第八話 鍛冶師アインと馬車改良計画
「ごちゃごちゃうるせぇ! この頭でっかちが!」
「なんで話を聞いてもくれないんだよぉ! ボクは色々試したり、考えたりしてるだけだろぉ!」
「うるせぇ! 俺たち鍛冶師は代々このやり方でやってきたんだ! 伝統を守れねぇ弟子なんざいらねぇ!」
「あーそうかよ! ボクが頭でっかちなら、親方は頭カチンカチンだね! その頭で鉄を打ったら、さぞや良い音するんだろうね!」
「クビだぁぁぁぁ! 出ていけぇぇぇぇ!!」
「望むところだぁぁぁぁ!!」
どばんっ!
俺の目の前にある鍛冶工房の扉が勢いよく開き、一人の若者が飛び出してきた。その直後、背後の扉がばたんっ! と閉まり、工房の中からはまだ親方らしき男の怒鳴り声が聞こえている。
俺は、その一部始終を道端で見ていた。
『…………』
相棒も見ていた。
「相棒」
『はい』
「俺、鍛冶屋を探しに来たんだよね?」
『そのはずです』
「なんで到着早々、弟子の解雇現場を見学してるんだろ」
『運が良いのか悪いのか、判断に困りますね』
まったくだ。
丘村から戻った俺は、領主様から成功報酬を受け取り、さっそく例の案件へ取り掛かることにした。馬車の乗り心地改善プロジェクトである。
丘村からアネスまでの帰り道、俺の尻と腰をこれでもかと痛めつけてくれた、あの木製馬車。今後、算段屋として活動範囲が広がれば、アネスの外へ出向く仕事も増えるだろう。そのたびに一日中、ごとんと揺れるたび「あだっ!」、がたんと跳ねるたび「腰ぃ!」なんてやっていられない。
俺はもうすぐ三十歳である。未来の俺の腰と尻を守るためにも、文明を進歩させる必要があるのだ。
『相変わらず動機の大半が私利私欲ですね』
「結果として世の中の馬車全部が快適になれば、みんな幸せ」
『三方よしですか?』
「俺よし、乗客よし、腰よし!」
『前回と同じく、最後だけ分類が違います』
いいんだよ。
そんなわけで俺は、板バネを作れそうな鍛冶師や、馬車そのものを改造できそうな職人を探すため、アネスの工業地区へやって来た。
工業地区、と俺が勝手に呼んでいるだけで、実際には鍛冶屋や木工所、革職人、馬車職人などの工房が固まっている一角である。雰囲気としては、中世ヨーロッパというより町工場街に近い。
あちらでは槌の音、こちらでは鋸の音が響き、少し離れた場所からは革をなめしているのだろう、何とも言い難い臭いまで漂ってくる。
「思ったより色々あるなぁ」
『必要な道具や部品を考えれば、職人同士が近接している方が効率は良いでしょう』
「領主様にオススメの鍛冶屋聞いてから来れば良かった」
『今気付きましたか』
「現地調査も大事だから!」
などと言いながら、どの工房へ入ろうか通りの真ん中で迷っていたところへ、先ほどの「クビだぁぁぁぁ!!」である。
工房から追い出された若者は、少し離れた道端で盛大にため息をついていた。
「なんで分かってくれないんだ……はぁ……」
近くで見ると、二十歳くらいだろうか。身長は俺よりかなり低く、百五十五センチ前後。黒髪を短く切っていて、服装は煤や鉄粉で汚れた完全な職人仕様だ。
顔立ちは……まあ、可愛い。そしてさっきから一人称は「ボク」。黒髪ショートの鍛冶師で、しかもボクっ娘。さらに親方へ「頭で鉄を打ったら良い音がする」と言い放つ。
なんだこの子。情報量が多い。
『希楽さん』
「分かってる。失礼だから口には出さない」
『それなら結構です』
普通なら、知らない人の解雇騒動へわざわざ首を突っ込む必要などない。でも俺が今日探しに来たのは鍛冶師で、目の前にいるのは、たった今無職になったらしい鍛冶師……あるいは鍛冶師見習い。
そして何より、この子は親方に何を怒られていた? 色々試したり、考えたりしている。伝統だけではなく、違う方法も試したい。そんなようなことを言っていた気がする。
「……相棒」
『はい』
「これ、もしかして」
『可能性はありますね』
「声掛けてみるか」
俺は若者へ近づいた。
「あ、どうもこんにちは」
「えっ?」
黒髪の若者が顔を上げる。
「誰?」
「あー。俺は希楽」
「キラク?」
「算段屋っていう仕事をしてる」
「サンダンヤ?」
まあ、そこからだよね。
「困ってる人がいたら、話を聞いて、知恵を絞って助けたりする仕事でーす」
「ふーん」
ものすごく胡散臭そうな顔をされた。知ってる。俺も説明していて、ちょっと胡散臭いと思う。
「それが、ボクに何の用?」
「いや」
俺は先ほど追い出された工房を指差した。
「今、めっちゃ困ってません?」
「…………」
「俺で良ければ話を聞きますよ。今回は相談料も要りません」
若者は少し眉をひそめ、俺の顔をじっと見た。
