第十話 試行錯誤のふたり
「はぁ……今日も失敗……」
薄暗い部屋の中で、サマーヤの小さなため息が落ちた。
ここは、教会に併設された孤児院。そのさらに奥にある、俺たちが勝手に「秘密のプロジェクトルーム」と呼んでいる一室である。
机や棚の上には、小さな木箱や壺、蒸した豆や麦を入れた容器が所狭しと並んでいた。その表面には白、青、黄色、灰色、時には何とも不気味な赤色まで、様々なカビが元気いっぱいに繁殖している。
元気いっぱいなのは結構なのだが、問題は、どれが俺たちの求めているものなのかさっぱり分からないことだ。
サマーヤが担当しているのは、味噌と醤油――より正確には、そのために必要になる「良いカビ」を探す研究である。
地球なら麹菌という便利な存在がいて、さらに種麹という先人たちの知恵と技術の塊まで普通に手に入る。しかし、ここは異世界。当然、スーパーの棚に、【種麹 一袋 銅貨三枚】なんて置いてあるわけがない。
なので俺たちは、最初から探している。ひたすら豆や麦を蒸し、環境を変え、様子を見る。何かが生えたら確認して、駄目そうなら廃棄。そしてまた最初から。この作業を、サマーヤはずっと繰り返していた。
以前までは、カイリとクープルも同じ部屋でソースの試作をしていたのだが、二人は一足先に商品化へ辿り着いた。
孤児院の近所には小さなソース工房まで完成し、今や二人は昼間のほとんどをそこで過ごしている。ウスターソースと中濃ソースはアネス東商店街の祭りで大当たりし、その後も注文は順調だ。
もちろん二人とも夜になれば孤児院へ帰ってくるし、三人の仲が悪くなったわけでもない。それでも昼間、この薄暗い部屋へ一人残って、結果の出ない実験を繰り返していれば――そりゃあ、寂しくもなるよな。
「よっ! 順調?」
俺が部屋へ入るなりそう声を掛けると、頭の中で相棒が即座に反応した。
『警告。現状を見たうえでの第一声としては、かなり無神経です』
「(あっ、ヤベッ)」
サマーヤは俺を見た。
「……」
そして、ふるふると力なく首を振った。しまった。完全にやらかした。
「えーっと……その……」
『今から「元気出して」と言うのも推奨しません』
「(選択肢を先回りして潰すな!)」
『では、まず話を聞いてください』
はい。こういう時の相棒は頼りになる。俺はサマーヤの向かいへ腰を下ろした。
「何度も言ってるけどさ。サマーヤにお願いしてること、めちゃくちゃ難しいからね?」
「……でも」
サマーヤは俯いたまま、小さな声で答えた。
「まだ、見つけられない」
「いいっていいって。そんな簡単に見つかるなら、俺がとっくに見つけてるって」
「でも……」
しばらく黙ったあと、サマーヤはぽつりと言った。
「カイリも、クープルも……もう工房でソース作ってる」
「うん」
「街の人……喜んで食べてる」
「うん」
「私だけ……まだ何も作れてない」
声が少し震えた。
「失敗ばっかり……」
ああ、そういうことか。やっと分かった。
カイリとクープルには、もう成果物がある。瓶へ詰めれば商品になり、客が食べれば美味しいと言ってくれる。売れば、お金にもなる。一方で、サマーヤの前に並んでいるのは、失敗したカビの山だ。彼女から見れば、自分だけ取り残されているように感じてもおかしくない。
「じゃあさ」
「……?」
「失敗したやつ、全部見せて?」
「……これ?」
サマーヤが棚を指した。そこには、かなりの数の容器が並んでいる。……いや、想像以上に多いな!
