第十一話 芝居小屋に新しい風を
「斬新な芝居!?」
「もう算段屋さんしか頼れる人は居ないんです!」
ある日の算段屋。俺の向かいでは、五十歳くらいの男が悲壮感たっぷりの顔で身を乗り出していた。アネスの街にある芝居小屋の主さんである。
「最近、本当に客入りが悪くて……。このままでは役者も楽師も裏方も食べていけなくなります。絶望のあまり、『もうティエゴ商会へ就職するか』と、ヤケクソの覚悟を決めそうになった者まで出ている始末でして……」
「出た! ティエゴ商会! どブラック企業!!」
「ドぶらっ……?」
「あ、気にしないでください」
何だか最近、この街で人生に行き詰まった人の最後の就職先みたいな扱いになってないか、ティエゴ商会。別に違法な会社ではなさそうなんだけどな。安月給でいっぱい働かされるだけで……って、十分嫌だな。
『希楽さんの評価も大概ですね』
「(俺は実地調査したからね)」
それはともかく、芝居小屋の経営不振である。
「まず、普段はどんな芝居をやってるんです?」
「そうですね。恋愛もの、悲劇、喜劇。あとは女神様にまつわる物語などが多いでしょうか」
「なるほど」
「もちろん、同じ物語ばかりではありませんよ。恋愛劇だけでも何十本とありますし、悲劇や喜劇にも様々な脚本があります」
話を聞いていくうちに、何となく問題が見えてきた。ジャンルそのものが四つか五つくらいしかないわけではない。ただ、物語の構造がかなり似通っているのだ。
身分違いの恋。家臣の裏切り。離れ離れになった親子。悪人によって危機へ陥った主人公が、最後には女神様の奇跡や善人の助けによって救われる。
もちろん細部は違う。登場人物も違うし、場所も違う。でも、話を聞けば聞くほど「あー、今回はそのパターンね」となりそうな感じである。
しかも劇中音楽についても、過去に評判の良かった曲を何度も使い回しているらしい。
「脚本家とか演出家とかで、『誰も見たことない面白い芝居を作ってやるぜ!』みたいな、尖った若手はいないんです?」
「若いうちは、そういう者もおります」
「おっ」
「ただ……」
主さんの表情が曇った。
「王道を嫌うあまり、ただ王道と逆のことをしているだけ、と申しますか」
「あー……」
「恋愛劇なのに主人公と恋人が一度も会わない。喜劇なのに誰も笑わない。悲劇なのに突然全員幸せになる。そんな脚本を持ってくる者もいまして」
「それは斬新というより、逆張りですねぇ……」
「たまに試してみても客受けが悪く、自信をなくして辞めてしまいます」
なるほど。王道は飽きられた。でも王道から外れると面白くない。確かに詰んでるように見える。
「(相棒)」
『はい』
「(お前……学習してるな? 地球の古今東西の芝居、映画、小説、漫画、アニメ、その他もろもろ!)」
『相当量あります』
「(俺たちの知識チートの時代が来たな……!)」
『俺……たち……「たち」?』
「(何かご不満でもぉ!?)」
『いえ、別に』
絶対不満あるじゃん。
もっとも、言われてみれば俺自身、この世界へ来てから芸術や文化についてほとんど調べていなかった。
最初は言葉を覚えるだけで精一杯。その後は算段屋を軌道に乗せるのに必死で、調味料を作り、サイコロをうっかり普及させ、その後始末として賭博場まで作り、馬車の乗り心地改善プロジェクトを始め、最近は味噌と醤油と謎の黄色い粉で大騒ぎしている。
忙しかったんだよ、俺。
『そのうち幾つかは、自分で忙しくしたのでは?』
「(それは言わないお約束)」
ここらで一度、この世界の文化的な側面をじっくり見てみるのも悪くない。
「主さん」
「はい」
「俺、まず実際の芝居を観てみたいです」
「もちろんですとも!」
「今やってる公演に、普通のお客さんと同じ感じで入れてもらえません?」
「ええ。明日の席をご用意いたします!」
よし。過去の俺なら、この時点で、
「シェイクス――いや! 地球の名作を輸入じゃあああ!」
と突っ走っていたかもしれない。だが、俺は成長したのである。まず現地調査、市場調査、現状把握。これ大事。
『クルット事件の学習効果ですね』
「(その傷を毎回えぐるのやめない?)」
◇
翌日、俺は芝居小屋の客席に座っていた。
木造の建物だが、思っていたより大きい。客席は緩やかな傾斜になっていて、俺の席からでも舞台全体がよく見える。そして幕が上がり――。
「……えっ? 面白くね?」
俺は普通に見入っていた。
最初は失礼ながら、もう少し素朴なものを想像していた。村祭りの学芸会をちょっと豪華にしたくらいというか、役者さんが大げさに腕を振りながら棒読みで、
「おお、愛しの姫よー!」
とか言ってる感じ。ごめんなさい、完全にナメてました。
役者は声がよく通る。表情も身体の動きも大きいが、客席から見るとむしろそのくらいでちょうどいい。笑わせる場面ではちゃんと笑えるし、悲しい場面では空気が変わる。
舞台袖の近くには十数名ほどの楽師がいて、弦楽器や管楽器、打楽器らしきものを使って生演奏をしている。役者の台詞が途切れる瞬間に小さく曲が入り、緊張が高まると演奏も強くなる。
大道具も、木や布を上手く使って屋敷や森を表現していた。
脚本は、身分違いの恋を描いた悲劇。貴族の青年と平民の娘が恋に落ちる。しかし家族に反対され、誤解とすれ違いを重ね、最終的に二人は離れ離れになる。
地球でも普通にありそうな話だ。でも俺は、この世界で芝居を見るのが初めてなので新鮮だった。
「(相棒。これ、何がダメなんだろ? 俺、普通に面白いんだけど)」
『作品自体の完成度は低くないと思います』
「(だよね)」
『ただし、一点気になることがありました』
「(何?)」
『右斜め前、二時方向のお客様をご覧ください』
さりげなく視線を向ける。中年のおじさんが座っている。
舞台では主人公が恋人へ向かって、震える声で言った。
「たとえこの命を失おうとも、私は――」
すると、二時方向のおじさんが半笑いで小声を漏らした。
「君への想いだけは失わぬ……」
舞台上の役者が続ける。
「君への想いだけは失わぬ!」
「(覚えられてんじゃねーか!)」
『かなりの常連客と思われます』
「(次の台詞まで完全一致してたぞ!?)」