「んー……ボクが悩んでるのは鍛冶についてなんだ」
「うん」
「鍛冶のことが分からない人に相談しても、ちょっと頼りにならないかな」
なるほど。ごもっとも。
算段屋だからといって、何でも相談に乗れるわけじゃない。俺だって、「高度な魔法術式の設計について相談したい」なんて言われたら、専門家へどうぞ、である。
でも今回は鍛冶、鉄、金属加工の話だ。俺自身は専門家ではない。ただし――。
「例えば?」
「え?」
「どんなことで親方と揉めたの?」
若者は少し迷ったあと、ぽつりぽつりと話し始めた。
「ボクはさ、ひとくちに鉄って言っても、全部同じじゃないと思ってるんだ」
お。これは……
「堅い鉄、しなやかな鉄」
「うんうん」
「刃物に向いてる鉄。叩かれても折れにくい鉄。道具に向いてる鉄。用途によって、違う性質の鉄を作った方がいいと思う」
「なるほどなるほど」
「だから昔からのやり方だけじゃなくて、材料とか、火の入れ方とか、叩く回数とか……色々変えて試してみたらどうかって言ったんだ」
「うん」
「あの頭カチンコチン親父! 『昔からこの作り方でやってきた! 余計なことするな!』の一点張り!」
「なるほどねぇ」
『希楽さん』
来た。相棒、出番です。
「(はい、先生)」
『鉄系材料は、その組成や熱処理などによって性質が変化します。代表的な要素の一つが炭素量です』
「(ふむふむ)」
『炭素量だけですべてが決まるわけではありませんが、鉄に含まれる成分や製造方法、熱した後の冷却方法などによって、硬さ、強さ、粘りといった性質が変化します』
「(なるほど)」
『地球の技術では、水や油、泥などを使う焼き入れもあります。ただし、この世界で同じ材料・同じ工程が再現できる保証はありません。実際に試験する必要があります』
「(サンキュー!)」
よし。相棒からの知識提供は完了。あとは俺が、さも自分で知っていました、みたいな顔をする番である。
「まあ、言いたいことはわかるよ」
「え?」
若者が少し驚いた顔をした。
「俺は鍛冶師じゃないから、詳しいところまでは分からない。でも、鉄に何がどのくらい混ざっているかとか、作る途中でどんな処理をしたかによって、硬さとか粘りが変わるって考え自体は合ってると思う」
「……!」
反応あり。
「それと、熱した後の冷まし方。水で一気に冷ますのと、別の方法でもっとゆっくり冷ますのとで、性質が変わる可能性もある」
「冷まし方で……?そうか、確かに」
「うん。ただ、俺も実際に試したわけじゃない。だから実験しないと分からないけどね」
若者の目が、ゆっくり大きくなる。
「……鍛冶師じゃないのに、どうしてそこまでわかるの?」
「鍛冶に限らないから。どんな未知の事でも一緒だよ。仮説を立てて、実験して、結果を記録して、また条件を変える。技術って、そうやって進歩するもんじゃないかな」
さっきまで沈んでいた目が、徐々に輝いていく。
「伝統が悪いって言ってるわけじゃないよ。長く残ってる技術には、それなりの理由がある。過去の沢山の失敗を超えて来た最適解なのかもしれない。でも守るだけじゃなくて、新しく試す人も必要だと思う」
「……キラクさん、面白いね」
「そう?」
「今まで、ボクがこういう話をすると『余計なこと考えるな』って言われることが多かったから」
うーん。まあ、親方の気持ちも分からなくはない。
材料だって燃料だってタダじゃない。実験した結果、失敗しました、全部ゴミになりました、では親方としても困るのだろう。それでも新しいものを作りたい人間へ、「考えるな」と言ってしまうのは、俺にはちょっと勿体なく思える。
「それでさ」
「なに?」
「俺、今ちょうど頭の柔らかい鍛冶師か馬車職人を探してるんだ。話だけでも聞いてみない?」
「……なんで?」
「作りたい物がある」
俺は笑った。
「今ちょうど無職になったばかりだし、時間だけはたっぷりあるでしょ?」
『言い方!』
「(あっ……)」
言ったあとで気付いた。
若者は、にっこり笑う。
「いいよ。確かにボクは、時間だけはたっぷりある無職だからね」
『ほら、気にしています』
「ごめんって!」
「別にいいけど」
「本当にごめん!」
こうして俺は、つい数分前にクビになったばかりの鍛冶師見習いを、算段屋へ連れて帰ることになった。人生、何が起きるか分からない。多分、この子が一番そう思っている。
算段屋へ戻ると、改めて自己紹介した。
「じゃあ改めて。俺は希楽。算段屋……知恵を使って問題解決したり、人助けしたりする仕事をやってる」
「ボクはアイン。二十歳。さっきまでは鍛冶師見習い。今?無職だよ」
「ごめんって!」
根に持ってるな!?
