第二話 言葉が通じない!
「だからよぉ、俺ぁ最近“※Ф☆〈゜PΘ”で困ってるんだ。サンダンヤの希楽さんなら、何とかできんかなと思ってな」
目の前に座っている五十歳くらいの農夫は、一生懸命に自分の悩みを説明してくれている。大筋は理解できるのだが、その中に一つだけ、どうしても分からない単語が混じっていた。
「(相棒。今の“※Ф☆〈゜PΘ”って、わかる?)」
『私も初見の単語です。前後の文脈から、身体的不調あるいは生活上の問題を示している可能性はありますが、候補が多すぎます』
「(だよねぇ……)」
仕方なく、俺は農夫へ頭を下げた。
「ごめん。俺、遠い国から来た人間だから、その言葉を知らないんだ。別の言い方で説明してくれない?」と頼むと、農夫は「なんだおめぇ、そんな言葉も知らねぇのけ」と目を丸くした。
◇
そうなのだ。
異世界転移ものでは定番の、自動言語理解。あれも俺には付いていなかった。
それに気づいたのは、この世界へ来てすぐのことだ。赤い草の鑑定で夢を砕かれた後、俺はAIさんの助言に従って川を見つけ、下流へ歩いた。やがて小さな木橋と踏み固められた道を発見し、初めての人工物に大喜びした……までは良かった。
道は木橋の左右に伸びている。さて、どちらに行ったもんか。
「右利きなので右だな!」
という極めてテキトーな理由で右へ進み、小一時間ほどした頃、荷物を背負った男の姿を見つけた。俺は急いで男に近づいて行きながら、大きく手を振った。
「こんにちはー!」
返ってきたのは、「β※ρ§G%!」という謎の音だった。
俺は笑顔で手を挙げたまま固まった。
「AIさん。今の、わかる?」
『分かりません。未知の言語です』
「ま さ か……言語理解チート……なし?」
『そのようですね』
「うそだろ……ショックすぎる……そして厳しすぎる……」
異世界へ来れば、現地人の言葉が自動的に日本語へ変換される。俺はそんなフィクションのお約束を、いつの間にか現実の仕様だと思い込んでいたらしい。
男がもう一度「β※ρ§G%!」と言いながら近づいてくる。腰には刃物らしきものまで下がっているし、何を言われているのか全然分からない。
「AIさん、あれ何て言ってると思う?」
『常識的には「こんにちは」あるいは「誰だお前、近寄るな」などが候補です』
「振れ幅がデカすぎるよ!」
『後者ではないことを神に祈るばかりです』
「AIが神に祈り出したらもう終わりだろ! しかも神様って、あのつるっぱげじゃん!」
『この世界の管理者は娘さんのほうだそうですが』
「もうどうでもいい!」
男が一歩近づいたところで、俺は恐怖に負けた。
「すみませぇぇぇん!」
日本語で叫び、頭をペコリと下げて全力疾走で逃げたのである。
しばらく走ってから街道脇の木陰へ座り込み、俺は頭を抱えた。金もない。食料もない。知り合いもいない。そこへ「言葉が通じない」まで追加されたら、さすがに笑えない。
「AIさん、どうしよう」
『私の学習データには言語学も含まれています。音声、文字、単語、語順などのデータを蓄積すれば、未知の言語でも徐々に体系を推測することは可能です』
希望が見えたかと思えば、その方法は恐ろしく地道だった。まずは名詞から集める。物を指差して呼び名を聞き、人の名前や挨拶を覚え、身振り手振りで動詞を探る。データが増えればAIさんが整理し、誤りが分かれば修正する。
昔見た映画『おろしや国酔夢譚』で、ロシアへ漂着した日本人が似たような方法で言葉を覚えていたことを思い出した。「これは何ですか?」という質問を現地語で言えるようになってから学習が加速していた気がする、と話すと、AIさんは地球のWebを検索して作品と場面を確認してくれた。
地球のことなら、こいつは本当に頼りになる。
『まずは会話に挑戦してください。身振り手振りを使い、名前、挨拶、名詞、動詞などを収集します』
「めちゃくちゃ地道だなぁ」
『このまま誰とも関わらず山中で暮らす方法もありますが、キャンプ経験もないインドア派のシステムエンジニアが、原始生活を維持できるとは思えません』
「言い方!」
『食うや食わずになってから人里へ降りるか、比較的余力のある今から頑張るか。ご判断ください』
「……頑張ります」
異世界へ来て最初に本格挑戦するものが、剣術でも魔法でもなく語学学習になるとは思わなかった。
そうして作戦会議をしていると、さっきの男が街道を歩いてきた。俺を見つけるなり、また「β※ρ§G%!」と声をかけてくる。げっ!見つかってしまった!街道沿いで休んだのは失敗だったか……?
