正体
「待ちくたびれたぞ」
クロエが開けた応接室の扉にミラーシャも飛び込めば、そこには案の定前の人生の婚約者と妹が、たいそう機嫌の悪そうな様子で椅子に腰掛けていた。
部屋には、二人の従者がそばで数人佇んでいるが、不自然なことにフローレンス家の使用人は一人もいない。
クロエが渦中に飛び込んだことを聞いてすっ飛んできたのであろう、ミラーシャがソファに腰掛ける二人に釘付けになっていた時、「何の騒ぎですか」などととぼけながら入ってきたサンドラ以外の使用人が入室してくることはなかった。
(なぜこんなにフローレンスの使用人がいないの……?)
貴族であることを鼻にかけた高圧的な態度。
昔確かに愛したことのあるこの男が、今やゴミクズにしか見えないので、ミラーシャは不思議な感覚だった。
その隣で彼の腕に絡みついて、目を潤ませながら使用人姿の姉を睨むその令嬢が、最初に声を上げた。
「久しぶりですねお姉様。大好きなお姉様を見て、こんな気持ちになる日が来るなんて、思いませんでした」
そこで双子はハッとした顔をする。
特にクロエの瞳は、不安そうに揺れている。
ホーエンベルグの子息だと聞いた時点でミラーシャの関係者だとはわかっていただろうが、まさかその婚約者が妹だとは思わなかったのだろう。
(無理もないわ……この二人はまだ公には婚約を発表していないものね)
「ダイアナ、それにルシアン……まさか貴方たち、私を呼び出したいがためにお嬢様まで巻き込んだのかしら」
「使用人の不始末は主人の責任。義理は立つはずだ」
「無知が」とでも言いたげな様子でこちらを見るルシアンの美しい顔を潰してやりたい衝動をなんとか堪え、ミラーシャはエリスの方に目を遣る。
「エリスお嬢様、この通り今回の件はお嬢様並びにフローレンス家は無関係です。巻き込んでしまい申し訳ありません。クロエ様も、お嬢様を連れてどうぞ自室へお戻りください。あとは私が」
「何を勝手に話を進めている!今や使用人であるお前が、この俺の断り無しに物事を進められると思うなよ!!」
エリスをこの場から返すまいと声を上げたルシアンと、その後ろで薄ら笑いを浮かべるダイアナ。
そんな二人が、前の人生で見たベッドで寄り添う二人と重なって、ミラーシャの機嫌を損ねるには充分すぎる要因だった。
(ああ、虫唾が走る)
「拘束するなら拘束するで、早く本題に入って頂戴。こちらはエリスお嬢様とクロエ様のティータイムを中断してまでここに来ているのだから」
ルシアンがムッとした顔で何か言い返そうとしたが、その前にダイアナが勢いよく立ち上がって、ミラーシャを怒鳴りつけた。
「偉そうにしてるんじゃないわよこの悪魔!!お父様とお母様を嵌めて地下牢へ入れて、自分はなんの罰も受けず!!アンタみたいな悪女が今ものうのうと生きてるかと思うと、私耐えられない!!」
涙ながらにそう訴える愚妹を見て、ミラーシャはため息をつく。
「お前は知らないと思うから教えてやろう。モンクレール夫妻は二日前、獄中でお亡くなりになったそうだ。お前のせいで!お前が陰謀によって無実の罪で投獄した人間が二人も、残りの時間を奪われ、命を落としたのだ!!この悪女め……!!」
とっくに知っている事実をさも衝撃の事実のように述べられても滑稽に映るだけだった。
愚妹に加勢するかの如く自身を罵倒するこの男にも、もううんざりだ。
「無実って……モンクレール元公爵夫妻は、前妻であるメリッサ様を殺害し、その亡骸をミラーシャに発見されるまで弄んでいた。裁判でも立証された揺るぎない事実ですが」
事態を見かねたクロエが口を出す。
だがそれに鼻で笑ってルシアンは答えた。
「ふん、フローレンス公爵家の人間は時効というものを知らんらしい。我が国の時効は10年。もう発覚した時にはとうにすぎていた。無実も同然だ」
「だから私たちは、不当な扱いで獄中死という最期を遂げてしまったお父様とお母様の無念を晴らすべく、身内なのに裏切った狡猾なお姉様を断罪しにやってきたのです!フローレンス家の皆様、お姉様を大人しく渡してくださいな。そうすれば身を引きますので」
