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王賊 Crown & Crime  作者: ふん
王国裁判

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第四部「現れた男、消えた男」

 一方、グライムは初めて、この国の正式な牢屋に入れられることになった。


 これまで入れられてきた牢とは、造りが違った。

 パットンに捕らえられた秘密の地下牢とも、リィーイヤ王国の簡素な牢とも異なる、王家直属の重罪人用の区画だ。

 壁は分厚く、格子は太い。廊下には、常に複数の兵士が巡回している。


「おら! さっさと歩け!!」


 乱暴な口調の兵士が、グライムの背中を小突いた。小さな体格のわりに、いかにも荒っぽい性格をしていそうな男だった。


「まだ罪人じゃないのを知らないのか? 裁判は延期になったんだ? それとも知らないのは言葉のほうか?」


 グライムは軽口でいなしたが、その瞬間、兵士に頭を叩かれた。

 痛みよりも、その乱暴さに、グライムは内心で少し驚いた。

 いくら兵士と言えど、国に雇われている身。兵士の無作法は国の威厳にもかかわることだからだ。


「黙って歩け!」


 もう一人の兵士が、慌てて割って入った。こちらは、いくぶん温和そうな顔つきをしている。


「おい、やめろ。乱暴だぞ。どうしたんだ」


「やめろだ?」乱暴な兵士は苛立たしげに言い返した。「こいつのせいで、オレらの仕事が増えてるんだぞ。急な牢替えだ、書類仕事だって山積みだ。どのみち犯罪者に変わりないだろ。優しくする必要あるか?」

「気持ちは分かるが、止めとけ。上に見られたら面倒だ」


「へっ……」乱暴な兵士は鼻を鳴らした。「よかったな。犯罪者に優しい兵士もいてよ。これで、最後だ!」


 乱暴な兵士は、一度グライムの腰を叩いてから、蹴って牢屋の中へ押し込んだ。

 その動きは、傍から見ればただの八つ当たりにしか見えなかった。


「ワインでも飲もうぜ! やってらんねえ!」

「どうしたんだよ。そうとう荒れてることはわかった。かみさんと喧嘩したか?」

「わかるか?」


 乱暴な兵士は、意外そうな顔で振り返った。


「顔に書いてある」

「なら奢って慰めてほしいって書いてあるのも読んでくれないのか?」

「わーったよ。1杯目だけだぞ奢るのは……」


 二人の兵士は、談笑をしながら去っていった。

 廊下の奥へと遠ざかっていく足音を、グライムはじっと聞いていた。


 代わりに、見張りの兵士が一人、牢屋の前に配置についた。


 グライムは、その見張りの兵士に気付かれないように、笑みを隠した。


 この笑みは、どうしても止められなかった。

 誤魔化すことすらできない。だが、それでも構わなかった。牢の暗がりの中、顔を伏せていれば、見張りにも気付かれることはない。


 兵士に蹴られ、乱暴に牢へ入れられたグライムは、その痛みが残る腰を、そっと探った。指先に触れる感触が、確かに何かを伝えていた。


 ――あの乱暴な兵士は、ゴブリンのボンドだった。


 死んだと報告されていた親友が、実は生きていた。

 どうやら逃げる過程で城から出られなくなり、やむを得ず兵士として生活していた。

 その事情については、また別の機会に語られるべき話だった。


 今はただ、彼がグライムを助けるために、この場に来たという事実だけが重要だった。


 グライムは、ワインという単語と、かみさんと喧嘩を認めたことから、目の前の兵士がボンドの変装だと気付いていた。


 ワインは海賊ワイン。かみさんとの喧嘩は、ボンドが離婚した理由だ。


 声質そのものは変えていても、言葉の選び方や、間の取り方に、長年一緒に過ごしてきた者にしか分からない癖が残っていた。

 あの乱暴な口調の裏に、いつもの飄々とした話し方の名残が、確かに滲んでいた。


 膝を抱え、牢の隅にうずくまりながら、グライムは久しく忘れていた安堵を、静かに噛み締めていた。

 だが、笑みは、どうしても止まらなかった。


 同時に、頭の中は目まぐるしく回転していた。

 ボンドが生きているということは、あの訃報そのものが、仕組まれたものだったということになる。

 つまり、ヴァレンが直接手を下したよりも、なにかの事件に利用された可能性のほうが高い。

 

 だが同時に、ボンドでさえもグライムを牢から直接連れ出すのは不可能だと判断した。

 

