第一部「第五王子ガーネス」
シーズン3王国裁判編の始まりです
帰還したばかりの城の廊下を、パットンは何度目かも分からないほど往復していた。
グライムが牢に入れられてから、すでに半日が過ぎてしまっている。
その間、パットンは一睡もせずに、彼をどうにか助けようと考えるが、何一つ有効な手を打てずにいた。
ただ廊下を歩き、考え、また歩く。その繰り返しだった。
すれ違う侍女たちが、彼を見てはひそひそと言葉を交わし、目が合うとさっと視線を逸らす。兵士たちも、遠巻きにパットンの様子を窺いながら、通り過ぎていく。
廊下をうろつく第三王子の姿は、すでに城中の噂の種になっていた。
グライムの裁判は、午後に開かれる。
仮に作戦を立てるにも、実行に移す時間がない。そもそも、作戦らしい作戦が、まだ何一つ思い浮かんではいなかった。
今までのパットンならいくつか思い浮かんでいただろう。そして、迂闊な結果になっていた。
グライムと共に過ごし、彼の思考のプロセスに触れたことにより、パットンもまた決断の能力が上がっていた。
今むやみにやたらに動いては、そこをヴァレンに付け狙われるのは間違いない。
いつもなら、こういう時にこそ力を発揮するのはグライムのほうだった。
突飛な発想で、誰も思いつかないような抜け道を見つけ出す。
だが、その当のグライムが、ヴァレンの策略によって牢に捕らえられている。作戦を立てるべき頭脳が、今は自由に動けない場所にいた。
一度、自分がグライムを捕らえたときのように、牢から彼がなにかするだろうと思いにかけたいが、その気配も感じられない。
王国裁判というゲームが始まる前から、パットンは重要なカードを捨てられたどころか、相手が利用できる箇所に保管されたことになる。
グライムは、当初のヴァレンの予定通り、彼の手中ということには間違いない。
パットンは自分の無力さを感じ、手のひらに爪痕がつくほど拳を握って苛立ちを募らせていた。
通りがかった侍女が、意を決した表情で、遠慮がちに声をかけてきた。
それ見てパットンは我に返り、軽く首を振った。
「いや、大丈夫だ。心配をかけてすまない」
侍女は一礼して去っていったが、その後ろ姿から、まだ何か言いたげな空気が漂っていた。
パットンの様子が、それだけ尋常でないということを物語っている。
パットンは深く息を吐き、廊下の窓の外を見た。
日はすでに高く昇り、正午に近づいている。裁判までの時間は、刻一刻と減っていた。
頭の中で、これまでの経緯を何度も反芻した。ヴァレンが仕組んだ罠、送られたルミナス暗号の一件、そしてボンドの死。
すべてが、一つの大きな流れの中で繋がっているはずだ。
だが、その繋がりの全貌は、まだ霧の向こうにあるように見えなかった。
パットンの手元にも、証拠はいくつかある。
オットーの存在、地図にない村の記録。
だが、それらを今すぐこの裁判の場で持ち出せば、確実にヴァレンに握り潰される。
使うべき場面と、使うべきでない場面。その見極めがつかないまま、時間だけが過ぎていく。
いつもなら、こうした場面でこそ、グライムが鮮やかな答えを出してくれた。
だが今、その頭脳は牢の中にある。
パットンが焦りに時間を浪費していると、背後から芝居がかった声が飛んできた。
「これはこれは、パットン兄上」
振り返ると、そこには第五王子のガーネスが立っていた。
まだ幼さの残る顔立ちに、人を小馬鹿にしたような、妙に大人びた笑みを浮かべている。パットンとは、あまり親しい間柄ではなかった。
「これみよがしにため息などついて」ガーネスは両手を後ろに組み、大臣か何かの真似でもするような口調で言った。「犯罪者風情にたぶらかされる王子がいるとは、王家の恥ですね」
パットンは目もくれず、そのまま通り過ぎようとすると、ガーネスは年齢らしい幼い反応を見せた!