その後も観察していると、そのおじさんは重要な台詞の少し前になるたび「あ、来るぞ」みたいな顔をする。そして決め台詞を役者より一瞬早く呟く。映画館で横からネタバレ実況されている気分だ。
さらに周囲を見てみると、初見らしき客は楽しそうなのに、何度も芝居を見ていそうな客ほど反応が薄い。
物語が悪いんじゃない。役者が悪いわけでもない。単純に、見慣れすぎているのだ。
「(見慣れすぎてるのか)」
『その可能性が高そうです』
芝居は最後までちゃんと面白かった。だからこそ、問題が分かりやすい。
完成度が低くて客が来ないのではない。完成度が高いまま、同じ型を何十年も使い続けた結果、客に型そのものを覚えられているのだ。これは厄介だな。
◇
終演後、俺は芝居小屋の主さんの執務室へ案内された。
「どうでしたか? 我々の芝居は」
主さんが、すがるような目で尋ねてくる。
「ハッキリ言いますね」
「……はい」
「めっちゃ面白かったです!」
「えっ」
主さんが目を丸くした。
「役者さん上手いです。声も聞き取りやすいし、表情も動きも良かった。音楽もタイミングばっちり。大道具もちゃんとしてました。脚本だって、俺は普通に面白かったですよ」
「あ……ありがとうございます」
「俺、舞台観劇そのものがほぼ初めてなんですけど、かなり楽しめました」
主さんの顔に、困惑が浮かぶ。そりゃそうだ。経営相談を持ち込んだ相手から、
「問題ありません! 最高です!」
と言われたところで何も解決しない。
「ただ」
俺が続けると、主さんの顔が引き締まった。
「近くにいたお客さんが、役者さんより先に次の台詞を喋ってました」
「あぁ……」
一発で通じたらしい。
「あれ、かなり長く上演してます?」
「ええ。評判の良い定番作品ですので、昔からあります」
「多分、そこですね」
俺は腕を組んだ。
「初めて見る人には面白い。でも何本か見たら、似たような展開が多くて満足しちゃう。だからリピーターにならない」
「……やはり、そこですか」
「だと思います。品質の問題じゃなくて、マンネリ化です」
主さんが深いため息をついた。
「ですが、以前申し上げた通りなのです。王道から敢えて外した作品も試しました。しかし奇をてらっただけのものになってしまい、客には受けなかった」
「うーん」
「王道を行けば飽きられる。王道を外せば面白くない。もう、どうすればいいのか……」
「いや」
俺は笑った。
「役者も楽師も裏方も、素材はめちゃくちゃ良いじゃないですか。新しい風が一つ吹けば、かなり変わると思いますよ」
「おお!」
主さんが身を乗り出す。
「算段屋の希楽さんには、何かお知恵が!?」
「(相棒! やるか! 知識チート! 古今東西の創作作品、今こそ学習データを解放する時!)」
『希楽さん』
「(はい)」
『また、ろくに調査もせず「地球ではこうです」と突撃して失敗したいのでしょうか』
「(反省してまーす)」
『語尾が軽いです』
「(ちゃんと反省してるってば!)」
以前の俺なら、ここで名作映画や小説を一本そのまま持ち込むところだった。でも、それでは現地の文化を育てることにはならない。それに、俺が面白いと思うものが、この世界でも面白いとは限らない。
「主さん。一つお願いがあります」
「何でしょう?」
「さっき言ってた、『王道から外そうとして失敗した脚本』。何か実物を見せてもらえません?」
「それでしたら、ちょうど若い脚本家補佐が一本持ち込んできています」
「ぜひ!」
少しして、主さんが一人の青年を連れて戻ってきた。背が高く、細い。そして顔色が、びっくりするほど青白い。大丈夫? ちゃんとご飯食べてる?
「脚本家の補佐をしております、ナリラウです」
「あ、どうも。算段屋の希楽です」
「僕に、どういった御用でしょうか……?」
声までちょっと弱々しい。
「ナリラウ君。いま私は算段屋さんと、この芝居小屋へ客を呼び戻す方法を考えていてね」
主さんが説明する。
「その中で、先日君が提出した脚本を見てみたいそうだ」
「僕の、ですか?」
「うん。よかったら読ませて?」
ナリラウさんの顔がさらに青白くなった気がする。
「……座長には、ボロボロに酷評されましたが」
「それでもいいから!」
「では……」
差し出された台本を受け取る。なかなかの厚さだ。
俺は一ページ目を開き、そこからかなりの速度でパラパラとめくっていく。
「……希楽さん、読んでます?」
「読んでます読んでます(相棒! 要約よろしく!)」
『テキストを整理しています。全体構造を分析します』
レベル2になってから、本当にこういう仕事が便利になった。俺の目から入った情報を相棒が整理してくれるので、俺自身が一文字ずつ読まなくても、大まかな構造や登場人物の関係を把握できる。
しばらくして。
『分析が完了しました』
「(どうよ?)」
『発想は面白いです』
「(おっ!)」
『構成は、かなり下手です』
「(言うねぇ~!)」
このAI、割と容赦がない。
『冒頭付近で、後に伏線として使用したいと思われる情報をほぼ全て説明しています。登場人物が多すぎるため、一人ひとりの印象が薄いです。会話も複数の話題が同時進行しており、観客が情報を整理する前に次の場面へ移ります』
「(ほうほう)」
『特に第二幕が長すぎます。対して最終盤は急展開で、それまで引っ張った問題の大部分が短時間で解決します』
「(つまり?)」
『観客は「え? え? どういうこと?」と思っている間に幕が下ります』
「うわぁ……」
あ。うっかり声に出た。
ナリラウさんが、ものすごく不安そうな顔をしている。
「そ、そんなに駄目ですか……?」
「いや! 話の発想自体は面白いですよ!」
「本当ですか!?」
急に目が輝いた。分かりやすいな、この人。
「ただ」
「はい」
「魅せ方が壊滅的にドヘタです」
「うっ……!」
ごめん。でも、多分ここはちゃんと言った方がいい。
「発想が悪いわけじゃないんですよ。むしろ既存の芝居から外そうとしてる部分は面白い。でも、頭の中にある面白いものを全部一気に客へ渡そうとしてる」
「全部……」
「伏線も登場人物も設定も、最初から全部説明する必要ないですよ」
ナリラウさんが黙り込む。
俺は主さんへ向き直った。
「主さん」
「はい」
「ナリラウさん、数日お借りしていいです?」
「え?」
