第二部「オルドレン王子」
パットンが一度オルドレン王子に現状を報告に行っている間も、グライムは様々な観点から、ルミナス暗号を解こうと試み続けた。
宝石の組み合わせ、光を当てる時間の長さ、部屋の明るさの調整。
過去に解いた暗号、聞いたことのある暗号、行き当たりばったりの発想など、思いつく限りのやり方を、一つずつ潰していく。
台座を逆さにしてみたり、宝石の順番を入れ替えてみたり、光を複数の角度から同時に当ててみたりもした。
そのたびに、壁には別々の紋様が浮かんだが、どれも意味を成さない、ただの反射模様の羅列にしかならなかった。
「試せることは、もうほとんど試したはずなんだが」
背中でドアが開く音が聞こえると、グライムは疲れたように言った。
オルドレン王子へ現状の報告を終えたパットンが戻って来たのだ。
「少し休んだらどうだ? 根を詰めすぎても、良い考えは浮かばない」
「休んでる時間が惜しい。オルドレン王子は?」
「まだ時間がかかるようだ。殿下にも秘密裏に動いてもらっているからな」
オルドレン王子には、過去の三つの秘宝がいつ本国から送られたのか、城の文献を調べてもらうよう頼んであった。
日付が分かれば、暗号を解く手がかりになるかもしれないからだ。
「そうか……」
宝石から一度も目を離さないグライムに、パットンは咳払い挟んで言った。
「話をそらすようで悪いんだが……。一つ聞きたいことがある。ボンドからは返事はあったか?」
「いいや。こっちから送ってるけど、返事はない。手間取ってるんだろうな。無茶を押し付けてるのは間違いないからな。なんかあったのか? あぁ……マリアからの返事もないから寂しいのか」
グライムはようやく宝石から視線を移して、パットンの顔を見た。
「一言も言っていない」
「言ったほうがいい。それが夫婦長続きする秘訣らしいぞ。長寿の種族は、みんな男が女に愛を懇願する」
「オマエ……わかってて話をそらしてるな」
「誰かが、下手くそに話題をそらそうとしたからな」
グライムはニヤッと笑うと、パットンの下手くそな誘導に甘えて目を休めることにした。
だが、テーブルに腰掛けても、考えることは止めない。
過去の事例や知識を活かして色々考えてみたが、どれも推理の取っ掛かりにすらならなかった。
いつしか窓の外では、鳥の鳴き声が徐々に少なくなっていった。
日が傾き、やがて完全に沈んだ。それは目で見なくても、音の変化だけで感じ取ることができるが、今のグライムはその変化にすら気付かないほど、思考の中に沈み込んでいた。
宝石の並べ方を変え、光の角度を変え、時には台座そのものの向きまで変えてみた。だが、壁に浮かぶ紋様は、何度試しても同じ、意味の掴めない模様のままだった。
グライムが思考の沼に沈みかけた時、パットンが口を開いた。
「そういえば」
「さっきは思いやりだってわかったけどな……今度は邪魔だって受け取るぞ」
「アモーレのことだ。アモーレの一件も、まだ完全に片付いたわけじゃないな」
「なにも盗んでないだろう」
「予告状まで出したんぞ。盗みに失敗しましたじゃ済まない。子ども遊びじゃないんだぞ」
「盗みに失敗したんじゃない。盗みに来なかったんだ。名前を借りた予告状なんてよくあるいたずらだろう」
グライムは彼女を無事に逃がしたことで、その件はもう解決したものと思い込んでいた。
だが、パットンの言葉で、一つの疑問が改めて頭に浮かんだ。
――誰が、彼女に『リィーイヤ王国の秘宝と呼ばれているルミナス暗号』を盗むように頼んだのか。
その依頼主の正体は、まだ何一つ分かっていなかった。
考えてみれば、その依頼主こそが、この一連の企みの、もっとも根深いところにいる人物なのかもしれない。