アインは笑っているので、多分そこまで本気ではない。
「それで、キラクさんは何を作りたいの?」
「よくぞ聞いてくれた」
俺は机の上へ、何枚かの紙を広げた。
「俺がやりたいのは――『馬車の乗り心地改善プロジェクト』だ!」
「ぷろじぇくと?」
「要するに」
俺は真顔で言った。
「あの腰と尻を破壊する乗り物を何とかしたい」
「……ああ」
即座に理解された。アイン、お前も経験者だな。
「長く乗ると痛いよね、馬車」
「だろ!?」
「道が悪いと、次の日まで腰痛いし」
「わかる!」
「荷車なんかもっと酷いよ」
「わかるぅ!」
一瞬で意気投合した。腰と尻は、人類共通の課題である。
「それで、色々方法を考えてる」
俺は紙を一枚取り出した。
もちろん俺の絵だけでは心許ないので、頭の中では相棒が生成した参考画像を表示してくれている。それを見ながら、こちらの紙へ可能な範囲で描き写していく。
「まず、車輪」
「うん」
「今の馬車って木の車輪だろ?」
「鉄を巻いてるのもあるよ」
「そうそう。丈夫にはなるけど、固いから衝撃がそのまま来る」
「うん」
「だから、車輪の外側に弾力のある素材を付ける」
アインが首を傾げる。
「どんな素材?」
「探索中!」
「そこからなんだ……」
先は長い。
「でも考え方としては、車輪そのものを少し柔らかくして、地面から来る衝撃を減らす」
「なるほど……」
「ただし、今は使える素材が見つかってない。なので保留」
「いきなり保留なの?」
「文明ってそういうもんなんだよ!」
『開き直りましたね』
次に俺は、別の紙を広げた。
「こっちが本命」
「これは?」
「板バネ」
「バネ?」
俺は細長い板が曲がり、元へ戻る動きを身振りで示す。
「こういう、しなる金属板か木板を使う。木は劣化が早いからできれば金属で作りたい」
「しなる金属……」
「今の馬車って、車軸と車体がかなり直接的につながってるじゃん?」
「うん」
「その間に、こういうしなる部品を入れる。地面からドン! と来た衝撃が――」
俺は机を軽く叩いた。
どん。
「そのまま尻までドン! と来るんじゃなくて、途中でこいつがしなって受け止める」
アインが図へ顔を近づけた。
「……これ、面白い」
来た。目が変わった。
「しなる鉄……」
アインが小さく呟く。
「さっき話してた、硬い鉄と、しなやかな鉄……」
「あ」
確かに繋がった。
「折れずに曲がって、力が抜けたら元に戻る……」
「そう!」
「それを、何枚か重ねたら?」
「そうそうそう!」
俺も一気にテンションが上がる。
「一枚だけじゃなくて、長さの違う板を何枚か重ねる方式もある!」
『地球では重ね板ばね、リーフスプリングなどと呼ばれる方式ですね』
「(それ!)」
「厚さは?」
「分からん!」
「鉄の種類は?」
「分からん!」
「何枚重ねるの?」
「分からん!」
「分からないことばっかりじゃん!」
「だから実験するんだよ!」
一瞬、アインが黙った。
そして。
「……面白い!」
にかっと笑った。
良い。すごく良い。俺、この顔知ってる。新しい機械、新しい仕組み、新しい技術を見た技術屋の顔だ。
「鉄の厚さを変えてみたい」
「うん」
「細いのと太いの」
「うんうん」
「冷まし方も変える」
「いいねぇ!」
「何回くらい曲げたら折れるかも調べたい!」
「耐久試験!」
「たいきゅう?」
「何回も何回も曲げて、どこで壊れるか調べるの!」
「それやりたい!」
釣れた。完全に技術屋である。
そこから俺と相棒による、現代車両技術・超初心者向け講座が始まった。
「板バネ以外にも、車体をバネとか別の仕組みで支える考え方がある」
『サスペンションですね』
「(ありがと)」
「例えば、車軸と車体をガチガチに固定するんじゃなくて、間に動ける部分を作って衝撃を逃がす」
「ふむふむ」
「それから、馬車が曲がる時」
「うん」
「外側の車輪と内側の車輪って、進む距離が違うだろ?」
アインが少し考え、机の上へ指で円を描いた。
「……あ。本当だ。外側の方が大きい円になる」
「そう!」
「でも車軸が一本で、左右が同じように回ったら……」