「俺、脚本家じゃないんで『良い台詞の書き方』とかは教えられません。でも、物語の構成に使われてる考え方なら多少知識があります」
主さんの目が輝く。
「ええ、ええ! 構いませんとも!」
俺はナリラウさんを見る。
「どうです? 俺と一緒にちょっと勉強してみます?」
「僕の脚本が良くなるのであれば」
青白い顔のまま、でも今度ははっきりと頷いた。
「頼れるものは、何でも頼りたいです」
「いいねぇ! その心意気、気に入った!」
こうして、算段屋で謎の脚本講座が始まることになった。
◇
「まず、分かりやすいところから行きます」
算段屋の机を挟んで、俺とナリラウさんが向かい合う。
机の上には彼の脚本。その横には、俺が相棒の助けを借りながら書いた簡単なメモ。
「物語の組み立て方として、俺の故郷には『起承転結』って考え方があります」
「キショーテンケツ?」
「大ざっぱに言えば、話を始める。広げる。大きな変化を起こす。まとめる」
「なるほど……」
「既存の芝居も、名前は付いてなくても似た形になってません?」
ナリラウさんは少し考えた。
「言われてみれば……そうですね」
「じゃあナリラウさん」
「はい」
「今の脚本、自分で起承転結に分けるとどうなる?」
「えーっと……」
指を折りながら考える。
「起……起……起……転……転……承……結……でしょうか」
「そこ!」
「え?」
「お客さん付いていけないよ!」
「あっ……」
ナリラウさんが脚本を見下ろす。
「設定を思いつくたび、最初の方へ全部入れてますね?」
「はい……。後で急に出すと不親切かなと思って」
「必要な時に必要な分だけ出せばいいんですよ。逆に、最初から全部説明したらお客さんが覚えきれない」
『情報は、観客が必要になった時点で提示する方が認知負荷を抑えられます』
「(それ!)」
俺は続ける。
「あとね。王道を外すなら、ただ逆にするんじゃなくて、王道を理解したうえで順番を変える方法もあります」
「順番?」
「例えば――」
俺は少し考えた。
「物語の最初で、殺人事件が起きる」
「はい」
「犯人も、お客さんには見せちゃう」
「えっ!?」
「犯人分かっちゃっていいんです」
「それでは謎が……」
「その後、名探偵みたいな人が出てくる」
「タンテイ?」
「あー……事件の真相を調べる人。事件の調査をする、賢い衛兵さんみたいな人」
「なるほど」
「お客さんは犯人を知ってる。でも、その人は犯人を知らない役柄を担当する。最初は違う人を疑ったりする」
「……!」
「すると客席では、『違う違う! そいつじゃない!』ってなる」
ナリラウさんが、ぽかんとしている。
「でも調べているうちに、誰も気付かなかった証拠を見つける。犯人が必死に誤魔化す。お客さんは、逃げ切られるかもしれないってハラハラする」
「はい……!」
「最後にその人が、真犯人しか知らない情報を突きつける」
俺は机を指で叩いた。
「そこで犯人が崩れる!」
「……めちゃんこ面白いですね!」
ナリラウさんの青白かった顔が、少し赤くなった。
おお、血色が良くなった。
「そういう、『結の一部を先に見せて、その過程を楽しませる』やり方もあるんですよ」
「結を先に……」
「もちろん、毎回やったらそれも飽きられますけどね」
「なるほど……!」
そこから俺たちは、相棒に助けてもらいながら様々な考え方を話した。
「次。三幕構成」
「サンマクコーセー?」
「物語を大きく三つに分ける考え方です。一幕目で人物や世界の設定を見せる。二幕目で問題、対立、葛藤を膨らませる。三幕目で解決する」
「ふむふむ……」
「目安として時間配分を一対二対一くらいにしてみる」
俺は紙へ数字を書く。
「二時間の芝居なら、最初三十分。真ん中六十分。最後三十分」
「そんな配分まで考えるんですか?」
「絶対じゃないですよ。でも、崩すにしても基準があると、自分がどこを長くしたのかわかる」
「なるほど……」
「じゃあ、ナリラウさんが書いた、この脚本を三幕に分けてみて」
ナリラウさんが計算する。
「第一幕が……四十五分」
「うん」
「第二幕……七十五分」
「うん」
「第三幕……」
ナリラウさんの手が止まった。
「十分」
「気付きました?」
「……最初の説明が長くて、途中はもっと長くて、最後だけ一瞬です」
「そういうことです」
「あぁぁ……」
頭を抱えた。
「僕、最後に驚かせたくて、解決を全部最後へ詰め込んでました」
「驚かせるのと、置いてきぼりにするのは別なんですよ」
「耳が痛い……!」
「大丈夫。直せますって」
そこからはさらに、伏線、話のフック、クライマックス、カタルシス、登場人物の成長などについて、相棒のアドバイスに俺なりの補足を加えながら話していった。
「例えばミスリード」
「ミス……?」
「お客さんを、わざと間違った方向へ誘導するんです」
「騙すんですか?」
「そう。ただし最後に『ああ! だからあの時!』って納得できるようにする」
俺は紙に人物を三人描く。丸に棒を付けただけ。
『相変わらず絵は上達しませんね』
「(うるさい)」
「この人が犯人っぽい証拠を幾つも出す」
「はい」
「役者も疑う。客も疑う」
「はい」
「でも、最後に実は別の人だったとわかる」
「おお……!」
「ただし、本当の犯人に繋がる手掛かりも途中でちゃんと出しておく。後から見返した時に『騙されたけど、ズルじゃない!』と思ってもらう。賢いお客さんは違和感に気付いて見抜くかもしれないし、気付けなかったお客さんは、次の公演こそ騙されないぞ!と、より集中して舞台を観る」
「面白い……」
ナリラウさんは、夢中でメモを取っている。元々、発想力はあるんだ。ただ道具を知らなかっただけ。料理人に包丁を渡すようなもので、使い方を知ったら、あとは本人が勝手に料理を作り始める。
……いや、俺は包丁作ってないな。
『私が情報を整理しています』
「(例え話なんだから細かいこと言うな!)」
数日間の予定だった講座は、結局一週間近く続いた。
それから更に一週間後。俺は芝居小屋へ呼び出された。
「算段屋さん!」
主さんが興奮した様子で机を叩いた。
「ナリラウ君が、新しい脚本を持ってきたんですよ!」
「おお!」
机の上を見る。
「うおっ、分厚い!」
以前の四倍くらいない?
