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最悪の日

 愛する婚約者と、可愛い妹、そしてさらに、信頼できる専属メイドのエリス。


 大切な人との出会いと別れを繰り返す中でも、概ね順風満帆だった24年の人生。


 それが崩れる音が聞こえ始めたのは、親しくしていたフィリオ第一皇子が暗殺された事件。


 目に見えて崩れだしたのは、妹が見たこともない顔で嗤っていたあの日からだった。


「ごめんなさいミラーシャお姉様ぁ。お姉様の大切なルシアン様は、お姉様より私の方が好きなんですって!」


 「アハハ!」と高笑いした目の前の妹・ダイアナは、いつになく邪悪で、楽しそうだった。


 その華奢な白い腕が隣にいる上裸の男の腕に絡みついている光景に吐き気すら覚える。


 もうすぐ式を上げる予定だった。


 式のことで少し訊ねたいことがあったので、何の気なく婚約者の部屋へ伺った、それだけだったのだ。


 それだけだというのに、どうして2人がベッドの上で並んでいるのか。


 どうして妹はシーツで体を隠しているのか。


 驚きのあまりミラーシャは手で口元を覆って、見開いた目に涙を溜めることしかできなかった。


「お二人ともこんなことをして、許されるとお思いですか!両家のご当主様たちが黙っておりませんわ!」


 悲しみに暮れるミラーシャとは対照的に、傍にいたメイドは、額に青筋を浮かべて怒鳴り上げた。


 怒りを露わにしたそのメイドの剣幕に、ダイアナはわざとらしく泣き真似をして、隣の男に擦り寄る。


「ふぇぇん!ルシアン様ぁ!」


「黙れ無礼者!!……メイド風情が僕たちに意見するなんて、腰抜けで頼りない"元"婚約者よりよっぽど度胸があるようだ」


 ルシアンがニヤリと笑ったのを見て、流石のメイドもゾッとした顔を浮かべる。


「やめてルシアン!エリスはメイドだけれど私の親友よ。何かしたら……許さないから!」


「許さない、とは?具体的にどうするんだい?言っておくけどミラーシャ、僕と婚約を解消したお前は、もはやこの家では無価値さ」


 意味がわからず顔を顰めるミラーシャに対して、ダイアナがバカにしたように続ける。


「お姉様ってばほーんと間抜けよねぇ。ルシアン様と私は何年も前から相思相愛だったのに、目の当たりにしなきゃ気づく気配すらないんだもん!まぁこっちとしては、助かったけどねぇ」


「ダイアナ……あなたいつからそんな……ただ優しくて朗らかだったあなたはどこへ行ったのよ」


「そんなダイアナはこの世にいませーん!いるのはぁ、最初からグズなお姉様がだぁい嫌いだった可愛くてぇ、賢くてぇ、みーんなから1番愛されるダイアナだけなの!」


「そんな……」


 可愛らしいその表情が、ひどく歪んで見える。


 悲壮感から視界まで歪んできた。


 隣でワナワナと震えていたエリスはミラーシャの手を取って、部屋の外へと引っ張る。


「この件はしっかりと報告させていただきます」と吐き捨てて。


 自分たちの失態を両親に報告されるというのにニタニタと笑っている2人が気色悪かった。



 ⭐︎



「どうしてですご主人様!!!ダイアナお嬢様は、姉君であるミラーシャお嬢様の婚約者と密会をなさっていたのですよ!!ミラーシャお嬢様はこの通り深く傷ついておいでで……」


「だからそれが、何だというんだ」


 ミラーシャの父親であるモンクレール家当主は、フン、と鼻を鳴らす。


「お父様……」


「ミラーシャ、ホーエンベルグのご子息と結婚するのは、必ずしもお前でなくてはいけないわけではないんだよ。私の娘であれば、ね」


 やれやれと言わんばかりに父親は、ミラーシャの肩にポンと手を置いた。


 実の父の手がこうも気色の悪いもののように思えたのは、これが初めてだった。


「ではお父様は、ダイアナとルシアンの浮気を容認すると……?」


「容認、というより応援、という方が正しい。夫婦が上手くいくに越したことはないからな。ホーエンベルグの子息がより良いと思う方を妻にすればいい」


「そんな……あんまりです!」


 ミラーシャもエリスも、当主がこう言うのであればどうしようもなく、打ちひしがれるしかなかった。


 だが次の瞬間父親が吐いた言葉に、ミラーシャは耳を疑う。


「むしろホーエンベルグの子息が最終的にダイアナを選んでくれて良かったよ……メリッサの血が流れた子なんて、今後可愛がれる自信がないからなぁ」


「え……それって……」

 