「どこかで無理が出る」
「へぇぇぇ……!」
そこから左右の車輪の回転差を許容する歯車の考え方、軸の摩擦を減らすベアリング、油を使って揺れを抑える装置、もっと先にはタイヤや精密な歯車についてまで話した。
俺が知っている範囲。正確には、俺がうろ覚えで知っていて、相棒が補足してくれる範囲で、それを「実際に作ったことのある技術」ではなく、あくまで「こういう考え方がある」という試案として説明していく。
もちろん、この世界ですぐ作れるとは思っていない。むしろ大半は、今の技術力では無理だろう。
それでも、説明すればするほどアインの目が輝いていった。
「すごい……」
紙に描かれた図を食い入るように見つめている。
「全部作れるかは分からないけど、考え方が面白い! 今まで見たことない発想ばっかり!」
「そうやろそうやろ~」
褒められると調子に乗る。
「キラクさん、こんなことどうやって思いつくの?」
「まぁ、これが算段屋。発想力で商売してるんだ」
「まるで、本物をどこかで見てきたみたい」
「…………」
『…………』
俺と相棒が同時に黙った。
「ハハハ」
乾いた笑いが出た。
「そんなまさかぁ」
『下手ですね』
「(うるさい)」
危ない。この子、意外と観察力高いぞ。
異世界人であることは、まだ軽々しく話さない方がいいと相棒からも言われている。俺だけならまだしも、相棒の存在や地球側への情報アクセスまで知られれば、どう扱われるか分からない。
ここは話題変更だ。
「それより! どう? 面白そう?」
アインはもう一度、紙の上に並んだ見たことのない機械や技術の考え方を眺めた。そして、顔を上げる。
「……師匠」
「は?」
「師匠と呼んでもいいですか?」
「待って」
「ボク、キラクさんのところで働きたい!」
「ええ!?」
展開、早い。
「いやいやいや!」
「ダメ?」
「いや、ダメじゃないけど!」
むしろ探していた。こういう人。でも、師匠?
「アインさん」
「なに?」
「俺、鍛冶師じゃないよ?」
「知ってる」
「板バネも、自分で作ったことないよ?」
「知ってる。でもさ」
少しだけ、その顔が真面目になる。
「ボクの知らないこと、いっぱい知ってる」
「うん」
「ボクが考えたことを馬鹿にしない」
「うん」
「『そんなの無理だ』って最初から決めつけないで、『試してみよう』って言ってくれる」
真っ直ぐ、こっちを見る。
「だから、師匠」
「急に敬語っぽくなるのやめて!」
「師匠、ボクを雇ってくれるよね?」
「んー!」
何だろう、その言い方。師匠と呼んでいる割に、若干ナメられている気がする。でもまあ、間違いなくこの若者は掘り出し物だ。若くて探求心のある技術屋だ。俺の欲しいものを一緒に作ってくれるだろう。
「雇う! 雇う雇う!」
「やったー!」
アインは、両手を上げて破顔一笑した。こうして、算段屋初の専属技術者が決まった。
……まだ働く場所、ないけど。
「工房なら、鍛冶師組合に聞けば?」
「鍛冶師組合?」
「知らないの?」
「知らない」
「サンダンヤなのに?」
「算段屋は万能案内所じゃないの!」
ということで、今度はアインに案内され、鍛冶師組合へ向かった。
聞いてみると、ちょうど良い話があった。長年この地区で働いていた鍛冶師が引退し、故郷の村へ戻って楽隠居する予定らしい。そのため工房を貸すか、条件が良ければ手放したいという。
話を聞いた俺たちは、矢も楯もたまらず、その工房へ飛んでいった。
「おお……!」
大きくはない。でも、良い。
炉も金床も槌も作業台もある。大小様々な工具や材料置き場も揃い、俺には用途の分からない道具もたくさん残っている。
『居抜き物件ですね』
「(それな!)」
その表現、完全に居酒屋とか店舗だけど、まあ間違ってない。
さらに工房の奥には、小さいながら住居スペースまで付いていた。寝室、台所、物置と一通り揃っている。
「アイン、ここ住めるじゃん」
「今いる見習い用の宿を出たら、住むところ無くなるから助かる」
「おお、ちょうどいい!」
しかも、この地区では夜間の鍛冶作業は禁止されているらしい。火災防止と騒音対策とのことで、夜は静かに寝られる。