 だからこそ、ある作戦を、彼に授けていったのだ。

 グライムは、腰のベルト紐に留められた、小さなコインを手に取った。


 それは、グライム自身が隠し持っていたものではなかった。

 先ほど、ボンドが蹴りつけた際にそっと仕込んでいったものだ。

 あの一見乱暴な仕草の裏に、これほど繊細な仕込みが隠されていたとは、見張りの兵士は誰一人気付いていなかっただろう。


 一見すると、ただのコインだった。表面には、どこかの国の紋章に似た模様が刻まれているが、グライムの知る限り、この意匠を使っている国はどこにもない。

 裏面には、細かい傷のような線が、規則性のあるようなないような形で走っている。


 だが、これが使える国は、表の世界にはどこにもない。


 これは、裏の世界でのみ通用するコインだった。


 裏の世界では、まことしやかに囁かれる噂がある。

 それが、犯罪者の国だ。そうした国はいくつか存在しており、その入口の城の牢屋だという噂がある。


 当然そんなものは噂だと知っているグライムだが、ここで犯罪者の国に関係するコインが渡されたのには意味がある。


 グライムは、そのコインを、三日三晩、じっと見つめ続けた。


 その間にも牢の見張りは、幾度となく交代した。

 だが、グライムはその間も、ただひたすらコインと向き合い続けた。

 誰の目にも、単に牢の中で塞ぎ込んでいる囚人にしか見えなかっただろう。

 時折、見張りの兵士が心配そうに声をかけてくることもあったが、グライムはそのたびに、曖昧な返事でやり過ごした。


 そして、四日目の朝。


 グライムは牢屋から忽然と姿を消した。

 その日の朝、見張りの兵士が牢の中を確認しようとして、悲鳴に近い声を上げた。


「い、いない……!」


 牢の中に、グライムの姿はどこにもなかった。

 格子は壊された様子もなく、鍵も外から見る限り、開けられた形跡がない。

 まるで、煙となって忽然と姿を消したかのようだった。


 兵士は慌てて、牢の隅々まで確認した。床の敷物をめくり、壁を叩き、天井まで見上げた。

 だが、どこにも、脱出の痕跡らしきものは見当たらなかった。

 囚人が消えたという、その事実だけが、動かしようもなく残されていた。


 その報告は、すぐに城の中枢へと届けられた。

 廊下を伝令が駆け抜け、たちまち城中に、ただならぬ気配が広がっていく。


「消えた……!?」


 ヴァレンは、報告を受けて眉をひそめた。

 その表情には、隠しきれない苛立ちと、わずかな困惑が滲んでいた。手にしていた書類を、思わず握りつぶすように力を込める。


「牢を、上から下まで調べ直せ!」ヴァレンは、苛立たしげに命じた。「どこかに抜け道があるはずだ。見落としがあってたまるか!」


 兵士たちが慌ただしく駆け出していく中、そのヴァレンの隣で、パットンは頬をわずかに緩めた。


「消えたか……」


 その呟きには、安堵にも似た響きがあった。

 パットンには確信があった。これは逃亡でも、拉致でもない。グライムが、自らの意思で、次の一手を打ち始めたのだ。


「パットン……なにがおかしい?」


 ヴァレンが、鋭い視線を向けてきた。


「いえ」パットンは表情を引き締めた。「ただ、あの男らしいと思っただけです」


「らしい、だと?」ヴァレンは苛立ちを隠さずに言った。「私の城から、囚人が消えたのだぞ。これがどれほどの醜態か、分かっているのか」


「お言葉ですが、王の城です」パットンは釘を差してから「もちろん、承知しております」と、努めて平静を装った。「ですが、逃げたところで、行き場のある男ではありません。いずれ、また姿を現すでしょう。きっと恐らく……あなたへルミナス暗号の手がかりを届けに。さぁ、説明に行きましょうか? 他の王子へ、ルミナス暗号のことを話に」


 ヴァレンはしばらくパットンを睨みつけていたが、やがて舌打ちをして、その場を後にした。


 パットンは、窓の外に広がる空を見上げた。

 グライムがどこへ向かったのか、今はまだ分からない。

 必ずまた、繋がりを持って戻ってくる。その確信だけが、パットンの胸の中に、静かに灯っていた。


 だが、頭を悩ませるのはヴァレンだけではない。


 ――犯罪者の国。


 その言葉が示すものを、パットンも頭の中で何度も繰り返えし考えることとなった。

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