第一部「辺境に縛り付けられている」
「辺境に縛り付けられているか……」
オルドレン王子は、グライムの問いをそのまま繰り返すように呟いた。
声の調子は軽かったが、目の奥だけは笑っていなかった。
広場のざわめきが、その一瞬だけ遠くに感じられた。風が市場の匂いを乗せて通り過ぎていく。
「グライム! 言葉を慎め!」
パットンが怒鳴った。他国の王子に対して、面と向かってそこまで踏み込んだ問いを投げたことを、たしなめる声だった。
周囲にはまだ大勢の兵士と、市場から流れてきた野次馬の姿がある。
声を張れば、どこまで届くか分からない。
「いや、いいんです」オルドレン王子は片手を軽く上げて、パットンを制した。「今の今まで、気にしたこともなかった。だが、確かに縛り付けられている……。今言われて、初めてしっくりきた」
オルドレン王子は自分の胸の内を探るように、視線を宙に泳がせた。何かを思い出そうとしている顔だ。
そして、しばらく黙り込んでから、また口を開いた。
「だからアレが届けられたのだと、腑に落ちた」
「アレとは?」
パットンは何のことか分からず、眉をひそめた。グライムも黙って続きを待った。
「実は、今朝方本国から金庫が届けられた。今も馬車に積んでいるのだが」
「殿下! こんな街中で、そのような話を!」
パットンが思わず声を高くすると、オルドレン王子は自分の失言に気づき、慌てて口をつぐんだ。
周囲を見回し、それから声を落とした。
「……失礼。話は馬車の中で」
賑わいの残る通りを抜け、三人は馬車の停めてある裏道へと戻った。
護衛が荷台の覆いを外すと、中には確かに一つの魔金属の箱が置かれていた。
大きなものではない。子どもを膝に抱えられる程度の大きさだ。
表面には見慣れない紋様が幾重にも彫り込まれ、留め具の部分に淡い光が滲んでいる。触れずとも、魔法がかけられているのが分かる造りだった。明らかに市井の職人の仕事ではない。
「中にはなにが聞いても?」
グライムが訊ねると、オルドレン王子は首を振った。
「私にも分からないのだ。本国からの贈り物ということになっている。鍵はまた別の日に届く」
「鍵だけ、別便でですか?」
なぜそんなややこしいことをするのかと、パットンが眉を寄せた。
「そういう作法なんだ」オルドレン王子は箱の縁に手を添えながら言った。「王族への恩賜の品を、まずこうして箱に入れて届け、鍵は日を置いて別に送る。古い儀式の作法を、そのまま受け継いだものだ。外から見れば妙な話に聞こえるだろうが、内側からすればなんてことのない、当然の手順だ。宗教や種族の間でも、似たような習わしはよくある」
「なぜ、そんな面倒な順序にする必要が?」
「箱と鍵を別に送ることで、途中で奪われても中身が守られる。本国からここまでの道のりは、決して安全な道ばかりじゃない。箱だけなら奪われても意味がない。鍵だけなら、なおさら意味がない。両方が揃って初めて価値が生まれる」
「つまり……。変なのは、届いたタイミングだ」
グライムが箱の表面を指でなぞりながら言うと、オルドレン王子は驚いた顔で彼の顔を見た。
「そうなんだ。よく分かったな」
「こういう儀式の贈り物は、何かの節目に合わせて届くものです。誕生日、任命、功績。今、あなたに何があったんですか?」
「何もない」オルドレン王子は肩をすくめた。「これといった功績もなければ、節目でもない。だからこそ、今日届いたことが妙なんだ。グライムの言うとおりだ」
「贈り物が功績を追いかけてくるならまだしも、功績より先に届くのはおかしい」
グライムが睨むように眉間にしわを作ると、パットンが言葉を継いだ。
「まるで、これから何かが起きることを見越しているような」
オルドレン王子は苦笑した
「そこまで言うつもりはなかったが。言われてみれば、そういう解釈も成り立つ」
「殿下……少々お気楽すぎでは?」
パットンが低い声で言うが、オルドレン王子はそれでもまだ快活に笑ってみせた。
「考えても仕方のないことです。魔法錠がかけられた金庫ですから、どのみち鍵が無いことには開けられない。それより――事件は片付いたようだ。ぜひ今回のグライム側からの話を聞かせてもらいたい。一体どうやって包囲の目をかいくぐった? この街には、城にも仕入れている、良いスイーツを出す店がある。そこへ行こう」
オルドレン王子はグライムに向き直ると、護衛の一人に、その店を貸し切りにするよう伝えに行かせた。
金庫は再び馬車の荷台に固定され、幌の内側にしっかりと括り付けられた。護衛が二人、御者台の傍に立ち、見張りにつくことになった。
だが、グライムの頭の片隅には、一つの考えが引っかかったまま残っていた。