「おい! この私を無視するな!」
ガーネスが声を荒らげると、パットンは足を止めて、深くため息をついた。
それから、しゃがみ込んでガーネスと目線を合わせた。
「それは……いったい誰から聞いたんだ?」
「誰から? 私を子ども扱いしないでいただきたいですね」
ガーネスは顎を反らして澄ました顔を作ったが、頬はしっかりと膨らんでいた。
取り繕った物言いの下に、隠しきれない幼さが透けて見えている。
パットンは、それ以上何も言わなかった。
パットンがガーネスとそっけない態度を取るのには理由があった。この末の弟はまだあまりにも幼く、王位継承の争いに巻き込むには早すぎると考えているからだ。
だからこそ、パットンは意図的に彼と距離を置いていた。
深く関わって、余計な期待や思惑を植え付けたくなかった。
「兄上の失態は、城中の語り草になっておりますよ」ガーネスは、勝ち誇ったように顎を上げた。「侍女も、兵士も、みんな噂しております。私は、たまたま色々と耳にする立場にあるものでしてね」
大人の口調を模倣して言ったその内容は、侍女や兵士たちが噂しているのを、また聞きしただけのものらしかった。
要点を捉えているとは言い難く、時折、自分でも意味が分かっていないまま、聞き覚えのある単語を並べているだけの箇所もあった。
「王子ともあろう方が、犯罪者風情に手玉に取られて、軍議がどうの、財政がどうの。私にはよく分かりませんが、とにかく大変なことになっているようですね」
「詳しくもないのに、よく喋るな」
勝ち誇ったように言うガーネスに対して、パットンは呆れたように言った。
「噂というのは、そういうものでしょう!」
ガーネスは、再び子どもらしい声を上げた。
取り澄ました物言いとは裏腹に、年相応の癇癪があっさりと顔を出す。
まさにパットンが危惧しているのはこういうところだ。幼いが通じるのは城の中にいる間だけ、幼さゆえの無知は、その威光を他国に利用されることも、家族に利用されることさえある。
「その様子では……どうせ兄上も、いずれ犯罪者の国送りですね」
ガーネスは、鼻先で笑うように言った。
パットンは、その言い方よりも『犯罪者の国』という言葉のほうが気になった。
「犯罪者の国?」
聞き返すパットンに対して、ガーネスは知らないことをからかうように、にんまりと口の端を吊り上げた。
「ご存じないようで」
「ああ、知らない」
「この世にはですね……」ガーネスは声を潜め、いかにも重大な機密でも打ち明けるような、芝居がかった口ぶりで言った。「罪を犯した者だけが集まり、罪を犯した者だけが治める国があるのです」
パットンは眉をひそめた。にわかには信じがたい話だ。
だが、この局面で『犯罪者』という単語が出てきたことに、何か引っかかるものを感じた。
「誰に聞いた、それは」
「教えて差し上げません」
ガーネスはいたずらが大成功したとでも言うような顔で、上機嫌に笑った。
取り澄ました言葉遣いの下から、誰に聞かされたのか分からない、不穏な響きを持つおとぎ話を語る、そこには年相応の子供の得意気な素顔が覗いていた。
「もう少し詳しく聞きたい。悪いようにはしない。誰から聞いたのかだけでも」
「なぜ急にそう必死になるのです……。気味が悪いですよ、兄上」
パットンは食い下がったが、ガーネスは少したじろいだように一歩後ずさった。
それを見て、パットンは表情を和らげた。
今までの自分のやり方の間違いに気づいたからだ。
パットンは、しゃがみ込んでガーネスと視線を合わせた
グライムが相手の心を開くときにやることだ。
相手の目線で物事を語る。相手が喋るタイミングを尊重させる。
「悪かった。ただ、少し気になっただけだ。もしなにかを知っているのならは、話してもらいたい。私にない知識を授けてもらえれば、とても助かる」
「ふうん」ガーネスはしばらくパットンを観察するように見つめてから、また元の澄ました顔に戻った。「まあ、教えて差し上げなくもないですけれど……」
「本当か!?」
「今日のところは、やめておきます! 教えて差し上げませーん」
ガーネスは、その言葉を歌うように繰り返すと、くるりと踵を返して、優雅ぶった足取りのまま、それでいて隠しきれない踊るような速さで、廊下の向こうへ去っていった。
その後姿は、兄へ甘える初めてのガーネスの姿だった。
パットンは、その場に立ち尽くしたまま、深くため息をついた。
不思議なことに、少しだけ心が軽くなったような気がした。
ガーネスとのくだらない応酬が、張り詰めていた神経をわずかにほぐしてくれたのかもしれない。
今思えばグライムとのやり取りも似たようなものだった。
いつだって彼は、凝り固まるパットンの考えをほぐしてくれていた。
だが、その安らぎも長くは続かなかった。
すぐにグライムのことが頭にちらついた。裁判までの時間は、もう残り少ない。
パットンは自室へ向かって、足早に歩き出した。