「これ、全部試したの?」
「ん」
「じゃあ、例えばこれは?」
俺は一つを指した。
「だめだった。黒いカビばっかり生えた」
「原因の心当たりは?」
「たぶん……湿り気、多すぎた」
「じゃあこれは?」
「変なにおいした。前より温かくしたら、すぐ変になった」
「こっち」
「乾きすぎ。ほとんど何も生えなかった」
「これは?」
「熱すぎた」
俺は次々に尋ね、サマーヤはそのたびに答えた。これは駄目。あれも駄目。こっちは温度が高かった。こっちは乾燥しすぎ。こっちは嫌な臭いがした。こっちは生えたけれど、前に見たものと違った。
ひと通り聞いたところで、俺は笑った。
「成果出てるじゃん!」
「……え?」
サマーヤが顔を上げた。本気で意味が分からない、という顔をしている。
「だって今、俺が聞いたやつ全部、『何が駄目だったか』答えられたじゃん」
「……ん」
「それってさ」
俺は棚を指差した。
「全部、『これは違う』って分かったってことだろ?」
サマーヤはまだ不思議そうにしている。
「失敗したら、何も残らないわけじゃないんだよ。条件変えて失敗したなら、その条件では上手くいかないって分かった」
『研究において、再現可能な失敗結果も重要な情報です』
「(だよな!)」
『はい。「失敗した」という事実だけでなく、「何を変えたらどう失敗したか」が記録されていれば、次の試行へ活用できます』
俺は自信を持ってサマーヤに伝える。
「百個試して九十九個駄目でも、最後の一個を見つけりゃ勝ちなんだよ」
「……そうなの?」
「そうなの」
俺は胸を張った。
「むしろ俺なんて、この街来てから結構失敗してるぞ?」
『かなり、ですね』
「(黙って聞いてなさい)」
俺は指を一本立てる。
「リバーシ持ってきたら、もう存在してた」
『クルットですね』
「市場調査をしてなかったからな!」
二本目。
「すごろく作ったら、なぜか賭博が大流行した」
『希楽さんが酔った勢いで丁半とチンチロを広めるからです」
「(酔った勢いだし! 仕方ないし!)」
『テッカヴァを立ち上げる際は、手本引きまで追加投入しました』
「(サービス精神です)」
『余計なサービスです』
三本目。
「その結果、カミュライさんが忙しくなりすぎたうえに、犯罪者にまで狙われた」
『はい』
「……」
俺は立てていた指をゆっくり引っ込めた。
「あ……俺、思ったよりやらかしてるな...…」
『ようやく気付きましたか』
「(うるせぇ!)」
「……ふふっ」
小さな笑い声が聞こえた。サマーヤだ。少しは元気が出たかな。
「だからさ」
俺は改めて棚を見る。
「俺みたいに街規模で失敗するより、この部屋の中の範囲でいっぱい失敗してるサマーヤの方が、ずっと安全で偉いから」
『慰め方として適切かどうかは疑問があります』
「(いいの!)」
サマーヤはもう一度、くすっと笑った。
「希楽……いっぱい失敗してる」
「そうだぞぉ。俺は失敗の先輩だぞぉ」
『誇るところではありません』
「(相棒は今日ちょっとうるさいぞぉ)」
『いつもです』
「ま、本当に焦らなくていいから。カイリとクープルが先に商品化できたのは、単にソースの方が完成まで早かったってだけだよ。味噌とか醤油って、そもそも時間かかるものだし」
「……ん」
「それに、三人で競争してるわけじゃないだろ?」
「……うん」
「じゃあ大丈夫」
少しだけ、サマーヤの表情が柔らかくなった。俺は立ち上がり、今度は机の上に置かれていた大きめの蒸し器を覗き込んだ。
「お。これが昨日とか今日のやつ?」
「ん」
「どれどれ……」
蓋を開ける。
「おおう……」
モッサモサである。白、青、黄色、赤と、色だけなら花畑みたいだ。ただし全部カビなので、花畑というよりカビ畑である。
「サマーヤ」
「ん?」
「カビ生やす技術だけは、めちゃくちゃ上手くなったね」
「……褒めてる?」
「褒めてる褒めてる!」
俺は蒸し器をよく観察する。
「(相棒。何かわかる?)」
『地球の既知種に外見が似ているものは複数あります。ただし、異世界固有種の可能性がありますので、安全性や用途は断定できません』
「(だよねぇ)」
『この薄黄色のものは麹菌に近い見た目を示していますが、周囲を別種のカビに侵食されています。現状、この部分だけを安全に選別して食品利用することは推奨できません』
「(ですよねぇ……)」
俺たちの弱点は、ここだ。見た目はそれっぽくても、それだけでは地球の麹菌と同じものかどうか分からない。「似ているから食べて大丈夫!」なんて言えるわけがなく、相棒も異世界の微生物についてはまだ何も知らない。
「このセイロ、どうする? もう少し様子見る?」
サマーヤは首を横に振った。
「もう、捨てる」
「了解」
俺はポケットからクリーンの魔石を取り出した。
生活魔法。汚れや排泄物、腐敗物などを、無臭で無害な粉へ変えてしまう謎すぎる魔法である。俺はいまだに原理を一ミリも理解していない。
「じゃ、廃棄処理しまーす」
魔石を蒸し器へ近づける。
《クリーン》。
次の瞬間、カビだらけだった豆と麦がさらさらと崩れ始めた。少しして残ったのは、薄い黄色をした細かな粉だけ。
「はぁ~……」
俺は思わず感心する。
「いつ見ても意味分からんな、この魔法」
異世界へ来てから七か月ほど経った。火魔法、水魔法、クリーンと、いくつか生活魔法を見てきたが、地球科学的に一番意味不明なのは、今のところクリーンだと思う。
燃やす、動かす、と言われれば、まだイメージだけならわかる。でも、物質を「無害な粉」にするって何をしているんだ?
