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それ以来、再び嫌がらせをしてくる彼の作戦を澄ました顔で受け流した。
そんな平気なフリをしているのがよほど気に入らなかったのか、ある時、どうやって手に入れたのか知らないが彼はあの女が飛び降りたビルの屋上の鍵を美香に見せて来た。
「肝試しってヤツだよ?な?行こうぜ」
美香は断らなかった。後、半年もすれば大学を卒業だ。
そうなったら黙って姿を消す計画を練っていた。
半年の我慢だと、美香は言い聞かせ、彼の言葉に黙って従った。
まだ初秋だというのに深夜の街中は風がたなびき身震いする程、寒かった。
その中を彼は私を先導するよう進んで行く。
あの女が自殺したオフィスビルは12階建てで、入り口に管理人室があるが、小窓にはカーテンが引かれてあり、管理人の姿はなかった。
在中時間は朝、7時から夜、8時と張り紙がされてある。
彼はその前を鼻歌まじりに進んで行った。
美香達はエレベーターに乗り12階まで行くと右の突き当たりまで進んだ。
そこに扉があった。
彼は鍵を取り出し扉を開けた。
屋上へ上がるまで2フロア分、階段を上らなければならなかった。
高さでいえば14階建てとなる感じだ。
そして今、彼は自分の胸付近のフェンスに身体を預け、下を覗き見していた。
「こっち来いよ」
美香は微かに震える足をつねりビビるなと言い聞かせる。
強風で髪の毛が持ち上がり、片手で押さえた。
彼の側に寄ると彼はあの女が落ちたであろう場所を指差しながら
「自殺された場所なのに、未だ、こんな低いフェンスのままなんて有り得ないだろう。なぁ?そう思うだろ?」
「うん」
「このままじゃ、又、自殺者が出てもおかしくないっての。その内、自殺の名所として都市伝説で紹介されるんじゃね?」
こういう喋り方の男は大嫌いだった。いつから
こんな風な言い方をするようになったかなんて覚えていない。とにかく耳障りだった。
「けど、ここに来るには扉が2つあって、鍵が閉まってるのだから、在中してる管理人以外は入れないんじゃない?」
「まぁ、そうだよなぁ。中々、いい所に目をつけたな?だてに大学生やってねーな」
小馬鹿にされるのはいつもの事だ。
気にしないでいると、彼は美香の後頭部を鷲掴み、無理矢理下を見せつけた。
「あの女、首とか足、変な風に曲がってたよな?」
彼はいい、イヒヒと笑った。美香は
「痛いって」
と彼の手を跳ね除けた。
「ねぇ。聞きたいんだけど」
「何だよ」
彼はフェンスに背を預ける形で、もたれていた。
「鍵はどうやって手に入れたの?」
「さぁね。覚えてねーな」
「まさか、管理人室に忍び込んで盗んで来た訳じゃないよね?」
「だから、覚えてねーって言ってんだろ!それよかさ、今まで聞かなかったけど、あん時、どう思ったよ?」
「あの時って?」
「目の前に女が落ちて来た時の事に決まってんだろ」
彼の前髪がなびき、下卑た笑みが月明かりによって浮かび上がる。
いきなり彼の首がろくろ首のように伸びて襲って来そうな錯覚に襲われた。
私は髪の毛を押さえながら彼から離れようと微かに後退りした。
扉は開いている。
逃げるなら今だと思った。で
もいきなり駆け出したら捕まえられるに決まっている。
焦ったらダメと自身に言い聞かせた。
「鍵さえなければ、この場所で自殺される心配はないじゃない。鍵さえなければ、ね」
想像に過ぎなかった。
けど彼が屋上へ出られる鍵を持っている、という事はある事を示していると美香は思っていた。
鍵は盗んだか、もしくは彼がこのビルの管理人か。
盗むとなれば、防犯カメラも数台見かけたから、それは難易度が高い気がした。
もしそれが出来たとしても、防犯カメラによって犯行は見つかっている筈だ。
盗まれた物もわかるから、それらが使用されない為の対処、今でいうなら、鍵を交換するのが、当然だろうし、悪用されない為の対処法だ。
それに大きくはないにしろニュースにもなっている筈だ。
それがなされていないとすれば自ずと答えは導き出された。
それならあの時、彼が真っ先に私の側へ現れた理由がつく。
女を突き落とした後、落ちた所を確認した後、腰を抜かした私を見つけたのだろう。
急いで駆け降りて来たのも、真っ先に私を介抱したのも、今ならその理由がわかった。
普通、飛び降り自殺をした者の側になんて近寄れない。
ましてや首まで切断され吹っ飛んだのだ。けど彼は違った。
われ先にと私を抱き寄せ、その場から引き離した。
それは今、彼が私に聞いている事を、リアルな落下時の状況を克明に知る為に、彼は私に近づいて来たのだ。
そう考えれば全て説明がつく。
プロポーズも結婚すれば、職場も知られるし、一緒に屋上へも上がる事が出来る。
営業しているといったのは管理会社として、他ビルに伺っていたと幾らでもいい訳が出来る。
彼は最初から私を屋上から突き落とす為にプロポーズをしたのだろう。
「こっち来いって」
その言葉で美香は覚悟を決めた。
鍵は彼が持っている。
きっと防犯カメラも今は停止中に違いない。
屋上へ出た事がバレる訳にはいかないから。
なら今の私が一番やらなければならない事は
自分の身を守る事だった。私は
「うん」
と言った。
彼は背中をフェンスに預け偉そうにしていた。
前後に揺すりながら私が近づいて行くにつれ嬉しそうににやけていた。
数メートルまで来た時と、彼が背中に体重をかけた時が重なった。
私は見逃さなかった。
いきなり走り出し、腕を突き出しながら彼の胸に
体当たりした。
伸ばした腕は彼の顎を突き上げ、肩がぶつかった彼の胸がフェンス後方へ持ち上がった。
私は開いた腕を使い彼の片足を持ち上げ、上へと向けてジャンプした。
同時に彼は後方返りのようにフェンスを越えた。
が、美香は彼と違い、決して下を覗き見することような事はしなかった。
何故ならこの場所は、泣かないと決めたのに泣いた嫌な場所だったからだ。




