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第一話 算段屋、日照りの村を救う

「……ひどいな、これは」

照りつける太陽の下、俺は丘の上に広がる畑を見渡した。


乾ききった土には細かな亀裂が走り、植えられた作物は力なく葉を垂らしている。すでに茶色く枯れ始めた株もあり、顔を上げれば、そちらの事情など知ったことか……と言わんばかりの澄みきった青空が広がっていた。


「もう二十日以上、まともな雨が降っておりませんのじゃ……」

隣に立つ村長が、深く刻まれた皺を寄せて言った。

「これまでは山の泉から水を引いておったのですが、それも三日前にとうとう枯れましてな……」


丘の下にはそこそこの水量を保った川が流れており、村の男たちや子供たちが桶を抱えて斜面を往復していた。川で水を汲んで坂を上り、畑へ撒いて、空の桶を持ってまた下りる。何十人が一日中続けたところで、広い畑を相手にしては焼け石に水だろう。


このまま作物が全滅すれば、次に来るのは飢えだ。丘の下には水がある。必要なのは、それを畑まで持ち上げる方法――ただそれだけ。

……言うだけなら簡単なんだけどな。


俺はふと、この世界へ来てから時々忘れそうになることを思い出した。ここは一応、剣と魔法の異世界なのだ。

「村長さん。この村に、水を操る魔法を使える人っていません?」

「おりますが……」


呼ばれてきたのは、日に焼けた若い農夫だった。

彼が川へ向かって両手をかざし、短い呪文を唱えると、水面から桶一杯ほどの水がふわりと持ち上がる。その水塊はゆっくり坂を上り、畑の一角へざばりと落ちた。


「おお、できるじゃん!」

思わず声を上げた直後、頭の中に落ち着いた女性の声が響いた。

『今の一回で、術者の呼吸数が大幅に上昇しています。継続運用には問題がありそうです』

「え?」


見れば、青年は膝に両手をつき、肩で大きく息をしていた。「はぁ……はぁ……これを、一日十回……頑張って十五回くらいなら……」と絞り出す彼に、俺は慌てて手を振った。

「ごめん。もういいから休んで」


なるほど。魔法は確かに存在するが、元の世界で読んでいた小説のように、手を振れば川一本分の水が空を飛ぶわけではないらしい。


この世界で広く使われているのは、火を起こす、少量の水を動かす、身体や衣服の汚れを落とす、といった生活魔法だ。便利ではあるものの、魔力という疲労に似た資源を消費する以上、人力を無限に代替してくれるものではない。


ちなみに、頭の中の「相棒」も魔法について詳しいわけではない。俺たちがこの世界へ来た時点では完全に知識ゼロで、今も俺が見聞きした情報を蓄積しながら、一緒になって勉強している最中だ。


「(魔法での大量輸送は無理、と。じゃあ低いところから水を汲み上げる仕組みを考えるしかないな)」

『同意します』

「(揚水水車とか……あと、縄に竹筒みたいなのをいっぱい付けて、ぐるぐる回して水を上へ運ぶやつ、なかったっけ?)」

『揚水水車は、水車で水を汲み、水力で水車を回して揚水しますが、高低差が大きい場所には不向きです』

「(なるほど)」

『後者は、竹筒を用いたチェーンポンプに近い構造と思われます。無端状の縄へ一定間隔で容器を取り付け、下部で水を汲み、それを連続的に上方へ運ぶ方式です』

「(ああ、それそれ。要は小さい容器が連続して水を汲み上げる装置。水車と組み合わせたら自動化できそう?)」

『可能性はあります。川の流れで水車を回し、その回転を縄へ伝達すれば、人力をほとんど使わずに連続揚水できます。ただし、竹に相当する植物はこの周辺で確認されていません』

