第十話 くそったれの女神
動き出しはどちらが先か──
よもや、そんな事を考える事さえ無駄だとでも言うように、最奥の間を縦横無尽に駆け巡るのは漆黒の魔弾。
それを器用に躱しながら、黒髪の冒険者──アルドは笑顔を顔に貼り付けたまま、ジワジワと魔弾を放っている張本人であるアリシアへと近づいていく。
「ようやく正体を現したか……と、言いたい所だが、未だ元凶は表に出ず……か。よもや、恥ずかしがり屋などという事もあるまい?」
「うるさい!」
トンっと軽く飛びながら魔弾の間をすり抜けながら放ったアルドの蹴りを魔術の盾で防いたアリシアだったが、軽く見えた蹴りが思いのほか重かったようで後方によろけながらも弾幕を張り直す。
だが、そんな事はお見通しだったのか、アルドは軽い調子で後方に下がると、再び拳闘士のような構えで挑発する。
「どうした? その程度の魔術でこの俺に勝てると本気で思っているのなら、随分とめでたい頭をしていると言わざるを得ない。それとも、全力を出してその程度かね?」
「うるさいと言った!!」
アルドの挑発そのものを振り払うようにアリシアは怒鳴り返しながら手にしていた杖を足元に投げ捨てる。そして、両の手を広げて掌を上に向けながら魔力を込めると、そのまま二つの掌を頭上で叩きつけるように一つに束ねた。
「腐れた女神の力を借りなければ何も出来ない屑の癖に。それも、その力さえ使うことの出来ない今の貴方如きにそんな事──」
やがてアリシアの両手に集まり、闇の属性を凝縮された破壊の塊は、合わされていた両手をこじ開けゆっくりと中空に浮かび上がる。
アリシアの両手で掴まれているかの如く出現したその黒き球体は、人の頭二つ分ほどの大きさにまで成長し、やがて黒い紫電を放ち始めた。
「──言われたくないのよー!!」
詠唱も何もなく、ただ、全力で振り下ろされた両腕から飛び出したのは『カオスバースト』と呼ばれる超級魔術。
触れたが最後、周囲に分裂しながら広範囲を破壊し尽くすその魔術の塊を、漆黒の戦士アルドは軽い動作で──それこそ、目の前を飛び回っている小虫を振り払うかのように魔術の塊を下から右手の甲で振り払った。
「………………え………………?」
これには流石にアリシアばかりか、彼女の後ろで今の状況に戸惑っていたレイラにとっても想定外の出来事だったらしい。
アルドとセリアの頭上を越えて、2人の後方に展開されていた魔術の結界に触れて爆散している魔術をポカンとした表情で眺めながら、間抜けな声をハモらせた。
「──この程度か?」
そんな2人に挑発するでもなく、それこそ世間話でもするかのような気軽さでアルドは前方に言葉を投げかける。
「こちらを侮っているわけでもなく、油断しているわけでも手を抜いているわけでも何事かを企んでいるわけでもなくこの程度の力しか出せないのであれば、嘘偽りなく本当に未だ隠れているというわけなのかね? もしもそうなら、そろそろ様子見はやめて出てきたらどうなのだ? でないと、その娘は本当に死んでしまうよ? なあ──」
そして、無造作に振り払っていたままになっていた右手をゆっくりとアリシアの方に伸ばし、上に向けられていた掌を自らの方にクイッと向けて、ようやく挑発らしい態度を取りながらアルドは断言する。
「──嘗てガイヤを守っていた守護女神──エリスよ」
◇◇◇
「聞こえているか? ────くそったれの女神」
少女の手を握ったまま、真っ赤な血で顔を汚したライデンが視線を落として独り言のように告げる。
「声も出せず、姿を形作ることも出来ず、その存在そのものがかき消される寸前だったとしても、お前には聞こえているはずだ。何故なら、この場所は女神を苦しめ殺すための場所。太古の人間が女神憎しと全てを注ぎ込んだ場所であるだろうから」
もはやライデンにも多少なりとも分かり始めていた。
嘗て世界を創造し、大地を分け隔てなく見守り続けていた女神達。
そんな彼女達が、いつしか人間の男のみに力を授け、人々からの信仰を失っていった原因を。
それは恐らく戦いの歴史。
ここは、人と神の壮絶な戦いの末に生まれた世界。
その戦いの勝者がどちらであったのか。それはわからないし、今更ライデンには興味もない。
ただ、その時に女神が人類に対して大きな【呪い】をかけた事だけはわかる。
それは、女神の加護を捨てて生きていくか。
もしくは、繁殖する事を止め、女神の加護の元、滅びの道を歩んでいくか。
それは馬鹿でもわかる選択肢。
好き好んで滅びの道を歩く生物などいるだろうか。
ならばこそ、人類が女神の加護を捨てて生活をする事になったのは実に自然な事であったはず。
それで文明レベルは落ちてしまうだろうが、女神がいなくても人々は十分に生きていく事が出来たのだから。
──だからこそ、それでも尚女神を求めてくる数少ない人達を、女神達は全力で愛したのだろう。
それがただ単に力に惹きつけられただけだったとしても。
内心拒絶されていたとしても。
生物としての死を選び、女神を選んだ男たちを。
だからこそ、女神は裏切りを絶対に許さない。
だからこそ、女神は約束を絶対に違えない。
「俺は死ぬわけにはいかない」
背後のドアの向こうで繰り広げられる激しい衝突音を聞きながら、ライデンは握った右手に力を込めて。
「そして、この子を死なせるわけにはいかない」
既に虚ろになっている少女の両目に合わせるように互いの額を静かに合わせ。
「俺はあの日からお前をずっと拒絶してきた。しかし、その度にお前は口にしてきたな? 『ライデンがその気になったなら、いつどんな時でも、どんな場所にいても必ず祝福を与えてあげる』と……」
視線の先にあるのは生気を失った青い瞳。
小さな頃、何度この瞳に慰められたろう。
何度この瞳に癒されただろう。
ライデンにとって、この青い瞳は決して失うわけにはいかない大切な宝物。
しかし、今ライデンが望んでいるのは目の前に映る青い瞳では無かった。
「お前の我が儘聞いてやる」
例えそれがこの青い瞳の少女に対する裏切りだったとしても。
「だからお前も言った以上は自分の言葉に責任を持て」
例えそれがあの金色の瞳の少女に魂を売る行為だったとしても。
「“どんな場所でも”と言ったお前の言葉が本当ならば、女神を殺すらしいこの部屋であっても、現れることが出来るはずだ」
それでこの青い瞳の少女を助ける事が出来るのならば、それがなんだというのか。
「だから頼む。俺の守護女神──ネメシス」
お互いの気持ちが通じ合って尚、結ばれる事が無いと分かっていても、あの日ライデンは決めたのだ。
「あの日から拒否し続けてきたお前からの【女神の祝福】を────」
女神がライデンにそうするように、生涯彼女を守ってみせると。
「────アメリアを助けるための力を……。今、この時を持ってこの俺に授けて欲しい────」
そんなライデンの想いが通じたのからなのか。
それとも、己の執着した男が自らの元に転がり落ちてくることを待ち構えていたのからなのか。
“絶対に”女神の力が通るはずがないと言われているはずのこの部屋の中で、“奇跡” とも呼べるその現象が起きた理由が、どちらなのかはライデンに知るすべはない。
ただ──
現実として、目の前で生気を失っていたはずの青い瞳は、いつの間にか生気の満ち溢れた金色の瞳にすげ変わっていた。
──その口元に心の底からの歓喜を表した笑みを浮かべて。




