16歳
「___と、以上がエリスお嬢様の近況になります」
「ご苦労様、ミラーシャ」
あれからあっという間に二年の月日が経った。
ミラーシャは定期的にフィリオに呼び出され、エリスについての報告のため、城へやってきていた。
とはいえ、この近況報告も元はフィリオがミラーシャと話す時間をつくるために無理やり言いつけたものだ。
だが現在ではフィリオにもエリスの魅力が伝わったのか「エリスに近づく男はいないか」と開口一番聞いてくるようになった。
「……フィリオ殿下少し、相談をしても?」
「なんだい、言ってみてごらん」
「エリスお嬢様が、近頃どうも私に対してだけ様子がおかしくて」
そう、16歳になった今でも、エリスは変わらず周りの人間に親切で、心優しい。
だが、近頃のエリスは何故かミラーシャにだけ、少しよそよそしい態度をとるようになっていた。
「よそよそしいと言うか、気まずそうな顔をすると言うか……」
「君に原因があるのではないのかい。エリスは理由もなしにそんなことするような人ではないだろう?昔からおっちょこちょいの君のことだ、気づかないうちに何かしてしまったとか」
妹分のミラーシャより、婚約者のエリスを庇うことができるようになるほど、エリスのことを気に入っているのは良いことなのだが、肝心のエリスの様子がおかしい理由が掴めずに悶々とする。
そんな中フィリオは、思いついたように話し出した。
「そういえば、この間エリスとティータイムを過ごした時、エリスの笑顔がどこかぎこちなかったような」
「それです!無理して笑っているような」
それを聞いた時、フィリオの顔に焦りの色が滲んだ。
何事かとミラーシャは首を傾げるが、次のフィリオのセリフで全てを理解するところとなる。
「ああ……ところでミラーシャ、君はエリスに私たちの関係は話しているかい?」
「え……」
その瞬間、顔から血の気が引く思いだった。
ミラーシャは、エリスにまだ何も話していなかったのだ。
(そういえば、前の人生でもエリスは、お忍びで定期的に私の元へやってくるフィリオが私のことを好きだと勘違いしてたのよね。わけを話せばすぐに納得してくれたけれど……)
あの頃は、自分の主人だったので言及できなくとも仕方なかったはずだが、今は違う。
ミラーシャは使用人で、フィリオは婚約者だ。
問い詰めるには充分すぎる理由が揃っているのに、それはせず、無理やり取り繕おうとするエリスの聖人具合に申し訳なさを覚える。
「私もそこまで気が及ばなかった。後日エリスに弁明と謝罪をしに向かわなくては」
「フィリオ殿下」
フィリオの言葉を遮って、側近のミルの声がノックと共に聞こえてきた。
「どうぞ」
扉を開けたミルは、私を見て少し驚いた顔をする。
「……ミラーシャ様もご一緒でしたか」
「ミルさん、私はもうフローレンス家の使用人です。様付けなんていりませんよ」
「いいえ、ミラーシャ様はミラーシャ様です」
「ミル、何かあったのかい」
フィリオの問いかけにミルは一瞬ミラーシャの方に目を向けて、気まずそうに話し始める。
「……ロゼッタ様からの伝言です」
「お母様の?」
「"私にも憂さ晴らしのおもちゃが出来た"と」
それを聞いた途端、フィリオはミラーシャへ目を向けた。
「……大丈夫です、フィリオ殿下」
心配するようなフィリオの目線をよそに、ミラーシャはどこか胸のすく思いだった。
⭐︎
「ミラーシャは、フィリオ殿下といつから恋仲に?」
「……はい?」
「ちょ、ちょっとクロエ……!」
そんな質問を投げかけたのは、相変わらず気まずそうにティーカップを口に運ぶエリスではなく、その向かいでミラーシャの給仕を眺めていたクロエだった。
「とぼけなくてもいいんだよ」
16歳になったクロエは二年前より身長も伸びて、相変わらず線は細いが体つきもそこそこがっしりとしてきていた。
うねる銀色の髪も、エメラルドのような瞳も、あの頃のままのはずだが、その笑顔にはあの頃の数百倍、もはや耐えきれないほどの圧力が乗っかっている心地だった。
少しずつ、未来のフローレンス公爵へ近づいていると否が応にもわからせられる。
「フィリオ殿下と恋仲だなんて……エリスお嬢様がいらっしゃるではありませんか」
「けれどそうじゃなきゃあり得ないんだよね。いくらエリスの侍女とはいえエリスを差し置いて殿下と二人で会うなんて本来は許されない」
「それは殿下のご命令でエリスお嬢様の近況を報告していただけで」
「それだって本来必要ないだろう。殿下がミラーシャと会うために無理やり作った口実なんじゃないの?」
それについてはその通りすぎてぐうの音も出なかったが、クロエは、いやこの双子は盛大に勘違いをしている。
(そうだけど、そうじゃない!)
