第十二話 板バネ、走る
「師匠! 馬!」
ある日の昼下がり。算段屋の扉が勢いよく開いたと思ったら、鍛冶工房長のアインが飛び込んできて、開口一番そう叫んだ。
なるほど。わからん。
「馬! だけじゃさすがに分からんって!」
「あっ、ごめんごめん!」
アインは息を整えながら、満面の笑みを浮かべた。
「試作品の板バネ! 馬車に組み込めた!」
「まじか!」
「まじ! まじ!」
「動く?」
「人間が押したら動いた!」
「そうじゃなくて!」
「あはは!」
アインが嬉しそうに笑う。
「だから馬! 馬に引かせて試走したいんだよ!」
「ああ! それで馬!」
ようやく話が繋がった。
「何頭いる?」
「とりあえず一頭!」
「よし!」
俺は勢いよく立ち上がった。
「借りに行くぞ!」
『仕事の相談客が来る可能性は?』
「(札出しとく! 本日午後、技術試験につき臨時休業!)」
『算段屋の営業時間がどんどん自由になっていますね』
「(個人事業主の特権!)」
『売上低下も自己責任です』
「(現実的なこと言うな!)」
店先へ臨時休業の札を出し、俺とアインはそのまま街の馬房へ向かった。
馬車用の馬を一頭借りる。支払いは領主家持ち。
もちろん、勝手に領主様の名前でツケ払いをしているわけではない。「馬車の乗り心地改善プロジェクト」については、俺とアインがこまめに進捗報告をしていた結果、一定額までは研究費として自由に使って良いことになっている。
馬の貸し出し、鉄材、木材、試験用の小物。そういった細かい費用まで毎回領主様へ、「金貨何枚……いや銀貨何枚……いや銅貨何枚の支出ですが宜しいですか!」などと伺いを立てていたら、お互い面倒で仕方ない。
そこで月ごとの研究費上限だけ決め、その範囲なら俺の判断で使えるようにしてもらった。人の活かし方を分かってるなぁ、ウォルトン様。
『信用された結果ですね』
「(だな)」
だからこそ、変な使い方は絶対にしない。信用を積み上げるには時間が掛かる。でも、壊れる時は一瞬だ。前世の会社でもそうだった。何年も真面目に仕事をして、
「あの人に任せれば大丈夫」
と思ってもらえても、一度とんでもないことをやらかせば、
「あの人、本当に大丈夫?」
へ簡単にひっくり返る。金を預かる仕事なら、なおさらだ。
「よーしよし」
隣ではアインが、借りてきた馬の首筋を撫でていた。
「今日はよろしくねー」
馬も落ち着いた様子で鼻を鳴らしている。
「アイン、馬の扱い慣れてるな」
「村育ちだからね。畑仕事で使ってたよ」
「俺なんて馬に近づくと、どこから触ったらいいかも分からん」
「後ろには立たない方がいいよ」
「蹴られる?」
「蹴られる!」
「大事な情報ありがとう!」
危ない。異世界生活八か月目くらいにして、馬に蹴られて異世界人生終了なんて洒落にならない。
『別の異世界に行ける可能性も少々……?』
「(どうせ言語チートも鑑定チートもネットスーパーもないんでしょう?)」
『私という相棒が居るだけ御の字だと思いますが』
「(自分で言うな!でも否定はできない!いつも助かってます!!)」
◇
工房へ戻ると、そこには見慣れた小型馬車が鎮座していた。
以前、領主様にお願いして研究用に購入してもらった、幌すら付いていない簡素な二人乗り程度の馬車だ。ただし、足回りは以前とは明らかに違う。
「おお……!」
俺は思わずしゃがみ込んだ。
車軸と車体の間に、数枚の細長い鉄板を重ねた部品が取り付けられている。
地球の自動車やトラックで見るリーフスプリングよりずっと原始的ではあるが、俺の知る「板バネ」として十分に理解できる形だった。
「中々良さそうじゃん!」
『外観上は、地球で過去に使用されていた板バネ式馬車に近い構造です』
「(だよな!)」
俺は頬が緩むのを抑えられなかった。
「(ウチの工房長はすげぇなぁ……成長したな、娘よ。パパは嬉しい!)」
『希楽さんとアインさんの間に血縁関係はありません』
「(気分だよ気分!)」
『年齢差も九歳です』
「(そこまで冷静に否定しなくてもいいじゃん!)」
アインが胸を張った。
「でしょでしょ! 色々試行錯誤したんだから!」
「どこを変えたの?」
「まず板の枚数」
アインがしゃがみ込んで説明を始める。
「一枚だと荷重を掛けた時の曲がり方が大きすぎたから、長さの違う板を何枚か重ねた。それから固定方法も何回か変えた」
「うん」
「両端を完全に動かなくすると、板が上手く曲がれなかったから、片方は少し動けるようにしてある」
『端部変位を許容する構造になっていますね』
「(相棒が前に言ってたやつだ)」
でも、俺はそれをアインへ全部教えなかった。彼女自身が考え、試して、この形へ辿り着いた。何だかそれが嬉しい。
「板の硬さは?」
「前より少し硬め。ただし、曲げた時に割れない範囲」
「なるほど」
「試験台で何百回も曲げたよ」
「何百!?」
「途中から数えるの面倒になった」
「記録は!?」
「最初の三百回までは記録した!」
「合格!」
よし。工房長、ちゃんとやってる。
「じゃあ、いきなり乗る?」
「師匠」
アインが真顔になった。
「ご安全に」
「……ですよね」
自分で教えた言葉が返ってきた。
まず馬を繋ぎ、人を乗せずに歩かせる。異音なし。大きな変形なし。一度止めて、ボルト、金具、板バネ、車輪を確認する。全部問題なし。
次にアインだけが御者台へ乗り、俺は横を歩く。ゆっくり進ませてみたが、こちらも問題はない。
「じゃあ師匠、乗って」
「はい!」
俺は荷台へ乗り込んだ。
まだ街中なので、速度は人間の早歩きより少し速い程度。
馬が歩き始め、ゴト、ゴト、と車輪が道の凹凸を拾う。
「……ん?」
いつもの馬車なら、車輪が道の小さな凹凸を拾うたび、荷台ごと身体が細かく跳ねる。でも今は、ゴトンと衝撃が来るたびに、車体がふわっと沈んで戻る。