 ミラーシャはモンクレール公爵と、正妻・メリッサの間に生まれた子だった。


 ダイアナはモンクレール公爵と、愛人にして後妻・アリーの子供だ。


 ダイアナが生まれた直後、メリッサは突然亡くなったのだが、モンクレール公爵の気持ちはその時既にアリーに傾いていた。


 ミラーシャは、母の死因は刺殺、殺害だと聞いていた。


 犯人はまだ捕まってはいない。


 何の根拠もなかったが、ミラーシャの中で全てがつながった気がした。

 

「あなたたちが、お母様を……?」


 その言葉を聞いた時、目の前の男は動揺する様子は一切見せなかった。


 むしろ至極愉快そうに、にぃっと卑下た笑みを浮かべる。


 そしてミラーシャの耳元に顔を寄せ誰にも聞き取れないくらい小さな声で男は秘密を明かした。


「もはや時効なので教えてあげよう……君のお母様は邪魔だったんだよ。今頃アリーの隠し部屋でアリーの癇癪を晴らす玩具になってることだろう」


 それを聞いたミラーシャは、耐えられず膝から崩れ落ちた。


 エリスも咄嗟に駆け寄る。


 男は何もなかったかのように、今度は部屋の外にまで聞こえる声量で続けた。

 

「何を言うんだい!むしろお前こそ、ダメじゃないか!見損なったよ」


 その時、バン、という大きな音と共にモンクレール公爵の書斎の扉が勢い良く開く。


 そこからゾロゾロと10数名の兵士たちが入ってきて、ミラーシャを囲む。


 その中の1人の手には、丸められた紙が握られていた。


 その紙を広げ、声色高々に読み上げる。


「罪状!ミラーシャ・モンクレール、エリス・フローレンスを国家反逆罪で捕縛する!大人しく同行しろ!!」


「え、国家反逆……?どういう」


「とぼけても無駄だ!お前たちはこのアストリオン帝国の次期皇帝であったフィリオ皇子とロゼッタ第六夫人を暗殺した!証拠は全て、このモンクレール公爵から提出いただいている!」


 第一皇子のフィリオと皇帝の6人目の愛人であるロゼッタは、つい数ヶ月前何者かに毒殺された。


 そのことは大きく記事になっていたし、何よりミラーシャとフィリオは幼少期より交流があったのでもちろん知っていたが、まさか自分がその犯人として祭り上げられる日が来るなど夢にも思わなかった。


 2人してモンクレール公爵の顔を見れば、その男は悲しそうな顔を作って見せている。


「いやはや……実の娘とはいえこのような……我々公爵家ともあろう者から国家反逆者を出してしまうとは……末代までの恥でございます!陛下に何とお詫びすれば良いか……」


「実の娘であるにも関わらず陛下の為正しく行動なさった公爵には、陛下も感心しております。公爵にはお咎めはないでしょう。ミラーシャ嬢は……死罪は免れないですが」


「ま、待ってください!私たちはフィリオ皇子と第六夫人の暗殺など目論んでおりませんわ!証拠だって、誰かが偽装したものです!ねぇ!!」


 結局、ミラーシャとエリスが解放されることはなく、2人は死罪が確定、処刑の日を迎えた。


 ミラーシャは先に断頭台に立った親友の最期をその目に焼き付けてから、そこに立つ。


 恐怖はない。


 そこにあるのは、親友に対する申し訳なさと、家族に対する怒りと、ただそれだけだ。


 エリスが断頭台で今にも命の灯火が消え尽きようとしていた時、民衆の中の1人の青年がエリスの名前を叫んでいた。


 姿は確認できなかったが、もしかしたらエリスには、いい関係の人がいたのかもしれない。


 ふと視線を上げれば、そこには元婚約者と、これみよがしにその腕にしがみついてこちらを見下す妹がいた。


 元婚約者はしたり顔を浮かべていた。


 妹はいたく上機嫌で、遠く離れているが鼻歌が聞こえてきそうなほどだ。


(私が何をしたって言うのよ。母親が違うから……?大事な妹だと思っていたのに……)