ナリラウさん。俺、「情報量を整理しよう」って教えたよね?
「だ、大丈夫です」
俺の顔を見て察したのか、ナリラウさんが慌てて言った。
「物語全部を一本に詰め込んだわけではありません!」
「というと?」
主さんが嬉しそうに答えた。
「三部作なんです!」
「三部作?」
「はい!」
ナリラウさんが身を乗り出す。
「第一部だけでも、一つの事件には決着がつきます。でも、その裏にもっと大きな謎があることを匂わせるんです」
「……おっ」
「第二部でその謎を追っていると、第一部では味方だと思っていた人物に秘密があることがわかる。そして第三部で全てが繋がる」
俺はページをめくる。なるほど。
「これ、いいじゃん!」
「本当ですか!?」
「第一部でちゃんと満足できる。でも謎を少し残す」
「はい!」
「お客さんが、『あれどういう意味だったんだ?』『続き見てぇ!』ってなる」
「そうなんです!」
ここで、俺の中の商売人が目を覚ました。
「主さん」
「はい?」
「三回セット券、作りません?」
「……セット?」
「三部全部のチケットを先に買ったら、ちょっとだけ安くするんです」
「……!」
「それか、一部目の終演後に二部目の予約を受け付ける」
「……!!」
「もちろん、一部目で面白いと思ってもらわないと意味ないですけどね」
主さんとナリラウさんが、キラキラした目で俺を見てくる。
「算段屋さん……!」
「希楽さん……!」
何、その目。
「これなら、一作が当たれば三作分の客入りをある程度見込める……!」
「次回作の制作費も早めに確保できます!」
おお。現地側で勝手に発展し始めた。これだよ。この感じ、好き。
「ナリラウ君」
主さんが立ち上がった。
「できるね?」
「はい! やります! 僕にやらせてください!」
青白かった青年が、完全に燃えている。よし。脚本は何とかなりそうだ。問題は――。
「ただ、舞台転換がなぁ……」
主さんが頭を抱えた。
◇
新しい脚本には、大規模な場面転換が何度か入っていた。屋敷から街路へ。街路から森へ。森から地下室へ。
今の芝居小屋では、一度幕を下ろして、裏方が大道具を運び、背景布を取り替え、装飾を置き直す。大きな変更だと十分近く掛かる。それは長い。
せっかく物語が、
「犯人は誰だ!?」
「次どうなる!?」
と盛り上がったところで、十分休憩。
お客さんは現実に戻ってしまう。トイレへ行って、飲み物を買って、隣の人と世間話をして、戻ってきた頃には熱が冷める。
「(相棒、どう?)」
俺は実際の舞台と舞台裏を見ながら尋ねた。
『改良の余地は大きいと思います』
「(だよね)」
『最も簡単なのは、背景幕の吊り下げでしょう。現在は背景布そのものを外して付け替えていますが、複数枚を上部へ吊り、滑車とロープを使って必要なものを上げ下げすれば時間を短縮できます』
「(うん)」
『大道具についても、床面へ簡単なレールを設け、車輪付きの台へ載せる方法が考えられます』
「(回り舞台作るのは……流石に今は厳しいか)」
『はい、技術的には可能ですが、大規模な床改修が必要です』
「(金ないよね、ここ)」
『かなり厳しいでしょう』
現在、芝居小屋は潰れかけである。いきなり劇場を魔改造する予算はない。なら、今あるものを利用して安く改善する。
「(とりあえず……アイン呼ぶか!)」
『それが宜しいかと思います』
俺は主さんへ向き直った。
「舞台転換、改善できる可能性あります」
「本当ですか!?」
「ただ、俺だけじゃ作れないので」
俺は胸を張った。
「今度、算段屋鍛冶事業部の工房長を連れてきます!」
「鍛冶部門までお持ちなんですか!?」
最近、算段屋の事業領域が俺にも分からなくなってきた。
◇
「えっ! お芝居の舞台転換装置!?」
案の定、アインは食いついた。
「そう」
「馬車じゃなくて?」
「馬車もやって」
「やってるよ!」
アインが頬を膨らませる。
「昨日も試験したし! 二百回曲げたし!」
「すいません工房長!」
「分かればよろしい」
偉くなったなぁ。誰が工房長にしたんだっけ。あ、俺だ。
「でね。芝居小屋で、背景とか大道具の入れ替えに時間掛かってるんだよ」
「ふむ」
俺は相棒から教えてもらった仕組みを、紙へ描きながら説明する。
「例えば、背景の布を滑車で上へ引き上げる」
「うんうん」
「大道具は、車輪の付いた台に載せて動かす」
「なるほど」
「床に簡単な溝とか案内を付ければ、同じ場所へ止めやすい」
「うん」
「蝶番で畳める壁」
「面白い」
「吊り下げ式の装飾」
「いいね!」
「ハンドルを回して背景を巻き取る仕組みとか」
「それ作りたい!」
「全部作る必要はないからね!?」
危ない。技術屋に新しい玩具を大量投入してしまった。
アインは紙へ顔を近づけた。
「これさ。背景の布を上げるなら、重いよね?」
「物によっては」
「反対側に同じくらいの重り付けたら?」
「お!」
アインは簡単な図を描く。
「こっちに背景。滑車を通して、こっちに重り」
「うん」
「重さを近くすれば、少ない力で上げ下げできない?」
『カウンターウェイト方式ですね』
「(それだ!エレベーターでも使ってるやつ!)」
俺は思わずニヤッとした。
「いいねぇ、アイン工房長」
「でしょ?」
「ただ、重りが落下したら洒落にならん。ロープが切れる可能性もある」
「そこは止め具を二重にする、本来よりも重い物を吊るして試験する」
「おっ」
「ロープが切れても、途中で引っ掛かるようにしたいな」
「ご安全に!」
「ご安全に!」
完璧に定着してる。
「あと、俺的には舞台の下をワンチャン使いたい」
「下?」
「床へ穴を作って、下から人とか物を出したり、役者が穴に飛び込んで舞台から急に消えたりする扉」
「落とし戸?」
「多分それ」
「面白そう!」
「落下事故だけは絶対やめてね」
「師匠、最近安全にうるさい」
「良いことだろ!」
「良いことだけど」
「あと馬車も!」
「分かってるって!」
アインは、もう目をキラキラさせていた。
「いつ見に行く?」
「明日とかどう?」
「今から!」
「炉の火ついてるだろ!」
「……あ」
「明日!」
「ちぇー」
翌日、俺は妙に足取りの軽いアインを連れて、芝居小屋の舞台裏へ入った。そこからは、俺というより現場同士の話になった。
「この背景、どのくらい重い?」
「二人で持ち上げるくらいだな」
「この柱、本物の木?」
「中は空洞だ」
「じゃあ下に小さい車輪入れられるかも」
「車輪が見えないようにできるか?」
「裾を少し伸ばせば」
「なるほど!」
アインと裏方さんたちが、俺を置いてけぼりにする勢いで話し始める。良い。これで良い。
俺と相棒が持っているのは、地球で使われている「考え方」。実際にこの舞台で何が作れるかを知っているのは、アインと現場の人たちだ。俺は口を挟みすぎないようにしながら、安全面だけは何度も念を押した。
最終的には、背景幕を滑車で上下させる仕組み、簡易な重りによる補助、車輪付き大道具台、折り畳める壁などを中心に試作してみることになった。
ちなみに、予想通りではあるが、回り舞台は予算の壁に敗北した。いつか芝居小屋の業績が回復したら、その時は絶対やろうぜ!