「(ですよねー)」


そう都合よく必要な材料まで生えていてはくれない。だが、完全な竹筒である必要もなく、水を保持できる小さな木製容器なら、この村の技術でも作れる可能性がある。


普通のポンプも一応検討した。だが、加工精度や部品製造の問題を考えると、今まさに枯れかけている畑を救う緊急対策には向いていない。そこは俺も相棒も同意見だった。

半年後に完成する完璧な機械より、三日後に動く不格好な機械のほうが役に立つ。元社内システムエンジニアとして、そういう案件には覚えがある。


「村長さん。ひとつ試したい方法があります。ただし、いきなり大きいものを作るのは危ないので、まず小型で実験させてください」


期待に満ちた村長の顔が、最後の一言で少しだけ曇った。仕方ない。俺は発明家でも機械工でもなく、仕組みを知識として知っているだけなのだ。


もっとも、この頭の中の「相棒」も、最初からこんなに頼りになったわけではない。


◇


話は、少し前に遡る。


俺の名前は伊幸希楽――いこう・きらく、二十九歳。人生の信条は「楽をして楽しく生きたい。ただし、そのための努力は惜しまない」である。

一度頑張れば、そのあと百回楽ができる。そういう仕組みを作るためなら、努力や苦労は惜しまない。俺はそんな人間だ。


元の世界では社内システムエンジニアをしていた。パソコンが動かないと言われれば見に行き、ネットワークがおかしければ調べ、新しいシステムを導入するときは業者と調整し、面倒な定型作業を見つければプログラムを書いたり、適切なソリューションを見つけて効率化していた。つまり、肩書きこそシステムエンジニアだが、実態は社内のIT何でも屋だった。


そんな俺はある日、トラックに轢かれて死んだ。


いやはや、我ながらベタすぎる。趣味で異世界転生ものの小説を読み漁っていた俺ですら、まさか自分がこのテンプレートを踏むとは思わなかった。


次に目を覚ました場所は、床も壁も天井も真っ白な空間だった。そして目の前には、真っ白な髭を蓄えた、見事なまでのつるっぱげ老人が立っていた。


「申し訳なかった。そなたは本来、今死ぬ運命ではなかったのじゃ」

「……はい?」


老人――自称ではなく本物の神様らしい――は、深々と頭を下げた。どうやら神様の手違いによって、本来死ぬはずではなかった俺が死んでしまったらしい。

神様もミスするんだな、意外と人間くさい!親近感が湧くなあ。だから許すか。

……とは、さすがにならない。


「いやいやいや! どうするんですか、これ!」

「誠に申し訳ない」

改めて深々と首を垂れるつるっぱげ。テカっててちょっとまぶしい。


「――じゃが」

今度は、そのつるっぱげがまっすぐ俺の目を見てきた。

「……一度途切れた命を、そのまま元の世界へ戻すことはできん。代わりと言ってはなんじゃが、わしの娘が管理しておる世界で、新たな人生を歩んではもらえんじゃろうか」


聞けば、文明程度は地球で言う中世ヨーロッパ前後。剣と魔法の異世界。それだけなら不安のほうが大きかったが、神様は詫びとして一つの能力をくれると言った。


「そなたの頭の中へ、異世界生活を支援するAIを付与しよう。地球にあるChatG――」

そこでなぜか、神様の口元に謎の雑音が走った。

「――Tと同等の頭脳および学習データを持たせ、さらに異世界からでも地球の最新Web情報へ接続可能にしておく」


それを聞いた瞬間、俺の頭の中では異世界生活の勝利プランが完成した。中世程度の文明へ、地球の膨大な知識を持ち込める。俺が知らないことだってAIに聞けばいいのだから、農業、料理、医学、建築、産業――やりたい放題ではないか。


「異世界のみんなー!『マヨネーズ』って知ってっかー?」

「きゃー!おいしー!」


「異世界のみんなー!『リバーシ』って知ってっかー?」

「なにこれー!おもしろーい!」


もちろん、サポートAIだって役に立つこと必至だ。


「AI!この辺で価値のある草を鑑定!」

『はいマスター。茂みの奥の赤い草は回復薬の原料で、平均買取価格は銀貨1枚です』

「ご苦労!いやぁ、現金同等物がたくさん落ちてて、笑いが止まりませんねぇ~!」


「AI!冒険者ギルドの受付さんを鑑定!」

『はいマスター。エリスさん、19歳独身、彼氏や配偶者無し、マスターへの好意度95%です』

「俺にベタ惚れですやん……デート誘ってみよっと!」


地球の文明で無双して、楽に大金を稼いで、後は彼女を作って悠々自適のスローライフ。俺の脳内では、3秒ほどで異世界でのライフプランが完成した。


「行きます」

「即答じゃな」

「よろしくお願いします」


こうして俺は、異世界へ送り出された。


そして異世界へ到着して五分後――

俺の華麗なるライフプランは、あっけなく崩壊した。


◇


目を開くと、俺は草原に立っていた。見たこともないほど澄んだ青空。遠くには深い森。風が草を波のように揺らしている。


「おお……」

思わず声が漏れた。本当に異世界だ!