衝撃が消えるわけではない。当然だ。タイヤは相変わらず木製だし、地面は固い。それでも、地面から伝わってくる「角」が丸くなったような感覚がある。
「アイン!」
「どう!?」
「いい!」
「ホント!?」
「すっげぇわかる! 違う!」
「やった!」
「でもまだ喜ぶな!」
「分かってる!」
二人して笑いながら、街の外れへ向かった。少しずつ速度を上げる。
荷台へ座った俺は、自分の尻へ全神経を集中させた。地球にいた頃、まさか自分が異世界で「尻を測定器代わりにする仕事」をするとは思わなかった。
『官能評価ですね』
「(言い方が何か嫌!)」
『人間の感覚による評価試験という意味です』
「(分かってるけど!)」
今のところ、乗り心地はかなり改善している。
変にバネでビヨンビヨン跳ね続けるわけでもない。大きな衝撃だけを、うまくいなしている感じだ。
「アイン! やるじゃん!」
「師匠! 思ってた以上に乗り心地いいよ、これ!」
御者をしているアイン自身も違いを感じているらしい。
「板バネすげぇ!」
「普通の馬車なら、この速度で喋ってたら舌噛むもん!」
「それな!」
これは期待できる。
工房への帰り道、俺たちは行きより少し道の悪いところを選んだ。
もちろん安全を確認しながら、少しずつ速度も上げる。
「おお! デコボコ道でちょっと速めでもまだ余裕!」
「師匠!」
「何!」
「これ、成功じゃない!?」
「まだ! 工房戻って検査するまでが試験!」
「師匠のくせに真面目!」
「社長だから!」
「普段あんななのに!」
「あんなって何!?」
楽しい。正直、めちゃくちゃ楽しい。
何かを考える。作る。試す。そして動く。
しかも予想以上に上手くいっている。
今日はこのまま順風満帆に試験終了。工房へ戻ったら試作品を確認して、問題なければアインと祝杯でも――。
その瞬間、ガツンッ!! と大きな衝撃が走った。
「うおっ!?」
前輪が、道に落ちていた少し大きめの石を踏んだ。
板バネが大きくたわみ、一瞬浮き上がった車体が、ゆっくり沈み込む。そこまでは良かった。
しかし、沈み込みが止まらない。
「えっ」
次の瞬間、ボキィッ!! と、ものすごく嫌な音が響いた。
「うわぁぁぁぁ!?」
「止まれっ!」
アインが思いっきり手綱を引く。驚いた馬が、
「ヒヒィィィン!」
と大きくいなないた。
それでもアインが落ち着いて馬を制御し、何とか停止させる。
「びっくりしたぁぁぁ!」
俺の心臓バクバクである。
「上手く止められて良かったよ……」
アインも目を丸くしていた。
「馬、大丈夫!?」
「大丈夫。ちょっと驚いただけ」
「良かった……」
まず馬の状態を確認し、次に俺とアイン自身に怪我がないことを確認する。
よし。生き物は大丈夫だ。
最後に馬車を見る。
「ご安全に……ご安全に……」
「師匠、それお祈りじゃないよ」
「今は祈らせて!」
二人で荷台を降り、足回りを見る。
「あー……」
「そっかぁ……」
一目で、ほぼ同時に原因を察した。木製の車軸がポッキリ折れている。板バネそのものは無事。金具も無事。なのに、それを支えていた木の部分が負けている。
「アイン」
「うん?」
「これ、薪割りと一緒だな」
「そうだね」
アインも壊れた部分を見ながら頷いた。
「板バネが斧で、車軸が薪」
「だよなぁ」
硬い鉄と柔らかい木。しかも板バネから伝わる力が狭い範囲へ集中する。普段程度の衝撃なら耐えられても、大きな石を踏んだ瞬間、一気に力が加われば割れる。
「アイン、対策は何か思いつく?」
「もっと広い面で受けないと駄目だね。力を分散させる」
「うん」
「でも、それだけじゃ足りないかも」
「というと?」
「鉄と木だから」
アインが折れた部分へ手を当てた。
「板バネ側は平気でも、受ける側がずっと負け続ける可能性がある。木のところも補強した方がいい」
「確かになぁ……」
成功した部品を付ければ、それで全部成功する。そんな簡単な話じゃない。新しい部品が強くなった結果、今まで問題にならなかった弱い場所へ負担が集中した。テストも上手く行って、ちょっと速度を出したらこれだ。好事、魔多し……である。
『新しい部品を既存構造へ追加したことで、それまで想定されていなかった箇所へ応力が集中した可能性があります』
「(あー、前の会社にもあったわ)」
『どのような事例でしょうか』
「(社内ネットワーク機器を新しいのに替えて、通信を速くしたことがあってさ)」
『はい』
「(新しくしたら速くなると思うじゃん? なぜか逆に全体が遅くなった)」
『原因は?』
「(調べたら上流に一台だけ古い遅いネットワーク機器が残ってた。今までは全体がほどほどに遅かったから何とか流れてたのに、途中まで高速化した結果、そいつに大量の通信が一気に来て詰まった)」
『典型的なボトルネックですね』
「(一箇所改善したら、次に弱い場所が見える)」
『今回も似ています』
「(異世界でもシステム障害みたいなこと起こるんだな!)」
馬車は情報システムではない。でも、複数の部品が組み合わさって一つの機能を果たすという意味では、似ているところもある。
一つ強くする。別のところへ負荷が逃げる。そこを直す。すると今度は、また別の弱点が見つかる。なるほど。プロジェクトだわ、これ。
幸い、事故現場は工房地区の近くだった。俺とアインは近くの鍛冶工房から釘と金槌などを借り、折れた部分を何とか仮固定して、ゆっくり工房まで戻った。
頑張ってくれた馬にも、たっぷり水を飲ませる。
「今日はありがとな。びっくりさせてごめんな」
「おつかれさまー」
馬は俺たちの反省など知らぬ顔で草を食べていた。強いな。
そして馬房へ返した後、改めて事故調査である。
「板バネ、変形なし」
「金具も大丈夫」
「ここは?」