届いた理由が分からない贈り物ほど、後になって厄介な意味を持つことがある。
以前盗み出した至宝が、実はオルドレン王子を辺境に縛りつける鎖だったように。
もしこの金庫にも、似たような裏の意図が仕込まれているのだとしたら――。
その先を考えかけて、グライムは一旦それを頭の隅に押しやると、馬車が緩やかに揺れる中、グライムは荷台に固定された木箱をもう一度だけ見やった。
「殿下。聞きたいことが」グライムはオルドレン王子に言った。「この儀式の贈り物は、誰の意思で送られてくる」
「本国の宮廷だ。王が直接というより、宮廷の慣例に従って、しかるべき部署が手配する」
「つまり、王自身の一存とは限らない」
「その通りだ」オルドレン王子は少し驚いたように言った。「宮廷にはそれぞれの慣習があってね。誰かが記録を確認し、節目が来たと判断すれば、自動的に手配される仕組みになっている」
「その記録に、何か間違いがあったとしたら」
「それも、あり得なくはない」オルドレン王子は苦笑いを浮かべた。「役人の勘違いか、単なる手違いか。案外、そんなところかもしれないな。それを利用するのが君のような天才だ」
オルドレン王子は鼻息荒く言うと、流石にグライムも苦笑いを浮かべたが、パットンに肘で腹の横を突かれると表情を戻した。
「この箱の意匠は」グライムは表面の紋様を見ながら訊ねた。「代々同じものを使っているのか」
「そうだ。王家に連なる者にしか使われない意匠でね。偽造は難しい。この紋様を彫れる職人は、本国でもごくわずかしかいないと聞いている」
「つまり、少なくとも本物の職人の手を経ている」
「そういうことになる。誰かが悪戯でこしらえられる代物じゃない」
「だとすると、余計に妙だ。本物の手順を踏んで、本物の職人の手を経て、それでいて理由の分からない贈り物が届く。手違いにしては手が込みすぎている」……
オルドレン王子ははしばらく黙り込み、それから小さく息を吐いた。
「グライムと話していると、安心していたことまで不安になってくるな……。見張りをもう一人増やそう」
グライムはそれ以上は追及しなかった。
だが、パットンと目が合った時、互いに小さく頷き合った。
今の会話のどこにも、確信めいたものはなかったが、オルドレン王子自身が、この金庫の意味を測りかねている。
それだけは確かなようだった。
貸し切りにされた甘味処は、市場からほど近い、静かな通りにあった。
表通りに面していながら、内装は落ち着いた木の色でまとめられ、香草茶と焼き菓子の匂いが、店の隅々にまで染み付いている。
植えられた花々の香りが、香ばしい焼き菓子の匂いのあとに華やかさを添える。
窓の外には、夕刻に向かって色を変え始めた通りが見えた。
窓際の席に案内されると、オルドレン王子は運ばれてきた焼き菓子に目もくれず、身を乗り出すようにして口を開いた。
「さて、聞かせてくれ。行方不明になってから今まで、何をしていたんだ?」
グライムは焼き菓子を一つ手に取り、口に運びながら答えた。
「昨日の事情聴取された男の様子がおかしいと思って、独自に調べていました」
「それで牢に?」
「牢に入ったほうが、手っ取り早く分かることもあるので」グライムは涼しい顔で言った。「魔牢のときと同じです。管理している側の隙を、内側から確かめたかったんです。管理者は誰も囚人の側になって考えない。必ず考えの違いが生じ、そこが付け入る隙になるんです」
「素晴らしい!!」オルドレン王子は目を輝かせた。「では、あの脱獄も、初めから計算のうちだったと」
「そんなところです」
「兵士が下着姿の男を仲間だと勘違いした、という報告を受けたが」オルドレン王子は笑いを堪えるように言った。「あれもグライムの仕込みか?」
「あれは相手が勝手に勘違いしただけです。こちらはただ、大きな声を出しただけ」
「謙遜が過ぎるな」
「本当にです。あの兵士が慌てすぎただけ」グライムは繰り返した。「こちらの計算はもっとお粗末なものでした」
グライムは本心と誤魔化しを半々で話していた。
牢の男ことは話すつもりはないが、兵士のことに関しては本当だ。
兵士に関することで嘘をつくと、時間を変えて状況証拠を調べられる可能性のほうが高いので、嘘つくのは危険だ。
だが、オルドレン王子はそれを謙遜と受け取ったのか、余計に楽しそうな顔をした。
「では、市場でグライムとよく似た姿の者たちが集まっていた件は」
「ある趣向に沿ったなりきりコンテストとが開催されるという噂を流しただけ。あとは街の人間が勝手に集まってくれました。お祭り騒ぎが隙な街のようで」