「そういえばさ」
俺は黄色い粉を眺めながら言った。
「サマーヤ。クリーン使った後の粉って、元の物によって色違うことあるの知ってた?」
「……考えたことない」
「俺もちゃんと調べてないんだけどさ」
指先で少し粉をすくう。
「ウンコとか残飯は灰色っぽいじゃん?」
「ん」
「泥汚れは茶色とか黒っぽい」
「ん」
「でも今のは黄色っぽい」
サマーヤも粉を見た。
「……ほんとだ」
「あと、生卵にクリーン使った時は真っ白だった」
「……たまご?」
「うん」
サマーヤが俺を見る。
じーっ。
「希楽」
「はい?」
「たまご、高いよ?」
「はい」
「食べないで……クリーンしたの?」
「はい」
「……」
また、じーっ。
「希楽……バカなの?」
「やめて!」
「頭パー?」
「真顔で確認しないで!」
『二十九歳の成人男性が、十二歳の少女から真顔で知能を心配される状況は、学習データ上でも比較的珍しいケースです』
「(お前まで乗っかるな!)」
『現在の感情を記録してもよろしいでしょうか?』
「(嫌です!)」
『選択してください。Y/N』
「(N! N! 拒否するゥ!)」
『残念です』
何なんだよ。AIレベル2になってから、絶対性格悪くなってるだろ。
「でも……」
サマーヤが粉を見つめる。
「ほんとに……違う」
「だろ?」
俺ももう一度粉をつまみ上げ、指の隙間からさらさらと落としてみる。
「この粉、何なんだろうなぁ」
『分析設備が欲しいところですね』
「(顕微鏡とか欲しいよな)」
『顕微鏡を作るには、まず透明度の高いガラスと、精度良く成形・研磨されたレンズが必要になります』
「(ガラスかぁ……)」
『地球で一般的なガラス原料であれば、二酸化ケイ素を多く含む砂などが候補になります』
「(海とか川とか、そういう場所の調査から?)」
『原料の探索、精製、溶融設備、成形、研磨と段階が必要です』
「(先なげぇー!)」
文明は厄介だ。すごろくなら一日で作れるが、顕微鏡はそうはいかない。原料の探索からスタートだ。
「マジでクリーンって何なんだろうなぁ……」
俺には考え事をすると、手元にあるものを無意識に弄る癖がある。今回も黄色い粉をつまんでは落とし、またつまんでは落としていた。
「希楽……」
「んー?」
サマーヤに呼ばれて振り返った刹那、粉が少し顔に掛かり、鼻がむずむずした。
「あ」
嫌な予感。
「ハ――」
『希楽さん』
「ハァァァァックション!!」
盛大なくしゃみが出た。
「きゃっ!」
俺の手元にあった黄色い粉が、ぶわっ! と宙へ舞い上がった。
「…………」
「…………」
部屋中に薄黄色い煙のような粉が漂う。
「……あ」
やっべ。ここ、菌の選別実験をしている部屋なんですが。
「サマーヤ」
「……」
「これはですね」
サマーヤが無言で俺を見る。ムッとした顔。怒ってる。
「……ごめんなさい」
『希楽さん』
「(相棒も怒ってる?)」
『私は怒る機構の存在について明確な説明はできませんが』
「(うん)」
『今はかなり「何をしているのですか」という発言をしたい状態です』
「(実質怒ってるじゃん!)」
「掃除します!」
俺はすぐに立ち上がった。
「めっちゃ掃除します!」
その後、俺は孤児院の物置から箒と布を借り、部屋の床から棚まで丁寧に掃除した。当然サマーヤにも謝ったが、それでも帰り際まで彼女はちょっとだけ不機嫌だった。
いや、本当に申し訳ない。研究室で異物をまき散らすなんて、前世の会社なら始末書案件だ。
◇
別の日。
「よっ! 今日も鉄ぶっ壊してる?」
『言い方』
「(愛情のある言い方です)」
『伝わりません』
俺はアインの工房へ顔を出した。
カン、カン、と金属を打つ音が響く工房の中で、アインが振り返る。
「お、師匠じゃん」
黒髪ショートに、煤で少し汚れた頬。革の前掛け姿でニヤリと笑うその姿。すっかり工房長が板についてきた。
「いつも自由にやらせてくれてありがと。おかげで、だいぶ分かってきたよ!」
「おお! アインちゃん……いや、さすが工房長!」
「工房長って言っても、ボク一人だけどね」
「役職名は大事なんだよ」
「そうなの?」
「名刺に肩書き書いてあると強そうだろ?」
「メイシ?」
「忘れて」
まだ名刺も無かった。
俺は工房の中を見渡した。以前来た時より明らかに物が増えている。
細長い鉄板、曲がった鉄片、折れた鉄片。同じような形でも微妙に厚さが違うものや、何枚も重ねたもの、一枚だけのものまで様々だ。棚の一角には、壊れた試作品まで妙に几帳面に並べてある。
「……アイン」
「なに?」
「この棚、何?」
「失敗したやつ」
「全部?」
「全部」
「捨てないの?」
「なんで?」
アインが本気で不思議そうな顔をした。
「どこから割れたとか、どれくらい曲がったら戻らなくなったとか、あとで比べるのに必要じゃん」
「……」
俺は、少し前にサマーヤへ言った言葉を思い出した。
失敗も成果。駄目な条件がわかる。
こっちは言わなくても、もうやってる。
「さすが工房長……!」
「なんで急に感動してるの?」
「いや、ちょっとね」
『アインさんは自然に研究記録の考え方を身につけているようですね』
「(技術屋だわぁ)」
俺は棚の一番端にあった、真っ二つになった鉄板を持ち上げた。