いつしかクロエの目から光が失われていた。
正気を失っているようにも見える。
確かに愛する姉の婚約者を、姉の腹心が寝取っていたともなれば怒るのは当然なのだが。
「……ミラーシャ、皇子のことは諦めて。代わりに僕と婚約しよう」
「はい??」
「そうすれば、姉さんは幸せだし、ミラーシャだって浮気っていう形で人道を踏み外さずに済む。僕だってし」
「クロエストップ!!ミラーシャをとめたいからってそんな意味不明なことを言うのはやめなさい!」
ジリジリとミラーシャの元に迫り来るクロエを、エリスがすんでのところで身を挺して食い止めていた。
「二年間にもわたる想いをこんなところで告げるなんて、勿体なさすぎるわ!」
エリスのそのセリフに、クロエは目を見開いて、途端に顔を茹でたこのように赤くしていた。
「な……!な…………!!」
言葉にならないといった様子で、口元を手のひらで隠すクロエ。
見開かれた瞳が焦りで揺れていた。
「私たちずっと一緒にいたじゃない。流石に気づくわよ」
その途端、クロエはミラーシャの方へ視線をやる。
何かを確認するように見てくるものなので、ミラーシャは首を傾げてみせた。
「ミラーシャはわかってないわよ」
その言葉にホッとしたそぶりを見せるクロエ。
何もわかっていないような顔をしながら、ミラーシャは心の中でため息をついた。
(流石に気づくでしょう。まあ私の場合、これがクロエの巧みな演技力による茶番であることにも気づいてるけれど)
クロエの演技はどんどん上達している。
今や、ミラーシャに送る視線一つでも甘い熱を帯びている。
エリスの14歳の誕生日以降、彼がエリスを差し置いてまでミラーシャと二人で話し続けることは無くなったし、やむを得ずミラーシャと二人になった時は、どこか気恥ずかしそうにはにかんで、ほんのり顔を赤らめて話すのだ。
年相応の恋模様を演出するのが巧妙になったと感心してしまうほどだった。
とはいえ、この二年間でクロエがそれ以外に何か妙な言動をとったことは一度もない。
それはつまり、クロエは元の計画のまま、今年中にエリスを追い出すつもりだということだ。
(だからこそ立ち回りやすいように私は、何にも気づかない鈍感な女を演じる。貴方に淡い恋心を抱く、鈍感な女を)
「……何をわかっていないのかはよくわかりませんが。クロエ様がそんなに取り乱してまで、私が道を踏み外すのではと思いやってくださっているとわかって、感激ですわ」
そう言って笑って見せると、クロエはときめいたように口をギュッと結んだ。
いつからだったか、ミラーシャが笑うとクロエは嬉しそうな、苦しそうな顔をする。
(本当に、演技が上手いわね。前の人生で出会っていたらまんまと騙されて、利用されるところだった)
「うん、心配だよ。実際不自然なのは事実なんだ。教えてよミラーシャ、君と殿下は一体どういう関係なの?」
「……私も、知りたいわ。私、ミラーシャのこと疑ってたの。信じたかったけれどこの間だって、殿下が私とのお出かけの用事を断った日、殿下は貴女を城に呼び出していた。貴女のことが大好きだからこそ、真実を知りたい……もし貴女と殿下が相思相愛なら、潔く身を引くから……」
「エリス姉さん!?」
「お嬢様それは」
「いいの!私は貴女に幸せになってほしいし、この二年間を一緒に過ごして貴女のことは大切な友達だと思ってる。殿下にだって、好きな人と幸せになって欲しい。二人にはたくさんの幸せをもらって感謝してるの。だから、こんなことで関係を崩したくはないの!」
涙ぐみながらそう言い切るエリスが健気でならないが、ミラーシャからしてみればとんだ勘違いであり、この場にフィリオがいなくて本当に良かったと心底思う。
もしこのセリフを彼が聞いていたら「君の私への想いはそんなものか」と静かな怒りの炎を爛々と燃やしているところだ。
(ああ見えてあの人、エリスに相当入れ込んでるのよね。最初こそ私と公な関わりを持ちたいがための婚約だったんだろうし、今もかなりわかりにくいけどね)
「……あの日、フィリオ殿下がお嬢様との用事をお断りしたのは、殿下の母君であらせられる第六夫人が殿下と私を急遽呼び出したためです」
「ミラーシャ貴女、第六夫人とお会いしたの……!?」
「女神のような圧倒的美貌を持つ傾国の美女だとか、万の芸事に精通する才女だとか数多くの逸話を作り出し、もはや神話めいた存在であるあの第六夫人と……?」
皇帝からの寵愛を一身に受ける第六夫人の容姿を知る者は、この国ではそう多くない。
彼女はもともと外国の貴族出身で、この国に身寄りはない。
美しい第六夫人を独占したかった皇帝は、第六夫人が公的な場所に出ることを禁じた。