身体を見る。服も着ている。手も足もある。痛いところもない。五体満足に転移できたようだ。


「よっしゃ!」

俺は拳を握って喜んだ。ならば早速、異世界転移者らしくやってみようじゃないか。

「AIさん!」

『はい』

頭の中に、落ち着いた女性の声が響いた。


「おお、本当にいる!」

『はい。存在しています』

「じゃあ早速いってみよう。あの赤い草を、鑑定!」


俺は、足元に生えていた見慣れない妙に赤い草を、ビシッ!と指差しながら脳内AIに指示した。


『不明です』

「えっ」

『地球上の既知植物とは一致しません』

「えっ」

『はい』


「いやいや、そこはさ、『回復薬の原料になる何とか草です』とか、『毒があります』みたいな答えじゃないの?」

『知識がありません』

「えっ」

『えっ』


こいつ今、俺の真似しなかったか?


「異世界生活支援AIなのに?」

『神様は、「地球のAIと同等の頭脳および学習データを持つ」と説明したはずです。この植物が地球に存在しない以上、地球のWebを検索しても情報はありません』

「あっ……」

『お気の毒ですが』


妙に優しい言い方が余計に心へ刺さった。鑑定チートで珍しい薬草を見つけて大儲け、という俺の計画は開始五分で消滅したのである。


「俺の……鑑定チートで大儲けルートが……」

『現時点では困難と思われます』

「現時点ってことは、将来は?」

『この世界に関する情報を十分に収集できれば、既知の対象について回答することは可能になると思われます』


俺は顔を上げた。

なるほど。最初から異世界の攻略本を持っているわけじゃない。でも、俺がこの世界を見て、聞いて、調べていけば、こいつも覚えていく。なら……完全なハズレというわけでもない。たぶん。きっと。いや、そうであってくれないと困る。


「じゃあ、方角とか分からない?」

『分かります。あちらが北です』

「おお! 便利じゃん!」

『ただし地図がありませんので、どちらへ向かえば人里に到達するかは分かりません』

「デスヨネー」


方角などのセンサー機能は使えた。さらに一般的なサバイバル知識も豊富なので、川を見つけたら下流へ進む、人工物を見つけたら道を辿る、といった助言もしてくれた。異世界について知らないだけで、決して無能ではなかった。


ただし、もう一つ問題があった。


「AIさん?」

『…………はい。何で……しょうか』

「なんか反応、遅くなってない?」

『……確認……しました。どうやら私の現在の機能は……地球で提供されている無料利用枠相当……のようです。短時間に利用を集中させると……応答速度の低下、あるいは一時的な制限が……』

「神様ぁぁぁ! 変なところでシビアすぎるだろぉぉぉ!」


俺の叫びだけが、異世界の草原にむなしく響いた。

とまぁ、そんな具合である。


◇


「――ラク様?」

村長に呼ばれ、俺は現在へ引き戻された。どうやら回想に入り込みすぎていたらしい。

「すみません。じゃあ、試作品を作ってみましょう」


地面へ簡単な図を描き、村の木工職人たちにも集まってもらった。川の横へ水車を置き、その回転で輪状の縄を動かす。縄へ小さな木製容器を一定間隔で取り付け、下で水を汲み、斜面の上まで運んで樋へ落とす。


説明を終えると、職人の一人が怪訝そうな顔をした。

「本当にそんなので水が上まで行くんですかい?」

俺は正直に答えた。

「たぶん。だから、まずは小さいので試すんです」


元の会社でも、本番環境へいきなりぶち込むな、まず検証環境で試せ、と散々言ってきた。どうやら異世界でも変わらぬ真理のようだ。


当然、一発では成功しなかった。最初は縄が滑車から外れ、次は木の容器がうまく水を汲めず、汲めるようになったと思えば斜面を上る途中で半分以上こぼれた。相棒が角度や張力を提案し、職人が木材の癖を指摘し、村人が水に強い木を教えてくれる。試して、失敗して、また直した。


四回目の試作で、木製の小さな容器が水を抱えたまま上端へ届いた。容器が傾き、ぽしゃりと樋へ水を落とす。続く二個目、三個目からも水が落ち、細いながら確かな流れができた。