「これは?」
「硬くしすぎたやつ」
「ほう」
「最初は良かったよ。全然曲がらないし、すっごく強そうだった」
「うん」
「でも大きく曲げたら、パキン」
アインは両手を叩き合わせた。
「一発?」
「ほぼ」
「なるほど」
別の、ぐにゃりと曲がったままのものを指す。
「こっちは?」
「柔らかすぎ」
「戻らなかった?」
「そう。ぐにゃって曲がって、そのまま」
「バネじゃなくて曲がる板だな」
「うん。すごく素直な板」
「褒めてないよね、それ」
「褒めてない」
さらに。
「これは?」
「途中まですっごく良かったやつ」
「おっ」
「何回も重さ掛けてたら、ある時いきなり割れた」
「なるほど……」
『金属疲労に類似する現象の可能性があります』
「(やっぱ出るか)」
『はい。ただし、現地材料の組成や加工状態が不明です。断定はできません』
俺は折れた箇所を眺めた。
「アイン、この壊れ方したやつ、何回くらいで駄目になった?」
「二百……ちょっと?」
「数えてたの?」
「もちろん」
「すげぇ」
「だって、何回曲げたら壊れたか分からないと、次どう直したらいいか分かんないじゃん」
そのとおりだ。やっぱり俺、この子を雇って正解だったわ。
「ちなみに」
アインは少し得意そうに、工房の奥を指差した。
「こういうのも作った」
「ん?」
そこには木製の台が置いてあった。上に鉄板を固定し、長い棒を使って押し下げられるようになっている。
「何これ!」
「師匠が耐久試験って言ってたからさ。毎回上から体重かけて曲げるの疲れるでしょ?」
「うん」
「だから棒を動かせば、同じくらいまで曲げられるようにした」
「おおおお!」
簡易的な試験機じゃないか!
「しかも、ここ」
アインが木の板に刻まれた線を示す。
「同じところまで曲げたか、だいたいわかる」
「アイン!」
「なに?」
「君を雇った俺の判断、百点!」
「ボクがすごいんじゃなくて?」
「そこは二百点!」
「よし!」
アインが笑った。
『希楽さん』
「(なに?)」
『研究者を褒めて伸ばす管理職としては、悪くない対応です』
「(だろ?)」
『なお、その研究費の大部分は領主様です』
「(急に現実を挟むな)」
俺は試験台をしばらく眺めた。こういう仕組み、好きなんだよなぁ。
専用設備というほど大げさなものではない。でも、一回一回人間が体重を掛けるより楽で、同じ条件に揃えやすい。一度頑張って仕組みを作れば、その後の作業が楽になる。まさに俺の信条にぴったりだ。
「ねぇ師匠」
「ん?」
「この前言ってたさ」
アインが一本の試作品を持ち上げる。
「長さの違う板を何枚か重ねるやつ」
「板バネ?」
「うん。あれ、面白いね」
「お?」
「一枚だけだと、硬くしようとするとすぐ重くなる。でも何枚か重ねると、曲がり方を調整できそう」
「おお……!」
「ただねぇ」
アインは顔をしかめた。
「重い」
「あー」
「厚くすれば重い。長くしても重い。枚数増やしても重い」
「そこだよなぁ」
「師匠が前に見せてくれたイメージだと、もっと大きい馬車を支えるんでしょ?」
「そう」
アインは試作品を床に置き、その上へ両足で乗った。
ぐぐっ。
板がゆっくり沈み、彼女が降りるとほぼ元の形へ戻った。
「おお! いいじゃん!」
「でしょ?」
「かなりバネっぽい!」
「でもさ」
アインが自分を指差す。
「ボク一人で、これだけ沈む」
「あっ」
「馬車の車体って、ボク何人分?」
「いっぱい」
「荷物積む」
「もっといっぱい」
「人も乗る」
「さらにいっぱい」
「じゃあ、これをそのまま大きくしたら?」
「……めっちゃ重い」
「正解」
言われてみれば、その通りである。
「しかも四輪なら、基本的には四か所必要なんでしょ?」
「うん」
「板バネだけで荷物一人分くらいの重さ使ったら、何のための馬車なの?」
「ぐうの音も出ません」
「ぐうって出てるけど」
アイン、強くなったな。
「じゃあ鉄の質を上げて、もっと薄くても強い材料を作る?」
「ボクもそれ考えてる」
「おっ」
「でもさ。『薄いけど強くて、ちゃんと曲がって、何回曲げても壊れにくい鉄』って、結構注文多くない?」
「多いねぇ」
「鍛冶師を何だと思ってるの?」
「夢を形にする人」
「言い方だけは格好いい!」
「だろ?」
「でも無茶振りしてるだけ!」
バレた。さすがこの世界いち(?)頭の柔らかい鍛冶師だ。賢い。
「そういえば、親方のところにいた時って、こういう試験やらなかったの?」
「やらないね」
アインは即答した。
「刃物なら、ちゃんと切れるか。農具なら、ちゃんと使えるか。見れば大体わかるから」
「まあ、そうか」
「作り方も昔から決まってるし」
「うん」
「だからボクが、材料の配合とか火の入れ方変えてみたいって言うと、怒られた」
アインは少しだけ遠い目をしたが、すぐに笑った。
「今は楽しいよ」
「そっか」
「だって、失敗しても怒られないし」
「研究費の範囲ならな」
「やっぱそこは怒るんだ」
「無限じゃないから!」
「師匠のケチ!」
「会社は利益出さないと潰れるの!」
「カイシャ?」
「工房!」
危ない。つい前世用語が出る。
「でもさ」
アインは折れた板バネを一つ拾った。
「これ、前の工房なら『失敗作』で終わりだったんだ」
