激昂するタクシー車内
狭いタクシーの車内では防塵マスクを持ってしても臭いを防ぎきれない。
健二は窓を全開にした。しかし外も臭いために、苦痛は大して変わらなかった。
「クーラー止めたほうがいいですかね」
運転手が申し訳なさそうに訊いた。健二はそのままでよいと答えた。
この運転手も明日には死んでいるのか。人の良さそうな親父だ。助手席の前につけられた乗車員証には五味孝司 55歳 趣味 川釣りと書かれている。子供はいるのだろうか。いるとしたら、自分と同じくらいだろう。明日死ぬと分かっていれば、こんなことやってないだろうな。
柄にもなく感傷に浸った。
「お客さん、お若いですね。まだ十代ですか」
「ああ、いちおうまだ16だけど」
「ほほう。うちのせがれと一緒だ。一人でタクシー乗るなんて大したもんですな。うちの鼻垂れ坊主なんて一人じゃなにも出来やしない。そのくせ飯の量は人の倍も食うんですよ。もうでかいのなんのって」
「はあ、そうですか」
「それが、こないだ県の相撲大会で優勝しましてね。部屋からスカウトされたんですよ。もうそれがうれしくてね。人生で一番嬉しかったかもしれんね。ほんで高校卒業したらすぐに入門ですかよ。だから今のうちから好きなだけ食わさんといけんと思いましてね。頑張って働いてるんですわ。ハッハッハ」
胸がうずいた。この親父だけにでも教えてやろうか。袖振り合うも多少の縁て言うし。
「親父さん、今すぐ奥さんと子供を連れて日本から離れるんだ」
「はいっ!? なにを言ってるんですかお客さん」
「明日北朝鮮のミサイルが落ちてくるんだよ」
「冗談はやめてくださいよ。脅かそうたってそうはいきませんよ」
「信じられないだろうけど本当なんだよ。今すぐ逃げればまだ大丈夫だから」
「いい加減にしてくださいよ。こちとらおまんま食うのでいっぱいいっぱいなんだ。どこぞの馬の骨とも知れねえ餓鬼のたわ言きいてられっか」
親父の言い方にカチンときた。誰に口をきいてると思ってるんだ。
「だったら勝手に死にやがれ。後で死ぬほど後悔するんだな。まあ、どのみち死ぬんだけど。へっへー」
悪態を遮るように携帯が鳴った。夕陽テレビの木場からだ。
「はい、もしもし」
「もっすー。どうしたの苛立った声出しちゃって。ひょっとしてメンス?なわけないか、オトコの子だもんね。あっ、ひょっとしてケツメンス?これはオトコでもなるよ」
「用事にないんなら切りますよ」
「ちょっと待ってよケンちゃーん。俺がなにも用がないのにテルするわけないじゃん。テレビマンの忙しさをなめちゃいけないよ。昨日も徹マン、一昨日も徹マン。そして今日も徹マン予定。とは言ってもマンはマンでもマンコのマンだけどね」
「切りますよ」
「わかったわかった。短刀直入に言うよ。新井君で特番を組もうと思ってるんだ」
「特番?」
「そう。四時間で「新井君VS世界の超能力者」ってタイトルでさ、新井くんが外人と超能力対決するんだ。ギャラも弾むよ。どうかなあ」
「でも、未来予知しか出来無いですよ、俺」
「いいの。外人のほうは適当に引っ張ってくるから」
悪い話しじゃない。テレビに出た翌日は本やDVDが馬鹿売れする。
「いいですよ。その代わりギャラ一億円はお願いしますよ」
わざと一億円を強調して言った。親父に聞かせるためだ。
しかしバックミラーに映る親父はニヤニヤとふやけていて、一向に動揺が見えない。健二は聞こえなかったのかと思い、再度試した。
「一億円ですよ。四時間で一億円。特番の出演料として一億円」
これだけ言えばいくら頭の遅い親父でも俺の凄さを理解したはずだ。
そんな健二の思惑に反し、親父は片方の薄気味の悪い笑みをバックミラー越しに健二に送っている。
なんなんだこのクソ親父は。なんていやらしい笑みだ。こんな表情を昔見たことがある。小学三年の夏休みに、クラスメートの成金満男が夏休みのスケジュールを訊いてきたときだ。自分が見栄をはって、本当は千葉に潮干狩りに行くのを、ハワイでウィンドサーフィンと答えたときに満男が浮かべた表情。嘲りと憐れみの入り混じったような、不愉快極まりない表情。あの表情と同じだ。
自分がが嘘をついていると親父は思ってる。考えたら無性に腹が立ってきた。すでに親父の生涯収入の何倍も稼いでるんだぞ。目にもの見せてやる。
「すいません木場さん。話し変わるんですけど、今日の{二時から恐縮です}って七時までやってますよね」
「えっ、やってると思うけど」
「あれって生放送ですよね」
「うん。毎日ゴム無しでやってるはずだよ。たしか今日はスペシャルで代々木公園でやってんじゃなかったかな」
「まじですか」
運命の巡り合わせを感じずにはいられない。
「今から俺、出られませんかね?」
「えっ。今からって、あと二時間もないよ」
「今新宿でタクシーの中なんですよ。だから三十分もあれば代々木公園行けます。マジでやばいネタ持ってくんでお願いします。マジヤバですから。木場さんが出演交渉したってことにしていいですから」
「えっ、えつ、本当に。でもまじでやばいことは駄目だよ」
「大丈夫ですよ。俺が出たら視聴率うなぎ上りでしょう」
「そうだねぇ。分かった。今すぐに手配するよ。その代わりさっきの話忘れないでよ。俺が出演交渉したっての」
「分かってますよ。了解です。それじゃまた後で」
わざとゆっくりデカイ音がなるように携帯を閉めた。これでばっちり。親父の慌てふためく様が目に浮かぶ。
「お客さん、成田でいいんですかい」
鼻の穴をふくらませて親父が言った。
「いや、行き先変更だ。代々木公園に向かってくれ。今すぐ。超急ぎだ」
健二は言うなり、一万円札を親父に向かって投げつけた。