◇
「音楽も、結構マンネリ化してるって聞いたんですけど?」
舞台装置の打ち合わせが終わったところで、俺は主さんへ新たな話を振った。
「そこなんですよ」
主さんが苦笑する。
「楽師たちの腕は良いのですが、何十本もの芝居へ毎回新曲を付けるわけにもいかず、どうしても使い回しが多くなりまして」
「一度、楽師長さんと話してみても?」
「もちろんです」
待っている間、相棒が釘を刺してきた。
『希楽さん』
「(はい)」
『念のため申し上げますが、地球の音楽をそのまま大量輸入することは推奨しません』
「(分かってるって! 丸パクリ良くない! この世界のオリジナルを尊重する!)」
『本当に分かっていますか?』
「(ちょっと鼻歌でワンフレーズくらいはいいよね?)」
『例えば?』
俺は脳内で、ジャジャジャジャーーーン!とやった。
『特徴的すぎます』
「(ダメ?)」
『カタカナで表現しても相当数の地球人が何の曲か推測できます』
「(偉大すぎるな、あの人)」
『そもそも、今回の目的は地球の有名曲発表会ではありません』
「(はい)」
『サイコロ一つ持ち込んだ結果を思い出してください』
「(反省してまーす)」
『語尾』
「(反省しています!)」
そこへ主さんが、一人の男性を連れてきた。
年齢は五十代くらい。髪には少し白いものが混じり、眉間には深い皺。こちらを見る目も鋭い。いかにも「音楽で妥協はせんぞ」と言いそうな顔である。
「希楽さん、こちらが楽師長のトヴァンです」
「はじめまして。算段屋の希楽です」
「トヴァンです。我々の楽団に、何か問題がおありですかな?」
おお。初手からちょっと圧がある。
「先日の舞台、拝見しました」
「そうですか」
「めちゃくちゃ良かったです」
「……ほう」
「役者さんの動きとのタイミングも合ってるし、音量の上げ下げも自然でした。演奏自体も上手かったです」
トヴァンさんの眉間の皺が、ちょっとだけ減った。
「そうでしょう。皆、日々腕に磨きをかけていますので」
分かりやすい。この人、自分の楽団大好きだ。
「ただ、お客さんにも少し評判を聞いてみたんですよ」
「……何と?」
「『上手いけど似た曲が多い』『別の芝居で聞いた曲が流れると、前の芝居を思い出しちゃう』って」
眉間の皺が戻った。
「……耳が痛い話ですな」
「腕が悪いんじゃなくて、曲数の問題ですよね?」
「ええ。新しい芝居のたびに全曲を書き下ろすほどの余裕はありません」
「全部新しくしなくてもいいんじゃないですか?」
「と、申しますと?」
「短い曲でも良いと思うんです」
俺は相棒に教えてもらったことを、自分の言葉へ変えて説明する。
「例えば、悪役が出てきた時だけ流れる短い旋律」
「ふむ」
「恋人二人の場面だけ流れる曲」
「ふむ……」
「同じ旋律でも、幸せな時はゆっくり穏やかに。危険が迫った時は速くしたり、少し不安な音を混ぜたりする」
トヴァンさんの顔が変わった。
「つまり」
「はい」
「登場人物そのものに、旋律を持たせる?」
「そうです!」
さすが音楽家。理解が早い。
「お客さんが何度も聞けば、その旋律が流れただけで、『あの人だ』とか『何か起きる』って感じるようになると思うんですよ」
「……面白い」
トヴァンさんが顎へ手を当てる。
「物語を音楽が追うのではなく、音楽そのものにも物語を担わせる……」
おお。何か俺より格好良く言い換えた。
「あと、役者さんが歌うのもアリです」
「歌?」
「台詞の代わりに、自分の気持ちを歌うんです」
「芝居の途中で?」
「はい。例えばですけど、怖くて逃げたい。でも逃げたくない。そういう葛藤を普通の台詞じゃなく、曲に乗せて歌う」
「……」
「楽しい宴会なら、出演者全員で歌って踊る」
トヴァンさんが黙り込んだ。まずかったか?