朝になれば周囲の工房が、カン! カン! カン! と稼働し始める。目覚まし時計不要、寝坊不可。
「最高じゃん」
『何がですか?』
「アインが寝坊できない」
「聞こえてるよ」
しまった。声に出てた。
「キリキリ働いてくれたまえ」
「まだ雇われてもいないけど?」
「気持ちの問題」
設備、立地、住居と文句なし。小さいが、今の俺たちには十分だ。
「めちゃくちゃ、ちょうどいい」
問題は一つだけ。価格である。
「……金貨十五枚かぁ」
この世界のお金について。俺の感覚でざっくり換算すると、銅貨一枚がおよそ百円くらい。銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨百枚で金貨一枚なので、銀貨一枚が一万円くらい、金貨一枚なら百万円くらいと考えると分かりやすい。
もちろん、地球とこの世界では物価も商品の価値も全然違うので、完全な換算ではない。それでも金額感として考えるなら、金貨十五枚はだいたい千五百万円。
工房、土地、設備、工具、住居付き。そう考えれば、むしろ安い気もする。
問題は俺の貯金だ。
『金貨四枚、銀貨三十枚ですね』
「全然足りねぇ……」
日本円感覚で四百三十万円相当。
いや、頑張ったよ? 俺。
異世界へ来た時なんて、ほぼ無一文だった。そこから算段屋として商売して、丘村も助け、商店街も盛り上げた。テッカヴァも――あれは、まあ置いておこう。
それでも、異世界知識チートで石鹸作った瞬間に億万長者! みたいにはならない。現実は厳しい。
「あと金貨十枚以上かぁ……」
工房の前で腕を組む。でも、欲しい。めっちゃ欲しい。ここがあれば、アインが自由に研究できる。板バネ、馬車、工具。それどころか将来、もっと色々なものが作れるかもしれない。
「(相棒)」
『はい』
「(アイディアある?)」
少し間があり、相棒が答えた。
『領主様に仕事をいただいてはどうでしょうか?』
「(……やっぱそれ?)」
『現時点で、希楽さんへ比較的大きな案件を発注する可能性があり、かつ十分な支払い能力を持つ相手としては、最有力と思われます』
「(だよねぇ)」
領主様、ウォルトン・アネスシージ。何だかんだ、かなりお世話になっているし、向こうも俺をそれなりに評価してくれている。
「仕事……あるかな」
『聞くだけなら無料です』
「それ算段屋が言う?」
『今回は希楽さんが相談する側ですので』
確かに。その日のうちに領主館へ向かい、面会を申し込んだ。さすがに突然押しかけて、「金貨十枚ください!」とはできない。
翌日、俺は改めて領主館を訪れた。
「それで、今日はどんな相談かな?」
ウォルトン様が、いつもの爽やかな笑顔で尋ねてきた。
「俺、まとまったお金が必要なんです」
「うん」
「算段屋として稼げそうな、大きめの案件ってありません?」
「先日の丘村の報酬を渡したばかりだと思うけど、それでも足りないのかい?」
「実は、鍛冶工房を一軒買いたくて」
「ほう?」
ウォルトン様の目が、面白そうに細くなった。食いついた。
俺は、これまでの経緯を説明した。
馬車の乗り心地を何とかしたいこと。板バネという仕組みを試したいこと。柔軟な発想を持った若い鍛冶師――アインと出会ったこと。ただし、自由に実験できる工房がないこと。
すると。
「馬車の乗り心地を改善できるのかい?」
ウォルトン様が、ぐっと身を乗り出した。
え? なんか想像以上に食いついてきたぞ?
「確約はできませんよ?」
「うん」
「まだ実験もしてません。課題も多いです」
「うんうん」
「でも、試してみたい方法はいくつかあります」
「なるほど……」
ウォルトン様は腰へ手を当てた。
「領地の巡回がね」
「はい」
「最近、本当に腰へ来るんだ」
「分かります」
固い握手を交わしたい気分になった。
領主と算段屋。身分も立場も違うが、腰痛の前では皆平等。
『人類共通の敵ですね』
「(な)」
ウォルトン様は少し考えた。そして――。
「その工房、金貨十五枚だったね」
「はい」
「僕が買おう」
「はい~?」
「領主家で買う」
「いやいやいやいや!」
話が速い!
