貴女に会いたかった
「本当に14歳の……10年前の私なの?」
だがそう思えば全て辻褄が合った。
ミラーシャの部屋には、15歳の時に捨てたはずのお気に入りのドレスが傷一つない状態で保管されている。
18歳の時に婚約の証としてルシアンからもらったお揃いのテディベアも見当たらない。
そして14歳の誕生日にフィリオ皇子から貰った花束は、まだ花瓶に生けてあるのだ。
にわかには信じがたい話だが、そうとしか考えられない現状に感極まったミラーシャは瞳に涙を溜め、その場でしゃがみ込んだ。
「ありがとう神様……!これでやり直せます、あの最悪な結末を!!」
母親だけは故人のままだが、親友•エリスがこの屋敷にやってくるのは4年後、18歳の時のことだ。
今頃エリスは、将来自分が使用人になっているとは夢にも思わず、生家のフローレンス公爵家で幸せに暮らしていることだろう。
(まだ、間に合う)
もう2度と、エリスをここに近づけてはいけない。
そのために、それからミラーシャ自身の復讐を果たすために。
遠くから聞こえる妹の姉を呼ぶ声に、ミラーシャは何も知らずに幸せぼけした"お姉様"のフリをして、部屋を出た。
⭐︎
復讐とは言っても、何ともシンプルで簡単なものだ。
「ミラーシャ、お父様はアリーとダイアナと3人で出張に行かなければならないんだ。お姉様のお前はいい子でお留守番していられるね?」
14歳の時、三人は出張という名の家族旅行に出かけた。
期間は一週間、子供心には、親を欠いて過ごすには不安が積もる長さだ。
14歳のミラーシャがその事実を知ったのは家族が出かけて三日目、憐れむメイドたちの噂話をたまたま耳にしてしまったのである。
あの時メイド長が抱きしめて、慰めてくれなかったら、あまりのショックでおかしくなっていたかもしれない。
それから4日間はずっと自室に閉じこもっては食事も取らず、ひたすら泣いていたのだが、今回はそうは行かない。
「……はい、少し寂しいけれど、楽しんできてね!お父様、アリー様、ダイアナ!」
にんまりと笑った父とアリー、そして幼さからか、今見れば明らかに自分を馬鹿にした笑みを浮かべたダイアナ。
「お姉様とも一緒に行きたかったなぁ……お土産買ってくるからね!」
「……うん!」
(まんまと騙されて馬鹿な子だと思ってるんでしょうけれど、馬鹿はあなたたちよ。今に見てなさい!)
そして数日後、ミラーシャを置いて外国に旅に出た3人を笑顔で見送った後、ミラーシャは14歳時の一日のルーティンをこなす。
お勉強をして芸事のレッスンをして、そんなこんなであっという間に日が沈み、一日が終わる。
メイドたちも全員が寝静まった屋敷内で、たった一人ベッドから降りて、廊下に出る。
誰にも見つからないように慎重に歩みを進める。
目的地は、前の人生で父親が言っていたあの場所。
父が言っていたことが本当なのか、確かめたかったのだ。
長年の経験から、この時間は誰もうろついていないことを、ミラーシャは知っていた。
仮に誰かに見つかって失敗したって、あの人たちがここに帰ってくるのには時間がかかる。
その間に家を出て、国外にでも逃げてしまえばいい。
そしてまた、この家を潰すための作戦を練ればいいんだと。
生きてさえいればどうにでもなると、断頭台に立った経験が語るのだ。
目的地の前についたミラーシャはゆっくり、ゆっくり扉を開けて中に入った。
視界が暗いのと、荘厳な装飾品たちで埋め尽くされているせいで見えにくいが確かに壁に"跡"が残っていた。
近くにあった装飾品をずらしてみれば、すぐに扉の取っ手が顔を出す。
ごくりと唾を飲み込んでからそれを引けば、その中には小さな空間が続いていた。
恐る恐るその奥をのぞくが、その光景に絶句する。
覚悟はしていたがやはり、そこにいたのだ。
腐敗を止める薬品に漬けられたのか、そういう魔法がかけられているのか、以前飾られていた肖像画の姿のまま、綺麗な姿の女性が。
顔は変わらず綺麗だというのに、腹部にはナイフが何本も刺さっており痛々しい。
その白い肌に、夥しい数の刺し傷が残っていた。
