博之42歳。異世界11か月目中盤。商会という言葉が見えてくる
十一か月目の半ば。
営業を終えた博之は、いつものように広いボロ小屋の机に帳面を広げていた。
「……冷却箱買った時、手元銀貨三十枚まで減ったよな」
「はい」
エレナが隣で答える。
「ほんで、この半月の横丁の利益が……銀貨十七枚と銅貨五十枚」
「増えましたねえ」
「増えたなあ」
煮込み。
餃子。
スパゲッティ。
唐揚げ。
豚の揚げ物。
パン。
サンドイッチ。
果物のジュース。
ワイン。
そして二台になった冷却箱から出てくる、冷たいビール。
「やっぱビール強いわ」
「またそこですか」
「いや、数字に出てるもん」
特に揚げ物が増えてから、酒の注文が明らかに増えた。
さらに意外だったのがサンドイッチだった。
「朝に買ってく人、多いな」
「港へ仕事に行く人でしょうね」
「昼飯持っていけるからな」
揚げた鶏。
豚。
葉野菜。
ソース。
それをパンに挟んで包む。
横丁で食べる必要がない。
「これ、揚げ物とパン屋だけ朝開けたら、もっと売れるんちゃう?」
「誰が開けるんです?」
「……そこやねん」
博之が腕を組んだ。
「人足らんな」
今でも店は多い。
しかも週一回は休ませるようにしている。
黄色い布を巻いた手伝いを交代で入れているとはいえ、朝営業まで始めれば仕込みの時間もずれる。
「やれる人、そんなに多ないねんな」
「火を任せられる人は特に」
「配膳なら教えやすい。でも揚げ物とか銭箱はなあ」
誰でもいいわけではない。
時間を守る。
銭を数えられる。
勝手に持っていかない。
客と揉めない。
火を扱える。
「人育てるんも仕事になってきたな」
「今さらですか?」
「最初、俺一人で煮込み作ってただけやぞ」
横でセラが笑った。
「もう昔の話やな」
「まだ一年経ってへんねんけどな」
そのセラの横では、ソラとユーリが飯を食べていた。
二人からは、この半月でそれぞれ銀貨五枚ずつ返済されている。
「これ、明日ギルド持ってくわ」
「俺の五枚な」
ソラが言う。
「無理してない?」
「大丈夫。装備代も残してる」
「ならええ」
「私のもお願いします」
ユーリも銀貨五枚を渡す。
「はいよ」
合わせて銀貨十枚。
横丁で稼ぐ金とは別に、以前貸した金まで戻り始めている。
博之は銀貨を見ながら、ふと呟いた。
「……商会やな」
「え?」
エレナが聞き返す。
「いや、もう店一軒二軒の帳簿ちゃうやろ」
肉をどこから買った。
油を何壺使った。
小麦はいくら。
酒はいくら。
人件費。
家賃。
道路使用料。
行商人から入る横丁代。
冒険者への貸付。
その返済。
「俺、帳面見るだけで半日終わるようになるぞ」
「じゃあ誰か雇います?」
「それ考えてる」
博之は顎をさすった。
「ちゃんと読み書きできて、計算できて、帳簿つけられる人」
「高いですよ」
「月銀貨五枚くらいで来てくれへんかな」
「どうでしょうね」
「でも雇わんと、俺が飯考える時間なくなるねん」
それが一番困る。
「唐揚げのソースもまだ完成してへんし」
「そこなんですね」
「重要やろ」
皆が笑う。
だが商会という言葉が、一度頭に浮かぶと消えなかった。
「商会にするなら、仕入れまとめられるよな」
「できますね」
「店ごとに肉買いに行くんアホらしいもんな」
鶏。
豚。
野菜。
小麦。
果物。
酒。
油。
薪。
「まとめて買ったら安なるかもしれん」
「置く場所は?」
「……倉庫いるな」
「また建物ですか」
「いや、まだ借りるとは言うてへんで」
「その言葉は信用できません」
「ほんまやって」
博之は笑いながらも、頭の中で考え始めていた。
横丁の近くに広めの倉庫。
酒と乾物。
油。
小麦。
食器の予備。
そこに仕入れをまとめる。
帳簿を見る人を一人置く。
「それしたら、俺は各店の売上だけ見たらええんちゃう?」
「だいぶ楽になりますね」
「せやろ?」
そして手元の銀貨。
横丁から半月で銀貨十七枚五十銅貨。
ソラとユーリから合わせて銀貨十枚。
「金が回り始めたなあ」
博之はしみじみ言った。
「前は銅貨一枚二枚の話やったのに」
「でも使う額も大きくなってますよ」
「それな」
冷却箱。
店。
治療。
鑑定。
次は倉庫と帳簿係かもしれない。
「まあ、いきなり全部せんけどな」
「珍しく慎重ですね」
「俺も学習するんや」
そう言いながら、博之は帳面の端に小さく書いた。
『商会? 帳簿係。倉庫。共同仕入れ』
エレナがそれを見て笑う。
「もうやる気じゃないですか」
「考えてるだけやって」
博之は横丁の方を見る。
まだ客の笑い声が残っている。
「ただまあ……ここまで来たら、一回ちゃんと形にしてもええかもしれんな」
飯屋から始まったものが、少しずつ商会の輪郭を持ち始めていた。