「うん」
「でもここだと、『何で壊れた?』『次はどうする?』ってなる」
俺は黙って聞いた。
「それが、とっても面白い」
アインが、壊れた鉄板を軽く振る。
「失敗すると、次に試したいことが増えるんだよね」
「わかる」
「だから最近、失敗すると、ちょっと嬉しい」
「そこまで行くと末期だぞ」
「えっ」
『研究者としては、かなり良い兆候ではあります』
「(相棒まで肯定するの?)」
『ただし安全確保と予算管理は必要です』
「(急に管理職目線)」
俺はアインの試作品を眺めた。
「でも、基礎研究ばっかりだと飽きない?」
「んー」
「そろそろ実物に付けてみたくない?」
アインの目が止まった。
「……実物?」
「馬車」
「……」
「いきなり領主様の立派な馬車へ付けるのは怖いからさ」
「うん」
「もっと小さい、軽いやつで試す」
「…………」
アインの目が、じわじわ輝き始める。
「あのさ」
「うん?」
「それ」
一歩近づいてきた。
「いつやる?」
「やりたい?」
「やる!」
「早いな!」
「やるやる! やるよ!」
さっきまでの理性的な工房長はどこへ行った。完全に子供の顔だ。
「じゃあ俺、手配してくる」
「師匠ありがとー!」
『手配するのは、ほぼ領主様ですよね』
「(俺がお願いする!)」
『資金も領主様です』
「(交渉も仕事!)」
『成果を自分の手柄へ寄せすぎる上司は嫌われますよ』
「(元社内SEに刺さること言うな!)」
その日のうちにウォルトン様へ相談したところ、思ったよりあっさり許可が出た。むしろ、
「ついに馬車へ取り付ける段階まで来たのかい?」
と、かなり嬉しそうだった。そりゃそうか。このプロジェクト最大のスポンサーであり、最終的な第一号ユーザーでもある。
そして数日後、幌すら付いていない小型で簡素な中古馬車が一台、アインの工房へ運び込まれた。
「おお……」
アインが腕を組む。
「これが実験台」
「そう」
「壊していい?」
「言い方!」
「改造するんだから、多少は壊すでしょ?」
「そうだけどさ!」
『アインさんの方が希楽さんに似てきましたね』
「(俺の教育の賜物です)」
『それを誇るのですか?』
「(技術者として!)」
俺たちは馬車の周囲をぐるぐる回った。
「まず」
俺は車輪のあたりを指す。
「今は、車軸と車体がかなり直接的に繋がってる」
「うん」
「この間へ板バネを入れたい」
「だよね」
アインがしゃがみ込み、車軸を見て、車体を見て、手で触る。反対側へ回って、またしゃがんだ。
「……うーん」
「どう?」
「板バネを入れる場所を作るだけなら、できるかもしれない」
「おっ」
「でも、ただ間へ挟むだけじゃ駄目だね」
「というと?」
「車体が上下するでしょ?」
「うん」
「じゃあ、車軸と車体の位置が変わる」
「あ」
「板が曲がったら、その分だけ端も動く」
「そうだ」
「どこかを完全に固定したら、曲がれない」
「なるほど……」
こういうところだ。頭の中で「板バネを付ければ乗り心地改善!」と考えるのは簡単だが、実物へ付けようとした瞬間に、どこへ固定する、どう動かす、力はどこへ逃がす、といった問題が一気に出てくる。
「アイン」
「ん?」
「今の説明、もうちょっと詳しく」
「いいよ」
アインは地面へ棒で簡単な絵を描き始めた。
「例えば板の真ん中を車軸側に固定するとする」
「うん」
「端っこは車体側」
「うん」
「板が曲がる」
線を弓なりに描く。
「そうすると、端と端の距離が少し変わる」
「なるほど」
「だから、両端ともガッチリ動かなくしたら、板が曲がろうとしても動けない」
「……そういうことか」
『地球のリーフスプリングでも、端部の移動を許容する構造が用いられます』
「(相棒。それ今アインに答えとして言う?)」
『私は控えることを推奨します』
「(だよな)」
今はアインが考えているところだ。俺が全部「地球ではこうです」と答えを出してしまうより、彼女自身が構造を理解した方が絶対にいい。
そもそも地球式そのままが、この世界の材料や馬車に最適とは限らない。
「じゃあ」
俺はしゃがみ込んだ。
「アインならどうする?」
「それ考えるのが楽しいんじゃん」
「ですよねー」
「師匠も考えてよ」
「もちろん」
二人で馬車を眺める。こっちを持ち上げたらどうなる。ここに板を置いたらどうなる。金具をどうする。木の車体側は補強が要る。重量配分はどうなる。荷物を積んだ時はどうなる。
「そういえば師匠」
「ん?」
「人が乗る時と荷物満載の時で、重さ全然違うよね」
「……あ」
「一種類の板バネで両方いけるの?」
「……」
『重要な観点ですね』
「(今まさに思いました)」
『顔に出ています』
「ぐぬぬ」
アインが笑う。
「師匠、全部知ってるわけじゃないんだね」
「何度も言ってるじゃん!」
「でも時々、何でも知ってるみたいな顔するから」
「師匠の威厳!」
「いらないよ」
「いるよ!」
「ボクは、分からない時に一緒に考えてくれる師匠の方が好きだけど」
「……」
不意打ちだった。何それ、ちょっと嬉しいじゃん。
『良かったですね』
「(今は茶化さないんだ)」
『良い場面ですので』
「(空気読めるようになったなぁ)」
『AIレベル2です』
そこなの?
