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王賊 Crown & Crime  作者: ふん
名画の外側

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7/25

第一部「消えた名画」

 美術館の廊下は、昼間とは別の静けさに満ちていた。


 夜の閉館後、王子の要請で特別に開けられたその空間は、壁に並ぶ絵画だけが変わらず存在を主張している。

 シャンデリアの光が床に踊るように伸び、磨かれた石材が鈍く光を返す。

 長い年月に踏み固められたその床は、わずかな傷や摩耗すらも歴史の一部のように残していた。


 そんな歴史がある空間で、足音が響くほどの静寂が包んでいる。

 パットンは作品の前をゆっくりと歩いていた。

 今夜は王子として来ている。いつものように、お忍びで城下町に繰り出す姿ではない。

 それを示すように、いつもより背筋が伸び、胸を張っている。

 歩き方にもいちいち品があった。


 その二歩後ろを、グライムがついていた。

 後ろを歩くのはパットンの王子の立場を立ててではない。

 

 正体がバレないように鎧と兜に身を包んでいるので、格好だけ見れば護衛だが、本人より絵画を熱心に眺めすぎているせいで、遅れているだけだった。


 特に一枚の前で足を止め、腕を組んで首を傾けていた。


「動け……」


 パットンは苛立ちを込めつつも小声で言った。


「もうちょっと待ってくれ。この青の使い方が面白い。この絵、かなり古いよな? 青の絵の具の原料はなんだ? 見事な色だ。魔剤も使われてないな」

「護衛が立ち止まるな。不自然だろう」

「護衛ね……」グライムは歩き出しながら、口の端を動かした。「なんでオレを誘った。わざわざ鎧まで着せて」

「話しただろう。犯行予告が来たからだ」

「愉快犯だろ? わざわざ城に手紙が来たからって、王子がわざわざ出向く必要があるか? 兵士を使って物量で取り押さえろよ。万が一の時は生け垣の代わりにでもなれるだろ、人数がいれば」


「そんなことをしたら、他の美術品が傷つく恐れがあるだろう。それに……どうも気になってな」パットンは歩みを止め、懐から折りたたまれた紙を取り出した。「オマエを潜り込ませているのもそのせいだ。見ろ」


 グライムそれを受け取ると、雑に広げて中身を確認した。


 達筆ではなかった。むしろ、わざと崩して書かれている。

 これは出所がわからないようにする手段だ。

 人間にも筆跡鑑定というものがあるが、種族も同じだ。指の長さや手の構造上、書き方に特徴が出る。


 それを誤魔化すために、わざと記号的な文字を使う崩した書き方をする。


『【エルフの砦】この絵は今夜、消える。盗まれるのではない。よく見ていろ』


 グライムは声に出して読むと、しばらく黙って考えた。

 それから少し喉を鳴らして唸ると、眉間にしわを寄せて、手紙をパットンに返した。


「確かにおかしいな」

「そうだろう? 私もそう思っている。だからグライムを警備に混ぜてるんだ。絵を見せるためではない」

「盗むと言わずに『消える』と言ってる。そして見ていろと言う。なんでそんなに見せたがってる? 手際を見せるなら、どこの誰だかわかるようにするはずだろ? そのための犯行予告だ。それなのに名前もなし……。犯人は匿名希望のストリッパーか?」

「私がわかるか……。それを調べるのがオマエの仕事だろう。グライム……オマエが犯人だったらどうする」


 パットンはエルフの砦の絵の前まで歩きながら言った。

 宝石で装飾された豪華な額縁が、挑戦を受けるとでも言うようにキラッと反射した。


「簡単に盗める」

「だからどうやってだ」

「盗まない」


 パットンは足を止めると、ため息を床に落としてからグライムを見た。


「クイズをやっているんじゃないんだぞ。犯人は盗むと言ってる。盗め」

「本当にいいのか?」

「実際に盗めと言っているわけではない。オマエならどうするかと聞いているんだ。質問を砕かなくとも、わかるだろう?」

「でも、実際に盗まないとわからないだろ?」


 パットンが何かを言いかけた瞬間、グライムが言葉を重ねた。


「――で、この長い問答の末、アンタは熱くなって、オレにやらせてみる」


 グライムは一歩、絵に向かって距離を詰める。


「やらせてるんだから、オレの盗みが成功するまでアンタは見てるだけだろ?」グライムは、軽く肩をすくめた。「——ほら、簡単に盗めた。いつ捕まるかの指定は聞いてないからな」