「ボルト自体は平気」
『破断箇所周辺を少し注視してください』
「(はいよ)」
俺が壊れた部分へ視線を向ける。
『ボルト穴周辺の裂けが大きいです。局所荷重に耐えられなかった可能性が高いと思われます』
「(さんきゅ、相棒)」
「アイン、ボルト穴のところ見て」
「あー……ホントだ。ここから裂けてるね」
「やっぱ馬車側だなぁ」
「うん」
俺は壊れた車軸と、無事だった板バネを見比べた。
「でもさ」
「うん?」
「あれだけデカい衝撃受けても、板バネはビクともしてないんだよな」
「……うん」
「じゃあ板バネとしては成功でよくない?」
「肝心の馬車壊れたけど?」
「ですよねー」
現実は厳しい。その日の結論は、板バネそのものは一旦現状維持。次は馬車側の補強を考えるという事に。
「馬車の乗り心地改善プロジェクト」は、簡単には成功しない。でも、確実に進んでいる。
「頼むぞ、アイン」
「うん!」
「改良馬車ができるまで、俺はこの街に引きこもるッ! お外には出ないッ!」
『格好を付けていますが、言っている内容はかなり情けないですよ』
「お尻と腰が痛くなっちゃう。だって俺、もうすぐ三十代なんだモン……」
『その言い回しの元ネタは把握していますが』
「うん」
『希楽さん、本当に二十九歳ですか?』
「若くてもネットやってると昔のネタ入ってくるの!」
◇
後日、馬車側の補強をしたうえで再試験を行った。今度は板バネを支える箇所の受け面を広くし、局所的に力が掛からないよう金具の形も変更。木材側にも補強を入れた。
前回と同じように、最初はゆっくり。次に普通の速度。少し悪い道へ入り、徐々に速度を上げる。さらに街の外まで走った。結果……
「……痛くない」
俺は荷台で、自分の尻をさすった。
「師匠?」
「腰も痛くない!」
「……!」
俺とアインは顔を見合わせた。
「やったな、アイン……!」
「うん……! 師匠……!」
「軽量荷馬車用板バネ、完成!」
「完成ー!」
二人で拳を突き上げる。
長かった。本当に長かった。鉄の硬さを変え、厚みを変え、長さを変え、枚数を変える。曲げて、壊して、また作って。そしてようやく、実車でまともに使えるものができた。
「よーし!」
俺のテンションは最高潮である。
「次は、御者プラス乗客四人から六人くらいの乗車用馬車!」
「う、うん?」
「さらに商人用の重量級荷馬車!」
「え」
「もっと重いのに対応するなら板厚と枚数を変えて――」
「ちょ! ストーップ!」
アインが両手を突き出した。
「どうした工房長!」
「そろそろボク一人じゃ追いつかない!」
「あー」
確かに、それな。
考えてみれば当然だった。これまでは研究段階だったので、機密保持も兼ねてアイン一人にかなりの部分を任せていた。鉄を打つ。試験する。壊す。記録する。また鉄を打つ。そして馬車側の改造まで。
俺も手伝える範囲では手伝ったが、所詮俺は鍛冶の素人だ。今後、用途別に複数種類の板バネを作り始めたら、とても一人では回らない。
「人増やすか」
「うん」
「誰か信用できる職人いる?」
「……」
アインが黙った。
「腕が良くて」
「うん」
「口が堅くて」
「うん」
「言われた品質で、ちゃんと同じものを作れる人」
「……」
「アイン?」
「いる」
「おっ」
「いるんだけど……」
すごく嫌そうな顔。誰だ。
「元・師匠」
「ああ……」
アインと初めて会ったあの日の事が思い出される。
「ごちゃごちゃうるせぇ! この頭でっかちが!」
「親方の頭で鉄を打ったら良い音するんだろうね!」
「クビだぁぁぁ!」
の、あの人だな。
「明日……ボクと一緒に行ってくれないかい、現・師匠?」
「まかせとけ!今日はさ、第一弾の完成を祝って飲もうぜ!」
「師匠のおごり?」
「もちろん!」
その日の作業はそこで終了して、アインと二人、酒場でささやかな祝勝会を開いた。アインの満足げな顔は、コツコツといい仕事を積み重ねて来た何よりの証拠だ。本当におつかれさま。心から感謝してるよ。
◇
翌日。俺とアインは、彼女が以前働いていた鍛冶工房の前にいた。隣を見ると、アインが黙ったまま工房を見つめている。どうやら緊張しているらしい。
「入らないの?」
「今、心の準備してる」
「何分くらい?」
「もうちょっと」
「じゃあ待つよ」
そのまま一分、二分、三分。
「……入る!」
「よし!」
工房の中からは、カン、カン、と力強い金属音が聞こえている。
アインが扉を開けると音が大きくなる。
「す、すみませぇ~ん……お、おじゃましまぁす……」
「声ちっちゃ!」
いかん。俺まで緊張してきた。
「お、おじゃましまぁ~す……」
『希楽さんまで影響を受けないでください』
「(だって怖いんだもん!)」
工房の奥では、巨大な腕で槌を振るっていた男がこちらを振り返った。六十歳ほどで、髪は真っ白。それでも身体は分厚く、俺なら両手で持つような槌を片手で扱っている。
「いらっしゃい……ン?」
そして、ギロリとアインを見る。怖い。主に俺が怖い。
「おめェは……」
「……お久しぶりです」
「ふん」
「はじめまして」
俺は一歩前へ出た。
「この街で算段屋をやっている、希楽といいます」
「……工房主のロスティだ」
「先にお伝えすると、アインは現在、算段屋の鍛冶事業部で工房長をやってもらっています」
「……ほぅ」
ロスティ親方が再びアインを見た。
「おめェが工房長とはな」
「……」
アインが少しだけ胸を張る。
いいぞ。
「実は今、算段屋鍛冶事業部で新製品を開発しているのですが、手が足りなくなってきました」
「それで?」
「指定した製法で確実に作れる腕の良い職人。かつ、情報を口外しない口の堅い人を紹介して欲しいとアインに相談したところ――」
俺は隣を見る。
「元の師匠しかいない、と」
「……」
あれ?