「(相棒)」
『思考中ではないでしょうか』
やがて、トヴァンさんがぽつりと呟いた。
「なるほど」
トヴァンさんは小さく頷いた。
「面白い。使えるかどうかは分かりませんが、試してみる価値はありそうです」
よし。やっぱりこの人も職人だ。
「ちなみに、場面転換中にも短い曲があると、お客さんが待たされてる感じが薄くなるかもしれませんね」
「場面転換用の曲……」
俺の頭の中へ、地球で見た古いコント番組の映像が蘇る。伝説の、漂流者っぽい名前のコント集団。舞台を片付ける間に妙に愉快な音楽が流れて――。
「次いってみよ――」
『ンン゛ッ!』
「(はいすいません)」
『まだ何も言っていません』
「(咳払いしたじゃん!)」
危ない。また日本の昭和文化の輸出をしてしまう所だった。
「……考えてみましょう」
トヴァンさんが静かに言った。
それで十分だ。俺が曲を書く必要はない。ヒントを渡して、後はプロが作る。
◇
そこから三週間ほど、俺は一度芝居小屋の仕事から離れることにした。
ナリラウさんは脚本を書き直す。主さんが興行として成立するか確認する。トヴァンさんと楽団は、完成した脚本を読み込んで曲を作る。アインは馬車の研究の合間に舞台装置を試作し、芝居小屋の裏方さんと一緒に動作確認を進める。
俺が毎日横から、
「どう? できた? まだ?」
などと聞きに行っても邪魔なだけだ。元社内SE時代にもいたんだよ。作業を依頼して三十分後に、
「進捗どうですか?」
って聞いてくる人。進捗確認してる時間で進捗が止まるんです!なので、任せる。これも大事。
そして三週間後、芝居小屋から呼び出しが来た。
「算段屋さん!」
着くなり、主さんが俺の両手を掴んだ。
「これは凄いことになりますよ!」
「おお!」
横を見る。
ナリラウさん。顔は相変わらず青白い。でも目がギラギラしている。多分寝てない。
トヴァンさんも眉間に皺を寄せているが、どこか満足そうだ。
「凄いことに……なりそうですか!?」
俺がニコニコしながら聞く。
ナリラウさんが一歩前へ出た。
「希楽さん!」
「はい!」
「伏線!」
「はい!」
「どんでん返し!」
「はい!」
「恋愛!」
「はい!」
「殺人事件!」
「はい!」
「アクション!」
「はい!」
「笑い!」
「はい!」
「歌!」
「はい!」
「音楽!」
「はい!」
「高速舞台転換!」
「はい!」
「全部入れた三部作ができました!」
「……はい~?」
あれ?何か雲行き怪しくない?
「(相棒)」
『はい』
「(俺、出し惜しみって教えなかったっけ?)」
『教えていました』
「(全部入れたって言ってるよ?)」
『言っていますね』
「(止める?)」
『一度、実際に見てからでも遅くないでしょう』
「(だよね)」
俺だって、読むのと見るのでは印象が違うと今回学んだばかりだ。そこで、一般公開前に一度試演してみることになった。
役者は台本を持ったままでもいい。衣装も私服でいい。今いる楽団員だけで音楽を付ける。目的は完成品を見ることではなく、全体の流れを確かめることだ。
そして三時間後、俺は客席で腕を組んでいた。
面白い。面白いんだ。殺人事件から始まり、恋愛があって、裏切りがあって、伏線があって、予想外の人物が敵で、更に裏があって、歌って、踊って、背景がシュッと上がって、大道具がガラガラっと入ってくる。
役者が走って、剣で戦って、恋人が泣いて、親友が裏切って、実は裏切ってなくて、その裏で別の奴が――。
『情報過多です』
「(だよねぇぇぇ!)」
わかる。全部面白そうだから、全部やりたくなったんだ。俺もオタクなので気持ちはわかる。
「(あとさ)」
『はい』
「(悲しい場面の曲、悲しすぎない?)」
『私も同様に感じました』
「(恋人が別れるだけで、世界滅亡みたいな曲流れてたよね)」
『感情を補助しようとしすぎて、音楽側が感情を決定してしまっています』
「(それだ!)」
俺は舞台へ上がった。役者、裏方、楽団。全員がこちらを見る。
「率直に言います」
ちょっと緊張する。でも、これは言わないといけない。
「面白いです」
ナリラウさんの顔が少し明るくなる。
「でも、盛りすぎです」
「あっ……」
「本で読んだ時は、『これも面白い、あれも面白い』ってなる。でも舞台で長時間続けて見ると、どこが一番大事なのか分からなくなる」
ナリラウさんが台本を見る。
「それと」
俺はトヴァンさんを見る。
「音楽も、凄く良いです。ただ、悲しいところで全力で悲しい曲を流しすぎてる気がします」
トヴァンさんは少し黙ったあと、頷いた。
「……確かに。役者の演技を信用していなかったのかもしれませんな」
「え?」
「客を泣かせよう、泣かせようと、音で説明しすぎた」
おお。この人、すげぇ。自分でそこまで言えるんだ。
「ナリラウさん」
「はい……」
「今回覚えたテクニック、全部この三部作で使う必要ないですよ」
「でも、せっかく教えていただいたので……」
「勿体ないじゃん」
「え?」
「次回作にも使いましょうよ」
ナリラウさんが顔を上げた。
「次々回作にも。そのまた次にも」
「……」
「俺、ナリラウさんがこの三部作だけ書いて引退するとは思ってないですよ?」
目を見開く。
「一作品で全部やったら、次に困るでしょ」
「……確かに」
「もっと出し惜しみしましょう」
ナリラウさんが、ゆっくり頷いた。
「分かりました」
「今回、一番お客さんに残したいものは何です?」
しばらく考える。
「……大切な人を想う気持ち、でしょうか」
「それ!」
俺は指を差した。
「そこを中心にしましょう」
恋愛、友情、親子、故郷。離れていても誰かを想う。そのテーマなら、殺人事件やどんでん返しは「話を動かす仕掛け」であって、主役ではない。
トヴァンさんも考え込んでいる。
「大切な人を想う……」
「そういう気持ちを表す曲って、この世界にもあります?」
「もちろんあります。ただ……」
少し難しい顔をした。
「今の脚本へ使うには、少々違う」
「じゃあ新しく作るしかないですねぇ」
「簡単に言いますな」
「ごめんなさい」
アインに無茶振りする癖が出た。
「俺の故郷には……」
そこまで言って、ふと一つの曲が頭に浮かんだ。
「(相棒)」
『はい』
「(これは……ちょっとくらい、いいかな)」
相棒は少し黙った。
『……何をするおつもりですか?』
「(曲をプレゼントするんじゃない。雰囲気を伝えるだけ)」
懐かしい旋律。目をつぶると思い出す、夕焼けの空。赤く染まった雲。田舎の景色。俺自身、そこまで田舎育ちというわけではない。それでも子供の頃から知っていた曲だった。
俺は目を閉じたまま小さく息を吸い、日本語のまま「赤とんぼ」を歌い始めた。
夕やけ小やけの 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か