「金貨十五枚ですよ!?」
「うん」
「さっき俺、仕事ありませんかって聞いたんですよ!?」
「そうだね」
「なんで依頼じゃなくて、物件買う話になってるんです!?」
ウォルトン様は、爽やかに笑った。
「その方が早いから」
強い。金持ちの言う「その方が早いから」は強い。
「それに」
ウォルトン様が続ける。
「もし本当に馬車の乗り心地が改善できれば、希楽くんだけじゃなく、私も助かる」
「ですよね」
「領地の役人も助かる」
「はい」
「商人も旅人も助かる」
「はい」
「つまり、領地全体にとって価値のある技術になる可能性がある」
……なるほど。そこまで考えているのか。
『単なる腰痛対策だけではなかったようですね』
「(領主様に失礼だぞ)」
『希楽さんも同じことを考えていたのでは?』
「(黙秘します)」
とはいえ、丸ごと買ってもらうのはさすがに怖い。
「でも、それだと俺が領主様に依存しすぎません?」
「そうならないよう、契約を作ろう」
そこから話は一気に具体化した。
工房は領主家が金貨十五枚で購入し、所有権も領主家が持つ。そして算段屋へ、月額銀貨一枚で貸し出す。
「銀貨一枚!?」
「不満かい?」
「安すぎるって意味です!」
俺の感覚なら月一万円くらいで、工房、設備、住居、土地まで全部込み。異世界版格安社宅どころじゃない。
『破格ですね』
「(破格どころじゃないよ)」
その代わり、条件がある。
算段屋鍛冶工房は、「馬車の乗り心地改善」を最優先の研究テーマとする。試作品を作るために馬車や資材、追加設備が必要になった場合は、その都度ウォルトン様へ相談。内容が妥当であれば、領主家から一定範囲で支援を受けられる。
そして――。
「成果が出た場合」
ウォルトン様が、にこりと笑う。
「最初の一台は、私の馬車を改造してもらいたい」
「もちろんです」
「それから、故障や調整が必要になった場合も、可能な限り私の馬車を優先してほしい」
「分かりました」
「そして、その馬車が納品後一年間、大きな問題なく運用できたら」
少し間を置いて。
「工房は、そのまま希楽くんへ譲ろう」
「…………」
え。
「プレゼント?」
「プレゼント」
「金貨十五枚の?」
「金貨十五枚の」
太っ腹ぁ!
『ただし、研究成果の実証という明確な条件付きです』
「(分かってるけど!)」
でも条件としては悪くない。むしろ、かなり良い。
成功すれば工房が自分たちのものになる。失敗しても、少なくとも月銀貨一枚という安い家賃で研究できる。しかも最初の顧客が領主様。
もし完成した馬車を領主様が使って、「これは良い!」となれば、営業不要、宣伝不要で領主家御用達。最強。
『希楽さん。目が商人になっています』
「(気のせい)」
もちろん、契約内容は細かく詰めた。
どこまでが領主家の支援対象か。研究途中で完全に行き詰まった場合はどうするか。工房設備を壊した場合、アインの雇用について、将来的に板バネ以外の製品を作って販売してよいのか。
相棒にも条項を確認してもらいながら、一つずつ整理していく。
『この条項は、「領主の許可なく他用途へ使用してはならない」と読める余地があります。研究成果の転用範囲を明記した方が安全です』
「(おお。法務チェック便利)」
『レベル2ですので』
「(ちゃんと仕事すると頼りになるなぁ)」
『普段も仕事をしています』
最終的には、お互い納得できる契約になった。
領主様との距離が、かなり近くなってきていることには少し不安もある。俺はこの世界の政治なんて、まだほとんど知らない。権力者へ近づきすぎることで、あとあと面倒事へ巻き込まれる可能性もある。
それでも現状、この条件を断る理由はない。
「ところで領主様」
「何かな?」
「金貨十五枚って、そんな即決できる額なんです?」
「テッカヴァの税収から見れば、それほど大きくないよ」
「…………」
俺は静かに手を合わせた。
「アネスのギャンブル好き市民のみんな……ありがとう……!」
『感謝する相手が違います』
「(いやでも原資!)」
『煽らないでください』
なお、テッカヴァには今後、ビンゴ、ブラックジャック、ポーカー、バカラ、ルーレット、コリントゲーム、その他さまざまな追加コンテンツを追加する用意が――。
『ンン゛ッ! ンン゛ッ!!』