「全く……。言葉遊びをしているんじゃないぞ」


 パットンは少し不機嫌に言った。舌戦で一本取られた顔だった。


 その瞬間だった。――風が吹いた。


 建物の中。閉じられた窓の内側で、急に一陣の風が吹き抜けるのはありえない。

 風の魔法だった。シャンデリアが船の上のように揺れ、炎が極寒の地で身震いをするように激しく揺れ、そしてふっと消えた。


 その魔法に誰かを攻撃する意図はなかった。

 ただ、強く、広く、美術館という空間全体を包むように吹き抜ける。

 完全な暗闇が、数秒訪れた。


 暗闇に紛れ、警備の兵士が絵の周りに集まる靴音が響く。


 その数秒後、魔法使いが駆け寄り、シャンデリアに向かって小さな火球を飛ばすと、燭台の先にひとつ、またひとつと火が戻り、揺らめく光がゆっくりと広がっていく。


 だが――光が戻ったとき、すでに遅かった。

 そこにあるはずの絵画が、消えていたのだ。


 展示台の上、額縁の中、つい今しがたまで確かにあったはずの名画が、跡形もなく消え去っていた。


『【エルフの砦】この絵は今夜、消える。盗まれるのではない。よく見ていろ』


 手紙の宣言通りだった。


 壁には四角い日焼けの跡だけが残り、その虚ろな空白が、まるで嘲笑うように存在していた。


 パットンは周囲を確認するより早く、出入り口の封鎖の指示を出した。

 衛兵が走り、静かだった館内はあっと今に喧騒に包まれた。


 グライムは騒ぎの中でも、動かなかった。

 消えた絵画があった場所を、ただじっと見ていた。





「搬出経路を調べろ」とパットンが衛兵に命じた。「全ての出入口、換気口、窓。隙間という隙間を確認しろ! 何かを運び出せる大きさのものがあれば報告しろ。絵画を持ち運べる出入り口はそう多くないはずだ。気を付けろ、犯人がまだ潜伏している可能性もある。仲間がいる可能性も考えろ」


 短い返事を響かせ衛兵が散った、過去のどんな時よりも、美術館に騒がしい時間が流れていた。


「オマエはこっちに来い」


 グライムが衛兵に紛れないように、パットンが直々に命令する。


「アンタは隊長じゃなくて王子だろ? 堂に入った指示だったけど。こんなことしてると、城からなにか言われるぞ。自由に出来てるのは、第三王子だからか?」

「今は関係ないだろ。それより、どう思う?」

「あの風魔法で盗んだと思うかってことか?」

「いちいち聞き返すな……。ただ、明かりを消すためだけの魔法だただろう。攻撃性がない。つまり……」

「つまり?」

「目眩ましだ。暗闇を一瞬作るために使った。その一瞬で運び出した」


 パットンが言うと、グライムはお見事とでも言うように拍手を響かせた。

 だが、それは同時に不正解という意味でもあり、そのグライムの態度がパットンを苛立たせた。


「嫌味か?」

「そうじゃない。オレだって、その結論にたどり着いた。でもな、疑問はいつだってどこからだって湧いてくる。あの一瞬で、あの大きさの絵を運べるか?」

「運べないな……」


 パットンは絵が飾られていた壁の前で立ち止まった。


 絵の大きさは縦一・二メートル、横〇・九メートルほどであり、額縁を含めると相当重い。

 暗闇は一瞬だった。いくら手際よくやっても、この廊下を抜けて外に出る時間はない。


 グライムはあえてわかりきったことを聞き、自分の頭の代わりに、パットンの返事で考えをまとめていた。


「それなら……搬出を手伝った内部犯がいるか? オレみたいに衛兵に紛れた場合もある」

「その場合、事前に経路を確保している必要がある。今夜、この美術館に入館したのは私たちと衛兵だけだ。他に人間はいない」


 グライムは腕を組んで周囲を見渡した。名画が飾られていたこの部屋には窓はない。


「侵入者が外から入った可能性は?」

「換気口を調べさせているが……。無理だろうな。穴が小さすぎる。あの絵を通すには解体しなければならない。解体した痕跡があれば別だが。一応、換気口にも絵の具の付着がないかも調べさせている」


