第三部「偽物を本物の上に」
その場所とは、とある絵画が飾られた廊下だった。
その絵の名は――【フレロの花瓶】という。
絵は、古めかしい額縁に収められた、一輪の花瓶を描いた静物画だった。
飾り気のない筆致でありながら、どこか目を引く存在感がある。
廊下の壁の中でも、ひときわ目立つ場所に掲げられていた。
花瓶に活けられた一輪の花は、すでに色褪せた絵の具の中で、それでもなお鮮やかさを主張しているように見えた。
「この絵に何があるんだ?」
ボンドは眉間しわを寄せて訝しげに聞くと、グライムはその額縁の縁を、指先でそっとなぞりながら答えた。
「懐かしい思い出だ」
「思い出……ね」ボンドは、周囲を警戒するように視線を巡らせながら言った。「悠長に浸ってる場合か。兵士が来るぞ」
「ゾンビ族の話で思い出したんだよ」
グライムが言っているのは、ゾンビの花嫁の事件のことだ。詳細を聞きに捕まった【 夜導師】に会いに行ったときのことだ。
その時に、 夜導師の信用を得る時に話した情報。
グライムは、パットン王子に捕らえられた後、牢から出る代わりに種族問題や種族犯罪の捜査へ協力していることを明かした。
だが、そもそも城へ連行される前に逃げ出す機会はあったという。
それでも逃げなかったのは、三年前に城へ侵入した際、ある宝石を城内に隠していたからだった。
盗品を隠すなら、絶対に有り得ない場所を選ぶ。
それがグライムの流儀だった。
彼が目をつけたのは、城に飾られている【フレロの花瓶】の絵画。その絵は偽物で、二重構造になっており、絵画のすぐ裏に盗んだ宝石を隠していたのだという。
盗んだものを、盗んだ場所に隠すという大胆不敵な手口に、夜導師は思わず笑い出した。ゾンビの文化を認めようとしない国に対し、一矢報いたような痛快さもあった。
しかし、グライムが三年前の潜入で見つけたものは、それだけではなかった。城内には、ルミナス暗号を解くための台座が存在していた。グライムが再び城へ戻ってきた本当の目的は、その台座を手に入れることだった。
「――というわけだ。あの絵の裏に、答えがある」
「答えって……まさか、ここでルミナス暗号を解くつもりか?」
「それは無理だ。今からやるのは。ボンド……オマエを助ける」
「なら今すぐ逃げよう。この廊下に来たのもなにかの縁だ。旅の資金に、あそこにある壺を持っていこう。あれは材料が貴重なだけだ。割って持っていけばいい」
「逃げてどうすんだよ……。犯罪者が犯罪者から逃げるってのは、一生腰を落ち着けなくなるってことだぞ」
「大丈夫だ。今までも、大抵はこれでどうにかなってきた」
ボンドは壺に手を伸ばすと、悪びれもせずに言った。
「その『大抵』の裏で、何回痛い目を見たか、忘れたわけじゃないだろうな」
「忘れた」
「嘘つけ」
軽口を叩き合う二人の間にも、遠くから、複数の足音が近づいてくる気配があった。
ボンドの表情から、冗談めかした余裕が消えていく。
「おい、時間がないぞ」
ボンドは緊張した声で言った。
グライムはルミナス暗号の台座を持って逃げる。
ボンドはそう思っていた。だが、グライムが歩いた方向はボンドとは逆の方向だった。
「わかってる」
グライムは絵画の前に立つと、大きく息を吸い込んだ。
そして、廊下中に響き渡るほどの大声で叫んだ。
「泥棒だ! 泥棒が入ったぞ!」
「おい! 兵士が集まってくる。なにを考えてるんだグライム! オマエの脱獄もバレるぞ!」
ボンドは焦った様子で言った。
灯りが、廊下の奥から次々と近づいてくる。逃げ場を塞ぐように、複数の方向から足音が重なっていった。
「バレるようにやってるんだよ」
グライムは、平然と言った。
「はぁ!?」
というボンドの素っ頓狂な声は、駆けつけてくる兵士たちの足音にかき消されていた。
集まってきた兵士の一人が、グライムの姿に気付き、声を上げた。
「脱獄囚だ! 捕らえろ!」
その声を合図に、周囲にいた兵士たちが、一斉にグライムへと殺到した。
あっという間に、グライムは取り押さえられた。
両腕をひねり上げられ、縄が巻きつけられていく。
何事かと、次々に兵士長やその他の者たちが集まってくる。廊下は、瞬く間に人だかりで埋まった。
その騒ぎに、カックラウが真っ先に気付いた。
鼻を鳴らし、廊下の異変を嗅ぎ取ると、すぐさまパットンへと報告に走った。廊下を駆け抜けるその足音は、いつもより一段と速かった。