「(まだ何も言ってない!)」
『思考が聞こえました』
「(俺の脳内プライバシー!)」
そんなわけで翌日、例の鍛冶工房。
「というわけでアイン!」
「うん?」
俺は工房の中央で、胸を張った。
「今日から君は、算段屋・鍛冶事業部の工房長です!」
「…………」
アインが固まった。
数秒後。
「ええええええええええ!?」
工房中へ叫び声が響いた。
「ちょっと待ってよ! 展開早すぎない!?」
「そう?」
「ボク、ほんの数日前まで鍛冶師見習いだったんだよ!?」
「うん」
「そのあとクビになって!」
「うん」
「無職になって!」
「うん」
「今から工房長!?」
「そう!」
「おかしいよ!」
「人生、何が起きるか分からんねぇ」
「他人事みたいに言うなぁ!」
はっはっは。
「まぁ聞いてくれ。給料も、そこそこ出すぞぉ!」
「本当!?」
「研究費も、領主様と相談しながら出せるぞぉ!」
「……!」
「つまり――」
俺は両手を広げた。
「研究し放題だぞぉ……!」
「…………」
アインの目が露骨に輝いた。
「それ……魅力だね」
「だろぉ?」
釣れた。完全に技術オタク、いや鍛冶オタクである。
そして俺は、もう一押しすることにした。
「アイン」
「なに?」
「俺が知ってるのは、板バネだけじゃないぞ」
「……?」
「蒸気機関、内燃機関」
「じょう……?」
「電気、磁気」
「でん……?」
「物理学、科学」
「ぶつ……?」
「そして、その他工学色々!」
「…………」
アイン、ぽかーん。そりゃそうだ。何一つ分からないよね。
「師匠が何言ってるのか、ぜんぜん分からない」
「だよね!」
でも、アインは笑った。
「でも、ボクの鍛冶師としての勘が、なんというか――」
自分の胸へ手を当てる。
「めちゃくちゃ使える知識だって言ってる」
俺も笑った。いいねぇ。やっぱり、この子最高。
「ただし!」
「ん?」
「俺も全部作り方知ってるわけじゃないから!」
「え」
「相棒……じゃなくて! 俺の知識を整理しながら、一緒に試行錯誤する!」
『危なかったですね』
「(危なかった)」
「だからさ」
俺は炉や、金床や、材料置き場を見回した。
「俺がアイディアを出してみる」
「うん」
「アインが現場で『そんなの無理』とか『こうしたら作れるかも』って言う」
「うん」
「作る」
「うん!」
「失敗する」
「うん!」
「直す」
「うん!」
「また作る!」
「おー!」
実に良い。
今まで、俺と相棒だけでは越えられなかった「現実に物を作る力」という壁。孤児院の調味料三人娘に続き、それを持っている仲間が、ようやく加わった。
「よーし!」
俺は工房の中央に立った。
これから俺たちが使う炉、金床、槌、工具、材料。そして、まだ何も作られていない空間を見回す。
「まずは、一番現実的なところ……板バネだ!」
「おーーー!」
アインが拳を突き上げた。
そのまま早速、鉄の板を何種類か用意する相談が始まった。
「厚さを変えたり、混ぜ物を買えたり、冷ます速度を変えたり。色々やってみようぜ。今回の板バネであれば、『割れたりしにくく粘りがある素材』『逆に、柔らかすぎて簡単に変形しない』素材がゴールに近いと思われるけど、最短で向かわなくていい。『こうすると失敗する』というのも貴重な情報だからさ」
「やろう!」
『試験条件と結果は、記録しておくことを推奨します』
「なので、試したことは必ず記録してくれ。こういう条件でこういうことをしたら、こういう結果になった……ってな。この記録は必ず役に立つから」
俺自身、何が正解かは分からない。相棒だって地球の知識はあっても、この世界の鉱石や炉や鍛冶技術を最初から理解しているわけではないし、アインにも現代冶金学の知識はない。
だから実験する。作って、曲げて、壊して、記録して、また作る。多分、この繰り返しだ。派手な知識チートとは程遠い。でも、こういうのは嫌いじゃない。いや、むしろ結構好きだ。
工房の入口から中を眺める。
アインはもう俺そっちのけで材料を確認していた。鉄板を手に取って眺め、指で弾いて音を聞き、紙へ何かを書き込んでいる。
「俺、やっぱこの世界で人に恵まれてるよな」
少し間があった。
『私も、そう思います』
「だよね」
