ソウルメイト
「メリッサ様のこと、痛ましい事件だったね。たった1人でよく頑張ったよ……本当に」
肩で切り揃えられたブロンドに水色の瞳が美しい目の前の少年は、ミラーシャをこの皇宮庭園に呼んだ張本人だ。
フィリオ・オルディナート第一皇子、前の人生ではミラーシャが24歳の時に、母にして皇帝の愛人・ロゼッタ第六夫人と共に暗殺されたこの男とミラーシャは以前より親交があった。
二つ年上のこの皇子は、妹分であるミラーシャをいつも気にかけていたのだ。
だから今日も、公爵令嬢ではなくなった庶民のミラーシャを皇宮内に呼びつけて、最高級の紅茶と菓子を振る舞っているのだ。
「ところでミラーシャ、君はこの先どうするんだい。君が爵位を望むならどこかの貴族に養子として迎えさせても良いけれど……あれだけ焦がれていたルシアン殿と決別したということは、それは望んでいないんだよね」
(未来であの男は私を裏切るから、とは言えないしね。それに殿下の言う通り、別に貴族になることも望んでないし)
「お話が早くて助かりますわ、殿下。私、これからは自分の力で生きていきますの。公爵令嬢でもない今、殿下にお会いできるのは、これが最後になるでしょうけれど」
フィリオの瞳が少しだけ曇り、机の下で拳を握りしめたのが、ミラーシャにだけはわかった。
「……寂しくなるよ。アマンダは仕事も完璧だし、宮廷メイドとして雇い入れるから、心配しないで……皇族と連絡を取っているとバレないよう細工をして、時折手紙を寄越すから。生存確認だ、それには返してくれ」
生存確認なんて、皇族なのだからどこにいるのかさえわかればいつだって、民の情報は確認出来るだろうに。
いつまでも自分を心配してくれる兄貴分に、ミラーシャは小さく頷いて、微笑んで見せた。
そう、古くからの友人ともこれからは会えなくなる。
意図して遠ざけた親友など、道が交わること自体ありえないと思っていたのに。
「エリス…………様。よろしくお願いいたします」
「よろしく……メイド長、席を外して、ミラーシャさんとニ人でお話ししたいわ」
メイド長の女はお辞儀をして、部屋を後にした。
ミラーシャはいつになく緊張していた。
目の前の美しい令嬢がニ人きりになった途端顔を顰めたからだ。
(何か、エリスの気に食わないことをしたかしら……!?)
こちらをじっと見つめる目には、だんだんと涙が溜まってきていた。
すると次の瞬間、目の前の親友はミラーシャに手を伸ばし、ゆっくりと抱きしめた。
「大変だったわね、ミラーシャさん!!お一人でよく頑張ったわ!!」
「え……」
「モンクレール公爵家が取り潰されるまでの経緯を聞いた時、それだけでどうしようもない怒りが込み上げてきたの。今までミラーシャさんとは話をしたことすらないけれど、それでも、事件の凄惨さを思うだけで言葉では言い表せないほど強い不快感を覚えたわ。それに私なら、貴女ほど毅然とした対応は取れなかった!本当に立派よ!」
涙をポロポロと溢しながらぎゅうっとミラーシャを抱きしめるエリス。
(公爵家の一つが潰れたともなれば話が回るのも当然よね。そういえば、エリスは昔から感受性豊かで、よく人に共感する子だったわ)
「ここが、今日から貴女の家で私が貴女の家族よミラーシャ。貴女は望んでここに来たのではないかもしれないけれど、ここに来てくれたからには、あの女狐にだって、指一本触れさせはしないから!」
「……女狐」
「ああ、ダイアナ•モンクレールのことよ。今はダイアナ•ホーエンベルグかしら。……は!もし妹さんのこと悪く言ったのが不快に思ったなら謝るわ!」
急に慌て出すエリスに、ミラーシャは小さく笑って「気にしてません」と返す。
それを聞いてホッとした表情を見せた彼女に、ミラーシャはどことなく安心感と、懐かしさを覚えた。
エリスは前の人生で、モンクレール家で働いていた時からダイアナのことを陰で度々女狐と呼んでいた。
その時の情景が脳裏に浮かんでくる。
それはエリスが屋敷に来てから随分経ってからのことだった。
"実は私、モンクレール家に仕えることが決まった時、すっっっごく不快だったんです"
"え、そうなの?"
