博之43歳。異世界13か月目後半。隣の地区へ、夜の店を見に行く
週末にやった、二時間だけの飲み放題。
銅貨十枚で酒を飲み、横丁のみんなで適当に喋って、笑って、仕事の話を禁止されて。
翌日になっても、博之は妙にその時間が頭に残っていた。
「……昨日、楽しかったなあ」
商会の一階で帳面を眺めながら、ぽつりと言う。
近くで布を畳んでいたエレナが顔を上げた。
「珍しいですね。博之さんが自分からそんなことを言うなんて」
「いや、ほんまに楽しかってん。酒飲んで、しょうもないこと喋ってただけやのにな」
「それが楽しいんでしょう?」
「せやなあ」
そこで博之は、ふと思った。
「なあ、エレナさん」
「はい?」
「昨日みたいにな、酒飲みながら誰かと喋って楽しむ店って、この辺ないん?」
「普通の酒場ならありますけど」
「酒飲むだけちゃうねん。店の人が話聞いてくれたり、一人で行っても相手してくれたりするような店」
「ああ……」
エレナは少し考える。
「この地区では、ほとんど見ませんね。隣の商業地区ならありますよ」
「あるんや」
「ありますけど……」
エレナがじっと博之を見る。
「そのくらいなら、私がお話ししますよ?」
「いやいやいや」
「お酒も注ぎますけど?」
「そういう意味ちゃうって」
「では、どういう意味です?」
「世間一般のおっさんが、何に金払ってるんかなと思って」
「また商売ですか?」
「半分商売」
「残り半分は?」
「俺も一回見てみたい」
「正直ですね」
エレナが笑った。
「私も、そういう店に客として行ったことはありませんけどね」
「ほな一緒に行く?」
「私も?」
「社会見学や」
少し考えたエレナが、にこりとする。
「セラさんも誘います?」
「ええよ」
「いいんですか?」
「なんであかんねん。俺、別に女の人目当てでこっそり行こうとしてるわけちゃうし」
「では、見張り役が二人ですね」
「信用ないなあ!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その話を聞いたセラは、予想以上に乗り気だった。
「面白そうじゃないか」
「やろ?」
「博之が女性のいる酒場を見に行くのを、エレナと私で見張るんだろ?」
「社会見学や言うてるやろ!」
その週末。
三人が並んで横丁を出ようとすると、働いている男たちが露骨にニヤニヤしていた。
「何や?」
「いや、別に」
「ええなあ、博之さん」
「何がやねん」
「女性二人連れて夜遊びですか?」
「違うわ! 世のおっさんのニーズ調査や!」
「その二人は?」
「俺の見張り役!」
「はい」
「そうだな」
エレナとセラが同時に答える。
「そこは否定してくれ!」
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隣の地区には、確かにそういう店があった。
まず入ったのは、大衆向けの小さな酒場。
十数人も入ればいっぱいになるような店で、中央には長いカウンター。
その向こうで、年配の女性が酒を注いでいる。
客はほとんど仕事帰りのおっちゃんだった。
「ママ、今日聞いてくれよ」
「はいはい。また職場の話?」
「今日は違うって!」
「どうせ同じでしょう」
そんなやり取りだけで客が笑っている。
少し若い女性も二人いて、忙しくなると卓を回り、酒を注いだり話を聞いたりしていた。
「なんか……ええな」
博之が店内を眺める。
「何がです?」
「客がめっちゃ楽しそうや」
高級な料理があるわけでもない。
酒も横丁で飲めるものと大差ない。
それでも、一人で来た男が店に入るなり、
「今日は遅かったね」
と声を掛けてもらっている。
「これやな」
「何が?」
「酒だけ売ってるんちゃうわ」
話を聞いてもらう。
名前を覚えてもらう。
愚痴を言う。
常連同士でくだらない話をする。
「居場所みたいなん売ってんねんな」
「また考え始めましたね」
エレナが笑う。
しばらくすると、店の女主人が三人の前までやってきた。
「ところで、あんたたち面白い組み合わせだね」
「そうですか?」
「男一人に女二人で、こういう店に来る人は珍しいよ」
「社会見学です」
「ほんとかねえ」
女主人が笑う。
「で、どういう関係?」
「来た」
博之が酒を一口飲む。
「まあ、仲のいい……」
「博之さん」
横からエレナの声が飛ぶ。
「はい」
「私たち、ただのお友達でした?」
「……いや」
「ですよね?」
「お友達ではないな」
「じゃあ何?」
女主人が楽しそうに追撃してくる。
「えー……」
博之は困った。
「恋人に……だいぶ近い?」
「なぜ疑問形なんです?」
「いや、こういうん本人の前で言い切るの恥ずかしいやん!」
「もう少し言い切ってください」
「エレナさん結構詰めるな!」
女主人が大笑いしている。
「じゃあ、こっちのお姉さんは?」
今度はセラを見る。
「私も聞きたいな」
「お前まで乗るん?」
「エレナは恋人にだいぶ近い。私は?」
「ええ……」
「ほら」
「……仲良くなりかけてる?」
「なりかけ?」
「いや、前よりだいぶ仲良いやん!」
「まあ、それはそうだが」
セラは口では不満そうにしながら、少し笑っていた。
女主人が呆れたように博之を見る。
「あんた、そんな二人連れて、なんでうちに来たの?」
「やから、世のおっさんのニーズ調査です」
「もう足りてそうだけど」
「それとこれとは別や!」
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次に向かったのは、高級な店だった。
入口からして違う。
柔らかな明かり。
磨かれた卓。
そして客の横には、綺麗な衣装を着た女性が座っている。
「……これ、高いやろ」
「入る前からそれですか?」
「値段大事やろ」
店に入ると、案の定、大衆店とは料金がまるで違った。
酒だけではない。
女性が客の卓について、話をし、酒を注ぎ、その時間そのものに金を払う。
「なるほどなあ……」
博之が感心していると、接客していた女性がエレナとセラを見た。
「でも、お客様」
「はい?」
「こんな綺麗な方をお二人も連れて、何をしにこちらへ?」
「それ、大衆の店でも言われました」
エレナが笑う。
「ほんまに何しに来たんやろ、俺」
「社会見学でしょう?」
「そうやった」
「忘れないでください」
セラまで笑う。
帰り道。
博之は腕を組みながら歩いていた。
「しかし面白かったな」
「女性が?」
エレナが聞く。
「仕組みが」
「やっぱりそっちですか」
「でもなあ」
博之は二人を見て、少し考える。
「俺は昨日みたいに、知ってる連中と適当に飲んでる方が楽しいかもしれん」
エレナが一瞬黙る。
セラも博之を見る。
「……博之さん」
「何?」
「そういうことは、もう少し自覚して言った方がいいですよ」
「なんで?」
「ほらな」
セラが笑った。
「博之はこういうところが駄目なんだ」
「何がやねん!」
二人が笑いながら先へ歩いていく。
「教えてくれや!」
結局最後まで分からないまま、博之は二人の後を追いかけた。