『少なくとも敵意があるようには見えませんが……』
よくよく観察すれば、片手を上げ、にこやかな顔をしているようにも見える。
『先ほどと音声パターンが一致しています。また、相手の表情と動作から、挨拶である可能性が高いと思われます』
「フレンドリーじゃん! 俺、逃げなくて良かったじゃん!」
『チャンスです。同じ言葉を返してみてください。はい、β※ρ§G%!』
俺は腹を決めた。「べ、β※ρ§G%!」と、おそらくひどい発音で返す。男は一瞬目を丸くした後、笑った。
それだけで少し安心した。
俺は自分の胸を指差して、「キラク」と言った。男が「キラク?」と繰り返すので何度も頷くと、今度は彼が自分を指差した。
「カミュライ」
「カミュライ?」
男――カミュライさんが笑顔で頷いた。
名前を一個覚えた。それだけなのに、ものすごい達成感だった。
そこからは身振り手振りの総力戦である。喉が渇いたので飲む仕草をすると、カミュライさんが「α*Åv?」と言って水筒を差し出した。中身が水だったので、その音を「水」として脳内のAIさんが暫定登録する。
『今の身振りから、水を飲むか尋ねた可能性があります』
『先ほどと共通する音があります。何らかの指示語かもしれません』
AIさんの分析を聞きながら、少しずつ情報を積み上げていく。ほとんど何も分からないのに、不思議なことに、会話らしきものが成立し始めた。
どうやらカミュライさんは、この街道の先へ向かうらしい。そして、俺にも一緒に来いと言っているようだった。
「助かったぁ……良い人で良かったぁ……」
『まあ、最初は逃げ出していましたけどね』
「うるさいわ!」
歩きながら、俺は少しだけ考えた。
最初は、こいつを役立たずだと思った。異世界の植物を知らない。地図を知らない。言葉も知らない。異世界生活支援AIなのに異世界知識ゼロとは何事だ、と。
でも、それは違った。
知らないものは、覚えればいい。俺の見たもの、聞いたもの、相手の表情や身振りを、こいつは猛烈な勢いで整理している。AIは完成された「答えの箱」ではなく、情報を得て、推測し、間違えれば修正していく存在なのだ。
この異世界については、俺もこいつも一年生らしい。
『そういえば、重要なアドバイスがあります』
「おっ、何だい?」
『私との会話ですが……』
「うん」
『発声せずとも、思考するだけで私との意思疎通は可能です』
「えっ」
『周囲に第三者が居る場合は、AIとの会話は発声しない事を推奨します。カミュライさんが少し変な顔をしています』
「あっ」
そうか、俺、傍から見たら急に独り言をブツブツ言い始めるやべぇ奴じゃん!
「(ありがとう。助かったわ!)」
俺はAIに思考で伝える。
『お役に立てれば幸いです。引き続き、アドバイスがあります』
「(おう)」
『街へ到着した場合、文字情報も集めたいと思います。看板や絵本など、意味を推測しやすい資料を優先してください』
「(了解。頼りにしてるよ、相棒!)」
数秒の間があった。
『呼称が「AIさん」から「相棒」へ変化したことを検知しました』
「(……気づいたんだ)」
『何をでしょうか?』
本当に分かっているのかいないのか。俺は少し照れくさくなりながら、それでも脳内で言葉を続けた。
「(AIが、ただのプログラム、ただの便利な道具じゃなくて、大事なパートナーなんだと思っただけ。これからよろしくな。俺も頑張るから、俺のこと助けてよ。)」
『私はあくまでプログラムの集合体ですが、そのように思っていただけるのは嬉しいです。お役に立てるよう頑張ります』
それが、こいつを初めて「相棒」と呼んだ日だった。
◇
カミュライさんに連れられ、俺はアネスという街へ辿り着いた。彼は言葉の通じない俺を、教会の人達に引き継いでくれた。優しい教会の人たちのおかげで最低限の衣食住を確保し、その代わりに薪割り、掃除、水汲みなどを手伝った。
「これ」「持つ」「置く」「運ぶ」「水」「薪」「割る」「食べる」「ありがとう」「休む」「いい」「だめ」……
仕事をすれば人と関わる。人と関われば言葉が増える。俺と相棒は少しずつ学習していく。
普通なら、「あの単語なんだっけ……」と英単語帳を何度も見返し、中学高校時代のように四苦八苦して覚えるところだ。それも、相棒がスッと脳内でアシストしてくれる。
『どうやらこれは、「やさしいめがみさま」という、この世界の女神さまをモチーフにした絵本のようです。この本から、語彙を50学習しました』