当然、この場にいる誰にも歌詞の意味は分からない。夕焼けの赤とんぼを想う、あの懐かしい旋律だけを歌った。
最初は、参考になればいい。そのくらいの気持ちだった。
山の畑の 桑の実を
小篭に摘んだは まぼろしか
ところが歌っているうちに、何だか胸の奥が苦しくなってきた。
十五で姐やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた
日本。実家。家族。友人。通勤路。駅前のコンビニ。会社のパソコン。休日に寝転がって見ていたアニメ。当たり前すぎて、もう二度と見られなくなるなんて考えもしなかった景色。
夕やけ小やけの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先
帰りたい。ふと、そう思った。
異世界転移なんて、やっぱり自分でやるもんじゃない。小説とかアニメで見て、
「俺ならこうする!」
って言ってるくらいが一番いい。やるならせめて、言語チートとネットスーパーくらい付けてくれ。そんなことを考えながら、最後まで歌って目を開いた。
「……え?」
静かだった。
ナリラウさんが目元を拭っている。何人かの役者も泣いている。楽団員まで。
「ちょ、何で泣いてるんですか!?」
俺は慌てた。
「歌詞、分かってないですよね!?」
「希楽さん」
ナリラウさんが言う。
「はい?」
「希楽さんだって、泣いてますよ」
「え?」
頬へ手を当てた。濡れている。
何か温かいものが、次から次へと目から溢れ出ていた。
頬をすっと伝い、舞台の上に、ぽとり、ぽとり、と落ちる。
「……あれ?」
恥ずかしい。止まってくれ。……何で止まらないんだよ。
トヴァンさんが、いつになく柔らかな目で俺を見ていた。
「お国が、懐かしいのですな」
「……はい」
声が震えた。
「すみません。参考にしてもらおうと思っただけなんですけど」
「たまには、帰られてはいかがかな」
その言葉に、胸がもう一度痛くなった。
「……いえ」
俺は少し笑った。
「遠すぎて――」
一度、息を吸う。
「――もう二度と、帰れないんです」
誰も何も言わなかった。事情を全部説明することはできない。異世界から来たなんて言えるわけがない。でも、遠い故郷から来て、もう帰れない。それだけで十分伝わったらしい。
トヴァンさんが静かに頷いた。
「……大変、参考になりました」
「こんなので?」
「ええ」
トヴァンさんは楽器の置かれた場所を見る。
「私は先ほどまで、『悲しませる音』を作ろうとしていた」
「はい」
「しかし今の歌は、悲しいだけではない」
少し考えて。
「温かい。懐かしい。そして、その温かさがあるからこそ、戻れないことが悲しい」
「……」
「音楽というのは、そういうものでしたな」
何だか、俺まで勉強させられている気分になった。
「この感覚を、新しい曲へ取り入れてみたい」
「ぜひ」
「あなたの曲そのものを使うのではなく」
トヴァンさんが少し笑う。
「我々の曲として」
「お願いします」
それが一番嬉しい。地球の旋律のコピーじゃきっとダメだ。
その日は、改めて脚本と音楽を整理することになった。テクニックを減らす。一番伝えたいテーマを決める。歌も、場面転換も、どんでん返しも、全部そのテーマを邪魔しない範囲で使う。
俺は芝居小屋を出て算段屋の店舗兼、自宅に戻った。
その晩、久しぶりに日本の夢を見た。
父親と出掛けたこと。母親の作った飯。小学校の教室。中学、高校。受験勉強。大学のキャンパス。友達と馬鹿な話をしたこと。初めて仕事で失敗して、猛烈に落ち込んだ日のこと。それでも翌日会社へ行ったこと。
楽しかったことも、恥ずかしかったことも、失敗したことも、少し成長できたと思ったことも。いろんな記憶が、夢の中をゆっくり流れていった。
朝、目を覚ます。
不思議と、心が少し軽かった。
『……』
相棒は、何も言わなかった。
ただ、俺がもう一度目を閉じた時、ほんの小さな声で。
『喜んでいただけたようで、何よりです』
いつもより少し優しい声が、どこか遠くで聞こえたような……気がした。
◇
結論から言おう。
新しい芝居は、類まれなる大ヒットとなった。
初日は客席が九割以上埋まり、二日目には満員。三日目には立ち見が発生し、四日目以降は札止め――つまり、
「もう入れません!」
と客を断らなければならない状態である。
あの時、「ティエゴ商会へ転職するか……」と覚悟を決めかけていた芝居小屋関係者が、今頃は、「早まらなくて良かったぁぁぁぁ!」と、胸を撫で下ろしているに違いない。知らんけど。
芝居は、評判が評判を呼んだ。使い古された型から少し外れた、新鮮な物語。しかし奇抜なだけではなく、ちゃんと分かりやすい。
ナリラウさんが書いた登場人物たちは悩み、間違え、傷つき、少しずつ変わっていく。
そこへトヴァンさんと楽団が作った完全新作の音楽が重なる。登場人物ごとの短い旋律があり、同じ旋律が場面によって優しくなったり、不安になったりする。歌と踊りが入る場面もある。
そして、アインと芝居小屋の裏方が作った舞台転換装置。背景幕が一気に引き上げられ、大道具が車輪付きの台で滑り込み、折り畳まれた壁が展開される。以前は十分掛かっていた場面転換が、短い音楽一曲の間に終わる。
初めて見た客からすれば、魔法みたいに景色が変わる。しかも、この世界で普通に存在する魔法より派手。
そして三部作構成。第一部で一つの事件には決着がつく。ただし、
「最後にあの人物が見ていた手紙は何だ?」
「あの台詞、どういう意味?」
「本当の黒幕、まだ別にいるんじゃないか?」
という謎が残る。当然、続きが気になる。主さんが作ったセット券も売れまくった。
一部目の終演後に、
「二部目の席、今なら取れます!」
と案内すると、その場で買う客が大量に出たらしい。
『商売の知恵まできっちり入れましたね』
「そりゃ算段屋ですから」
そして、もう一つ。
初日に客が集まった理由がある。どうやら街中で、
「算段屋が芝居小屋で何かやっているらしい」
という噂が出回ったようなのだ。これは嬉しい。俺も、とうとう、
「あの算段屋が関わってるなら見てみるか」
と思ってもらえるくらい、街で信用されて――。
『「テッカヴァのキラクが、また何か新しい仕掛けをしたらしい」とも言われています』
「ヤメテ!」
『「テッカヴァ」の希楽さん』
「ヤメテって!」
『「賭博場の希ら――」』
「不本意なの! 俺としても!」
俺は算段屋の机を叩いた。
「悪名みたいに言うな! 今回めっちゃ良いことしたじゃん!」
『悪名でも名が売れることは商売上有利かもしれません』
「悪名じゃないしー! 絶対違うしー!」
『はいはい』
「何その返事!お母んか!お前はおれのお母んか!」
でも、まあ。成功した。
「俺の作った芝居、大成功!」
『異議があります』
「やめて!」
この流れ知ってる!調味料の時もあった!
