第十二話 復讐は復讐を呼んで
それはアルドの言葉が終わるかどうかのタイミング。
それこそ、彼が口にした言葉の意味を聞き取り、脳がその意味を判断する事ができる時間さえ与えられぬまま、唐突に起こったと言ってよかった。
「…………っ!!」
それは例えるならば毒の霧。
魔獣が闊歩する前人未到の密林にでも迷い込んでしまったかのような、そんな濃密な純粋な“悪意”。
さほど広いわけでもないこの最奥の間において、唐突に充満したそれは、ある一人の魔術師を中心として広がっているものだった。
「フン……。ようやく尻尾を出したか。女狐が」
呆れたように声を上げたのは黒髪の冒険者アルドだ。
相変わらずのふてぶてしい態度で腕を組み、部屋の中心で悪意を振りまいている闇の魔術師──アリシアを見つめている。
そのすぐ傍で佇んでいるのは赤毛の女。
ただ、その立ち居振る舞いは、この遺跡に来てから大人しかった雰囲気が一変し、その紅い瞳に侮蔑を込めて黒衣の魔術師に向けているように見えた。
(……待て。紅い瞳……だと?)
アリシアを挟んでアルド達とは丁度対面に位置する場所で、剣の柄に手をかけたままレイラは己の目を疑うかのようにもう一度パーティーメンバーの一人である赤毛の女の顔を見る。
(セリアの目の色は確かブラウンではなかったか? それに、何故か自然発光しているかのようにも見える。まるで……そう、まるで、噂に聞く【魔眼】だとでも言うように……)
そこまで考えて、レイラはふと思い出す。
それは、先日【女神の祝福】に今回の仕事を依頼しに行った時に語られたライデンの言葉と合わせて。
あの時は絶えず発生する腕の痛みからよく聞いていなかったが、今思えば、あの時ライデンが語った女神像は時折冒険者の間で噂されるある存在の特徴と酷似していた。
(…………終末の魔人…………)
それは余りにも突拍子もない話であり、依頼を失敗した冒険者が冗談で言い訳に使うような信憑性に乏しい存在。
当然、そんなものを信じている冒険者など殆どいなかったが、遺跡から発見される過去の資料から度々散見される言葉ではあった。あったのだが──
(……馬鹿馬鹿しい)
自身の考えをレイラは頭を振って否定する。
どうやら、そのようなおとぎ話を持ち出すほどに自分自身よほど混乱しているのだろう……と。
しかし、一度気になってしまうとどうしても目がいってしまうのも人間の性というもので、レイラは再びセリアの瞳に目を向け────
「……ふふ。ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
──ようとして、不気味な。余りにも不気味な笑みを零す発生源へと自然と視線が移ってしまった。
そこにいたのはレイラの仲間であり、友人であり、姉妹のように育った幼なじみであるはずだった。
いつもの見慣れた黒いローブに身を包み、黒髪紅目の闇の魔術師──
「──待て。アリシアの目の色は黒だった筈。それがどうして──」
「あははははっははははっははっ!」
レイラの疑問が紡ぎ終わる前に黒髪の魔術師の笑い声が最奥の間に響き渡る。
その度に空気が振動し、まるでその笑い声そのものが魔術であるかのようだった。
「おかしいなあ! 不思議だなあ! どうして、ガイヤの友達であるアンタが私の邪魔をするのかなあ!? あんたをこの場に呼んだのは、これからここで始まる公演を見てもらう為だってのに!」
余りにも普段と違う子供じみたアリシアの言動に目を見開いて驚いたレイラだったが、話を振られたアルドは特に何の感慨も浮かばなかったらしい。
先ほどとは表情も視線も変えずに特に興味もなさそうに聞き返す。
「ほう。公演とな。ちなみに、内容を聞いても構わないか?」
「復讐劇さぁ!」
言ってアリシアはぐるりと体を反転させて、レイラとその目を交差させる。
ぎょろりと向けられた紅い瞳にレイラは思わず後ずさり、柄にかけていた手の力が自然と強くなったのを感じた。
「こいつは私からガイヤを奪った! だから、私はこいつの全てを奪うのさっ! その為の舞台だ! どうだ! ワクワクするだろう!?」