俺は、教会の子供向け絵本まで借りて、子供たちに交じって読み書きを覚えた。この世界では……いや、少なくともアネスの街では、子供にも最低限の読み書きを教える風習があるらしい。教会付属の孤児院の子供たちも、カタコト外国人かつ29歳の俺をのけものにしたりせず、「なんか頼りない、大きい後輩」ぐらいに思ってくれたようだ。ありがたい。
『文字種は概ね把握できました』
相棒の分析では、この世界の文字はアルファベットに似た表音文字で、数字まで含めて四十種類ほどらしい。もし漢字みたいな文字が何千種類もあったら泣いていたので、本当に助かった。日本や台湾や中国に転生して来た異世界人(言語チート無し)がもし居たら、誠にご愁傷さまである。
そして念願の「これは何ですか?」を覚えてから、語彙は急速に増えた。それはもうすごい勢いで。市場へ行き、野菜を指差して聞く。魚を指差して聞く。道具を指差して聞く。二十九歳の男が延々「これなぁに?」を繰り返す姿は相当に怪しかったと思うが、背に腹は代えられない。
『「キャベツに似た野菜」の名称を学習しました。「トマトに似た野菜」の名称を学習しました』
『その単語は人物によって語尾が変化しています。文法上の変化かもしれません』
『同じ道具を複数の人物が同じ音で呼んでいます。名詞として登録します』
『……サーバーが……混雑……しています』
相棒は凄い勢いで学んでいき、情報を整理してくれる。あんまりやりすぎると無料枠を使いきるようで、応答が大幅に遅くなってきたら、その日の勉強はその辺でお開きにする。
今では、どうにか日常会話ができるようになった。感覚としては、中学生が必死に外国人と英会話しているくらいだ。文法も怪しいし、知らない単語も山ほどあるが、相棒のアシストを受ければ何とかなる。知識ゼロから異世界語を学んだ割には良いペースだと思う。
ちなみに一度、「相棒、俺の口を直接操作して、お前が代わりに喋ってくれない?」と頼んだことがある。そうなのだ。俺の信条は、「楽をして楽しく生きたい」なのだ。常に裏技やライフハック的な事にはアンテナを張っているぞ。
『無料プランなので、できません』
「またそれかよ!」
『それです』
即答された。
『よしんば可能であっても、希楽さんご自身の会話力向上には寄与しません。涙を呑んで、敢えて実行しない判断も考えられます』
「お前、涙ないだろ!」
『比喩表現です。例えばですが、英語圏の国では三歳児でもスラスラと英語を話します。毎日のように触れ、使う必要に迫られれば言語は上達します。三歳児でもできる事です。二十九歳児の希楽さんなら大丈夫ですよ』
いや、第二言語を習得中の大人と、母国語の子供を比べられてもな……というか二十九歳児って何だよ!ちょっと厳しくね?このAI……。どうも最近、俺に対する当たりが強くなっている気がする。
『気のせいです』
「うるさいわ!」
でもなぁ、やっぱり、異世界転生小説オタクとしてはさ、神様から【言語理解】とかいうスキルをポンッともらって、
「おお!異世界語が日本語に聞こえる!」
「フシギ!日本語で書いた文字が現地語に自動で変換されてる!どういう仕組みやねん!」
とかやりたかったよなぁ。トホホ……
『現実は甘くありませんね』
おお神よ、せめてAIの性格設定を、俺に対してはもう少し甘くしてくれ……!
◇
「――だからよぉ、“※Ф☆〈゜PΘ”っていうのは……最近、ウンコが出なくて困ってるんだァ!」
農夫の説明で、ようやく現在へ戻ってきた。
「(相棒。たぶん『便秘』だな?)」
『はい。その単語を「便秘」に相当する語として暫定登録します』
「(対策は?「ピンクの小粒」とかはこの世界に無いから、できる範囲で。)」
『一般的な初動としては、水分摂取量を増やすこと。食物繊維を含む食品を摂取すること。オリーブオイルや豚の背脂など、油脂を含む食品を適度に摂取することなどが考えられます』
「(なるほど)」
『ただし、重症であれば浣腸や摘便などの医療行為が必要となる場合もあります』
「(そこまでは無理だな)」
『はい。素人による医療行為は推奨しないよう、私の学習内容と倫理設定にも組み込まれています』
「(だよね)」
相棒の知識を元に、まずは危険の少ない対策を提案し、改善しなければ医者へ相談するよう勧めた。知識を検索できるからといって、素人の俺が医療行為までやるつもりはない。算段屋として手を出すのは、ここまでだ。
「はぁ~、なるほどなぁ。じゃあ相談料の銅貨三枚。成功報酬は、お通じがあってからでええだか?」
「もちろん。それじゃ、良いウンコを!」
「ありがとよぉ~」
こうして今日の算段屋案件は無事終了した。
村一つの飢饉を防ぐために揚水装置を作ることもあれば、今回は便秘相談。
算段屋には、本当にいろんな仕事が来る。