 パットンの用意周到は流石ったが、衛兵から入った報告には、換気口に異常なし。窓はすべて施錠されたまま。出入口は今夜の開館以降、使用された形跡がないとのことだった。


 報告の兵士の背中を見送ると、グライムはおもむろに口を開いた。


「つまり、今夜この状況では盗むことは不可能だ……。物理的に、あの絵をここから外に出す方法がない」

「でも、実際に絵が消えているんだぞ」

「これを盗んだやつは紛れもなく天才だよ。オレには盗み出す方法が全く思いつかない」

「グライム……オマエよりもか?」

「……かもな」


 グライムが肩をすくめると、鎧の肩当てがガシャンとなった。

 何事かと思い数人が兵士が振り返ると、パットンは何でもないと手を振って操作を続けさせた。


「兵の邪魔をするな……」

「着慣れてないもの着せるからだろ……。この兜がなかったら、犯人をこの目で見てたかも知れないってのに」

「暗闇のうちに盗まれたんだ。関係ない。それに、何人の兵士が見守っていたと思っているんだ……」

「何人の兵士に見守らせて盗まれたと思ってんだ。贋作を見抜くわけじゃないんだぞ。警備ってのは周囲を守るもんだ」

「それは十分に――」


 パットンは言葉を止めて、ふと絵の消えた壁を見た。

 何かを言いかけてやめたが、それからもう一度見て、今度は口を開いた。


「……そういえば」

「どうした?」

「今夜、私が最初にこの廊下に入った時……なんとなく、絵の色が昨日と少し違う気がした。気のせいだと思ったが」


 グライムは聞きながら、パットンの言葉を頭の中で何度も繰り返していた。


 色が違う。昨日と。

 パズルは組み上がらなかったが、パズルの絵は浮かび上がった。


「パットン」

「何だ」

「盗み方ではなく、最初から絵がなかった可能性を調べろ」


 パットンがなにを言っているんだと眉を寄せた。


「どういう意味だ? 確かに展示されていただろう。オマエ見たいはずだ。そうだろう、グライム」

「今夜まで絵が展示されていたのは確かだ。だが、それが本物だったかどうかは別の話になる」グライムは消えた絵の場所を見た。「もし最初からここに本物がなかったとしたら? だとしたら絵が消えるルートを探しても意味がない。消えたのは絵ではなく、絵の形をした別の何かだ」


 パットンはしばらく考えた。それから兵に新たな指示を出し、腹心の部下であるカックラウも呼び寄せた。





 部下たちに調べさせた結果が出たのは、深夜を過ぎた頃だった。


 美術館の壁、展示台、そして今夜絵がかかっていた空間。

 その周辺に、魔法の使用痕が残っていた。


 大々的に空間に風の魔法を使われたせいで、別種の魔法の痕跡の解析に時間がかったのだ。


 そして、グライムの推理通り、絵画は今日盗まれたわけではないというのが発覚した。


「一体何の魔法が使われた? 私たちが見ていた絵画は何だ?」


 パットンが魔法官に尋ねた。


「この魔力痕は【シェイプシフト】です」と魔法官は答えた。若い男で、眼鏡の奥の目が落ち着かなさそうに動いている。「変身魔法の一種ですが……精度が高い。相当な使い手です」

「シェイプシフトか……。詳しく説明しろ」


「自分の体を、別の形状に変える魔法です。人間が人間に化けることも、人間が物体に化けることも可能です。ただしー―」


 魔法官は眼鏡を押し上げ続けた。


 シェイプシフトは便利な魔法だが、精度に限界がある。対象を細部まで記憶していなければ完全には再現できない。

 表面的な色や形は真似できても、質感や細かい筆跡、絵の具の盛り上がり、そういった細部は何度も対象を観察しなければ再現が不可能。

 つまり魔法レベルが高かったとしても、観察眼と記憶力がなければ意味がない。


 シェイプシフトは鏡のようにそのものを映すのではなく、記憶を映す魔法なのだ。


 今回のように、専門家が見ても気づかないレベルの精度で絵画を再現するには、それ相応の観察回数が必要ということになる。


「つまり、犯人は何度もここへ通っていた可能性がある」

「はい。おそらく、数日から一週間程度、何度も同じ絵を間近で見ていなければ、これほどの精度は出ません」


 パットンは魔法官に下がるよう指示した。


「つまり、誰がシェイプシフトで絵に擬態して、ついほど先程までここに展示されていた。本物の絵は、すでに事前に盗まれていた。グライム、オマエの推理はこうか?」

「そうだな」

「では……それほどの精度の擬態なら」パットンはため息をついた。「見抜けない。どうする」


 グライムは何も言わなかった。


 展示されていた場所の前に歩いていき、そこに立った。壁の四角い日焼け跡の前。ここに、数日前まで絵があり、そしてシェイプシフターが擬態していた場所だ。


 グライムはその場に立ったまま、何かを考えていた。


 シェイプシフトを使うのならば、暗闇にする必要が薄い。

 そもそも逃走に使うのならば、一種の目眩まし程度のものであり、今回のように大々的な盗難に使われることはない。


 グライムはふと床に目を落とし、風の魔法によって運ばれ集まった埃の塊を見て、あることが引っかかった。


 風の魔法は、本当に目くらましのためだけに使われたのかということだ。


 風魔法の犯罪的な使い道は、主に防音や遠くの会話に使われることが多い。

 風を使って傍聴を防ぎ、風に乗せ言葉を運ぶ。


 だが、もっと単純な使い道の可能性がある。

 それはニオイ消しだ。


 鍋を焦がした時に誰もが窓を開けるように、ニオイは流れていく。


 シェイプシフトは細部まで記憶しなければ完全再現できない。

 つまり、犯人は何度もこの場所に来た。

 絵の前に立って、細部を見逃さずにじっくりと見ていた。それも、一度や二度ではない。

 数日をかけて、繰り返しこの場所に来て、この位置から絵を見ているはずだ。


 その痕跡を消した可能性がある。


「パットン」

「どうした?」


「お手上げではないぞ」

「どういうことだ。なにかわかったのか?」

「シェイプシフトがこれほどの精度を出すには、何度も対象を観察する必要がある。つまり犯人は、ここ数日の間に何度もこの美術館に来て、この絵の前に立っていた。それが誰かわかれば、カックラウがニオイを追える。犬の獣人の嗅覚なら、風魔法で消されたニオイの断片を追えるかも知れない」


 パットンは目を細めると、すぐに兵士を呼び寄せた。


「来館者の記録はあるか」

「はい」

「調べろ。それと、来館者への聞き取りだ。数日前から今日にかけて、この絵の前に何度も来ていた人物を探せ」

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