この美しい人は、前の人生では23年間、今回の人生では、13年間も一人でこんなところにいたのだ。
いや、正確には時々やってくる人間の皮を被った怪物の拷問に、死してなお耐え抜いていたのだ。
「こんなところにいたんですね、お母様……」
冷たい頬をそっと撫でる。
「ずっと……貴女に会いたかった」
もう一度人生をやり直せたことに、ミラーシャは言葉で言い表せないほどの感謝を抱いていた。
前の人生で救えなかった親友の使用人を救えるかもしれないのだから。
だが出来ることなら、母のことも救いたかった。
母が殺された当時、ミラーシャはまだ物心も付いていない子供だったのでそれが不可能だったとしても、せめてここまで辱めを受ける前に、一刻も早く救い出してあげたかったのだ。
ミラーシャはその足で屋敷を飛び出し、アマンダがあらかじめ手配していた馬車に飛び乗って、自警団に駆け込んだ。
翌日からモンクレール邸の家宅捜索と、密告者であるミラーシャとアマンダ以外の全員を対象とした取り調べが始まった。
ミラーシャの証言で早々にアリーの隠し部屋からメリッサの遺体が見つかったことで、事件は動かぬ事実と断定され、何も知らずに1週間の旅行から帰ってきたモンクレール公爵夫妻は逮捕された。
その様子を屋敷の前から眺めていた時、アマンダはミラーシャに問いかけた。
「どちらでこのような有力な情報を手にされたかは分かりかねますが……ミラーシャお嬢様、どうしてあの時、私に事件の全貌を話して協力を求めてくださったのですか。お嬢様がお話を持ちかけてくれたので私は何も被害を被ることもなくここにおりますが、貴女様を裏切って旦那様に報告する可能性だってあったのに」
(本音を言うと母のような存在だったから助かってほしかったっていうのと、前の人生でこの人は、当時17歳の私を庇ってお父様たちに刃向かったことで使用人をクビになってしまったので、お父様側に回る可能性は極めて低いと判断したからなんだけど……)
「……貴女には感謝してるのよ。それに、お母様にずっと仕えてきた貴女なら、共に母の無念を晴らしてくれると思ったの」
アマンダはそれ以上何も言わなかった。
いつしか始まって、隣から止まずに聞こえてくる嗚咽や鼻を啜る音に、ミラーシャも目を閉じる。
どんなに機械的でも、顔に大きな傷があっても、鉄の女と呼ばれたこの人が、あの屋敷で誰より人間だと思った。
「ミラーシャ!!」
ザクザクと地面を蹴ってこちらに駆け寄るこの声の主の正体に、すぐに気づいてしまう自分に辟易する。
この空気の読まなさ加減、そして極め付けは前の人生で発覚した浮気者のクズな性質。
あれほど盲目的に恋していた目の前の男が、今のミラーシャの目には蛆虫以下に見えていた。
「ミラーシャ聞いたぞ!モンクレール公爵夫妻が逮捕されたことで、モンクレール家は取り潰しになるらしいじゃないか!」
どこから聞きつけたんだか、とミラーシャは呆れ果てていたが、未来の元婚約者の後ろからてくてくと元妹が駆け寄ってくるではないか。
「これからどうするのだ、家がなくなったんだぞ」
どうするもこうするもない。
とりあえずこの家を壊すという目的は達成したのだ。
後は国外を放浪する旅人にでも、国内の貴族のメイドにでも、人生はどうとでも広がっている。
生きている限り。
「行き先など考えていないのだろう?ミラーシャ、僕たちもう婚約しようじゃないか!」
「……は?」
「僕は未来を共に過ごす相手は君以外考えられない」
(いや、10年後に裏切るのよあなたは)
「そうだ、ダイアナも引き取って、みんなで一緒に暮らそう!一から家族になろう!きっと楽しい!」
「わあルシアン様、それ、素敵ですぅ。お姉様もそうしましょうよ!お父様とお母様はメリッサさんにひどいことをしていたけれど、私たち姉妹だけはもう一度やり直しましょう?」
(なにこいつら、頭沸いてるの?血縁とはいえ、お母様をずっと辱めていた女の娘と、どうやって仲良くしろというの!それにこのニ人が一緒にいる限り、ニ人して私を裏切るのはわかってる。泥舟に乗ってやる気はないわ!)