 その時、ダイアナの口元がゆっくりと動いた。


 読唇術なんて習得してなくてもわかってしまうほど、大袈裟に。


 そして彼女の微笑みは、どこまでも邪悪なものだった。


「かわいそう、ですって……!」


 涙が、溢れた。


 こんなクズ共を信じていた自分が惨めで、それゆえに最期まで味方になってくれた親友まで死ぬ羽目になって。


 自分の不甲斐なさを呪った。


「もし……もしももう一度やり直せるなら……もう2度と、エリスをあの家には近づけない。そう……私もお母様と、こうなる前にあの場所から逃げ出して……それから……」

 


____もう親友になれなくてもいい。どうか、エリスに幸せな人生を……!

 


 確かに、そう願ってミラーシャは24年の生涯に幕を閉じた。








 

 だと言うのに、目の前に広がっている光景は、まるで日常のそれだった。


 いつもの日常とは何かが違う日常。


 にこやかな父親にこちらを睨む継母、そして隣で人好きする笑みを浮かべる妹。


 それから、ミラーシャ。


 この4人でテーブルを囲って食事をする。


 いつもと何ら変わらない光景だ。


 違うことといえば妹の容姿が妙に幼くて、まるで子供であること、父と継母の容姿も自分の見慣れたものより若い気がすることくらいだ。


 

「お姉様?どーしたのぉ、食欲ないの?」


 やはりあの時より幾分幼く見えるが、きゅるきゅるとした曇りなく見える瞳に吐き気を覚える。



 自分が断頭台に立った時、この女は隣に元婚約者を侍らせて、悪魔のような笑みを浮かべていた。


「……ううん、何でもないわダイアナ」


「そぉ?」


「ダイアナ、こんな小汚い子は放っておきなさい」


 父親の愛人アリーがふんと鼻を鳴らしてダイアナを諌める。


 昔は気にならなかったが今ならわかる。


 この妹は今、バレない角度で小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。


 たまらず拳を握りしめると、小汚いと言われたことを恥じたと思われたのか、アリーは愉快そうに笑った。


「アリーさん、その辺にしてください」


 振り向くと、メイド長のアマンダがアリーを睨んでいた。


 アマンダは、無表情で、普段機械のような正確な仕事ぶりなので鉄の女としてメイド間で恐れられている人物だった。


 アリーすらも苦手意識を覚えているほどだ。


 だが本質は心の優しい女性で、母を失ってからのミラーシャにとっては第二の母のような存在だった。


 それが、ミラーシャが14歳の時、顔に大きな火傷を負ってしまい、3週間ほど療養していたが、結局傷跡は残ってしまったのだ。


 だがアマンダはその見た目をも武器にして、怠惰なメイドたちを威圧することに役立てている。


 そんなアマンダを屋敷内で知らないものなどいないと言うのに。


「ア、アマンダ……なのかい?」


「アマンダさんどうしたの!そんな醜いお姿になって!!」


「お父様お母様……ダイアナ怖いっ!」


(どうしてこの人たちは初めてみたような反応をするの?)


 アマンダは自分の容姿を卑下されているというのに、眉ひとつ動かさず淡々と述べた。


「火傷の跡はどう頑張っても消えませんでしたの。ですが容姿など些細なことですわ、お気になさらず」


(あれ……?このセリフどこかで……)


 見た目が若返り、処刑も何もなかったかのように振る舞う家族。


 見覚えのある光景、遠い昔に起きた火傷事件がつい最近のことであるような周りの反応。


 ミラーシャは気付けば走り出していた。


 家族の静止を振り切って、ミラーシャの部屋に駆け込んで、ドレッサーの前で立ち止まる。


「な、な……!!」


 鏡の中の自分を見て驚愕した。


 24歳だったミラーシャとはとても思えないほど若い、と言うより幼い頃の自分の姿がそこには映っているからだ。


 だが、これでつながる。


「私……14歳の頃に戻ってきたの!?」

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