「いい街だろう? そして、それも仕込みのうちだ? 違うか?」
「どうでしょう」
グライムは人懐っこい笑顔を浮かべると、肩をすくめた。まるでオルドレン王子が謎を解いてみてはいかがとでも言うように。
「オマエが騒ぎを起こす時は、騒ぎの中になにかを隠すときだ」
パットンが横から口を挟んだ。
「陽動が目的だってことか? カックラウもいるんだぞ。アイツの鼻の厄介さは嫌ってほど知ってる」
「それも陽動に含まれていると言ってるんだ。カックラウの嗅覚を、我々の視覚のごまかしに使ったな」
「嗅ぐから嗅覚って言って、視るから視覚って言うって知ってるか?」
オルドレン王子はその応酬を、興味深そうに眺めていた。
「いやー、二人は本当に息が合っているな」
「合わせているのはこっちらです……」
パットンがため息交じりに言った。
グライムは半分本当で半分は誤魔化しの説明を続けた。
牢の警備の緩さ、魔法を使えない者への扱い、街の治安の穴。
事実をところどころに織り交ぜながら、肝心の部分――グァヴァという名の男のこと、至宝の在処、妖精族の女との取引――は、巧妙に伏せていく。
「なるほど、なるほど」オルドレン王子はいちいち頷いた。「では、あの偽者の一団は?」
「街の連中を巻き込んで、少し賑やかにしてもらっただけです」
「見事だ。実に見事だ」オルドレン王子は椅子の背にもたれ、満足げに息を吐いた。「まさか一日でここまでのことが起きるとは。この国へ来てもらった甲斐があった」
「まだ何も終わっていないですよ。始まってさえいないかも知れない……」
グライムは軽く釘を刺すように言うと、オルドレン王子は目を細めて笑った。
「始まってさえいないか……。その言い方が、もう十分に先の楽しみを教えてくれる」
パットンとカックラウは、その隣で終始落ち着かない様子だった。
パットンは何度も咳払いを挟み、グライムがどこかで余計なことを口走らないかと気を揉んでいる。
カックラウは香草茶に口をつけながらも、視線だけはグライムから離さなかった。時折、パットンと目配せを交わしては、小さく首を振る。
「殿下」パットンがたまりかねたように口を挟んだ。「あまり根掘り葉掘り訊ねられては、グライムも話しにくいでしょう。この辺りで」
「ああ、これは失礼した」オルドレン王子は素直に引いた。「つい夢中になってしまう。彼のような人間に会う機会は、そうそうないのでね。それに話が上手だ」
「十分にわかっています。彼の話に耳を傾けると、いつの間にか事実がねじ曲がる。それにしても……。殿下は、こういう話がお好きなよおうですね」
オルドレン王子は少し照れたように笑った。
「好きというより、憧れに近いのかもしれない。私は、生まれた時から玉座の近くにいることが決まっていた。だから、こうして自分の才覚だけで物事を切り開いていく人間を見ると、単純に胸が躍る」
「それは危険な憧れですよ。グライムのような生き方に憧れると、ろくなことになりません」
「わかっている。憧れと真似るのとは別物だ。私は私の立場でやるべきことをやるさ」
グライムはその会話を黙って聞いていた。オルドレン王子の言葉には本音めいた響きがあった。
ヴァレンを取り巻く事件に関係する人物の一人なのは間違いないが、コマに使われている可能性が高い。グライムはそう考えていた。
運ばれてきた焼き菓子の一つを手に取り、オルドレン王子はしみじみと言った。
「この店の菓子は、木の実の焼き加減が絶妙でね。城の料理人にも作らせているが、ここの味には及ばない」
「殿下は甘い物がお好きなのですか」
パットンが話を逸らすように訊ねた。
「好きというより、これくらいの楽しみがなければ、辺境の城でやっていけないというのが本音だ」
その一言に、グライムはわずかに視線を上げた。オルドレン王子は自分の言葉に気づいた様子もなく、また焼き菓子に手を伸ばしている。
「辺境の城の暮らしは、退屈ですか?」
グライムはさりげなく訊ねた。
「退屈……というよりは」オルドレン王子は少し考えてから言った。「同じ景色が続く、という感じかな。街のこの賑やかさとはまるで違う」
「本国に戻りたいと思うことは」
「思わない日のほうが少ないな。だから今回のことはとても刺激になっているよ」
オルドレン王子は笑いながら言ったが、その笑いには、ほんのわずかに苦さが混じっていた。
グライムはそれ以上追及しなかった。
話が一段落したところで、オルドレン王子は満足げに立ち上がった。
「さて、そろそろ馬車に戻ろう。金庫のこともある」
四人は店を出て、馬車の停めてある通りへと向かった。日はもう傾きかけ、通りには夕刻の色が差し始めていた。