グライムがそのことについて考え込んでいると、不意に視界が明るくなった。
パットンがランプに火を灯したのだ。
「すまない。驚かせたか? こうも暗いと考えも浮かばないと思ってな。気付いていたか? 外はもうすっかり暗くなっている」
真っ暗な部屋で迷走気味に考え事をしていたグライムの視界は、不意をつかれて、光に歪まされた。
だが、その歪みは、歪んだ真実と合わさると、歪みをなくし、形を造り上げた。
頭の中で、いくつもの断片が一瞬で繋がった。
「オルドレン王子だ……」
グライムは壁の模様を見て、名前を口にした。
その壁の模様は、最初の暗殺指令の短剣のマークだ。
「堂々巡りにするつもりか……」パットンは訝しげに言った。「オルドレン王子は敵ではないんだろう? そう結論づけた。私とオマエとでな。オルドレン王子にも確認済みだろう」
「そう、敵じゃない……暗殺対象がオルドレン王子なんだ」
パットンはその言葉の意味を飲み込もうとした。
「なにを言ってる?」
「壁を見ろ。疑うなら、自分の目で確かめろ」
「壁の模様は変わってないぞ」
「アモーレの事件の時の……猫の話、覚えてるか?」
「人間はネコだと叫べば皆一瞬気を取られる、というやつか?」
パットンが覚えているという証拠のように、その時の会話の内容を話すと、グライムはすかさず「ネコだ」と言った。
わかっていたのに、パットンは思わずグライムの視線の先に目を向けてしまった。
手口がわかっているので、ほんの一瞬だが、その一瞬のうちに、グライムはランプの火を大きくして、強い光をパットンに浴びせた。
突然の強い光が目に当たり、思わず目をつぶりパットンは怒鳴った。
「いきなりなにをする!」
「壁の模様を見ろ」
「この状況で見られるわけがないだろう」
パットンは光にやられた目をこすろうとしたが、グライムはその腕を掴み、無理やり壁の模様を見るように言った。
「いいから。早く見ろ、真実が消える」
パットンは強い光を目に浴びて、まだら模様が溶ける視界の中、ルミナス暗号を並べて浮かび上がった、壁の暗殺のマークを見た。
目が眩み、ぼやけた視界が壁のマークを文字へと変えた。
そこには、短剣を模したマークではなく、オルドレン王子の名前が書かれていた。
「これは……。アモーレが答えを教えてくれたのか? 彼女は味方なのか?」
「アモーレは考える時間をくれただけだ。その時間が夕闇を作った。そこにパットン、アンタが光を差したんだ。いいか? ルミナス暗号を解くのに必要なのは、台座と宝石と魔光だ。つまり、どんな状況でもこの三つを使って解き明かせるようになっている。魔光の使い方は一つじゃないってことだ」
ルミナス暗号を解くには、宝石に光を当てて壁に紋様を映す必要がある。
だが、今回グライムが解いたルミナス暗号は違った。それだけではなかった。
それは人間の【瞳】そのものを、光の受け皿にする必要があった。
強い光を目に浴びせて、視界に残る残像と、壁の紋様を重ね合わせる。
そうやって初めて、隠された文字が浮かび上がる仕組みとなっていた。
「多重構造の暗号だ……。これは解読に途方もない時間がかかるぞ……」
「そんな複雑な仕組みを、一体誰が考えた……」
「さあな。だが、考えた奴は、相当に用心深い。普通に光を当てただけじゃ、対象の名前は出てこない。誰かに横から覗かれても、それだけじゃ意味を成さない構造になってる」
「つまり、街なかでも堂々と暗号の解読が出来るということか? ……中身は暗殺指令だぞ」
「そうだ。堂々と一般人に紛れ込み、普通の生活をしてる。辺境の村で捕まえたオットーって司祭がいただろう?」
「……元暗殺者のか。すぐに殿下に話そう!」
パットンは慌てて立ち上がり、オルドレン王子の元へ真実を話しに向かった。