やはりこの二人は、ミラーシャがエリスと、もっと言えばフローレンス家の人間と親交が深いことに気づいているのだろう。
こう言えば、私がフローレンス家に迷惑がかからないから従うとわかっているのだ。
エリスやクロエをこれ以上巻き込むわけにはいかない。
まして、シナリオが違えどこの二人は、前の人生でミラーシャとエリスの処刑に関わったであろう重要人物だ。
エリスと同じ空間になるべく置いておきたくない。
そんな思いで二人の元へ一歩踏み出したその時だった。
「お断りします」
ミラーシャの背後にいた双子が声を合わせてそう宣言してるではないか。
ミラーシャは驚きのあまり咄嗟に振り返る。
「さっきから勝手なことを!同じ公爵家なのになんの権限があってうちの使用人を渡さなくてはいけないの?それにミラーシャは実の母を殺されたのだから通報くらい当然のことをしたまでよ!それで悪女や悪魔だと言うのなら、両親揃って殺人者の貴女は悪の権化にでもなるのかしら!」
「我が国では上級貴族の裁判は皇帝自ら裁判長を務められる。そのために皇帝は幼い頃より帝国法を学びます。それを否定するのはつまり、皇帝の法に対する知識と皇帝自身を否定すると言うこと。陰謀だのなんだの勝手なことをおっしゃっていますが、裁判はミラーシャの一存ではどうにもならないことくらいわかるでしょう。他所様の家に乗り込んでくるほど事態を大事にして、僕ら全員が証言すれば、十分国家反逆で訴えられる話ですよ」
エリス、クロエが続けてそう述べたところ、ルシアンはぐっと押し黙ってしまった。
二人は過去に見たことがないほど憤慨した様子だった。
特にクロエは大体笑っているか、不機嫌になっても真顔がいいとこなので、眉間に皺を寄せて、目を吊り上げて目の前の愚者二人を睨むその姿に、ミラーシャですらぞくりと肩を振るわせた。
しかしダイアナはヤケとでもいった様子で高笑いし出す。
「やってみなさいよ!確かにそこのエリスさんは皇太子の婚約者かもしれないけど、名ばかりでぜーんぜん愛されてないなんて有名な話じゃない!対して私たちホーエンベルグ家は皇帝陛下の愛人を輩出してるわ!彼女に頼めば貴女たちの家紋くらい一捻りなんだから!」
ダイアナのその言葉に傷ついた様子を見せるエリス。
確かに現在、エリス本人にとってさえ、そう映っているのだろう。
「ミラーシャ!」
その時、タイミングが良いのか悪いのか、扉をドンと開け放って中に入ってきた金髪碧眼の第一皇子に、その場の全員が注目する。
肩ほどの髪揺らして、こちらへ駆け寄ってくる。
「……エリスとクロエ殿も一緒か」
「……フィリオ殿下」
突然の皇太子の登場にギョッとして顔を見合わせるダイアナとルシアン。
そんな二人をキッと睨みつけたかと思えば、フィリオは後からゾロゾロと部屋に入ってきた騎士たちに声色高々に告げる。
「この二人を拘束しろ!」
「な、やめて!何するのちょっと!」
「皇太子殿!こんなことが許されるとお思いか!その様子じゃミラーシャと繋がっていると見える、やはりあの裁判はでたらめだったのではないか!」
騎士たちにはがいじめにされながら拘束を受けるダイアナとルシアンは必死に抵抗していたが、騎士団として日常から厳しい訓練を受けている相手に二人が勝てるわけもない。
「離してよ!どうせ貴方がお姉様と手を組んで、お父様たちを投獄したんでしょう!?」
そこでフィリオは、二人を嘲笑するように口角を上げた。
「そうだね。確かに私とミラーシャの関係は、ある意味ではあの裁判に大きな影響を与えているだろう」
するとそのセリフに食いついたダイアナはカッと目を見開き、大粒の涙をこぼしながら叫んだ。
「やっぱり!陰謀なんじゃない!!お父様とお母様は罪に問われる必要はなかったんじゃない!!」
「あったさ、確かに普通の貴族を殺したくらいじゃここまでの大ごとにはならなかったかもしれないけれど、相手が悪かった」
