第四部「油と蜜蝋の匂い」
グライムが誘拐されたという話はすぐにパットンの耳に届いた。
目撃者が多数いるので確実な情報だが、あまりに堂々とした犯行だったせいか、その後の情報が入ってくることはなかった。
タイミングからして、ヴァレンの仕業かもしれないとパットンが疑い始めた頃。
市街の外れにある倉庫が荒らされたという報告が届いた。
このタイミングの犯罪には何かあると思い。パットン、カックラウ、オルドレン王子の三人は、すぐに現場へと向かった。
倉庫の中は、棚という棚が引っくり返され、木箱が割られ、床には荷物が散乱していた。
だが、値の張る品物には、ほとんど手がつけられていない。
壊された跡は多いのに、何が盗まれたのかを分かりにくくするための、目くらましのような荒らし方だった。
一見すると、素人の仕業に見える。
棚を蹴り倒し、木箱を手当たり次第に叩き割った跡には、明らかな乱雑さがあった。
だが、パットンはいくつかの棚の壊れ方に目を留めた。
木材の割れ口が、無闇に殴りつけたものではなく、狙った箇所を的確に狙って割られている。
素人にしては、手際が良すぎる痕跡がところどころに混ざっていた。
とりえず、手本通りにやった感が見え隠れしている。
これは王都で、姿を隠しながらも街の事件を解決していたパットンだから気づけたことだ。
オルドレン王子一人だったら、この違和感に気付いていない。
「兵士たちは何と?」
パットンは案内してきた者に訊ねた。
「侵入者は複数と見られますが、目撃者がおりません。金品には手をつけず、荒らすだけ荒らして立ち去ったようです」
「それが妙なんだ……」パットンは倉庫の奥を見渡しながら呟いた。「金にならないものをここまで壊す意味がない。何かを隠す目的で、わざと荒らしたと考えたほうが筋が通る」
「殿下」兵士がオルドレン王子に向かって言った。「被害の全容を確認するには、まだ時間がかかりそうです」
「急がなくていい」オルドレン王子は答えた。「丁寧に頼む。現場の保管を優先しろ。グライムがいない今。証拠の一つも逃さないようにしろ!」
オルドレン王子の怒鳴り気味の指示が響く中。
パットンは倉庫の中を、一歩ずつ踏みしめるように歩いた。壊された木箱の一つ一つに視線を落とし、割れ方の癖を確かめていく。
やがて、その足が止まった。
「……これは」パットンは低く呟いた。「グライムからの暗号だ」
「暗号?」
オルドレン王子が眉を寄せる。
「この荒らし方には、統率がある。素人の乱雑さと、手慣れた者の的確さが混在している。おそらくグライムが、自分の居場所を知らせるために仕組んだものです」
オルドレン王子は目を丸くした。
誘拐先から作戦を立てるグライムも見事のものだが、その意図にすぐ気づくパットンとのコンビネーションに感嘆したのだ。
「では、これも計算のうちだと」
「おそらくは」
パットンは即座に指示を出した。
「現場をすぐに元通りにしてくれ。棚を戻し、荷物を並べ直す。壊れたものもなるべく元の形で戻すんだ。何かが変わってるはずだ」
「現場の保存が基本です……それでは証拠を動かすことになります」
兵士の一人が困惑した顔をすると、オルドレン王子が代わりに指示を出した。
「構わないパットン殿下の言う通りにしろ。証拠なら、すでに十分に見た」
兵士たちは戸惑いながらも、手早く倉庫の中を片付け始めた。
棚を起こし、荷を戻し、床を掃く。
もとの姿に近づけていく中で、何が本当に盗まれたのかを一つずつ確認していった。
壊されたものは数多くあった。木箱、棚板、陶器の壺。だが、実際に持ち去られたものは、たった二つだけだった。
「油と、蝋燭……」
パットンは眉間に皺を寄せて、その二つの品名を見つめた。
「なぜこの二つだけを?」
「値打ちのあるものではありませんね」兵士が言った。「油も蝋燭も、市場で普通に買えるものです」
「だからこそ、意味があるはずだ。――殿下」パットンはオルドレン王子に向き直った。「この倉庫には、他に何が保管されていましたか」
「日用品の類だ。食料品、布地、燃料などの在庫を、一時的に置いている場所だと聞いている」
「なるほど……金目のものが少ないからこそ、警備も手薄だった。だからこそ、ここが選ばれた。侵入の経路は?」
パットンは兵士に訊ねた。
「裏手の通用口です。鍵が壊されいます」
「素人の一団の技術だな。目眩ましは手慣れている。……やはり誰かが手を貸したということか」
その言葉で、パットンの頭に一つの筋が繋がった。
完全にグライムが関わっていることがわかった。あとは彼の意図を手繰り寄せる必要がある。それこそ本当の糸のように、その先についた獲物を逃さないように。
「殿下」パットンはオルドレン王子に向き直った。「今日の一連の出来事を、もう一度整理させてください。まず金庫の強奪未遂があり、犯人グループは金庫を開けられずに持ち去った。その後、グライムの行方が分からなくなった。そして今、この倉庫が荒らされている」
「繋がっているように聞こえるな」
「繋がっていると考えたほうが、筋が通ります」パットンは言った。「グライムが、あの強盗団に捕らえられているのだとしたら。そして、彼らに開け方を教える代わりに、こちらへ合図を送ろうとしているのだとしたら」
「なるほど……。まるでグライム殿の頭の中を覗いているようだ」
オルドレン王子は感心したように頷いたので、パットンは苦い顔をした。
「覗いているわけではありません。手のひらで踊らされることに慣れただけです」
考え込むパットンの隣で、カックラウが申し訳なさそうに部屋の外へ出ようとした。
「どうした?」
「すいません……。獣人の自分には臭いがきつくて……」カックラウは顔をしかめていた。「油と蝋燭の匂いが、この部屋に染み付いてるせいです……。せめて外に出れば、風で臭いが紛れるんですが」
パットンははっとした表情になった。
「――嗅いで追える、ということか」
「え?」
「グライムは、これを嗅ぎ取れる者に向けて残したんだ」パットンは言った。「ニオイを辿れ、という暗号だ。倉庫の中で狙って盗み出されたこの二つの匂いは、まだ新しい。追いやすいうちに、動けと言っている」
「追えるか?」パットンはカックラウに向き直った。
カックラウは答える代わりに、強面の顔を更に強めた。
臭いに耐えられなくなったからではない。グライムが意図的にこの匂いを嗅がせたとわかって怒りが湧いてきたからだ。
そして、その怒りはすぐさまやる気へと変わった。
すぐさま外へ飛び出すと、膝をついて地面に鼻を近づけた。
数秒の躊躇いもなく、迷いのない足取りで路地の奥へと駆け出していく。
パットンとオルドレン王子は、兵士を連れてその後を追った。
夕暮れに沈み色を変えていく街を、ダカダカと足音が流れるように響いていく。
角を曲がるたびに、カックラウの足取りには迷いがなくなっていく。
匂いが、確実に一つの方向を指し示しているようだった。