レイラに指を突きつけながら芝居がかった仕草で告げるアリシアの言葉に頷きながらも、未だ懐疑的な眼差しを向け、アルドはゆっくり自分の顎先を撫で付ける。
「成る程。お前が仮に────そう、仮にエリスだというのなら、その行動は納得できなくもない。だが、どうにも理不尽な……そう、実に不可解な疑問も残る」
「疑問!? 何だそれはぁ!?」
「何。大したことではない。本来女神は寄り代である男との契約が破棄された場合、元の物言わぬ意識体に戻るはずだ。その際に、自分の“愛する男の魂を”持ち帰ってしまう困った性格の女神もいると聞くが、そうした場合も例外なく意識体に戻るはずなのだよ。しかし、君は今、現にこうしてその魔術師の女の体に入り込み、自我を得ているようだ。ちなみに、その現象が起こるシチュエーションというのはある条件を満たさなければならない。それ以外の方法はない。それは、【女神の祝福】を受けた男が殺された時、最も近くにいた女に宿るという現象だ」
アルドの言葉に最も早く反応したのは黒髪の魔術師ではなく、銀髪の騎士レイラだった。
まるでそんな話は初めて聞いたとばかりに右足をふらりと一歩踏み出して、右手を頼りなく前方に伸ばしながら。
「ちょ、ちょっと待ってくれ……こ、殺された? いま、ガイヤが殺されたと言ったか君は? はは……そんな、そんなはずはない。アリシアが、アリシアが言ったのだ。今は女神の呪いで眠っているが、女神を倒せば元に戻ると──」
「先程も言ったが、この現象に例外は無い。女神が生身の肉体を得る条件は、女神が宿った男を殺す事。言い換えれば、女が女神の力を手に入れるにはこの方法しかない。だからこそ、不思議なのだ。一見利害の一致するはずのないこの状況で、何故──」
アルドが疑問を言い切るよりも早く。まるでその先を言わさないとでも言うように、部屋に充満した毒──悪意が渦を巻き、刹那の速さでアルドに迫る。
アルドは動かない。
しかし、人を死に至らしめる程のその悪意も、アルドに届く前に紅い旋風により散らされた。
「──何故、本当の仇であるはずの──ガイヤを殺害した実行犯であろうその女の望みを聞いて、貴様が我を死に至らしめようとしている理由が……な」
「……ヒヒ……」
いつの間に割入ったのか、両手に漆黒の鎖を現出させて踏み込んできたアリシア──いや、エリスとアルドの間にいたのは赤毛の女だった。
両手を広げ、赤いシールドのような魔術を展開し、アルドを守っているように見えた。
鎖と盾。
それほど長い時間では無かったが、拮抗していたそれがお互い崩せないと判断したのか、どちらかともなく術を解除すると、一歩引く。
エリスは元いた部屋の中央に、セリアはアルドの隣へと。
「……あまり危険な真似はしないで頂けないですかねぇ。どうにも心臓によろしくない」
「あら。それはこちらの台詞ですよ? アルド。スキルの発動できないこの部屋で、女神を挑発するなど自死に等しい」
「そのご心配もご忠告も非常に感激極まりないのですがね。貴女の宿っているその女の体は驚くべき程にひ弱なのです。その美しいお顔に傷でも付いたら、私は生涯後悔の念に苛まれるでしょう。それより──」
拗ねたようにアルドの前に進み出ようとしていたセリアをやんわりと背中に隠し、アルドはエリスに向かって歩を進める。
そんなアルドに対して一瞬右手を握って鎖を動かそうとしたエリスだったが、直ぐに開き直ったような笑みを浮かべ、アルドが歩みを止めるに任せた。
「──自信がなければやりません。確かにこの部屋ではスキルは扱えませんが、【女神の祝福】により変化した体質までは戻らない。身体能力が向上し、術もスキルも効かないこの俺に生身で勝つつもりなら止めませんがね」
アルドの言葉に頬を引きつらせたエリスだったが、その言葉でこの部屋で起こっていた不可解な現象にようやく納得いったらしい。
まとっていた“毒”を霧散させると、両手を上げて降参のポーズを取った。
「こいつは参った。計算外。どうにも色々知っていておかしいと思ってたけど、既に“転生”の経験者だったかぁ! 術が効かないって言うんじゃこの私も、当然この女もかなわないねぇ」
敵意を消して、おどけたように振舞うエリスだったが、アルドの警戒の目は変わらない。