親方の目が、ほんのちょっとだけ柔らかくなった?
「話、聞いていただけますか?」
しばらくの沈黙。
「……まあ、話だけなら聞こうじゃねェか」
親方は少し逡巡してから了承してくれた。
鍛冶の細かい話は職人同士が一番と思い、アインに任せた。
「硬すぎず、柔らかすぎず、ちゃんとしなる鉄材が欲しい」
「ふん」
「今使ってる製法はこれ。これと同じ条件で作って納品してほしい」
アインが紙を広げる。
「こっちの素材も今試してる。まだ製法は確立してないけど、上手くいったらお願いすると思う」
「なるほどな」
何だか面白い。少し前まで弟子だったアインが、今は発注側の工房長として、元親方に仕様を説明している。人生、何が起こるか分からん。
一通り説明を聞いたロスティ親方は、顎を撫でた。
「おめェが色々試したってのは、まぁ分かった」
「……はい」
「仕事を受けるのも構わねェ」
アインが少し顔を上げる。
「おめェ個人からの依頼じゃねェ。算段屋の鍛冶部門代表として、仕事で頼みに来たんだろ」
「はい」
「だったら、昔クビにした弟子だろうが、何だろうが関係ねェ」
「……はい」
「ただな」
親方の目が鋭くなる。
「何に使う鉄か分からねェまま、言われた通りに作れってのは気に入らん」
「……」
アインが困った顔で俺を見る。
板バネの製法は、今後の算段屋の大事な商売になる可能性がある。今の段階では、できるだけ秘密にしておきたい。
でも、俺はアインへ視線を返した。
「アイン」
「うん?」
「君が、この人なら信用できるって思うなら、全部話していいよ」
「師匠?」
「何かあったら、その時は仕方ない」
俺は笑った。
「一緒に酒場でヤケ酒飲もうぜ!」
「……うん!」
アインは頷いた。
そして、俺に拾われたこと、領主様肝煎りの「馬車の乗り心地改善プロジェクト」に参加していること、板状の鉄を重ねて馬車の衝撃を吸収する新しい部品を作っていることを説明した。何度も失敗したことも、小型馬車ではついに成功したことも。
図面も見せた。ロスティ親方は黙って一枚ずつ確認していく。
やがて、低い声が落ちた。
「まず……この曲げ方はダメだ」
「えっ?」
アインが固まった。
「何度も使ってりゃ、いずれここから歪む。曲げる時に、この辺へ一度加工を入れて強くした方がいい」
「……あっ」
「それから、この厚みの板を今までと同じ火の入れ方でやるのも良くねェ」
「どうして?」
「外と中で熱の入り方が違う。中まで熱が入る前に外だけ先に変わる。割れやすくなるぞ」
「うっ……そこ、ボクも困ってた……」
ロスティ親方は、更に図面を眺める。
「ただ」
「……?」
「この板バネって考え方は、俺には無かった」
「……!」
「おめェ」
アインを見る。
「良い人に拾われたな」
「はい!」
即答。何だろう。ちょっと照れるな。
「新しい発想じゃ、若い奴にはかなわねェこともある」
ロスティ親方は腕を組んだ。
「俺のことを古臭いジジイだって笑う奴も、いくらでもいる」
アインが黙って聞く。
「でもな」
親方は、真っ直ぐ弟子を見る。
「新しいことをやりたいなら、まず基本をちゃんと身に付けろ。昔から受け継がれてきたやり方が、何でそうなってるのか理解しろ」
「……」
「それを全部分かった上で崩すなら、好きに崩せ」
「……はい」
「俺の考えは、今も変わらん」
アインは少し俯いた。
「あの時は……」
「ん?」
「頭カチンコチンとか言って」
「言ったな」
「頭で鉄打ったら良い音するとか」
「言ったなぁ」
「……ごめんなさい」
アインは静かに頭を下げる。
ロスティ親方はしばらく無言だった。そして、
「……いいだろ」
「え?」
「この仕事、請けてやる」
アインが顔を上げた。
「師匠……!」
「元・師匠だろ」
「……!」
一瞬、本当に一瞬だけ。いかついロスティ親方が、優しい目をした。
やめて!ギャップ萌えで、俺までキュンと来ちゃう!
