第二部「犯罪者の国」
「ふざけたことを!」
自室に戻るなり、パットンは頭の名から離れていかない憤りを叩きつけるかように、テーブルを強く叩いた。
木製の卓が鈍い音を立てて震えた。
「グライムを心配してるのは、あなただけではないわ」
マリアが静かな声で言った。窓際の椅子に腰かけ、パットンをまっすぐに見つめている。 その手元には、何かの書類が広げられていた。
パットンが部屋を空けている間も、マリアなりにできることを探していたのだ。
「わかっている……・だが、グライムは牢に入れられているんだぞ」
パットンは苦々しく言った。
「あなたもグライムを牢へ入れたわ」
マリアの一言に、パットンは言葉を詰まらせた。
「マリア……そういう意味じゃないのは、君もわかっているだろう」
「じゃあ、その牢にいたグライムはどうなったのかしら」
マリアの問いに、パットンは思わず口をつぐんだ。
あの時、グライムは牢の中で大人しくしているような男ではなかった。むしろ、あの状況すら利用して、次の手を打っていた。
目の前の存在のマリアこそ、グライムが牢から出るために利用した人物だからだ。
「今回は状況が違う……」
パットンはつぶやくと、マリアは静かにだが、しかし鋭く問い返した。
「何が違うの? 牢の造りが違う? それとも、見張りの数?」
「今回は相手がヴァレンだ。前とは違う」
「そう、前とは違うの。今はあなたが味方よ、パットン。あなたとグライムの立場が逆だったら、グライムはどうするかしら? 怒って物に当たると思う?」
パットンは、その問いに答えることができなかった。
代わりに深く息を吐いた。
「すまない……。そうだ、私がこうしていても何も変わらない。マリア……君はいつも冷静だ。助かる」
「いいえ……全然冷静じゃないわ」
そう言ったマリアの声は、微かに震えていた。
それは涙ではなく、怒りによる震えだった。
「ボンドのことか……」
パットンは静かに言うと、マリアはそれより静かに頷いた。
衣擦れすら響かない、小さな動作だった。
「ええ、そうよ。宝石商に変装して、私の様子を見に来てくれていたわ。あなたから届いた海賊ワインの暗号を解きに」
「そのことなんだが……」パットンは慎重に言葉を選んだ。「ボンドは暗号を解いたのか? 君は何か聞いているか」
「暗号を解いたから殺されたのよ」
マリアの声には、抑えきれない怒りが滲んでいた。
普段のパットンならば、そのことに対してマリアをなだめていたが、今は考えること全てがグライムへと優先されていた。
「内容は聞いているか?」
「でも、詳しいことは聞いてないわ。というよりも、わざと話さなかったのでしょうね」
「ボンドには子どもがいただろう。グレッチェンはどうした?」
「ボンドは置いてきたと言っていたわ」
「巻き込まないようにか……。暗号が返ってこなかった理由が、これで分かったな……」
パットンは呟いた。
「ボンドの次は――グライムだ」
ボンドが暗号を解いていたのだとすれば、その痕跡から、何かしらグライムが気付く可能性がある。
ヴァレンは、その芽を完全に潰しにきたのだ。
ボンドを消すことで、情報の連鎖を断ち切ろうとした。
そして、今度はグライム自身を排除しようとしている。
だが、その結果として、マリアの身の潔白が証明された。
「グライムは、まだそのことに気付いていないはずだ。知らせを聞いたのは、辺境の屋敷でのことだ。あれから、まだ何も調べられていない」
「なら、余計に危険だわ! 知らないまま、次の罠に飛び込んでいるのよ」
「いや」パットンは首を振った。「あの男は、知らなくても勘付く。だからこそ、ヴァレンは急いだんだろう。グライムが何かに気付く前に、身柄を押さえてしまおうとした」
「それが、今回の裁判の本当の狙いということ?」
「おそらくな」パットンは苦い顔をした。「罪状はどうとでも作れる。目的は、グライムを合法的に、この城の中に閉じ込めておくことだ」
「ええ……本当に心配」マリアは目を伏せた。「犯罪者の国が、本当にあればいいのに」
マリアが『犯罪者の国』という言葉を口にした瞬間、パットンの動きが止まった。
「君も知ってるのか? 犯罪者の国を」
「ええ、当然」マリアは言った。「だって、その噂を流したのはボンドよ。第五王子のガーネスに懐かれて、色々話してたわ。その中のお話の一つよ、犯罪者の国っていうのは。まさか、あの作り話が辺境でも噂になってるの?」