「王子! グライムです、捕らえられました!」
「……私には、それが脱獄したと聞こえたぞ。なにをやってるアイツは!」
パットンは、書類を放り出して立ち上がった。
ヴァレンにもまた、その報せは同時に届いており、パットンとほぼ同時に、現場へと駆けつけた。
ヴァレンの顔には、苛立ちと、それを上回る警戒の色が浮かんでいた。
グライムが目の前で捕まっているというのに、安堵の表情は一ミリも滲んでいなかったえ。
「脱獄した挙句、また捕まったというのか」ヴァレンは、忌々しげに呟いた。「一体、何を企んでいる」
そして、その騒動の只中に――王の姿までもあった。
王の【ヴァルガス・アイゼンブラッド】が姿を現すと、周囲の廷臣たちが、慌てて頭を下げる。
玉座を離れて、わざわざこの場に足を運ぶこと自体、異例中の異例だった。
つい先日、裁判を延期したばかりだ。
周囲の者たちは、王もとうとう痺れを切らしたのかと囁き合った。
この現場を見たら、裁判なしでそのまま刑が執行されるだろうと、誰もが思った。張り詰めた空気が、廊下全体を包んでいた。
グライムは、今回ばかりはラッキーマンの力でも借りたいと思っていた。それほどの大勝負を一人でするしかない。
縛られた両腕の中で、指先だけが静かに動いていた。
拘束されていたはずの縄を、いともたやすく抜け出すと、グライムは優雅な足取りで、ヴァルガス王の前に立った。
その堂々とした振る舞いに、周囲がざわめいた。
縄を解いたことよりも、その落ち着き払った態度のほうが、かえって不気味に映ったのかもしれない。
パットンは、思わず止めようと割って入ろうとしたが、グライムの一瞬の視線の静止によって、その動きを止められた。
おかげでパットンは、これから起こることを、最前列で見届ける羽目になった。
死んだと聞かされていたはずのボンドの姿まで、そこにあったせいで、パットンは混乱を隠せなかった。
それでも、グライムを信じることに決めた。
今はただ、この男が何をしようとしているのか、見極めるしかない。
「ヴァルガス・アイゼンブラッド王! ここに飾られている絵は、偽物です!」
グライムは、大声で言い放った。
その一言に、再びグライムを捕らえようとしていた兵の動きが、ぴたりと止まった。
命じたのは、ヴァルガス王自身だった。
これには、ヴァレンどころか、パットンまでもが驚きを隠せなかった。
なぜ王が、罪人の言葉に耳を傾けるのか。会場のどよめきが、潮騒のように一段と大きくなった。
「続けよ」王は、興味深そうに、短く言った。
グライムは、その場しのぎで、適当なトリックを並べ立てた。
それもただ話すのではない。立派な“話術”として、身振り手振りを加えて、感情の声色を強調する。
一見詐欺師にみえるが、それは街なかでやる場合だ。
城という舞台の中に入れば、それはまるで劇だ。
グライムの一挙手一投足が、ヴァルガス王の目を引く。
「――そうして、そこにいるヒポナスが」グライムは、ボンドを指差して言った。「この絵画を盗んだのです」
その偽名を耳にした瞬間、ボンドは一瞬だけ目を見開いた。
だが、すぐにこれが作戦の一部だと悟った様子で、表情を引き締めた。困惑した顔をわざと作り、視線を彷徨わせる演技まで加える。
「な……何を! 絵は、そこにあるままではないか。盗まれてなどいない」
兵士長が絵を確認してすぐに突っ込んだのを見て、グライムはにやりと笑うと、近くの燭台を素早く奪い取った。
「では、確かめましょう」
グライムは、その灯りを絵画へと近づけた。
「やめろ! なにをする!」
兵士長が慌てて制止しようとしたが、遅かった。
ロウソクの先の小さな炎が、絵の端に燃え移った。乾いたキャンバスは、あっという間に炎を纏い、廊下を橙色に照らし出した。
なんの前触れもなく上げられた火に、悲鳴にも似たどよめきが周囲から上がると、兵士長は独自の判断でグライムを取り押さえようと動いた。
だが、その時――
「待て!!」
パットンの声が、広間に響き渡った。
その視線の先には、燃え広がる絵画の奥から、まるで浮かび上がるように現れた、もう一枚の絵があった
夜導師+絵画の秘密は下記でも触れていますので、気になった方はURLからどうぞ
シーズン1 死者が歩く街 第二部「夜導師」
https://ncode.syosetu.com/n7010ly/22




