Ep.67 逃げないイチゴ、逃げる元勇者
・朝の広間
窓から差し込む柔らかな光が、木製の床を照らしています。
キッチンからはセシリアが焼く「神級パンケーキ」の甘い香りが漂い、庭からはレオンが素振りをする風切り音が聞こえてきます。
「……おう、起きたか。カイル、今日の朝飯はパンケーキのイチゴ山盛りだそうだ」
ガイアスがカイルの目覚めを察知して会いにきました。ところがガイアスの一言でカイルに闘志がみなぎったようです。
「イチゴ山盛り!? よーし、一番乗りだ!」
戦場での突撃指示さながらの勢いで、カイルはキッチンへと駆け出します。背後でリリィが「あ!ちょっと、カイル!抜け駆け禁止よ!」と叫び、ガイアスが「おい、落ち着け!転ぶぞ!」と急いで階段を下る音が聞こえます。
・ キッチン前
「あらあら、カイル様。そんなに急がなくても、イチゴは逃げませんよ?」
エプロン姿のセシリアが、ふんわりと焼き上がったパンケーキのタワーをカウンターに置いた瞬間でした。カイルは迷わず、その頂上に鎮座する真っ赤なイチゴの山に手を伸ばし、頬張ります!
「あむっ……! 完食!」
(※実際はまだ半分以上残っていますが、気持ちは全食いです)
「あーっ! 先代様、ずるいです! 僕もイチゴ食べたかったのに!」
庭から音速で戻ってきたレオンが、ショックで膝をつきます。
「……ふん、相変わらず食い意地だけは誰にも負けないな」
そう言いながら隣に並んだガイアスですが、カイルの口元に付いたクリームを見て、呆れたように、けれど愛おしそうに指で拭ってくれました。
すると、隣でカイルの袖をギュッと掴んでいたフローラが、耳をぴこぴこと動かしながら上目遣いで見つめてきます。
「勇者様……イチゴ……あーん……」
フローラが小さな口を「あー」と開けて、カイルからの「お裾分け」を待っていました。その背後では、リリィが「あ、今のカイルの食いしん坊な顔、撮りたかった……!」と歯噛みしています。
カイルは不敵な笑みを浮かべると、かつてレオンが自慢げに披露してくれた足運びを脳内でシミュレートします。レベル32とはいえ、「身体制御」と勇者時代の勘は健在です!
「……捕まえられるかな?」
ボソッと呟いた瞬間、カイルはカウンターに残ったイチゴの山を両手で掬い上げ、爆発的な加速で広間を駆け抜けました!
「えっ、先代様!? その動きはっ……!?」
驚愕するレオンの口に、すれ違いざまにイチゴをポイッ!
「ふぐっ!?」
続けて、録画石を構えようとしたリリィの口にポイッ!
「ちょっ、むぐっ! 甘いっ!?」
パンケーキを運んでいたセシリアの唇にも、優しく、けれど確実にイチゴをイン!
「あら……ふふっ」
最後に、ポカンと口を開けていたフローラと、それを保護者面で見守っていたガイアスの口に、同時にイチゴをシュート!
「あーん!」
「……がっ!? お前、この野郎……!」
全員の口をイチゴで塞いだカイルは、そのまま屋敷の廊下を猛スピードで逃走します!
「あはは! 全員、甘酸っぱい朝の味を噛み締めろー!」
背後からは、イチゴを飲み込んだガイアスの「待て、カイル! 逃げ足だけ速くなりやがって!」という怒鳴り声(でもどこか嬉しそう)と、レオンの「さすが先代様! 技のキレが凄いです!」という場違いな称賛、そしてリリィが「今の決定的瞬間、撮り逃したじゃないのー!」と地団駄を踏む音が追いかけてきます。
カイルは今、庭に続くテラスまで逃げ切りました。目の前には朝露に濡れる美しい庭園と、その先にある鬱蒼とした森が広がっています。
カイルは「あはは、ここまでおいでー!」と快活な声を残し、朝日が差し込む森へとそのまま飛び込みました。
かつての「神」の足取りではなく、今の「レベル32の人間」としての確かな足音。
「あ!カイル、剣を忘れてるわよ!」と背後でリリィが叫ぶのが聞こえますが、今のカイルには「知略」と「イタズラ心」という、どんな名剣よりも頼りになる武器があります。