「……詳しく話してくれ」
マリアは、ボンドが言っていたことを思い出しながら、パットンに伝えた。
それは、ある日の午後のことだった。宝石商に扮した猫の獣人のボンド――が、第五王子ガーネスの前で、意味ありげに語っていた噂話。
窓辺に差し込む光が、宝石箱の中身をきらきらと輝かせるような、穏やかでどこかワクワクする昼下がりだったという。
「あるのよ」ボンドは、宝石を磨きながら、静かな声で言った。「罪を犯した人だけが集まって、犯罪の王が治める国が」
ガーネスはその言葉に目を輝かせて、身を乗り出したという。
子どもというのは、いつの時代も秘密めいた話に弱いものだ。
ボンドはそれを刺激するように話した。まるで犯罪者仲間に噂話でもするかのように。
「盗賊が仕入れ、詐欺師が加工するのよ。そうすると、あら不思議。翌日には盗まれた宝石が、新しい指輪になるの。墓荒らしが古代の黄金を掘り出し、鍛冶師が溶かして新たな歴史を作り上げる。そこでは、そういったものが経済を回してるのよ。盗品が製品になるの」
「なぜそんな国があると思う?」ボンドはガーネスに問いかけた。「名だたる犯罪者が、ただ捕まるだけで人生を終えたか。答えはノーよ。世界で執行される死刑のうち、その二割は、死体が消えて行方不明になっているの」
ボンドは声を潜めた。
「でもね、消えたんじゃないのよ。最初からなかったの。表の歴史から消えた犯罪者が、秘密裏に作った国。それが犯罪者の国よ」
ボンドは、そこで一度言葉を切った。それから、より低く、意味深な声で続けた。
「そして、一番怖いのは……その国じゃ、罪を犯していない人間のほうが、よそ者なのよ。だって、その国の住人はみんな告げ口を恐れてるんだから」
語り終えたボンドの声には、単なる作り話とは思えない、妙な実感が滲んでいたという。
マリアはその話を、隣で聞いたがワクワクするより背筋が冷えるような感覚を覚えたと語った。
ボンドはそこまで語ると、ふと表情を緩めた。
「……まあ、でもただの噂。そんな国、あるわけないわ。少なくとも、地図の上には――あるのは地図の下よ」
その最後の一言だけ、ボンドの声は、それまでとは違う、どこか確信めいた響きを帯びていたという。
当時のマリアは、それを単なる話術の妙だと思っていた。
だが、今こうして思い返してみると、その言葉には、もっと深い意味が込められていたのかもしれなかった。
パットンは、マリアの話を聞き終えると、目を見開いた。
「犯罪者の国……。ボンド! アイツは何かを残していたんだ!」
「ガーネスに?」
「マリア! 君にだ。そして、私に伝わるように! ボンドは暗号を解き、こうなることがわかっていた。だから、情報を残したんだ」
「でも、それがどう役に立つの? 犯罪者の国が実在するとして、それがグライムを助けることに、どう繋がるの」
「まだわからない」パットンは正直に言った。「だが、ボンドが命がけで残した情報だ。無駄なはずがない。おそらく何か仕掛けがある」
「仕掛け……」
「牢というのは、時に、思っている以上に多くの秘密を隠している」パットンは、かつてボンドと牢で一緒に酒盛りしたことを思い出していた。「グライム自身が、それを一番よく知っているはずだ」
パットンは再びテーブルを叩いた。
その理由は、もう既に、裁判の時間が迫っているからだった。
「くそ!」パットンは唸るように言った。「私がもっと早く気付いていれば。この情報から、グライムを助ける抜け道へとたどり着いたのかもしれない」
「大丈夫よ。信じましょう」
「ボンドの情報をか?」
「グライムをよ」
マリアはパットンの手を握りしめた。その手は、先ほどまでの震えが嘘のように、しっかりとしていた。
「グライムなら、どんな状況からでも自分の力で活路を見出すわ。だって、牢で好き勝手やってるグライムに頭を悩ませるあなたを、すぐ近くでいつも見ていたのよ」
「そうだな」とパットンは疼いた。「グライムの厄介さは、余裕で見守れるほど簡単じゃない」
「そう、私たちにできるのは、外側から、その活路を少しでも広げてあげることだけ」
「今は、裁判に集中しよう。そこで何が起きるにせよ、備えておかなければ」
二人は固く手を握り合ったまま、静かに決意を固めると、王国裁判の会場へと向かった。