『希楽さん』
「(何)」
『属性が増えています』
「(増えてません!)」
俺は咳払いをした。
「では、契約宜しいでしょうか?」
「ケイヤク?」
俺は事前に相棒と作っておいた書類を取り出した。秘密保持、無断製造禁止、材料配合や製法を漏らさない、勝手に製法を変更しない。ただし改善案がある場合はアインへ提案すること。有効な改善が採用された場合は追加報酬あり。その他、納期、不良品が出た場合の対応、支払い条件。
説明しているうちに、ロスティ親方の顔がどんどん嫌そうになっていく。
「細けぇな、算段屋さん……」
「仕事ですから!」
『前世のSE経験が無駄に発揮されていますね』
「(契約大事!)」
最終的には納得して署名してくれた。やった!強い味方が増えたぞ。
「で、俺はまず何を作りゃいい?」
「この仕様通りの鉄材を作ってほしい」
アインが紙を渡す。
「勝手に変えないでね、元・師匠!」
「ぐぬぬ……言うようになったじゃねェか、元・弟子……」
「ふふん」
「アイン」
「ん?」
「一回、親方と一緒に作ってみれば?」
「一緒に?」
「説明だけじゃ伝わらないこともあるし。俺は邪魔しないから」
「ボクはいいよ」
「俺も構わねェ」
二人が炉の前に並ぶ。アインが指示を出し、ロスティ親方が鉄を打つ。時には親方が、
「そこはこうだ」
と教え。アインが、
「でも今回はこの形にしたい」
と返す。
カン、カン、と赤く熱せられた鉄へ槌が振り下ろされる。そこに居るのは、クビにした親方と飛び出した弟子ではなかった。二人のプロの鍛冶師だ。
新しいものを作るために、同じ鉄へ向き合っている。俺はしばらくそれを眺めたあと、邪魔をしないよう静かに工房を出た。
何だか胸が温かかった。
◇
そこからは早かった。
アイン一人で材料から全部作っていた時と比べ、ロスティ親方の工房から安定した鉄材が入ってくるようになったことで、試験速度が一気に上がった。
ロスティ親方から、
「この厚みなら、こっちの方が割れにくい」
と提案が来ることもある。
アインが試験する。良ければ採用。駄目なら不採用。
時には、
「元師匠ぉ! 勝手に変えたでしょ!」
「こっちの方が良いに決まってんだろ!」
と喧嘩もしていたが、まあ、仲は悪くない。そんなこんなで――
「できちゃったね……師匠……」
「ついにここまで来たな……」
目の前には、ウォルトン様がお出掛けに使っている六人乗りの立派な馬車。その足回りに、試作板バネ五号機……付けちゃいました。
「希楽くん!」
ウォルトン様が、ものすごく嬉しそうな顔で馬車へ駆け寄ってくる。
「ついにここまで来たね!」
「お待たせしました!」
こちらこそ、ありがとうございます。金を出して、工房を買って、研究費を出して、俺たちを信じて待ってくれた。スポンサー様あっての成果である。
「じゃあ早速乗ってみようか!」
「ダメです」
「えっ」
ウォルトン様の笑顔が固まった。
「アイン工房長」
「えっ、ボク!?」
「ご説明して差し上げて」
アインが急に姿勢を正した。
「え、えーっと……ごほん」
緊張してる。かわいい。
「領主様。この馬車はまだ試作品で、安全性が全く確認できていません」
「安全性……」
「以前、小型馬車で石を踏んだ時に、車軸が折れました」
「えっ」
「なので」
アインは指を折る。
「最初は空荷で、ゆっくり走る」
「うん」
「次に重りを載せる」
「うん」
「その次に少人数を乗せる」
「うん」
「速度も徐々に上げる」
「うん……」
「石畳、土の道、悪路、山道。順番に試します」
「なるほどね……」
「万が一、領主様がお怪我したら困りますので」
「そう言われると……仕方ないね」
ものすごく残念そうな顔をしている。子供か!
