第十一話 黒き刃と金色の狼
女神など力を得る為に利用しているだけに過ぎない。
ただ、己が無能という理由だけで凄惨な人生を歩んできたアルドの女神に対しての見解などそんなものだった。
その考え方に変化が訪れたのは、ある意味では全てが終わった後だった。
人間……特に女性に対して強い怨嗟の念を持つ歪んだ大人に成長したアルドを、【女神の祝福】を手に入れてからの行動から呼ぶとしたら、狂人以外の何者でもなかっただろう。
これまで仕事で人を殺めてきた事は数あれど、趣味で人を殺した事はない。
だが、それは別に罪もない女達を殺すことに躊躇ったわけでも、アルド自身に良心というものが残っていたのかと言われれば、決してそうでなく、ただただ、四肢や顔をを傷つけられ、醜くなった己の姿を世間に晒しながら、苦しむ女達の未来を想像する事こそが、その時のアルドにとっての生き甲斐だったのである。
それ程までに、アルドは多数の女性を切り刻み、愉悦に浸っていた。
それは、アルドが力を手に入れるまでの間に屈辱を受けてきた相手が女性ばかりだった事が挙げられるが、それよりも、最初に自分を殺そうとしてきた相手が自らの母親だった事が最も大きな理由だろう。
『ならば、奴らにも同じような屈辱を味あわせてやればいい』
それが当時のアルドの持論であり、何よりも揺るぎない正義だった。
だからこそ、アルドは“切り裂き魔”と呼ばれる自分の行いに疑問を持ったことなどなかったし、それについてとやかく言われる事など無いと考えていたのだ。
────そう、全てが終わり、全てが始まったあの時までは。
その日は強い雨が降っていた。
最も、天候というものに大きな意味を見出していなかったアルドにとって、それはどうでもいい外因的情報に過ぎず、いつもと変わらず決して足のつくはずのない【愛刀】を持って雨の街を歩いていた。
“獲物”が飛び出してきたのはそんな時だった。
白いローブを纏った小さな子供。
初めは子供という事で見逃そうとも考えていたアルドだったが、その考えは次に飛び出して来た一人の男の登場によって考えを変える事となる。
──ハッキリとした理由はわからないが、【女神の祝福】を受けた者は、同じように【女神の祝福】を受けた者の存在を、なんとなくだが見分ける事が出来るようだ。
これまで自分以外の同士を見た事が無かったアルドだったが、後から少女を追いかけてきた男が自分の同士だという事を本能的に悟り、興味を持って近づいたのだ。
だが、そんなアルドの目の前で行われたのは、男の伸ばした手を振り払う白い少女の姿だった。
たかが女ごときが、女神に祝福された同士を無碍に扱ったのだ。
アルドにとって、自らの愛刀を振るうに十分すぎる理由だった。
しかしながら、アルドにとってはその行動こそが自らの全てを終わらせる行動となり、また、全ての始まりを告げる出来事でもあったと言える。
獲物は決して殺さないという無意識の制約を初めて破ったのが間違いだったのかもしれない。
その時アルドは文字通り一度死に…………あの時白い少女を追いかけてきた男と同じように、アルドを追いかけてきていたが為に惨劇に巻き込まれてしまった、アルドを「兄」と呼ぶ一人の女に乗り移った女神様に救われる事となる。
その日からアルドは生まれ変わった。
自らの過去の過ちを抱えたまま、それでも、心に決めた目的を果たす為に。
その目的は、女神様の宿った赤い髪の少女を脅かす驚異の排除。
それこそが、【無刀剣士】アルドの生きる目的となったのである。
◇◇◇
忘れられた時代の残香が残る遺跡の通路に幾度も響く衝突音。
魔術で引き起こした爆発でも、自然災害の際に発生する崩落音でもなく、ただ純粋に強度の高い二つの原子が正面からぶつかり合うだけの原始的な打撃音。
方や金属の塊である魔導人形。
方や欠片も魔力を感じさせる事なく拳を振るう金毛の狼。
金狼の背後には青い扉。
しかし、金狼は扉に迫る魔導人形よりもふた回りは小さな体であるにもかかわず、振り下ろされた金属の腕を掻い潜り、自らの拳をその身に叩きつけて後退させる事を何度も繰り返していた。
(とはいえ、このままじゃあ……)
もはや何度目とも取れぬやり取りの合間に一息れた後、金色の狼──ゲオルグは僅かに嘆息する。
ゲオルグに内在魔力は存在しない。
この世界に存在する殆どの人間は生まれながらに魔力を持っているのが常識であるが、ゲオルグのように魔力を持たずに生まれる者も少ないながらも存在する。
そして、魔力を持たずに生まれた人間はほぼ例外なく魔力的、身体的に劣り、周りの人々から蔑まれる人生を送る事が殆どだ。
その為、永い人間の歴史の中で、ゲオルグのような人間ばかりが【女神の祝福】を求めた事は自然な流れと言えただろう。
ゲオルグだけではない。
アルドも……そしてガイヤも同じ境遇だった。
ライデンはそんな事はなかったようだが、人よりも内在魔力が少なかったという事では同類だった。
虐げられた人生を逆転させる為に、無力な男達は女神達の“愛”を求め────消えていった。
ある者は地位と力を手に入れた事で女神を裏切り。
ある者は完全に女神に魅入られた事で自我を失い。
ある者は天寿を全うしつつも次代に種を残せず終を迎えた。
(……今回の事も……結局はそういうことなんだろうね)
殴られた衝撃から立ち直り、再び迫り来る金属の塊に意識を向けながらゲオルグは思う。
地位と力を得た事で女神と決別する事を選んだ嘗てのパーティーメンバーのガイヤ。
彼がパーティーを抜け、ゲオルグ達がこの場所に来るまでの期間、ゲオルグは疎か、仲間の誰も彼を目にしたものは居なかった。
ガイヤの婚約者は現れた。
ガイヤと一線を超えた事で【女神の嫉妬】を受けた事は理解した。
しかし、しかしだ────
────なら、当のガイヤはどうなったのだ?
