博之43歳。異世界13か月目後半。雨の日の失敗と、おっちゃんを遊ばせる会
商会の利益が伸びて、リクの薬草買い取り所も黒字。
何となく何でもうまくいき始めたように見えた頃。
当然、そんな日ばかりではなかった。
「うわあああ!」
昼過ぎ。
突然、横丁に強い雨と風が吹き込んだ。
「傘! 傘押さえろ!」
「無理やって!」
日除けと小雨避けのために買った大きな傘の一つが、風をまともに受ける。
次の瞬間。
バタンッ!
「うわっ!」
傘がひっくり返り、長椅子まで巻き込んで倒れた。
幸い客には当たらなかったものの、卓上の皿が三枚割れ、ジュースが地面へぶちまけられた。
「……やってもうた」
雨の中、博之は倒れた傘を見つめる。
「おっちゃん、これ壊れてるで」
「見たら分かるわ!」
支柱が曲がっていた。
「五枚も出して買った傘やぞ……」
「全部壊れたわけじゃないでしょう?」
エレナが苦笑する。
「せやけど地味に痛いねん、こういうん」
結局、その日は早めに外席を閉めた。
傘についても、ただ立てるだけでは駄目だと分かり、重しを増やし、風の強い日は最初から
畳むことにした。
「勉強代やな」
「銀貨何枚かかるん?」
「聞くな。心が痛い」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして失敗したのは、博之だけではなかった。
「おっちゃん……」
「なんや」
翌日、リクが妙に小さくなって商会へやってきた。
「怒らん?」
「内容による」
「それ一番怖いやつやん」
帳面を見る。
ある薬草が高く売れていたため、リクは持ち込まれた分を普段より多めに買い取っていた。
「……結構買ったな」
「売れると思ってん」
「で?」
「今日薬屋回ったら、値段下がってた」
「おお」
同じ薬草が一気に市場へ出たらしい。
リク自身だけでなく、採取依頼を受けた者たちも大量に持ち込んだ結果、数日前までの
値段では買ってくれない。
「売ったら損出る」
「なんぼ?」
「銀貨一枚ちょっと……」
「ほな、ええやん」
「え?」
リクが目を丸くする。
「十五枚全部なくしたんかと思ったわ」
「怒らへんの?」
「高く買いすぎたんは失敗やけど」
博之は帳面を指差した。
「だから銭全部使うな言うたやろ?」
「あ……」
「余裕残してたから、銀貨一枚損しても続けられる」
「そっか」
「値段ってずっと一緒ちゃうねん」
高く売れるものほど、皆が集める。
集まれば値段が下がることもある。
「次から買い取り量決めとけ。あと一軒の薬屋の値段だけ見んな」
「分かった……」
「これも授業料や」
「おっちゃん先生みたいやな」
「先生やったら授業料俺にくれ」
「嫌や」
「なんでやねん!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんな小さな失敗が続いた週末。
博之が帳面を眺めていると、エレナがやってきた。
「今日はもう終わりです」
「いや、これだけ見たら——」
「終わり」
「はい」
妙に強い。
外へ出ると、セラやユーリまで待っていた。
「何なん?」
「ミサキから聞いた」
セラが言う。
「何を?」
「博之、自分のこと全然楽しませてないって」
「余計なことを……」
そこへミサキが顔を出す。
「おっちゃんの幸せどうすんのって言うたやろ?」
「言うたけど」
「今日はおっちゃん遊ばせる日」
「何それ」
横丁の一角には酒と料理が並んでいた。
餃子。
唐揚げ。
魚のすり身揚げ。
サンドイッチ。
そしてビール。
「本日二時間だけ!」
セラが声を張る。
「銅貨十枚で飲み放題!」
「安すぎるやろ!」
「今日は儲けんでいい」
「商会主の前でそれ言う!?」
大人には酒。
子供たちにはジュースとミックスジュース。
店を交代で見ながら、働いている者も少しずつ参加した。
「乾杯!」
「かんぱーい!」
博之もビールを一口飲む。
「……うま」
「ほら、仕事の話禁止」
エレナが言う。
「ええ? この唐揚げな、もうちょっと——」
「禁止」
「はい」
ユーリが笑い、セラが追加の酒を持ってくる。
リクもジュースを飲みながら言った。
「おっちゃん、今日は薬草の話も禁止やで」
「お前のために考えてんねんぞ」
「今日はいらん」
「恩知らず!」
ミサキが隣で笑っている。
しばらくすると、博之もどうでもよくなってきた。
くだらない話をして。
失敗した傘の話で笑われ。
リクが薬草を高値掴みした話でも笑い。
セラに酒を注がれ、エレナに食べ過ぎだと言われる。
二時間後。
「……なんや」
「何?」
「こういうん、ええな」
博之がぽつりと言った。
ミサキが得意そうに笑う。
「せやろ?」
「店開けてから、客が楽しんでるの見ることはあっても、俺が客みたいに遊ぶん久しぶりかもしれん」
「じゃあまたやろ」
「毎週は赤字や!」
「そこ?」
「そこは大事や!」
皆が笑った。
傘は壊れる。
薬草では損もする。
商売は思い通りにならない。
けれど、失敗した日の終わりに一緒に笑える人間がいる。
博之はもう一杯だけビールを注いだ。
「ほな、もう一回乾杯するか」
「何に?」
「知らん。とりあえず今日に」
「雑やなあ」
それでも杯は上がった。
その夜だけは、おっちゃんの隠れ家横丁の店主が、少しだけただの客になっていた。