俺からもお願いする。
「試験に使う馬二頭と、口の堅い御者さん、衛兵さんをお願いします」
「もちろん」
「最終試験では、フル装備の衛兵さん六人と御者さんを乗せて、丘村まで往復させたいです」
「丘村まで?」
「はい。あそこまで行ければ、そこそこ悪い道も山道もありますから」
「なるほど」
「無事に往復して、破損なし。板バネに想定以上のヘタリなし。取り付け部の異常なし。それで合格です」
ウォルトン様は頷いた。
「分かった。口の堅い者を手配するよ」
「ありがとうございます」
「ちなみに」
「はい?」
「私自身が御者か衛兵の格好をして試験に――」
「ダメです」
「……アッ、ハイ」
しょぼん。領主さま、分かりやすくてちょっと面白い。
◇
翌日から、耐久試験が始まった。
アインは走行前の板バネの厚み、曲がり、車高、金具の位置などを細かく測って記録している。しっかりしてるなぁ。俺も何か役立つことを――。
「あ」
ふと思い出した。
「アイン」
「なに?」
「ボルトと金具に、一本、線を引いといた方がいいよ」
「線?」
「こう」
俺はボルトの頭から、固定されている金具側へ跨がるように印を描いた。
「何のため?」
「緩んだら、線がズレる」
「あっ!」
「それに一度外して締め直す時も、大体元と同じ位置まで戻せる」
「なるほど! 師匠ありがと!」
前世でバイク屋などが使っていた方法だ。
もちろん、これで正確な締め付け力が測れるわけではない。トルクレンチがあれば一番いいのだが、今のこの世界にはない。ネジそのものはある。でも締め付け具合は、基本的に職人の経験と感覚頼り。割と怖い。
「(俺さ、大学の頃にスクーターのブレーキパッド自分で替えたことあるんだよ)」
『はい』
「(工賃ケチって)」
『嫌な予感がします』
「(ブレーキキャリパーを固定するボルトを……締めすぎて折った)」
『……』
「(半泣きでバイク屋まで押して行った)」
『貴重な経験ですね』
「(マジで反省した)」
もし、ちゃんと固定できたつもりで走っていたら、途中でブレーキが外れていたかもしれない。笑い話で済んだから良かった。モチはモチ屋。専門家の技術には金を払う価値がある。自分でできそう、と、安全にできる、は違う。
◇
三週間。
平坦な道、石畳、土道、山道。積載量は軽め、普通、重め。果ては想定以上の重りを載せる過負荷試験。様々な条件で馬車を走らせた。
途中、チェックしてみると、一部のボルトに緩みを発見したこともある。
「線ズレてる!」
「マジか!」
事故になる前に分かった。万々歳。
相棒に地球のボルト・ナットの緩み止め技術を調べてもらい、この世界で実現できそうな方法をアインと検討する。二重ナットに近い考え方。金具の形状。ネジの隙間に物を挟んでの簡単な回り止め。使えるものを試し、改善して、また試験する。
そしてついに、最後の丘村往復試験の日が来た。
「よろしくお願いしまーす!」
俺は領主様の馬車へ向かって頭を下げた。
御者一名。さらに車内には、装備一式を身につけた衛兵が六人と、かなり重い。比較用や緊急時用として、普通の従来型馬車も一台同行する。
「いってらっしゃーい!三日後にねー!」
アインが手を振る。隣で俺も振った。
ちなみに、俺とアインはこの試験走行には同行しない。理由は、本番運用を想定した試験だからである。開発者が横へ張り付かなくても、安全に運用できるか確認する必要がある。
決して、俺が普通の随行馬車に乗って丘村まで往復し、また腰と尻を破壊されるのが嫌だからではない。ホ、ホントダヨ?
『説得力がありません』
「(開発者が同行しない試験も必要なのは本当だもん!)」
『それも理由ではありますね』
「(それも、って付けるな!)」
馬車を見送ったあと、俺とアインは工房へ戻った。アインが椅子へ座り、俺もその向かいへ腰を下ろす。
「疲れたな、アイン」
「ホントだね。無事に帰ってくる事を祈るよ……」
「馬車が帰ってくるまで三日か四日あるからさ、今日明日明後日は休んでいいぞ!」
「えっ!いいの?」
「のんびり寝るも良し、何か研究するも良し、服とか買ってオシャレするも良し。臨時ボーナスを出すから、お前の好きにしてくれ!」
そう言って俺は、アインに金貨1枚をプレゼントした。日本円で100万円相当だ。ボーナスと言うなら、思い切ってこれぐらいの額じゃないとな!
「ンえ゛ッ!?」
アインが凄い声を出して固まっている。なかなか新鮮な反応だ。面白いのでそのまま置いて算段屋に戻る事にした。
算段屋へ戻ると、俺も一気に疲れが出た。ここしばらく、アインと一緒に走りっぱなしだったもんな。
「俺! もう疲れたー!」
『はい』
「ぐーたらしたいー!何もしたくないー!」
『知識チートで楽をする予定が、最後にはアインさんと働きづめでしたね』
「そうなんだよぉ!」
何かがおかしい。異世界知識チートと言えば普通、「俺、これ知ってる!」→「すごい!作らせて!」→「なんやかんやで大儲け!」→「悠々自適!スローライフ!」じゃあないのか。
現実は、「俺、板バネ知ってる!」→「誰がどう作る?」→「人材見つけたよ!」→「材料違う!鉄の性質がちがう!」→「試作!」→「壊れた!」→「また試作!」→「車軸折れた!」→「補強!」→「試験!」→「人足りない!」……である。
「神様、難易度設定間違えてない?」
『むしろ非常に丁寧なゲームバランスでは』
「プレイヤー目線ではクソゲー!」
『しかし、楽しそうですよ』
「……」
それは、まあ。ちょっと否定できない。
「もう何も考えたくない」
俺はベッドへ倒れ込んだ。
「丘村から無事帰ってきてくれれば、それで一段落だから」
『そうでしょうか』
「そうでしょ!」
嫌なこと言わないで。
◇
三日後、馬車が無事に帰って来たとの知らせが入った。俺とアインで急いで迎えに行った所、結果は一目で分かった。
板バネ付き馬車へ乗っていた御者と衛兵六人はピンピンしている。一方、比較用の普通の馬車へ乗っていた連中はぐったりして、顔が死んでいた。一人なんて腰を押さえてる。それが答えだ。
「どうでした?」
俺が板バネ馬車の御者へ尋ねる。
「いやぁ……驚きました」
「どこか異常は?」
「走っている間は、特には」
「乗り心地は?」
「普通の馬車とは別物ですね。山道でも身体が楽でした」
衛兵の一人も頷く。
「装備を着たまま丘村との往復を乗って、ここまで疲れてないのは初めてですよ」
よし。行ける。
アインはすぐに仕事へ入った。車体を持ち上げ、板バネ、金具、印を確認する。変形、亀裂、ヘタリ。一つずつ慎重に見ていく。
「……問題なし」
「マジ?」
「うん!」
「やった!」
最終試験、合格!
