第184話 火角の老人たち
鬼哭里。
信州長野にある山村だ。峠を挟んだ戸隠という有名な地の名に隠れ、全国的にはそこまで有名な土地ではない。
だがここはとある方面は有名な地だ。
鬼の哭く里。
そう呼ばれる通り、この地には鬼の伝説がある。
先の戸隠では「村々を襲い人の生き胆を喰らい生き血を啜った恐ろしい鬼」と呼ばれる鬼女紅葉。
それがこの地では、機織りや縫い物を教え、まじないで恵みをもたらした心優しき貴女と呼ばれている。
どちらが真実なのか――それはもはや時の彼方に忘れられている。
ただ確かなのは、この鬼哭里では紅葉は称えられ祀られているということだ。
鬼女紅葉には経若丸という息子がいた。
伝説では経若丸は母の後を追い自刃したと言われているが……しかし彼は事実では生き延びていた。
この鬼哭里で生き延び、そして子を成し、その血脈を繋いでいた。
そして、古き平安の時代より影響力を持ち続けて来た化外の一族、御三家の一角――火角家の祖であるという。
鬼哭里はそうして、火角家の庇護のもと、鬼女紅葉を祭りながら長く平和に過ごしてきた。
あの十年前の日本中、いや世界中を襲ったダンジョン事変にすら、大した影響もなく平和であった。
だが――
◇
「紅葉の岩屋が――迷宮に!?」
火角家の屋敷で声が上がる。
紅葉の岩屋。
戸隠と鬼哭里の間の峠にある、聖地とも言える遺跡だ。
かつて鬼女紅葉が隠れ住んでいたと言われるその洞窟は、紅葉の魂が眠る場所として奉られ大切にされていた。
そこが迷宮――ダンジョンに変化してしまったというのだ。
これは一大事である。
「なんということだ……」
「まさかあの聖地が……」
「紅葉様の祟りなのか……?」
老人たちは口々に言い合う。
「肝要なのは、原因究明ではなくこれからです。そもそもダンジョンが現れる原因は未だ解明されていない」
一人が言い、みなうなずく。
確かにダンジョン発生は様々な憶測や仮説がたてられているが、完全に解明されているわけではない。
わかっているのは――
「ダンジョンは、人が入らねばいずれスタンピードを起こす」
そう、その性質だ。
ダンジョンコアが破壊された、あるいは魔力が枯れ果てたダンジョンでない限り――いずれは魔物があふれ出す。
ダンジョンとはそういうものなのだ。某国でスタンピードが起きてひとつの都市が――そして国すらが壊滅した事件をきっかけに、全国で知られることとなった。
ダンジョンは人を喰らう。
中に入った人間の命、あるいは魔力気力生命力精神力――そういうものを喰らって自身を維持するという。
ダンジョンに現れるモンスターは、言うなれば餌である人間とその力を効率よく喰らうための歯、あるいは消化酵素。
そしてダンジョンからとれる様々なドロップアイテムは――獲物を呼び寄せるための餌。
だが、その餌に獲物が食いついてこない場合――ダンジョンは飢え、そして餌を求めてモンスターたちを外へと溢れされるという。
それが、ダンジョンスタンピードだ。
「すでに数年前からダンジョン化は始まっていたようです」
「時期的には、前回の紅葉大祭か……」
紅葉大祭。毎年行われ値紅葉祭とは別に、十年に一度行われる秘祭である。
「禁足地だから発見が遅れた……? 最悪、ダンジョン事変の直後にダンジョン化したという場合も……」
「それはあるまい。しかしどちらにせよ、スタンピードが近い可能性はある」
騒ぎ出す老人たち。
放置しておけば間違いなく、この里の危機――下手すれば戸隠一帯、いや……信州そのものが魔物の徘徊する地獄となりかねない。
だが。
「禁足地である以上――よその者を入れることは、まかりならぬ」
そう老人の一人が言った。
それが掟なのだ。
禁足地である紅葉の岩屋、その祭壇に入れるのは鬼哭里の選ばれし一部の者のみ。
