ないんだろうなって思っちゃって」
「どれだけ心狭いんだよ俺は。俺の心は遠野市みたいに広いぞ」
遠野市の面積は825.97平方キロメートル。東京23区の役3.7倍だ。
そう、俺は寛大なのだ。
遠野を馬鹿にする奴は許さないけど。
「……なにそれ」
紅葉が少し笑う。
「……だから、来てくれて嬉しかった。
うん、嬉しかったのよ。
だけど……」
そして紅葉は視線を落とす。
何か困りごと、悩み事でもあるのだろうか。
「何かあるのなら話は聞くし頼まれるぞ。
……えっと、なんだほらあれだ、さっきのお礼だ」
「何よそれ」
全くである。俺は何を言っているのか。湯でのぼせているのかもしれない。
「……そっか。お礼してくれるんだ。助けて、くれるんだ」
そう紅葉は言って。
そして少しの逡巡の後……立ち上がった。
再び、裸体があらわになる。水滴が上気した肌を滴り落ちた。
そして紅葉は、俺をじっと見つけて……言った。
「お願い。
私を連れて……逃げて」




