第十三話 無刀剣士
思考が停止したのは瞬き一つほどだっただろうか。
アルドがそんな考えを無意識から意識の外に出したのは、右手に【力】を顕現させた時だった。
思考が停止したのは一介の騎士でしかないレイラの剣が、曲がりなりにも女神の1柱となったアリシアの胸を貫いた時だった。
それが余りにも自分の常識の範囲の外で行われたものだから、考えが追いつかなかったという意味合いが強いが、その止まった時間を仲間の一人である重力使いの声が切って捨てた。
その刹那の刻の中にあって、アルドは右手に力を収束させながら僅かに視線を声のした方に流しながら、重力使いの体に魔力の残光が残っていること、そして、その傍らに寄り添っている少女の瞳が金色に染まっている事を確認し、その全ての思考と行動を、ただ一つの事象へと収束させた。
「…………っ!」
何も無い左腰のあたりをまるで虚空を掴むように宛てがわれていた左手に添えられるようにしていたアルドの右手が目にも止まらぬ速度で右上に向かって振り払われた。
ただそれだけの行為。
ただそれだけの行為で、アリシアに向かって振り下ろされていたレイラの刃はアリシアの頭に軽く触れただけで宙空を回転しながら跳ね上がり、刃を失った剣は何者も傷つけずに振り下ろされる。
そこまでの行為をその目で見ていたレイラは驚愕に染まった瞳を自らの剣先に向けたあとに顔を上げ、その視線の先で腕を振り切ったまま動きを止めていたアルドの視線と交差する。
そして、次に視線を向けるのは、その腕の先。
その、何も握っていない握り締めただけの右拳。
「──神剣──」
呟き、アルドは漸く右手を下ろすと、何の色も映さない瞳でレイラを見下ろし締めくくる。
「【無刀斬撃】」
【無刀斬撃】
本人は無手でありながら、どんな名刀であれ決して届かないと言われる切れ味特化の刃を生み出す攻撃スキル。
欠点は使用は攻撃のみで防御に使えないという点だが、それに関してアルドが苦にしたことが無い時点で欠点と呼べる欠点でないというのは冒険者の間では有名な話だった。
「……はは……」
その事を思い出したからだろう。
レイラは乾いた笑いを漏らしながら握っていた剣を力なく取り落とし、その額を地面に当てる。
「……化け物め……」
怨嗟の呟きから、やがて小さく嗚咽を零し始める銀髪を詰まらさなそうに見下ろした後、続けて聞こえてきた声の方へと視線を移す。
「ナターシャ! 直ぐにアリシアの容態を見てくれ! ゲオルグはレイラの確保! 暴れださないように気をつけてくれ」
「それは別にいいけどぉ。助かるかどうかは見てみないと分からないわよ?」
「なら、直ぐに見てくれ! 俺は治せるかどうかを聞いているんじゃない。治してくれと頼んでいるんだ!」
「……はいはい」
白い髪の少女とゲオルグに向けて慌ただしく指示を出したあとに自らの前に進み出てきたライデンに、アルドは鼻をひとつ鳴らす。
「遅かったな」
「そちらに関してはすまないという言葉しか出ない。それでも一応聞くけど……」
ライデンはそんなアルドの言葉に軽く頭を下げると、直ぐに白い髪の少女が魔術を行使し始めた黒髪の女性へと目を向ける。
「今回の失態の原因は俺の遅参かね?」
「我を愚弄する気か? ライデン。此度の事、全て我が力が至らなかったからに他ならない。いくら女とはいえ、この私が依頼人が命を落とすような行為を故意にするとでも?」
「……そうだな。すまん」
それでお互いの情報の共有は終わったのか、まるで揃えたかのように視線を逸らした2人の先にいるのは、先程までの苦しそうな表情から、少しずつ生気を取り戻しているアリシアの姿だった。
「それにしても」
その様子をみながら、唐突に切り出したライデンの言葉に、僅かに視線のみを向けるアルド。
「よくあのタイミングで【女神の祝福】をつかったな」
ライデンの言うあのタイミングとは、ライデンが部屋に飛び込んできたタイミングで、全てのスキルを封じているはずのこの部屋で、どうしてスキルによる迎撃を試みたのか。という意味であることはアルドとしても分かっていたので、考える素振りもなく即答する。
「別に難しいことではない。この部屋の深淵に落ちていたはずの貴様がいて、その傍には白い髪の女神様がいらっしゃった。スキルしか能がない貴様が、スキルの使用できない部屋に足を踏み入れることを、あの女神様が許容するはずもなかろう?」
「だから我は迷わず【女神の祝福】を使ったのだ」と続けたアルドの言葉に納得したのか、ライデンは今度はべオルグに抱き抱えられてぐったりしているレイラへと視線を向ける。