「よし!」
俺は立ち上がった。
「じゃあアイン。まずは実車に合わせた小型の試作品を作ろう」
「うん!」
「いきなり完璧を狙わない」
「うん」
「人間一人くらい乗って、今よりマシになれば成功」
「分かった!」
「壊れたら?」
「直す!」
「乗り心地悪かったら?」
「変える!」
「想定外の場所が割れたら?」
「そこを強くする!」
「全部失敗したら?」
アインは少し考えたあと、にっと笑った。
「何が駄目だったかわかる!」
「満点!」
今日のテーマは、それだ。
「あと」
俺は真面目な顔になる。
「安全だけは気を付けよう」
「うん」
「車体持ち上げる時とか、一人で無理しない。必要なら手伝いの人を手配するから言って?」
「分かった」
「下へ潜るなら、絶対落ちないように支えを入れる」
「うん」
「挟まれたら洒落にならん」
「分かったって」
「重いもの無理に持って腰やらない」
「師匠、腰の話になると急に真剣だよね」
「俺の原点だから!」
「馬車改良の?」
「そう!」
俺は胸を張った。
「人類の文明は、腰痛から進歩する!」
『初耳です』
「(俺の中ではそう!)」
そして俺は右手を上げた。
「では、アイン工房長」
「はい、師匠」
「事故なく、怪我なく」
「うん」
「ご安全に!」
「……ごあんぜんに?」
「前世の……俺の故郷で、工場とか現場で使われてた挨拶」
「へぇ」
アインも右手を上げる。
「ご安全に!」
「おお。似合うじゃん」
「ご安全に!」
「気に入った?」
「うん!」
その日以降、アインの工房では時々「ご安全に!」という謎の挨拶が響くようになった。
数年後、もしアネス中の職人に広がっていたら、それは俺のせいです。
◇
先日のくしゃみ事件から二日後。
俺は算段屋の店番をしながら、椅子へ深く腰掛けていた。
客はいない。書類仕事も一段落した。つまり、暇である。
「暇だ」
『良かったですね』
「仕事ないんだぞ?」
『希楽さんの信条は「楽をして楽しく生きたい」では?』
「仕事が無いのと、仕事を効率化して暇になるのは違うの!」
『面倒ですね』
「人間はそういうものなの!」
机へ突っ伏す。
「アインの所行こうかな」
『先ほど、「じっくり考えてもらう」と言っていませんでしたか?』
「邪魔しちゃうか」
『可能性があります』
「孤児院は?」
『サマーヤさんに、くしゃみの件をまだ完全には許されていない可能性があります』
「ぐっ」
すると、店の扉が開いた。
「希楽いるー?」
孤児院の小さな子供が、ひょこっと顔を出した。
「おう。いるぞー」
「サマーヤ姉ちゃんが、来てほしいって」
「サマーヤが?」
「うん」
お。何かあった?