その時、部屋の入り口を塞ぐ騎士たちがさっと道を開けたかと思えば、その奥からヒールの音と共に一人の女性が登場した。
フィリオに続く来訪者に、今度は誰かと注目する一同だったが、揃いも揃って訝しげな表情を浮かべる。
ウェーブのかかった黒髪に真紅のドレスを纏った女性。
遠目から見てもスタイル抜群の美女だとわかる。
そして、身につけているものやその気品から、高貴な身分であろうことも。
その女性はどんどんこちらへ近づいてくるが、最初に顔を青くしたのはダイアナだった。
「うそ……そんなことって」
「どうしたのだ、ダイアナ」
「あの人……家に飾られてたボロボロで傷だらけの肖像画……メリッサ様にそっくり……」
「なんだと!?」
ダイアナの発言にルシアンだけでなく、クロエとエリスも目を見開く。
「そっくりなんてものじゃないわ。本人そのものよ……!」
こちらに辿り着いたその女性は憂鬱そうにダイアナとルシアンを見渡した後、形のいい唇を開く。
「貴女のご両親も、私を見て同じことを言っていたわね。幽霊でも見たような顔をして」
妖艶なその声は、明確に怒気を孕んでいる。
「ねえ、貴女はメリッサ様?だとしたらお父様とお母様は本当にえんざ」
「なんて癇に障る声、今すぐ止まないようならその喉掻き切ってやろうかしら」
彼女はびくりと震えたダイアナを見つめ、その美しい顔をひどく歪ませた。
「ああほんと、その顔。何度見てもあの女に似て腹が立つ。なんであなたのような虫ケラの血を引く女が生きて、私のミラーシャの視界に存在してるのかしら。忌々しい」
ダイアナは目をまんまるくして、予想外の事態に怯えていた。
彼女が驚くのも無理はなかった。
メリッサについて、モンクレール公爵からこう聞かされていたからだ。
よく言えば穏やかで物静か、悪く言えば気弱でいいなりの女だと。
間違っても目の前の強気な女性には当てはまりそうにない。
「な、なんて野蛮な物言いをするんだ……」
「野蛮ですって?」
ルシアンの呟きもその女性は見逃さず、ギロリと彼を睨んだ。
「ホーエンベルグの跡取り息子は出来損ないのとんだ愚息だと聞いていたけれど、本当だったようね。口の聞き方もなってない」
ドレスと同じ色の扇で口元を隠すその女性を睨み付けたルシアンが反論しようと口を開いたところ、そうはさせまいと女性が被せるように言い放った。
「そこの女と婚約しておきながら、つい最近まで毎月のように届いていたミラーシャへの恋文。忘れたとは言わせないわよ。本命のミラーシャに相手にされなかったところ、タイミングよく婚約者に唆されてこんな大それた行動に出たのでしょうけど、情けないわね。流石は歴は長い割に陛下の寵愛を受けることもできない、出来損ないの愛人しか輩出できないホーエンベルグ家ね」
「……どういうことですか、ルシアン様」
今まで黙って怯えていたダイアナだったが、途端に勢いを取り戻し、ルシアンを睨んだ。
ルシアンは「いや」だとか「その」だとか、意味を持たない言葉しか口にできず、しどろもどろになる。
ついには大声を出して話題を逸らしていた。
「そ、そんなことは今はどうでもいい!!それより、お前ホーエンベルグ公爵家を侮辱したな?どこの貴族かは知らんが覚悟しておけ!お前は侮辱したが、愛人を輩出した貴族は我が国ではただ一つ、ホーエンベルグ家のみ!つまりこの国の貴族で、ホーエンベルグに勝てる貴族なぞ存在せんのだ!」
高笑いをするルシアンを目にして、フィリオは頭を抱えていた。
「愚かな……」
「……私の生家はシルティアン侯爵家ですわ」
「シルティアン侯爵家?といえば隣国イルナティス王国の貴族か!他国とはいえ侯爵家がよく公爵家の人間に楯突いたものだ。よほどの度胸があると見える」
ニヤニヤと勝利を確信したような笑みを浮かべるルシアンをよそに、クロエはパッとミラーシャの方を見た。
(やっぱりサンドラから、シルティアン家から私宛の手紙が届いたことは共有されていたのね)