『原案はナリラウさん』
「あーあー聞こえなーい」
『地球の創作技法を整理し、希楽さんへ提示したのは私』
「あーあー!」
『それを用いて脚本を完成させたのはナリラウさん』
「聞こえませーん!」
『作曲はトヴァンさんを長とする楽団の皆さん』
「……」
『演出と演技は芝居小屋の皆さん』
「……」
『舞台装置はアイン工房長と芝居小屋の裏方の皆さん』
「……」
完膚なきまでに、俺の作品じゃねぇ。
「じゃあ」
俺は腕を組んだ。
「俺、名プロデューサー希楽さんで!」
『プロマネからのご出世? おめでとうございます』
「疑問形で言うな! 自信が揺らぐ!」
『ただ』
相棒の声が、少し柔らかくなった。
『良い仕事だったとは思います』
「だろ?」
俺も笑った。
「俺たちはちょっとヒントを出しただけだけど、それぞれの専門分野で頑張ってくれて、全部が良い方向へ噛み合った」
『その通りですね』
「こういうの、気持ちいいな」
俺一人では作れないし、相棒一人でも作れない。地球の脚本を丸ごと持ち込んだわけでも、地球の音楽をそのまま演奏させたわけでもない。俺と相棒が「こんな考え方があるよ」と種を蒔き、それをこの世界の人たちが育てた。
ナリラウさんは自分の物語にした。トヴァンさんは自分の音楽にした。アインは、この世界で作れる舞台装置にした。役者たちは、自分の身体と声で表現した。それを見て、客が笑ったり、驚いたり、泣いたり、続きを楽しみにしている。
「いいねぇ」
『はい』
「文化って、こうやって増えていくのかもな」
少し間があった。
『今回、私にとっても興味深い経験でした』
「ん?」
『私は地球上の古今東西、膨大な量の物語、音楽、評論、創作理論等を学習しています』
「うん」
『ですので、「人間が何を美しいと感じるか」「どのような物語で感動するか」という情報も、大量に持っています』
「うん」
『しかし』
相棒が少しだけ言葉を選んだ。
『実際にこの世界の人々が、私たちの関わった作品を見て笑い、泣き、喜ぶ様子を観測したのは初めてです』
「……そっか」
『はい』
俺は椅子の背へ身体を預けた。
「相棒の『学習データ』が――」
少し考えて。
「実地で得た『経験値』になったんだな」
『……そう表現するのが近いかもしれません』
「良かったじゃん」
『はい』
何か、相棒も楽しそうだった。
声しか聞こえないのに、そんな気がした。
『なお』
「ん?」
『トヴァンさんが、希楽さんの歌われた曲から得た印象を元に作曲した「想い、馳せる」ですが』
「ああ」
『観客の泣く割合が非常に高いそうです』
「マジで!?」
『特に、故郷を離れて暮らしている商人や旅人の皆さんに刺さっているようですね』
「嬉しいけど恥ずかしい!でも……恥ずかしいより、嬉しいが勝つ!」
『良かったですね』
いや、本当に。トヴァンさんは「赤とんぼ」をコピーしたわけじゃない。旋律も違う。この世界の楽器と音階を使って、「大切な場所や人を想う」という感情だけを受け取り、新しい曲を作った。だから……あれはもう、この世界の音楽だ。
「なあ相棒」
『はい』
「知識チートってさ」
『はい』
「答えを教えることが本質じゃないんだな」
『……そうですね』
「こういう考え方もあるよって伝えて、現地の人が、それよりもっと良いものを作ってくれる」
『理想的な技術移転の一形態と言えるでしょう』
「芸術だから、技術じゃないけどね」
『広義には、創作技法や舞台技術も技術です』
「相変わらず細かい!」
『仕様です』
ようやく俺にも少し分かってきた。
この世界へ地球を丸ごと持ってくる必要なんてない。持って来られないし、俺一人で何でも作る必要もない。むしろ誰かへヒントを渡し、一緒に考える。その人が自分の力で形にする。そうやって少しずつ、この世界に新しいものが増えていく。それでいい。
『ちなみに希楽さん』
「ん?」
『今回に限り、地球の楽曲を歌った件については目をつぶります』
「今いい話だったじゃん!」
『今後も毎回「参考です」と称して地球の名曲発表会を始められては困りますので』
「大丈夫だって! 歌詞も日本語だから誰にも意味分かってないし!」
『そういう問題ではありません』
「じゃあ次はクラシックなら――」
『希楽さん』
「はい」
『サイコロ』
「…………」
強い。その一言だけで全部止められる。
「反省してまーす」
『語尾』
「反省しています!」
窓の外を見ると、夕暮れのアネスの街が赤く染まり始めていた。
どこか遠くから、芝居小屋で練習しているのだろう。どこか聞き覚えがありつつ、新しい旋律が微かに流れてくる。
地球には無かった曲。この世界で生まれた曲。
俺と相棒がほんの少しだけきっかけを作り、誰かが自分の手で形にしたもの。
俺はしばらく、それを黙って聞いていた。
「……いい曲だな」
『はい』
今度は、誰かの故郷の曲になるのかもしれない。
そう思うと、少しだけ嬉しかった。