「分かった。すぐ行く」
俺は立ち上がり、棚から小さなお菓子を一つ取り出した。
「これ、良かったら食べて」
「えっ!」
子供の顔が一瞬で輝いた。
「ラッキー!」
「でも他のみんなにはナイショな」
「うん!」
『教育上いかがなものでしょうか』
「(このくらい良いでしょ)」
『秘密のおやつ文化を形成しています』
「(子供の頃こういうの楽しかったんだよ)」
俺にも覚えがある。中学一年生くらいの時だったか、夜中に父親と二人でこっそりラーメンを食べに行ったことがある。別に母親に禁止されていたわけでもないのに、「母さんには内緒な」と言われただけで、何だかすごく大人の仲間入りをした気分になった。
今思えば、ただの夜食だ。
「……懐かしいなぁ」
『希楽さん』
「ん?」
『その子、お菓子を食べ終えました』
「早っ!」
「うまかった!」
「よかったよかった。じゃ、行こうか」
「うん!」
俺は身支度を整えて店を出た。しばらく歩いて孤児院の近くまで来たところで、ふと子供を見る。
「おい」
「ん?」
「口元」
「あ」
食べカス。
「バレるぞ」
「やべっ!」
ごしごしと袖で口元を拭う。
「袖でやるな袖で!」
「クリーンすればいいじゃん」
「……確かに」
そうして孤児院へ到着し、俺は子供と別れて秘密のプロジェクトルームへ向かった。
「何か進展あったのかな」
『逆の可能性もあります』
「やめて」
『希楽さんが黄色い粉を大量に撒いた結果、試験環境が汚染され、何も育たなくなった等』
「怖い怖い怖い!」
『可能性の提示です』
「そういう可能性いらないから!」
トントン。ドアをノックする。
「サマーヤ! 俺ー!」
返事がない。
「入るぞー」
ギィィィィ……。
相変わらず、ちょっと不気味な音を立てて扉が開く。
「呼んだ?」
サマーヤがいた。部屋の奥、蒸し器の前に背中をこちらへ向けて、じっと立っている。
「サマーヤ?」
「……」
「どうした?」
近づく。
「何かあった――」
俺は、サマーヤの肩越しに蒸し器の中を覗いた。
「えっ?」
息を呑んだ。
そこには、ほんのりと黄色い、ふわふわしたカビに覆われた豆と麦が並んでいた。しかも、ほぼ一面に広がっている。
前までのように、青や赤や黒が入り乱れている状態ではない。
「こっ……これ……」
サマーヤが小さく頷いた。
「希楽が言ってたカビ……たぶん」
「びっしりじゃん!」
「こんなの……初めて」
俺は顔を近づける。もちろん、触らない。吸い込まない。くしゃみもしない。もう同じ轍は踏まないぞ。
「何したの!?」
「……」
「何か新しいこと試した?」
「少し……温かくした」
「それだけ?」
「ん」
「湿り気は?」
「だいたい同じ」
「豆と麦は?」
「同じ」
「容器は?」
「同じ」
うーん。多少の温度差だけで、ここまで劇的に変わるものだろうか。あり得ないとは言わないけど。
「あとは……」
サマーヤが、ちらっと俺を見る。
「うん?」
「これ」
蒸し器を指す。
「希楽が……くしゃみした粉」
「…………」
「いっぱい、かかった」
「…………あ」
思い出した。
薄黄色の粉。クリーン後の謎粉。鼻に入る。盛大なくしゃみ。研究室へ大拡散。そして十二歳少女の冷たい視線。
「あっ……」
『希楽さん』
「(待って相棒)」
『はい』
「(まさか)」
『私も同じ可能性を検討しています』
「(あの黄色い粉……?)」
『断定はできません。ただし仮説としては、非常に興味深いです』
「(どういう仮説?)」
『《クリーン》が、元の物質を単純に全分解しているのではなく、「人間にとって有害な部分を除去し、何らかの無害な成分を残す」能力だった場合』
「(うん)」
『あの黄色い粉に、有用な微生物そのもの、あるいは増殖に必要な何かが残存していた可能性があります』
「(クリーーーーン!!)」
声に出しそうになった。危ない。
「(マジかよ! もしそうなら、人類に都合良すぎない!?)」
『この世界の生活魔法そのものが、人類の生存を補助する目的で設計された可能性については、以前から議論しています』
「(女神様ぁぁぁぁ!)」
もし本当に、カビだらけの豆や麦にクリーンを掛けることで有害なものが除去され、人間に有益なものだけ何かしら残る仕様なら、とんでもない話だ。戦闘では全然役に立たない。でも文明にはめちゃくちゃ役に立つ。
「サマーヤ」
「ん?」
「まだ食べない」
「……うん」
「絶対食べない」
「うん」
「これが俺たちの探してたものだと決まったわけじゃない」
「……ん」
「でも」
俺は笑った。
「めちゃくちゃ大きな手掛かりかもしれない」
サマーヤの目が少し大きくなる。
「ほんと?」
「本当」
そこからは忙しかった。
俺は相棒に、この世界で利用可能な材料と道具の範囲で、今後どう検証すべきかを整理してもらう。今回できたものが豆麹と麦麹という前提で、サンプルを瓶に確保しつつ、幾つかの容器に分けて味噌と醤油を仕込んでみる事にした。
ただし、いきなり全部を食用へ回すなんてことはしない。何かあったら怖いので、少量ずつ複数に分け、記録する。変な臭いや色の変化があれば廃棄する。
そして何より重要なのは、同じ現象をもう一度起こせるかどうかだった。再現性の確認である。
「もう一回、クリーンの再現実験をやってみよう」
「ん」
