博之42歳。世話になった食堂から独立。郊外のぼろ小屋で店を始める。どこまでできるか試す。
博之の日替わり料理は、完全に食堂の昼の一品として定着し始めていた。
その日は、市場で小魚が安かった。
「これ、すり身にできへんかな」
魚屋から買ってきた小魚の骨を取り、身を細かく刻む。
本当なら包丁で叩くだけでは大変なのだが、暇そうにしていたおばちゃんまで手伝ってくれた。
「これをどうするんだい?」
「丸める」
「焼くの?」
「いや、汁に入れる」
塩と香草。
少しだけ粉を混ぜて、粘りが出るまで練る。
それを小さく丸め、海藻と魚の骨から取った出汁へ落とした。
ぽとん。
ぽとん。
しばらくすると白っぽい団子が浮かび上がってくる。
「つみれ汁やな」
「ツミレ?」
「まあ、魚の団子汁」
おばちゃんが味を見る。
「ああ、これいいね」
「やろ?」
「魚なのに食べやすい」
「骨ないからな」
別の日は芋。
人参によく似た根菜。
玉ねぎ。
そこに安い肉を少し。
水で煮て、魚醤に似た調味料と塩、甘味のある酒のようなものを加えてみた。
「……肉じゃがやな」
もちろん、日本の肉じゃがと同じではない。
醤油も味醂もない。
だが甘辛い汁を吸った芋と肉は、それなりにうまかった。
「今日は昨日と全然違うねえ」
「毎日同じやと俺が飽きる」
「客じゃなくて、あんたが?」
「作る方が飽きたら終わりやろ」
そんな調子だった。
白い牛乳煮込み。
魚のあら煮込み。
肉と芋。
つみれ汁。
香辛料を強めた赤い煮込み。
市場でその日に安かった材料を見て、博之の気分で決める。
大が銅貨四枚か五枚。
小なら二枚か三枚。
特に増えたのが、小を注文する客だった。
「今日は何?」
「魚団子」
「じゃあ小」
「俺も小」
「はいはい」
港で荷物を運ぶ男。
近所の職人。
市場帰りの女。
毎日ではないが、二日に一度、三日に一度と顔を出す者が増えてきた。
博之自身は客の顔を覚えるのが苦手だったが、おばちゃんはしっかり覚えている。
「あの人、今週四回目だよ」
「誰?」
「あそこで食べてる人」
「全然分からん」
「ほんと商売人向きなのか向いてないのか分からないねえ」
「料理考える担当ということで」
そんなある日のことだった。
「そういえば、あんた」
「ん?」
「住むところ探してたろ?」
「探してる」
博之はいまだに食堂裏の倉庫で寝ていた。
ありがたい。
ありがたいのだが、いつまでも世話になるわけにもいかない。
「街の外れに一軒あるよ」
「安い?」
「安い」
「どれくらいボロい?」
「かなり」
「ええやん」
「なんで喜ぶんだい」
翌日、案内してもらった。
街の中心から歩いて三十分ほど。
端に近い住宅地をさらに抜けたところに、その小屋はあった。
「……おお」
木造平屋。
壁は黒ずんでいる。
屋根も少し傾いている。
入口の戸も隙間だらけ。
「雨漏りするよ」
「どこ?」
「奥」
「寝るところに落ちへんかったらええわ」
中には小さな土間と、一部屋。
裏に井戸。
さらに小さな物置まであった。
「これ、料理できる?」
「火を使う場所はあるね」
「十分やん」
家主と話をして、博之は小屋を借りることにした。
家賃は思っていたよりずっと安かった。
そして、その日の夜。
「なあ、おばちゃん」
「何?」
「今まで作った料理、作り方教えよか?」
「いいのかい?」
「なんであかんの?」
おばちゃんが意外そうな顔をする。
「だって、あんたが考えた料理だろ」
「別に秘密にするほどのもんちゃうし」
「店を出るんだろ?」
「せやから教えとこうかなと」
博之は鍋を指した。
「出汁取って、安い材料を煮て、最後に味整えるだけやから」
「簡単に言うねえ」
「魚の日はこれ。肉ならこっち。牛乳入れるなら火を強くしすぎんようにして」
何日かかけて、おばちゃんと一緒に作った。
分量も大体。
匙何杯。
このくらいの鍋ならこのくらい。
博之自身が感覚で作っていたものを、簡単にまとめた。
「あんた、気前いいね」
「最初に飯食わせてもらったからな」
「そうかい」
「俺、あの日ここで断られてたら普通に野宿やったし」
少しだけ照れくさくなって、博之は鍋を洗った。
貯めていた銅貨と銀貨を使った。
小屋の最初の家賃。
鍋。
包丁。
まな板。
木の器。
食材。
塩。
香辛料。
乾燥海藻。
ほとんど金がなくなった。
「……大丈夫か、俺」
小屋の床に座り、残った硬貨を数える。
不安になる。
だが横には、自分で買った鍋があった。
他人の店の鍋ではない。
自分の鍋。
自分で借りた、小さいながらも自分の家。
その夜、博之は藁を詰めた簡単な寝床に横になった。
天井には染み。
風が吹けば壁の隙間から冷たい空気が入ってくる。
「ボロいなあ」
それでも笑っていた。
明日の朝、市場へ行く。
安い野菜を買う。
魚が安ければ魚。
肉が余っていれば肉。
十人前ほど作ってみる。
売れなければ、自分で食えばいい。
「まあ……やってみるか」
異世界へ来た時には何もなかった。
金もない。
家もない。
仕事もない。
スキルもない。
今も大して変わってはいない。
ただ。
ボロ小屋が一軒。
鍋が一つ。
自分で作れる料理がいくつか。
そして、銅貨を払ってそれを食べてくれる客が少しだけいる。
「十分やな、最初は」
博之は毛布をかぶった。
四十二歳。
異世界生活。
食堂の下働きから始まった博之は、ようやく小さな小さな独り立ちをした。




