博之42歳異世界9か月目。銀貨八十枚の治療。ユーリの足が完治。リハビリは必要。頬にキスされる。
翌日。
治療院の前で、博之は一人、妙に落ち着かない様子で立っていた。
腕には大きな銭袋。
何度も持ち直しては、中身があるか確かめている。
「……重いな」
「おっちゃん、挙動不審すぎるで」
後から来たセラが笑った。
「いやいやいや。銀貨八十枚やぞ?」
「分かってるけど」
「八十枚やで。数えるだけでも怖いわ」
博之は銭袋を抱え直した。
「逆に金貨一枚とかの方がまだええな。金額考えたらもっと緊張するんやろうけど、物量少ないから」
「何ぶつぶつ言うてんの」
「俺、小市民やねん」
そこへ杖をついたユーリもやってきた。
「すみません。待ちました?」
「いや、大丈夫。ほな行こか」
三人で治療院に入り、昨日までに確認していた治療師のところへ向かう。
博之は机へ銭袋を置いた。
「銀貨八十枚です。お願いします」
治療師は何人かで枚数を確認した。
「確かに」
「……なくなる時、一瞬やな」
「おっちゃん」
「分かってるって」
ユーリが治療台へ横になる。
傷んでいるのは足の骨だけではない。
長い間、悪い状態のまま歩いていたため、筋や関節にも負担が出ているという。
「数時間かかります」
「お願いします」
治療が始まった。
淡い光がユーリの足を包む。
途中で治療師が位置を変え、別の術を重ねる。
博之とセラは待合でひたすら待った。
「……長いな」
「私の腕より重かったんやろ」
「せやから八十枚か」
「まだ金のこと言うてる」
「金も大事や」
数時間後。
「終わりました」
呼ばれて中へ入ると、ユーリがゆっくり身体を起こしていた。
「足を動かしてみてください」
恐る恐る膝を曲げる。
伸ばす。
足首を動かす。
「……動く」
ユーリの目が大きくなった。
「立っても?」
「支えながらなら。ただし、すぐに普通に歩けるわけではありません」
長くまともに使っていなかった。
筋力も落ちている。
「しばらくはリハビリが必要です。少しずつ歩く距離を増やしてください」
「はい」
ユーリは治療台の端に座ったまま、両手で顔を覆った。
「……よかった」
声が震えている。
「ほんまよかったな」
博之が言う。
「これで冷却箱――」
「今それ言う?」
セラが突っ込んだ。
「いやいや、冗談やって」
ユーリは泣きながら笑った。
「おっちゃん……ありがとうございます」
「返してもらうからな」
「はい」
「銀貨九十枚やぞ」
「分かってます」
そう言って立ち上がろうとしたユーリが、まだふらつきながら博之へ近づく。
「危ないで」
支えようとした瞬間。
頬に柔らかい感触がした。
「……え?」
ユーリが博之の頬に口づけしていた。
「ありがとう」
「え、あ、はい」
博之が固まる。
横でセラが口を尖らせた。
「私、そんなんしてへんのに」
「何張り合ってんねん」
「いや、これはみんなおっちゃんに惚れるで」
「いやいやいやいや」
博之が全力で手を振る。
「それは気の迷いや。弱ってる時に助けてもろたから錯覚してるだけ」
「そういうもんかなあ」
「そのうち足治って外歩けるようになったら、年頃のええ男見つけてそっち行くって」
ユーリが首を振った。
「でも、そういう年頃の男の子は、私が歩けなくなった時に銀貨八十枚なんか
出してくれなかったですよ」
「……」
セラが頷く。
「それはあるな」
「あるん?」
「一番困ってる時に助けてくれた人って、やっぱり特別になるよ」
「そんなもんかねえ」
博之は頬をかいた。
「俺、前いた世界では全然モテへんかったし。こんな商売するなんて思ってもなかったからさ」
「それ、前も言うてたな」
「女性関係に疎いねん」
セラがニヤニヤする。
「疎い割にはエレナさんには手出したんやろ?」
「手出した言うな!」
「違うん?」
「エレナさんがちゃんと好意を言うてくれて、家にも誘ってくれて、真剣に言ってくれたから
……俺も応えただけや」
「ほう」
「まあ、その後ちょっとぎこちなくなったけど」
「何やってんねん」
「仕事にかまけてんねん、今」
店。
横丁。
人の採用。
仕入れ。
冒険者の治療。
「考えること多いやろ。恋愛に頭回らん時あるねん」
「でもエレナさんが好いてくれてるのは嬉しいんやろ?」
「そらめちゃくちゃ嬉しいよ」
博之は少し照れた。
「ただな。どうしても『俺なんかでええんかな』って気持ちが抜けへん」
「卑屈やなあ」
「恋愛に関してはそうかもしれん」
「店広げる時はあんなに強気なのに」
「店は数字見たらええやん」
「人の気持ちは?」
「分からん!」
セラとユーリが笑った。
「ここら辺、飯食えへん人多いやろ」
博之は少し真面目な顔になった。
「俺もボロ小屋から始めたし。恋愛がどうとかより、今日飯食えへんとか、
怪我して働けへんとか、そっち見たら目覚め悪いねん」
「それで横丁があんなことになったん?」
「気づいたらな」
「おっちゃん、なかなか面倒くさいな」
「自覚ある」
セラは少し笑ったあと言った。
「でもな、おっちゃんのこと好きな人、多いと思うで」
「そうなんかな」
「そうやって」
博之は少し黙る。
「……俺、それちゃんと返せてんのかな」
「何を?」
「好いてくれてる気持ち」
頭をかく。
「色男やったら、もっと上手いこと言うたり、気の利いたことしたりするんやろな」
セラが呆れた。
「おっちゃん」
「何?」
「男の良さって、そこちゃうで」
ユーリも小さく頷いた。
博之だけが、まだよく分かっていない顔をしていた。
「……難しいなあ」
「だから、そのままでええんちゃう?」
「そうなん?」
「少なくとも私は、そう思う」
治療院を出る頃には、ユーリは杖を使いながらも、自分の両足でゆっくり歩いていた。
博之はその姿を見て、ようやく少し笑った。
「ほな次はリハビリやな」
「はい」
「無理したらあかんで」
「はい」
「あと冷却箱――」
「やっぱりそこ戻るんかい!」
三人の笑い声が、通りに響いた。