だから、第六夫人の姿を知るのは王族の人間や一部の使用人にとどまるところとなったのだ。
そんな、謎に包まれた第六夫人に謁見したことをこともなげに語ったミラーシャに、エリスとクロエは驚きで声を上げる。
「はい。実は……」
ミラーシャが理由を語ろうとしたその時、遠くからエリスを呼ぶ怒号が聞こえてきた。
遠慮もなくどかっとエリスの部屋の扉を開いたのは、額に青筋を浮かべ、目を血走らせたフローレンス公爵だった。
「エリス!お前一体何をしたんだ!!」
「お父様……?」
エリスを視界にとらえた途端、一目散にこちらへ近寄ってくる公爵。
あまりの迫力に怯えるエリスに、咄嗟に動こうとしたミラーシャだったが、それより早く二人を背に隠すようにクロエが公爵の前に立ちはだかった。
「娘とはいえ、ノックもせずに入ってくるとは不躾ですよ、父上」
「ええい黙れクロエ!そんなことも言ってられんのだ!エリス、お前ホーエンベルグの子息に何をしたんだ!」
「ホーエンベルグ……?」
聞き覚えのあり過ぎるその名前に、ミラーシャは眉を顰める。
未来で婚約者となるはずだった、ルシアンの家紋だ。
(ここ数ヶ月は手紙を寄越さなくなったから、やっと私のことを諦めたのかと思えば……)
「今ホーエンベルグの子息が婚約者を連れて、お前を出せと押しかけてきているんだ!他の貴族と揉めるのは構わないがなぜよりによって公爵家の、それも皇帝の愛人を輩出したホーエンベルグ家と因縁を作るんだこの馬鹿娘!」
「え……?私はホーエンベルグの方とはそもそも面識など……」
エリスの侍女としてずっとそばにいたからこそ、ミラーシャにはわかる。
エリスにホーエンベルグの人間との接点はない。
つまり彼らの狙いは、エリスを呼びつけることによって必ずついてくるであろうミラーシャだ。
(……もうニ日程経っているし、上流貴族には広まっていても不思議ではないしね)
「つべこべ言わず、はやく応接室に向かいなさい!そしてホーエンベルグ家の方に深い謝罪を!有力貴族との関係をこれ以上悪くしないでくれ!!」
何も知らないと主張する娘の意見を無下にし、頭ごなしに謝罪を強制するこの行動が、公爵として正しいのかはさて置き、父親としては最悪なのは明確だった。
クロエが目の前で喚く中年の男に向ける視線は、とても実の父に向けているとは思えないほど冷たかった。
父親に促されるまま席を立ったエリスに、ミラーシャは声をかける。
「お嬢様は私の後ろへ。逆上したホーエンベルグのご子息がいきなり刃物でも向けてきたら大変ですので」
ミラーシャを呼び出せばいいものを、エリスの名前を出すことで二人まとめて呼び出した理由は、おそらくミラーシャとエリスが仲が良いことをどこかで知ったからだろう。
(きっと何か要求があって、最悪エリスを人質にでも取るつもりでしょう。あの二人ならやりかねないわ)
前の人生でルシアンとダイアナの浮気が発覚したあの日。
ミラーシャは思う、出来すぎていたと。
(きっとあの二人も、私とエリスを国家反逆罪に仕立て上げるなんて馬鹿げた策略を、なんならそれがあの日実行されることも知っていたはずよ)
あの日、当時親しくしていた令嬢の従者がモンクレール家を尋ねてきた。
先ほど結婚式の招待を取り消す旨の手紙が届いた、どういうことかと。
そこで式の招待客を見直していたところ、なぜかミラーシャの友人の令嬢の招待が片っ端からキャンセルになっていたのだ。
そしてその穴を埋めるように、名前だけは知っているような浅い関係性の令嬢たちの名前が連なっていたのだ。
それを不思議に思ったミラーシャとエリスは、ルシアンは何か知っているかと彼の部屋を尋ねたのだ。
全て、その日のうちに起こったことだった。
性悪のダイアナが、最後に馬鹿な姉の絶望顔を拝んでやろうと考えるなど、想像にたやすい。
困惑していた当時のミラーシャは気づかなかったが、差し替えられた令嬢たちの名前が、そろいもそろってダイアナが親しくしていた令嬢であったことにも、二人の仲を怪しんで彼の元を訪ねてくると計算された行動に見えてくる。
過去のこと、そして今の現状を思えば自然と表情は険しくなる。
先陣を切ってエリスの部屋を出ようとするミラーシャの隣に、人影がさす。
「僕も行くよ。相手は男、もし暴れたらミラーシャだけじゃ対処が効かないだろう」
「それは、男性の使用人に……!」
そんなことを言ってる間に先に部屋を後にしたクロエ。
「クロエ!待って!」
弟の後を追って慌てて部屋を飛び出したエリス。
「お嬢様まで!?お待ちください!」
(あの二人、公爵家の子息と令嬢である自覚はあるのかしら……!!)
ミラーシャも遅れて部屋を飛び出した。