"モンクレール家って言えば愛人とその子供に支配された毒の家として当時から有名だったんです。実際アリー様はすっごく愛想が悪くてメイドを憂さ晴らしの道具だと思っていらっしゃるようだし、ダイアナお嬢様もお嬢様で、自分より立場が下の者への態度がなんともまあ母親譲りですわね。旦那様もお優しそうに見えて女狐たちの暴挙を傍観するだけでしたし"
"……ごめんなさい、ダイアナには言っておくから"
"いいんです、メイドなんて身分の低い存在ですし、何よりアリー様が報復に来て、ミラーシャお嬢様の身に何かあればたまりませんもの。それより、そんな人たちではなくて、ミラーシャお嬢様にお仕えすることができて、私は幸せですわ"
あの頃と何ら変わっていないのだと、ミラーシャの心はホカホカと温まっていくような心地だった。
⭐︎
「ミラーシャ、髪を結って頂戴」
「はい、ただいま」
「……わあ!私の好みぴったりの髪型と髪飾りの組み合わせ!」
「こちらのドレスには、このセットがお似合いかと思いまして」
「この間お任せで茶菓子を持って来て頂いたときも、私の大好きなアーモンド入りフィナンシェを持ってきてくれたのよね。本当に私のことを理解してくれているのね!あ、趣味が合うのかしら!」
楽しそうに笑うエリスの何と美しいこと。
屋敷に来てから前の人生で経験したエリスとの日々が大いに役に立っている。
親友だったエリスの趣味嗜好は当たり前に理解しているので、いつでもエリスの満足いくものを提供できたし、両親に隠れて、エリスの家事を手伝ったり、エリスの髪を結ったりしたこともあったので、使用人としての仕事は何ら苦ではなかった。
屋敷に来てから三ヶ月が経とうという時期には、仕事ができると評価されたのと、エリスがとりわけ気を許しているということでエリスの侍女として、常にエリスの隣にいることを許された。
没落貴族出身で、使用人として雇われていた身としては異例中の異例の待遇であったが、おそらくエリスの後押しがあったのだろう。
ミラーシャが報告すれば、エリスはニンマリと笑っていたのだ。
侍女として、常に隣にいることも許されたとあれば当然、エリス付きの使用人としてでは接点がなかった他の家族とも顔を合わすことになるわけだが。
否、ほとんどのご令息、ご令嬢のことは遠目からなら見かけたことはあった。
だが一人だけ、なぜか見かけることなく今日に至ってしまった。
だからこそ、思い出すのがこんなにも遅くなってしまったのかもしれない。
なぜ、エリスが使用人としてモンクレール家にやって来たのかを。
「貴女が姉さんの侍女になったというミラーシャさんですか?はじめまして、四男のクロエ•フローレンスです」
物腰柔らかなその少年はにこりとこちらに微笑みかけてくる。
だが、ミラーシャはその少年の顔を凝視しながら、頭の中で彼が名乗ったフルネームを何度も何度も咀嚼した。
(クロエ・フローレンス……クロエ、フローレンス…………ああ、なんで今の今まだ忘れてたんだろう。クロエ・フローレンス。この男こそ二年後……)
「ミラーシャ……?」
「え、ああ、何でもございませんお嬢様。失礼致しました、ミラーシャ・モンクレールです。よろしくお願い致します、クロエ様」
「ええ、よろしくお願いします。ミラーシャと呼んでも?」
(エリスを、フローレンス家から追い出すよう画策した、張本人!)
「もちろんでございます」
「ふふ、ありがとうございます」
フローレンス家の夕食の席。
そこではフローレンス公爵夫妻と、その子供たち六人が食卓を囲っている。
ミラーシャはエリスの後ろに佇みながら、エリスの向かいに座る四男に目を向ける。
所作の美しいその少年の顔を見ればますます見覚えがある。
(エリスの双子の弟だと聞いているから歳は14歳……幼いけれどそれでもやっぱり面影があるわ)
クロエ・フローレンスは、四男ながら将来フローレンス公爵の座をものにし、またフローレンス家始まって以来の鬼才として国中に名を馳せる男だ。
彼が鬼才と呼ばれる所以は、兄姉たちを次々に後継者争いから退かせた圧倒的知略と、両親と上の姉を平気で殺すその残酷で大胆不敵な性格にある。
そして、彼が最初に手を下す人間こそ、彼の双子の姉にしてミラーシャの親友、エリスだった。
彼は二年後、十六歳の時、何らかの方法によって母親にエリスへの怒り向けさせ、母親にエリスを追い出させたのだ。
この話は全てが終わってから、激動のフローレンス家を生き抜いたメイド長の証言によって世間に知らされたものだ。
それまで、自分はどこかで無礼を働いて、母の怒りを買ってしまったと、エリスは思っていたらしい。
まさかそこに弟が絡んでいたとは夢にも思っていなかったと聞いていた。
(このままだと二年後、エリスはこの家を追い出される……家族のことを何より愛していたエリスの幸せが、また壊れてしまう)
エリスは目の前に座る弟と会話を楽しみながら、美味しそうなグラタン頬張っていた。
ミラーシャはただ、その幸せそうな顔を守りたいと思った。
(調べよう……なぜフローレンス夫人は実の娘であるエリスを追い出すほど怒ったのか。それに話を聞いた時から気になっていたけれど、どうしてクロエは次期後継者である長男より先に、自分の次に後継者から遠いエリスを真っ先に狙ったのかしら。そこも調べてみなくては。そのためには……)
親友の向かいで、料理を上品に口に運ぶ少年に目を遣れば、なぜか彼もこちらを見ていて、微笑まれる。
その少年を見据えて、ミラーシャは心の中で決意を固めた。
(エリスを守るために、私はこの二年でクロエからの信頼を勝ち取る!用心深いと有名な将来のフローレンス公爵がそう易々と手の内を明かすなんて期待はしてない。ただ、彼の思考パターンを少しだけでも理解しておきたい……!)
ミラーシャはその少年に向けて、微笑みと共に軽くお辞儀をしてみせた。