◇
それから一週間後。
俺とアインは、領主様の馬車を磨いていた。中も外もピカピカ。足回りも最終確認済み。ボルトの緩みなし。板バネの状態よし。
「アイン」
「ん?」
「納車だな」
「うん」
二人で顔を見合わせる。何だか、自分たちの子供を送り出す親みたいな気分だ。
『また親目線ですね』
「(いいの!)」
領主館へ運ぶと、ウォルトン様が待ち構えていた。
「待ってたよ!」
満面の笑み。
「正式にお引き渡しします!」
「ありがとう!」
「最終試験も問題ありませんでした」
「じゃあ」
領主様がニコッと笑った。
「乗ろう!」
今回は止めない。
「どうぞ!」
俺とアインも一緒に乗り込み、馬車が走り出す。三人、向かい合って座る。しばらく無言のまま、揺れを確かめる。領主ウォルトン・アネスシージ様。どうですか、御感想は。
やがて、ウォルトン様が口を開いた。
「希楽くん」
「はい」
「腰が……腰が痛くない……!」
「もちろんですとも!」
「アイン君!」
「はい!」
「全然違うよ!」
「でしょー!」
三人とも満面の笑み。領主様は椅子へ深く座り直し、何度も腰を動かしている。
「いつもなら、この辺の石畳で結構来るんだよ」
「分かります」
「今、揺れたよね?」
「揺れました」
「でも痛くない!」
「そうなんです!」
「素晴らしい!」
やったぜ。「馬車の乗り心地改善プロジェクト」、無事、大団円……!
――とは、ならなかった。
◇
納車の日から一か月後。
「師匠……ボク、もームリ……」
「俺も……」
工房の床で、俺とアインは背中合わせに座り込んでいた。疲労困憊である。
何故だ。
完成したはずなのに、何故、完成前より忙しい?
原因は領主様。あの人である。
板バネ馬車へ乗れるようになったウォルトン様は、まあ乗る。毎日乗る。腰が痛くならないのが嬉しいのか。領地の視察が捗るのか。あるいは単純に自慢したいのか。颯爽とアネスの街や周辺を走り回る。
そして、富裕商人、医師、遠距離馬車業者、他の有力者が当然それを見る。
「あれは何だ?」
となる。しかもウォルトン様、
「ちょっと乗ってみるかい?」
とか言って自ら営業する。
俺、見たからな。満面のドヤ顔だったからな。
その結果、注文が殺到。
「領主様、営業部長として優秀すぎる……!」
『スポンサーが自ら販売促進までしてくださっています』
「望んでないレベルで!」
ロスティ親方へ素材を発注しても間に合わない。アイン一人で最終加工して、取り付けして、調整して、点検して。もう無理。パンク。
「アイン」
「なに……」
「本格的に分業しないと死ぬ」
「ボクもそう思って、考えてた……」
「聞こう」
アインは工房の床へ指で簡単な図を描く。
「この部品は、元師匠のところ」
「うん」
「こっちの金具は隣の工房でも作れる」
「うん」
「板バネの最後の熱処理と検品だけウチ」
「うん!」
「馬車の改造は馬車工房」
「うん!」
「もう丸投げしよう」
「うん!」
「ボクの仕事じゃない」
『選択と集中ですね』
「(そうだな!)」
俺はアインを見る。
「……」
「なに?」
「いや」
「?」
「立派な工房長になったなぁ、と思って」
「なにそれ」
「昔は全部自分でやろうとしてたじゃん」
「だって、わかる人がボクしかいなかったし」
「今は?」
「元師匠もいる。師匠もいる。馬車工房の人も少しずつ仕組みを理解してきた」
「うん」
「だったら、任せた方が早いじゃん」
「百点」
「また採点してる!」
でも、本当にそうだ。
俺がアインへ知識を渡し、アインが試した。そこからロスティ親方へ技術が伝わった。馬車職人も、取り付け方や車体補強を覚え始めている。少しずつ、俺たちが全部やらなくても回るようになっている。これが技術移転ってやつなんだろう。
そこから二か月。今度は、俺が忙しくなった。
算段屋の社長として、街の鍛冶工房や馬車工房を回る。
「ここの金具、お願いできます?」
「この鉄材はこちらから支給します」
「寸法は絶対守ってください」
「材料変えないでください」
「勝手に薄くしないでね!?」
「ここの加工方法は企業秘密!」
『異世界でサプライチェーン構築を始めましたね』
「(元SEなのに!)」
ある工房には、完成済みの鉄素材を渡して金具だけ作ってもらう。別の工房では、単純な板材加工だけ。馬車工房へは、既存馬車の補強と板バネ取り付けを依頼。重要な材料配合や熱処理条件、最終検品はアインの工房へ集約する。
ロスティ親方を始め、信用できる相手へだけ段階的に情報を開示する。一気に全部を渡さない。でも抱え込みすぎない。
『良い権限分離ですね』
「(セキュリティの基本!)」
気付けば、俺、ちゃんと社長っぽいことしてない?