そんな中、ダイアナが悔しそうに声を上げた。
「シルティアンって……!やっぱりメリッサ様じゃない!メリッサ様の実家はイルナティス王国のシルティアン侯爵家だと聞いたことがあるわ!」
「先ほどから……その顔で、その声で、あの子の名を呼ぶのはやめて頂戴。神聖なあの子が穢れてしまう」
至極不機嫌そうにダイアナを睨み付けるその女性を見て、エリスはミラーシャの服の裾をギュッと握った。
「ミラーシャ……一体どういうことなの……?」
訳がわからないと言った様子で不安そうに瞳を揺らすエリスに、その女性はにっこりと微笑みかけた。
「ああ!これは失礼致しました……はじめましてね、エリス」
その女性はドレスの裾を掴んで、それはそれは美しく、上品にお辞儀をした。
「私はこのミラーシャの母であるメリッサ・シルティアンの姉に当たります。アストリオン帝国皇帝陛下の第六夫人、ロゼッタ・シルティアンと申します」
「だ、第六夫人のロゼッタ様……!?」
その場がざわめいたのがわかる。
エリスは驚きのあまり、ロゼッタとミラーシャを何度も見比べる。
「たしかに似てる……ミラーシャとあの第六夫人様が血縁だったなんて……」
「エリス姉さん、ミラーシャにとって第六夫人が叔母様の関係に当たるなら、第六夫人のご子息であるフィリオ殿下は」
「……ミラーシャの従兄、ってこと……?」
「……黙っていて申し訳ありません。ロゼッタ様の生家についても皇帝陛下はあまり公表したがらなくて……その関係でなかなか言い出せなかったのです」
ミラーシャが申し訳なさそうに頭を下げたところに、エリスは思い切り抱きついた。
「エリスお嬢様……!?」
「ごめんなざぁい!!わたじ、わだじ、どんでもないがんぢがいでみらーじゃをうだがっでぇ!!」
よほど疑っていたのが心苦しかったのだろう、わんわんと泣き出したエリスの肩を優しくさする。
「いいえ……いいえ、お嬢様にお伝えしていなかった私と殿下の責任です」
「ああ……エリス、不安にさせて本当にすまなかった」
フィリオも目を伏せて、頭を下げる。
それを見たエリスは涙でぐしゃぐしゃの顔のままミラーシャから離れ、フィリオの両肩を掴んでまっすぐに立たせる。
「でんがっでば、なんども言ってるじゃないでずがぁ!!皇族はぞんながんだんにあだまをさげぢゃいげませんってぇ!」
嗚咽を漏らしながら自身を咎める婚約者に、フィリオは思わずふっと笑みをこぼす。
「君はいつも私のことを案じてくれるな。リックのことを謝罪した時もそうだった。心配せずともペコペコと民衆に媚び諂う気はないさ。だが、次期皇帝として、誤った行動について下げる頭を持つ程度の人間にはならなくては」
その様子を、ロゼッタは微笑ましいと言った様子で見守っていた。
「ミラーシャ……」
クロエが信じられないといった様子でミラーシャを見つめる。
その瞳には、希望が滲んでいた。
「クロエ様も……黙っていて申し訳ありませんでした。エリスお嬢様同様、普段良くしていただいているクロエ様にはお伝えしておくべきでした」
(安心したでしょうクロエ。私がエリスを裏切っていないとわかって。私とフィリオが恋仲ではなく、血縁だとわかって。それなら私は、まだ貴方の計画には使える人間だものね。そうやってまだ私を隣に置いてくれなくては困るわ、貴方の計画を潰せなくなるもの)
申し訳なさそうに目を伏せながら、そんなことを考える。
「いいんだ」「話してくれて嬉しい」なんて優しい言葉が降ってくることを待っていたミラーシャだったが、いつまで待ってもそれは聞こえてこない。
不思議に思い、目線を上げて、クロエの顔を視界にとらえた時、呆気に取られる。
(この人……本当に演技が上手いわ)
クロエは何も言わなかった。
ただ、心の底から嬉しそうに、言葉にならないと言った様子で唇をキュッと結んでいた。
やっとの思いで「そっか……」と呟いたクロエの表情には、打算や策略なんて言葉は世界一似合わないと、他の誰でもないミラーシャが思ったほどだ。