ダレもその事を口にしない。
ダレもその事を不思議に思わない。
そして、それはゲオルグ自身もだ。
それはきっと誰もが想像しうる結果だったから。
ゲオルグがアルド達のパーティーに入ったのは一年半ほど前からだが、その間にパーティーを抜けたのは何もガイヤだけではない。
ガイヤの他にも二人ほどの離脱者を見てきたが、結末はどれも一緒だった。
ゲオルグよりも付き合いの長いアルドとライデンの二人はそれよりももっと多くの別れを経験してきた事だろう。
それでも、二人は離脱者に対する愚痴は零しても、その後に関しては口にする事は殆ど無かった。
もちろん、その“結末”に至るまでは離脱者に対して考え直すように説得はし続けていた。
今回のガイヤに関してもそう。
アルドがアレほどまでに酒場で荒れていたのも、一線を越えるまではガイヤを救う道があると知っていたからだ。
同士を助ける事ができると信じていたからだ。
それが、今回ガイヤの婚約者が現れ、【女神の嫉妬】が発動したことを知るやいなや、二人の目からパタリとガイヤに関する関心が失せた。
それはきっと、全てが手遅れになってしまったと二人が気がついてしまったという事。
「…………最も、それは僕も大概だけど…………ねっ!!」
遺跡を揺るがす打撃音。
全力を込めたゲオルグのカウンターは、魔導人形と自身の距離を再び稼ぐ。
しかし、徐々に縮まるその距離に、縮まった分だけ下がった己の踵が青い扉に触れた所で苦笑する。
たかが金属の塊如きに己の力が──愛が通用しないとは思っていない。
しかし、決定打に欠けるのは確かだった。
「……ライデンが敵の動きを止めて、僕が削り、アルドが止めを差す。三人揃えばどんな相手にだって負ける気になんかならなかった」
踵をしっかりと後ろの扉に固定させ、これ以上は絶対に下がらないと己に言い聞かせながらゲオルグは魔導人形に対峙する。
「──でもそれが、ガイヤにとってはパーティーの中で孤独を感じる要素だったのかもしれない」
【女神の祝福】を受けた者は世に虐げられ、孤独に生きてきた者ががおおい。
ガイヤもだ。
そんな彼が、初めて見つけた自分の居場所。
しかし、その居場所は既に自分など必要ない程に完成された集団だった──
──と、思っていたのだろうと考えて、ゲオルグは僅かに舌なめずりをしながら自嘲する。
「馬鹿だねえ……」
魔導人形が迫り、拳を叩きつける。
が、今度は押し返せないと悟り、右拳を捻り込みながら左の掌底を打ち付け、今度は体ごと肩から金属の胴体に突っ込んだ。
そこまでしてようやく止まった金属の塊をやっと押さえ込んだ自分に対してゲオルグは嘲笑する。
「“僕でさえ”この程度の相手にすら削ることしか出来ない雑魚なんだよ? そうだろう? ねえ──」
拮抗する二つの物体。
全く同等の力比べに、他に見る人がいたならば、体力という概念のない魔導人形が有利だと結論したであろうその状態に、当の本人であるゲオルグは笑い、扉に押し付けていた踵を軸に思い切り前進し、ほんの僅か──それこそ、拳一つ分ほどの隙間の分だけ押し返し、笑うのだ。
「──僕が知る最も強い“重力使い”。【不動】のライデン?」
ゲオルグが扉から離れたその刹那。
青い扉に奔ったのは幾重もの黒き線。
やがて扉は光を失い、黒線に形にバラバラと崩れいく嘗ての扉をくぐり抜けたのは巨大な黒き刃を手にした一人の男。
向かう先は仲間の再会の邪魔をする、無粋な魔力の金属塊。
「──神技──」
男は踏み出す。
魔導人形は標的を黒き刃を持つ男に変更しようとして──いつの間にか地面に縫い付けられたようにピクリとも動かない両足により、その意思は問答無用で無視される。
「──グラビティブレード!!」
声と共に振り抜かれた黒線は。
巨大な金属の塊のみならず、遺跡の通路まっすぐ一閃、それこそ金属の塊が眠っていたであろう通路の奥まで到達する。
「…………馬鹿」
声を発したのは嘗て扉があった場所に呆れた表情で立っていた白いローブを着た少女だった。
胸元は真っ赤に染まっていたが、特に気にした風もなくただ、困ったような表情を浮かべていた。
そんな少女の呟きに連動してかどうかは知らないが。
古代の遺跡の地下において、盛大な崩落音が鳴り響いた。