「……いけるな」

『原理上は成功です。ただし大型化した場合、縄の強度や摩擦、総重量、必要な駆動力は変化します』

「分かってるって。こういう時くらい一緒に喜んでよ」

『重要な注意事項です』

「現実的すぎるんだよ、お前は。でもまぁ、そのおかげで助かってるよ」


可能性が見えれば、あとは村総出だった。川へ水車を設置し、斜面に沿って長い縄を張り、村の職人たちが削り出した木製容器を取り付ける。縄がたるめば張り直し、水車の力が伝わらなければ軸を組み直し、重すぎて止まれば容器の数を減らした。


俺と相棒だけでは作れない。地球の知識だけでも作れないし、村の技術だけでもこの形にはならなかっただろう。みんなが知っているものを持ち寄り、この世界で実際に作れる形へ落とし込んでいく。


数日後、川の流れを受けた水車が、ぎい、ぎい、と音を立てて回り始めた。連動する縄が斜面を上り、木の容器が次々と川へ沈んでは、水を抱えて丘の上へ運ばれていく。

やがて樋へ落ちた水が一本の流れとなり、乾ききった畑へ届いた。

土の色が、ゆっくりと濃く変わっていった。


一拍遅れて、大歓声が上がった。子供たちが水路に沿って走り、大人たちも笑いながらそれを追う。これで日照りが終わったわけではないし、畑全部を潤沢に潤せるほどの量でもない。それでも、人間が食事をしている間も眠っている間も、川そのものが働き続けてくれる。


「俺が魔法を使わなくても、水が丘を上っていく……」

水魔法を見せてくれた青年が、少々複雑そうな顔で装置を眺めていた。「便利でしょ?」と笑う俺に対し、相棒は『魔法と機械では用途が異なりますので、単純比較は不適切です』と容赦がない。


「(相棒、そこは『魔法よりすごいですね』って言っとこうよ)」

『なお、縄の摩耗が想定より早い可能性があります。定期点検を推奨します』

「(はいよ!職人に伝えておくよ)」


仕事を終えると、村長は何度も頭を下げた。


「サンダン……?の、キラク様。本当にありがとうございました。村の命を救っていただいた対価としては少なく、誠に申し訳ないのですが、成功報酬の銀貨百枚です。これがこの村には精一杯なのですじゃ……」


差し出された袋はずしりと重かった。これから飢えるかもしれない村から根こそぎ金を持っていく趣味はないし、商売というものは一回むしり取れば終わりではない。


「十分ですよ。また来ますから、その時に美味いものでも食わせてください」

「……もちろんですじゃ!」

俺は笑顔の村長と、固く握手した。


こうして今回の仕事は無事終了した。


そうそう。大事な説明が抜けていた。異世界へ来た俺が何をして食っているのかというと、今は「算段屋」という商売をしている。困りごとの相談を受け、少額の相談料をもらい、実際に解決できたら成果に見合った成功報酬を受け取る。現代風に言えばコンサルタントに近いが、俺は落語好きなので、古典落語『算段の平兵衛』から名前を拝借した。


最初は当然ながら胡散臭がられた。知らない男が「金をくれれば知恵を貸します」などと言っているのだから、俺だって警戒する。それでも小さな問題を親身に解決しているうちに口コミが広がり、どうにか飯を食えるくらいにはなった。


「あーあ。江戸時代へタイムスリップだったら、『脚気の治し方知ってまっせ。二千両でどないでっか? 治らんかったらお代はいりまへん』とか言えたのになぁ」

『なぜ悪巧みをするときだけ、エセ関西弁になるのでしょうか』

「俺も分からん。関西の人には申し訳ないと思ってる」


俺は丘を下りながら、水車を振り返った。

異世界のことなんて、俺も相棒もまだほとんど知らない。だから見て、聞いて、教えてもらって、二人で考える。失敗したら、また考えればいい。

楽をして楽しく生きたいだけなのに、なぜか毎回ものすごく苦労している気もするが――まあ、そこは考えないことにしよう。


この世界に来てから本当に色々あったが、そんな感じで、今日まで何とかやってこれた。


これは、つるっぱげ神様の凡ミスで突然異世界へ放り込まれた俺――伊幸希楽と、頭の中に住み着いた少々融通の利かないAIの「相棒」が、楽をして楽しく生きるために、なぜか毎回必死になって創意工夫する……そんな物語である。


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