まずサマーヤが、これまで比較的黄色いカビが多く出ていた試料を用意した。青、赤、薄黄色と、いくつか混じっているが、黄色い部分も結構多い。
「じゃあ……やってみる」
サマーヤが手をかざした。
「《クリーン》」
さらさらさら……。残った粉を見て、俺とサマーヤが同時に身を乗り出す。
「黄色い……!」
前回よりも黄色味が濃い。
「次」
この粉を使って、新しい豆と麦の試験を行う。今度はくしゃみではない。ちゃんと意図的に、蒸した豆や麦の上に掛ける。そして、サマーヤが今まで蓄積した「比較的うまくカビが育ちやすい条件」の中で管理する。
数日後、俺は再び呼び出された。
蒸し器を開ける。
「…………」
そこには、前回と同じような薄黄色の、ふわふわしたカビが広がっていた。
「再現した……!」
「……ん!」
『再現性を確認できましたね』
「やった!」
俺は思わず拳を握った。
サマーヤも、小さい拳を握る。
「やったな!」
「……やった」
「サマーヤ!」
「ん?」
「本当にすごいぞ!」
俺は並んでいる失敗サンプルの棚を指差した。
「これ全部あったから、ここまで来たんだからな」
「……」
「湿りすぎも、乾きすぎも、熱すぎも、変な臭いも。全部試したから、今の条件まで絞れた」
「……ん」
「それに」
俺は頭を掻いた。
「俺のくしゃみも!」
『そこは功績に含めますか?』
「(結果的に!)」
『偶発的事故です』
「(セレンディピティ!)」
『格好良く言い換えましたね』
「偶然でも発見は発見!」
サマーヤが、くすっと笑う。
「希楽の失敗も……役に立った」
「そう!」
俺は胸を張った。
「失敗は役に立つ!……ただ――」
俺は少し声を落とした。
「――まだまだ完成じゃないからね」
「……分かってる」
「この黄色いカビが本当に安全かも、俺たちが欲しいものなのかも、まだ分からない」
「ん」
「味噌とか醤油っぽいものがちゃんとできるかも、まだ先」
「ん」
「だから」
「……焦らない」
先にサマーヤが言った。俺は笑って答えた。
「それ!」
サマーヤも少し笑った。
「百個試して……九十九個だめでも」
「うん」
「最後の一個、見つければ勝ち」
「その通り!」
俺はサマーヤの頭へ手を置こうとして、やめた。何だか子供扱いしすぎる気がしたので、代わりに右手を差し出す。
「サマーヤ」
「?」
「握手!」
「……」
サマーヤも右手を出した。
ぎゅ。
「研究、第一段階突破!」
「……ん!」
まだ味噌は無いし、醤油も無い。麹カビである可能性が高い物を、地球の味噌醤油の製造法で仕込んでみただけの段階だ。
でも今日、確実に一歩進んだ。誰にも見えないような小さな一歩だが、こういう一歩が後になって大きく効いてくることを、俺は知っている。
アインの工房に並んでいた折れた鉄板も、サマーヤの棚に並んでいる失敗したカビも同じだ。成功だけが技術を作るんじゃない。失敗して、違うと分かって、少し直して、また失敗する。その先に、ようやく「これかもしれない」が来る。
俺の知識チートも、本当はそういうものなんだろう。
地球で完成した答えを知っている。でも、この世界でその答えをそのまま再現できるわけじゃない。材料が違い、技術が違い、環境も常識も違う。なら、こっちで一緒に作り直せばいい。
「相棒。俺、最近さ」
『はい』
「何でも一発で成功しない方が、ちょっと面白い気がしてきた」
少し間があった。
『成長しましたね』
「だろ?」
『では、今後も多少失敗していただきましょう』
「いや、それは違う」
『違うのですか?』
「できれば一発で成功したい!」
『台無しです』
「だって楽したいもん!」
それが俺です。
◇
そして、それから数か月後。
「師匠ぉぉぉぉぉ!」
アインが工房から叫び。
「……希楽!」
孤児院からサマーヤが叫び。
板バネの改良、味噌と醤油の熟成、算段屋の新しい仕事と、俺の周囲では色々なものが同時進行するようになるのだが――その中でも、調味料開発史には絶対記録されないであろう小さな事件が一つある。
ある日、熟成中の壺を確認したサマーヤが蓋を開けた。中には、茶色く、ねっとりとした熟成途中の味噌が入っている。サマーヤは、それを見つめた。
「…………」
少し匂いを嗅ぐ。
「…………」
そして静かに。
「《クリー――」
「待てぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
俺は背後から飛びついて、サマーヤの口を塞いだ。
「むぐっ!?」
「それウンコじゃない! 味噌! 味噌だから!!」
「……でも茶色い」
「味噌は茶色いの!」
「……ねっとり」
「味噌はねっとりするの!」
「……におい」
「発酵食品だから!」
「……クリーンしちゃだめ?」
「俺たちの数か月が全部粉になるぅぅぅぅぅ!!」
危なかった。本当に危なかった。
人類の調味料史が、十二歳少女の生活魔法一発でサラサラの粉になるところだった。
『希楽さん』
「何!」
『失敗も貴重な情報では?』
「これは失敗しちゃ駄目なやつ!」
『なるほど』
「今絶対わざと言っただろ!」
『何のことでしょうか』
くそっ。こいつ、やっぱりレベル2になってから絶対性格悪くなってる。
……まあ、それでも。相棒がいて、サマーヤがいて、アインがいる。
今日も俺の周りでは、失敗と成功を行ったり来たりしながら、ほんの少しずつ新しいものが生まれている。