◇
領主様へ最初の板バネ馬車を納めてから半年。アネス周辺の景色は、少し変わっていた。
街の中だけを移動する荷車などは、まだ従来型が多い。短距離なら、コストを掛けて改造するほどでもない。でも、長距離馬車、乗合馬車、商人の輸送馬車、富裕層の乗用馬車は、どんどん板バネ付きへ変わっている。
ある日、算段屋の前に一台の荷馬車が停まった。
「おぉ~い! キラクさんはおるかね~?」
「はーい!」
外へ出る。
「あっ!」
見覚えがある。
「丘村のおじさん!」
「久しぶりだねぇ!」
荷馬車には、野菜が山積みになっていた。
「あの時は世話になったでな。少し持ってきただよ」
「いいんですか!?」
「ああ!」
俺がチェーンポンプ作りを手伝った、あの丘村。干ばつで全滅しかけていた畑。幸いその後は雨も戻り、今では無事に農業を続けている。
「この馬車って」
「ああ! 最近、新しいバネ付きに改造しただよ!」
「おお!」
「前より全然楽だぁ。野菜も傷みにくくなった気がするでな」
「あー!」
それもあるのか。人間だけじゃない。積み荷への衝撃も減る。卵、陶器、果物。傷みやすいものや壊れやすいもの。今まで長距離輸送しづらかった商品まで、運びやすくなる可能性がある。
『新たな物流上の効果ですね』
「(また広めた技術の応用や効果が勝手に広がった……)」
「キラクさん?」
「いえいえ!」
俺は野菜を受け取った。
「ありがとうございます! 孤児院とか、工房のみんなにも分けます」
「そうしてくれ!」
「俺もそのうち丘村に遊びに行きますから!」
「待ってるだよ~!」
荷馬車が走っていく。板バネが小さく上下しながら、道の凹凸を吸収している。何だか不思議な気分だった。
希楽には知る由もない場所でも、板バネ馬車によって色んなことが変わり始めていた。
◇
領主ウォルトン様の馬車。
「いやぁ、本当に視察が捗るねぇ!」
車窓から領地を眺めながら、領主様は上機嫌である。
向かいにはシルヴァさん。
「以前より遠方へ出向かれる回数が、明らかに増えておりますね」
「腰が痛くならないからね!」
「希楽様とアイン様へ感謝しませんと」
「もちろん!」
ウォルトン様が笑う。
「彼を信じて出資して良かったよ!」
少し間を置き。
「まあ、出資した分なんて二週間くらいで回収できたけどね」
「……」
「そこから先は、だいたい丸儲け――」
ニヤァ。
「領主様」
「ん?」
「顔に出ております」
「……おっと!」
◇
別の馬車。夫婦が並んで座っている。妻のお腹は、大きく膨らんでいた。
「これなら実家まで行けそうだな」
夫が妻の身体を気遣いながら言う。
「うん……」
女性が優しくお腹を撫でた。
「お母さんの近くなら、安心して赤ちゃんを産めるわ」
以前の馬車なら、強い揺れが怖くて妊娠後期の長距離移動など考えられなかった。でも今なら、家族のいる村へ帰れる。
◇
別の乗合馬車。一人の老人が、窓の外を嬉しそうに眺めていた。
「ありがたいのう……」
隣の乗客が尋ねる。
「どちらまで?」
「孫のところじゃ」
老人は笑う。
「腰も足も弱ってしもうてな。馬車なんぞもう耐えられん。一生、孫の顔を見ることも無いと思っとった」
「そうだったんですか」
「この馬車なら行ける」
揺れる車内で、老人は何度も嬉しそうに頷いていた。
◇
診療所。血だらけの男が、馬車から担架で運び出される。医師が治療を終えたあと、ぽつりと呟いた。
「……助かる患者が増えた」
助手が首を傾げる。
「治療法が変わったのですか?」
「いや」
医師は首を振った。
「馬車だ」
遠くの村で大怪我をした患者をアネスまで運ぶ。以前なら、その道中の振動だけで体力を奪われる。傷口へ負担が掛かり、痛みに耐え続ける。到着した時には、治療へ耐える体力すら残っていないこともあった。
「新しい馬車だと、身体への負担が明らかに少ない」
「……」
「運んでいる途中で死ぬ者が減った」
医師は静かに言った。
「たかが馬車の揺れだと思っていたが……命にまで関わるものなんだな」
◇
俺は丘村からもらった野菜のお裾分けを抱え、ロスティ親方の工房へ向かっていた。近づくと、中から声が聞こえる。
「だから、ここはこうだって!」
アイン。
「若造が! こっちの方が早ぇんだよ!」
ロスティ親方。
「若造じゃない!」
「二十歳は若造だ!」
「算段屋鍛冶部門の工房長!」
「だから何だ!」
「偉い!」
「自分で言うな!」
俺は扉の前で足を止めた。何だ。仲良いじゃん。
「(……入る?)」
『少し待っていても面白そうですね』
「(だよな)」
野菜の籠を抱えたまま、しばらく盗み聞き。いや、聞こえてきてるだけ。盗み聞きではない。多分。
ふと、通りへ視線を向けると、一台の馬車が走っていく。車輪が道の凹凸を踏むたび、車体と車軸の間にある板バネがゆっくりしなる。乗っている人は、普通に話をしていた。昔ならガタガタ揺られて、舌を噛まないよう黙っていたはずなのに。
「……なあ、相棒」
『はい』
「最初はさ」
『はい』
「俺のケツが痛いから始めたんだよな、これ」
『そうですね』
「もう二度と、あんな馬車で遠出したくないって」
『はい』
「だから板バネ作ろうって」
『はい』
俺は通りを走っていく馬車を眺めた。
「なんか……」
少し笑う。
「えらいことになったな」
『良い意味で、でしょうか』
「うん」
車輪が遠ざかっていく。
「良い意味で」
『はい。私もそう思いま――』
途中で相棒の声が止まった。
「……?」
嫌な予感。この流れ、前にもあった。
「相棒?」
『……』
「あ!さてはまた無料枠のマネを――」
『AIレベルが上昇しました』
「…………」
『レベル3になりました』
「相変わらず唐突ゥゥゥゥ!!」
第一章は全十二話、ここまでです。
第二章は1~3か月後の投稿を予定しています。
(誰にも読まれていなかったら、第一章で完結させる場合があります笑)