神様のミスで、本来死ぬはずじゃなかったのにトラックで轢かれ、異世界へ飛ばされた。そこだけ見れば、めちゃくちゃ運が悪い。
でも、この世界へ来てからは本当に人に恵まれていると思う。
最初に出会ったカミュライさん。あの人が俺を見捨てず、アネスまで連れてきてくれなかったら、餓死していた可能性だってある。
教会の人たちや孤児院のみんなも、言葉も金も家も無かった俺を受け入れてくれた。
カイリ、クープル、サマーヤには、俺が知識を出して、実際の調味料作りはかなり任せっぱなしだったのに、何度も試して形にしてもらった。
街の人たちもそうだ。よそ者で、外国人で、「算段屋」なんてよく分からない商売を始めた俺でも、実績を見て少しずつ信用してくれた。
そして領主様、ウォルトン・アネスシージ。たまに税金とか賭博とか金の話になると、目の奥に俺と似た悪い光が宿ることもあるが、今のところ領民のことをちゃんと考えている。良い領主だと思う。
そして今日、新しく仲間に加わった鍛冶師、アイン。
俺と相棒が頭の中でどれだけ素晴らしい機械を考えたところで、それだけでは現実に何も生まれない。鉄を打つ人、木を削る人、布を織る人。実際に手を動かして、形にしてくれる人が必要だ。
アインは多分、これからすごく頼りになる。
そして何より――。
「相棒」
『はい』
「いつもありがとな」
『……急ですね』
「いいじゃん、たまには」
『どういたしまして』
こいつがいる。異世界へ来たその日から、ずっと。
俺一人では分からないことを一緒に考えて、知らないことは知らないと言って、調べられることは調べてくれる。たまに煽ってきたり、俺の秘密フォルダのパスワードまで掘り起こしたりもする。うん。最後の二つはいらないな。
もしかすると、この世界を管理しているという女神様が、少しだけ気を回してくれているのかもしれない。父親のミスで突然こっちへ放り込まれた俺を、多少は気に掛けてくれているとか。
俺はなんとなく空を見上げた。工房の屋根があるので、当然見えるのは天井だけだけど。
「女神様」
『はい』
「相棒を呼んだんじゃない!どんだけ自意識高いんだよ!」
『失礼しました』
「女神様!ありがとうございます!」
『珍しく素直ですね』
「うるさい」
本当にありがとう。そして、もし良かったらでいいので、ついでに――。
「俺の過去の記憶に対するAIのアクセス権を管理できる設定画面と」
『…………』
「地球の商品を異世界へ取り寄せられる機能も――」
『警告』
「はい」
『図々しいお願いです』
「……はい」
ですよね。
神様。いや、女神様。すみません。まずは自分たちで頑張ります。
「師匠ー!」
工房の奥から、アインの明るい声がした。
「楽しくなってきた!」
「俺もー! 一緒にがんばろうぜ!」
新しい工房、新しい仲間、そして新しいプロジェクト。目標はただ一つ、俺の尻と腰を守る――いや、馬車技術の発展だった。多分。
こうして、算段屋の新しい事業部が産声を上げた。
その名も鍛冶事業部。工房長はアイン、従業員一名、研究責任者は俺、技術顧問は相棒、そして出資者は領主様。
「……なんか、急に会社っぽくなってきたな」
『元社内SEとしては、馴染み深いのでは?』
「やめて。嫌な記憶蘇る」
『ではまず、進捗管理表を作成しましょう。ガントチャートに、クリティカルパスの検討も……』
「異世界でも地球のプロジェクトマネジメント手法は大活躍か……なんだかなぁ……剣と魔法のファンタジー……どこにいったのぉ!?」
『ここは現実ですよ、希楽さん。それでは、定例会議は週二回で。進捗確認に加えて、時々はKJ法でアインさんと一緒に課題や情報を整理して、新たな発見を模索しましょう』
「KJ法!なつかしい!やってたやってた!ブレーンストーミングで色々アイディアや気付き、現状の課題とかを絞り出してな!」
『議事録担当は――』
「相棒!任せた!AIの本領発揮だな!」
『プロジェクトの情報源に、「議事録」「ブレインストーミングメモ」ファイルを作成しました』
「頼もしい!さすがレベル2!」
俺の叫びとアインの笑い声、そして金床を叩く最初の槌音が、新しい工房へ高く響いた。この先色々な苦難があるだろうが、異世界に役立つ技術革命スタートのゴングが、いま鳴らされたのである。
カンッ!