「レイラは立ち直れるだろうか」
「知るか」
僅かに同情を含んだライデンの言葉に、今度はアルドは不快そうに一言で切って捨てる。
「あの女は女神と我々からガイヤを奪った。たとえそれがガイヤの望みだったとしても、こうなる事くらい……その程度の情報を集める立場と力くらい持っていたはずだ。それを怠った時点で情などわかぬ」
心底不快だとでも言うように言い放ったアルドだったが、その矛先はレイラだけではなかったようで、直ぐに漸く薄らと目を開け始めたアリシアの方にも視線を向ける。
「あの女とて同様だ。“女の幸せ”だかなんだか知らないが、そんなものが自らの命を散らす理由になどなるものか。現に見ろ。神が宿った男を殺す事で、我らとは違う形ではあるものの、あの女の魂の深い部分で女神の種は植えつけられた。これは死ぬまで消えぬ呪いとして発動する。男と契を結ぶ事で死ぬ呪いだ」
そこまで言い切った後、アルドはほんの一瞬だけ視線を落とす。その表情からライデンは僅かばかりの同情のような雰囲気を察したが、あえて口にはしなかった。
「──馬鹿な女だ。詰まらぬ私情に囚われたが為に、我らと同じ場所まで転がり落ちた。今後あの女が救われるには死ぬしかない。最も、こいつはあの女の勝手であるし、いちいちそれを止める事はない」
アリシアに対してある意味では冷徹な言葉を発していたアルドだったが、そこまで口にした所で口角を上げると、ライデンに顔を向けて詰まる所の結論を述べる。
「だが、我々に報酬を払うまでは死ぬ事など許さんが……な」
「それは……まあ……概ねは同意するかな」
ライデンの方としてもあの時アリシアを助けるようアルドに声をかけたのは、これだけ苦労をしたのに無報酬では困るから……という身も蓋もない理由だったものだから、それに関しては特に文句もあるはずもない。
だが、その言葉に異を唱えたいものは他にいたようで、2人の傍にフラフラとした足取りで近づいて来るところだった。
「……ちなみに、その報酬の受け取りには私も入っているんでしょうね……?」
足取りがおぼつかないのは、追先ほどまで自力で女神を顕現させていたからだろう。
まさに疲労困憊という有様のセリアに対して、アルドはいかにも詰まらない事を聞いたとばかりに鼻を鳴らす。
「ふん。何を言い出すかと思えば………貴様はれっきとした依頼を出した側の人間であろうが。つまり、貴様は報酬をもらうどころか我々に渡す義務があるのだ。それでもどうしても報酬が欲しいというのなら、今すぐ女神様と交代しろ。そうすれば考えてやらんこともないぞ」
「あ、あんたねぇ…………っ!」
アルドの言葉にセリアは額に青筋を立てて怒りを表すが、既に手に力が入らなくなっているのか、アルドに伸ばされる手はフラフラと左右に揺れていた。
「今回の情報をリークしたのが誰だと思ってんの!? 私があの2人の事をあんたに話してなかったら、ここまで上手くいかなかったでしょうが!?」
そんなセリアの手を振り払い、バランスを崩したセリアの胸元を掴むと、こちらも額に青筋を立てたアルドがまくし立てる。
「……上手くいった? 何を見てそのような事をのたまっているのかこの女は? 今回の件。辛うじて報酬を脅し取る条件には持っていけたが、内容的には完全な失敗であろうが……っ! それとも、この失態も一緒に受け取ってもらえるのか? それが望みならいくらでも擦り付けてやろうではないか。たっっぷりとナビってな!!」
「ナビって!? あんた言うに事欠いて……こっちが誰の為にリスクを冒してあんな奴を呼んだと思ってんの!? あんたが呼べばホイホイ現れるくせに、こっちが呼んでも無視を決め込む陰険女神!! スキルが封じられてあんたが呼べないから、私が殆どの魔力をひねり出して引き釣り出した報酬がこれ!?」
「陰険女神!? 貴様言うに事欠いて……ああそうか。貴様はあの麗しき女神様に嫉妬しているのだな? 何しろ、顔は同じであるはずなのに、こうも容姿が違って見えればな!! これはあれだな? 心の卑しさって奴がその顔に表れてしまっているのではないか? これからは女神さまを見習って、少しは人を慈しむ心ってやつを鍛えたほうがいいのではないか? ああ、無理か。お前は生まれながらのゴリラであったな」
ライデンからすればとてつもなくどうでもいい内容だったのだが、当の当事者からすれば看過できない内容であったらしく、二人共青筋を立てたまま唇が衝突しそうな距離で対峙したまま、凄惨な笑顔を浮かべていた。ただ、その目は全く笑っていなかったが。
「コロス!」