「盛り上がってるところ悪いけれど、これ以上私の人生に介入してこないで!」
ミラーシャがそう一喝すると、ニ人は幸せそうな表情から一変、ギョッとした顔でミラーシャを見つめる。
「ミ、ミラーシャ?どうしたんだい」
「お姉様、気が動転しているのもわかるけれど、ルシアン様に失礼よ?」
「どうしたもこうしたもないわ。私は、私の人生を生きる。もうあなたたちとは縁を切るわ」
愕然とするルシアンと、心底意味がわからないという顔をするダイアナ。
「こんな有事に何を言ってるのお姉様!こういう時こそ、私たちたったニ人の姉妹で支え合わなくちゃいけないのに!わがまま言ってないでルシアン様に甘えなさいよ!」
ミラーシャがルシアンとの婚約を拒否すれば、自分まで路頭に迷うと思い、必死なのだろう。
あざとい美少女ダイアナが普段なら絶対に使わない命令口調で焦りを露わにしていた。
23歳のこの女の本性を知っている今のミラーシャからすれば、こんなのはただ悪知恵の働く、13歳の小娘に他ならない。
「姉妹?支え合う?笑わせないで!お母様のことを何年も苦しめていた女の娘とこれまで通り暮らすなんて耐えられない!!」
自身とエリスが将来この悪女に受ける仕打ちについては言及できない分、目の前の小娘をこれでもかと睨みつける。
姉がここまで敵意をむき出しにする所は見たことがなかったダイアナは、取り繕うことも忘れて顔を歪める。
妹の顔からは、「なによ!今まで従順だったのに急にこの私に刃向かってくるなんてお姉様のくせに生意気!」なんて声が聞こえてきそうだった。
「そんなに住む所が不安なら、あなたがルシアンと婚約して公爵夫人になればいいじゃない。私はどの道、この人とは一緒にならないから」
それだけ言い切ると、ミラーシャはアマンダを呼び、二人してその場を去った。
元婚約者と元妹は、それ以上追っては来なかった。
もうずいぶん歩いて屋敷からは距離ができたところで、ミラーシャの瞳から涙が溢れ出した。
それを見たアマンダは、ミラーシャの背中をそっとさする。
「……ミラーシャお嬢様。妹君とルシアン様との決別は英断だったと、私は思いますよ」
「違うの……悲しんでいるわけではないのよ、アマンダ……」
嬉しかった。
この上なく嬉しかったのだ。
モンクレール公爵家は潰れた。
これで、エリスがあの悲劇に巻き込まれることはなくなった。
もうニ度と、エリスには会うことはできないだろうが。
「幸せになってね……」
もうニ度と、会うことはないと思っていた。
それなのに。
「ミラーシャさん、こちらのお方が貴女が今日からお仕えする、エリス・フローレンスお嬢様です。エリスお嬢様の為、精一杯勤めを果たすように」
目の前には華やかなドレスを着ていることと少し幼いこと以外は何一つ記憶と違わない、美しい親友、エリスが微笑んでいた。