その態度にエリスはヤレヤレといった態度で両手を下げると、バツの悪そうに話しだした。
「……あー、お前を殺そうとした理由だっけかぁ? たしかにまあ、私の目的とは違うんだけど、こいつはいわゆる契約みたいなもんでねぇ……」
「契約だと?」
「ああ」
アルドの言葉にエリスは頷く。
「確かにこの女はガイヤを殺した。でも、どうせ私は消える前に私を裏切ったガイヤの魂を持って、一緒にイクつもりだったからねぇ。銀髪の女と別れて、ガイヤが一人になった時に心中するつもりだったのさぁ。そしたら、私達の前にこの女が現れて誘ってきたのさ。『どうせ死ぬなら、その手で復讐をしてからにしたらどうか』ってねぇ」
「……復讐……」
エリスの告白に呟きを返したのはレイラだった。
視線を落とし、呆然としたまま生気のない声で発した姿は痛々しいが、その瞳を除くことは出来ない。
「でも、復讐するには体がいるし。その時にこの女が提案してきたのが、お互いの復讐代行だーね。この女はあんたに。私は銀髪の女に復讐を果たしてお互いハッピー。……聞いた時は『それだッ!』って思ったんだけどなぁ……」
「相手がとんでもない化け物だった」と溜息をついたエリスだったが、アルドには自分がアリシアに恨まれる理由がわからない。
その旨を告げると、エリスは実に軽く、あっけらかんと理由を告げた。
「あんた、何年か前にこの女の背中を切りつけたんだろぉ? それもでっかいバッテン印をさぁ……。それ以来、この女は人前では裸になれなくなっちまったらしいよぉ? 流石にちょっとは同情したねぇ。この女、『もう一生結婚できない。子供も抱けない』って泣いてるしぃ」
「……まさか。そんな理由でか?」
「そんな理由ぅ?」
アルドの言葉にエリスは眉寄せて不機嫌そうにアルドを見る。
流石に攻撃の意思は見せなかったが、場合によっては再び戦闘が始まってもおかしくなかっただろう。
「あんたさぁ……それ本気で言ってるぅ? …………言ってるね。目がマジだ。じゃあ、後ろの女神ぃ。あんたも本当にそう思うぅ? もしも一生消えない傷がついて、その男に捨てられたらって考えてみなよぉ。自分を傷つけた相手に対して、あんただったらどうするのぉ?」
「殺しますね」
「だろぉ?」
なんの躊躇いなく答えた自らの女神に対して、一瞬ギョッとした表情で振り返ったアルドだったが、直ぐにアルドに対して「何か?」と、首をかしげてニッコリと微笑むセリアの笑顔に戦慄したのか、直ぐにエリスに視線を戻した。
最も、その視線からは既に敵意が抜け落ちており、エリスはようやく会話になるとばかりに頷いた。
「まあ、そんな事があってねぇ……。どうせ私はガイヤを呪い殺すつもりだったし、この女にひと思いに殺してもらって、この体を貸してもらったってわけ。でもってぇ、お互い復讐が終わったら、私は消えるつもりだった。この女がどうするかは聞かなかったけどぉ……。多分──」
んーっと考えながら話していたエリスだったが、唐突にその言葉を止めた事で周囲に沈黙が訪れる。
初めに動いたのはエリスだった。
一瞬きょとんとした表情をした後に、ゆっくりと視線を胸元に落とす。
それにつられるようにアルドとセリアの視線もエリスと同じ場所へと注がれる。
その場所には、ヌルりとした赤い液体がまとわりついた銀の刃が突き出していた。
「…………お前が…………お前がガイアを殺したのか…………っ!」
そして引き抜かれる白刃。
同時に胸から夥しい量の血液が吹き出し、真紅に染まっていたエリスの瞳が黒く染まる。
「あ……え……?」
それはさながらスローモーションのようで。
血を流しながら膝を落とすアリシアの背後で、長剣を振りかざすのは、銀髪を振り乱した復讐に駆られた女騎士。
「お前がガイヤおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
誰もが動けず、レイラのみが動くことを許された空間とかした最奥の間において────
「────レイラを止めろっ! アルドッ!!」
────止められた時を再び動かしたのは、【不動】の二つ名をもつ冒険者だった。