「殺す!」
やがて当然のように起こる大爆発。
それはまるでこの依頼をフラワーガーデンが持ってきた晩の再現であったが、あの時と違うのはあの時止めに回っていたライデンが二人を無視してアリシアの元に移動していた事だろう。
そんなライデンの様子を見て不思議に思ったのか、アリシアの治療が終わったらしく、床にペタンと座っていた白い髪の少女が金色の目をパチパチとさせながらライデンに向かって問いかける。
「どうしたの?」
「いや、もう勝手にすればって心境かな」
「? ふーん? まあ、それはどうでもいーけど、お望みの仕事はこなしたわよ?」
いいながら、はいっとばかりに手のひらを向けた先にいたアリシアは、かなり生気が削がれた顔色をしていたものの、ライデンの視線を受けて僅かに笑ってみせるくらいの意地は見せたようだった。
「自業自得……とでも思っているのかしら? それとも、助けてやったのだからカネをよこせ……かしら? 少なくとも、あまり良い感情は持っていないでしょう?」
「そりゃ、まあ……ねえ……」
右手の人差し指で頬を掻きながらやや言い難そうに答えたライデンだったが、そんなライデンの目の前で立ち上がって両手を広げている白い髪の少女の姿を見初めて、その行為を一時中断する。
「……何だよ?」
「ん? いや、望みを叶えてあげたんだからご褒美欲しいなって」
訝しげなライデンとは対照的に満面の笑顔を見せる白い髪の少女に対して、ライデンはひとつ溜息を付いて諦める。
「今はよせ。人の見てないところでならいくらでもしてやる」
「言質とったからね?」
ライデンの言葉に思いのほか簡単に引き下がった白い髪の少女の行為に心の中でだけホッと息を吐いたライデンだったが、その二人のやり取りを見ていたアリシアの目にはもっと別の何かに見えたらしい。
「ナターシャ……? いえ……彼女にしては余りにも……そういえば、さっき治療してくれていた時の目の色は──」
「はい。ストップ」
そして、自らの思考にこもるようにブツブツと何かを口ずさんだアリシアの声を消したのはライデンの一言だった。
「その辺の事に関しては、こちらが君の秘密を黙っているっていう条件で黙っていて欲しいんだよね。ついでに、後ろでじゃれあっている2人に関しても」
ライデンが親指で差した先にいたのは、お互い素手で殴り合っている醜いひと組の男女の姿であったが、それはこの様な状況でなければ、今までも何度か見られていた光景であった。
だからこそ、目の前の男が行っている秘密とは、先ほど間の異常事態のことなのだろうと、アリシアは直ぐに理解した。
「……今回の報酬に関しては、それで相殺……という事でいいのかしら」
アリシアの問いにライデンは首を振る。
「そうしたいのは山々だけど……それは君がアルドを説得できたら。という条件がつくな。最も、こちらは死にゆく君を助けずに口を封じるという選択肢だってあったんだ。それを考えた上で答えて貰いたいところではあるね」
「いいわ。貴方達の事は黙っているし、報酬も約束通り払いましょう」
存外あっさりとした返答に、しかし、ライデンは以外でもなんでもないというように笑顔で告げる。
「随分と潔いね。たとえ今回の件が不問になったとしても、君がガイヤを殺したことにはかわりないんだ。そっちに関しては相応のバツがあると思うよ?」
「わかってる。そっちに関しては私は逃げるつもりはありません。……どうせ、本来は“殺される”予定だったのだもの」
今は意識を失ってしまったのか、ゲオルグに担がれたままのレイラの背中に視線を送るアリシアに、ライデンは呆れたように首を振る。
「……なんというか……俺には君の考えは理解できそうにない」
「理解してくれなくて結構よ。最初から私の復讐と、あの子を助ける為にはこの方法しかなかったのだもの。【女神の嫉妬】という名の呪い。その元凶たる存在をこの身に封じる事が出来たのだもの。……私は自分の行動に対して絶対に後悔なんかしない」
もうこれ以上は話にならないと判断したのか、ライデンは無言で立ち上がると、アリシアの言葉に不満でもあるのか、口を尖らせている白い髪の少女の頭を撫でると、その場を離れるために振り返る。
「……自らの子を抱く幸せを捨ててまで、力を求める貴方たちの考えの方が、私は理解できないわ……」
だから、背後から聞こえたそんな呟きをそっと流して、更にその発言に気を悪くしたらしい白い髪の少女の手を強引にとって遺跡の出口に向かって歩きだした。
頭の片隅では、どうやって暴れている二人を止めてやろうかと考えながら。