それをダンジョン化したと公開してしまえば、遠慮を知らぬ探索者どもが若者顔で踏み荒らすに違いないのだ。それは決して許されない。
「ならば……あえてスタンピードを受け入れ、被害を最小限に防ぐ……?」
村人たちを避難させておき、スタンピードをあえて起こして出てきた魔物たちを掃討する。
スタンピードによって溢れた魔物たちを全て倒せば収まるのは過去のデータにも明らかである。
だが、それは多大な危険がともなう。何しろスタンピードの規模は予測不能なのだ。
被害は確実に、多く出る。下手をすれば、村人たちにも。
それは駄目だ。だが、だとしたらどうする。どうすればいい――
そう話し合う老人たち。
そして誰かが言った。
「あの少年――今代の紅葉様を助けたという、あの岩手の少年。
彼の助力を頼むのはどうだ」
岩手の少年。
今代の火角紅葉を助けだし保護していた、菊池修吾という少年だ。
岩手は遠野に伝わる伝説の迷い家の主として君臨し、多くのダンジョンを攻略――否、「破壊」した男。
「彼ならば、余所者とはいえ、紅葉様を助けたという縁があり、そして遠野のマヨイガの主。岩屋へ入るとしても、許されぬこともあるまい」
それは、つまり。
「――菊池殿を、ダンジョンへの生け贄にするというのですか!」
叫んだのは、鬼武五郎であった。
老人たちの視線が鬼武へと注がれる。
「だがな、鬼武の小僧よ。ではどうするというのだ、初代鬼女紅葉様が守った村人たちをダンジョンと化した岩屋へと入れ、危険に晒せというのか」
「それは紅葉様も望んでおらぬ。まして有象無象の探索者を入れるなど、以ての外よ」
「左様。それならばまだ、我ら化外に通じる者を呼んだほうがマシというもの」
「これは譲歩なのだ」
「しかし……!」
鬼武は老人たちに反論する。
菊池修吾は紅葉を救い出した恩人なのだ。その恩人をこれでは罠にはめるようなものである。
鬼武は考える。なんとかしてこの老人たちを翻意させられないか、と。
「あの方は、通称ダンジョンクラッシャー……ダンジョンの破壊者と呼ばれています。
彼が入ったいくつものダンジョンが破壊されています。
あなたたちは、彼を呼び込むことで聖地である紅葉の岩屋を破壊しようとししているのですぞ!!」
鬼武は叫んだ。
はたから聞くと菊池修吾への罵倒以外のなにものでもなかった。
だが、それに対して答えたのは中央にいる女性だった。
火角楓。
先代の紅葉である。
「それもでよいのですよ、鬼武」
「なっ……」」
「大切なのは」
楓は言う。
「大切なのは、貴女たる紅葉の遺した遺跡、紅葉の岩屋が――ここの村人たちを害してしまうという事態、それを回避すること。
悲劇を起こさぬこと、繰り返さぬことです。
ただの岩、ただの洞窟にすぎない岩屋を必要以上に神聖視してしまい、結果悲劇を起こせば――それこそが許されないことでしょう」
「……っ」
「守るべきは人。守るべきは、貴女紅葉の遺志。それを忘れてはなりません、鬼武」
正論であった。
世間に伝わる伝説はともかく、この地で信じられる鬼女紅葉は貴女でもあり、人々に、村人たちに優しかった。
彼女はこの地と、地に住まう人々を守ろうとしたのだ。
なれば……確かに、それが最善で。
だがしかし、しかし……!
それでは、大恩ある恩人を罠にはめて生け贄にするにも等しく……!
なんとかして、老人たちを、火角楓を翻意させねば……!!
「それに」
楓が言った。静かに、しかし確信を込めて。
「配信のアーカイブをみましたが、この男がダンジョンに食われて死ぬと思いますか」
「思わないですね」
鬼武は翻意した。
即答であつた。
かくして、菊池修吾を説得してダンジョンをどうにかしてもらおう最悪壊されてもいいや紅葉様も納得してくれるに違いない作戦が開始されたのだった。




