第二部「再び動き出す時間」
下働きの装いで施設の外に出ると、すぐ近くのしげみに男が隠れて待っていた。
「待っていたのか」
グライムが声をかけると、男は不満げに睨みつけた。
「待つに決まってるだろう。出た後にどうするかをなにも聞いてない……。それにしても……どんな牢にも欠点があるものだが……大胆なことをするんだ、君」
「それはこっちの台詞だ。牢には一人しかいないんじゃない。一人しかいなくてもおかしくない状況を、わざと作り出されてたんだ。オレが地下牢に幽閉されていたように……。アンタを、魔法から遠ざけられた場所に。なんですぐに言わなかった?」
グライムの言葉に、男の足が止まった。
「……何がだ」
「気づいてるんだろう。オレの目的を」
男は答えなかった。長い沈黙が影のようにどんより落ちた。
「……行こう」
男はそれだけ言って、また歩き出した。
「おい!」
「君の脱走もすぐにバレる。どこまで計画しているか知らないが、牢のすぐ横で立ち話をしている場合か」
「身を潜める場所を知ってるのか?」
「何十年も牢暮らしだ。知ってると思うか?」
男は言いながらも、目的もなく歩いているので、グライムは少し黙ってから、短く息を吐いた。
「……仕方ない。こっちに来い」
グライムは入り組んだ屋根に隠され、濃い影を作る路地へ駆け込んでいった。
「なにが仕方ないだ! 迷惑だ!」
そう叫んだのは、以前に情報を聞いた妖精族の女だった。
グライムが男を連れて逃げ込んだ先は、市場の裏手にある、朽ちかけた倉庫だった。
表からは廃屋にしか見えないが、中に入ると、木箱を積み上げて作られた簡易な壁が、いくつかの空間を区切っている。
灯りは小さなランプが一つきりで、床には古い敷物が敷かれていた。
ここが、妖精族の女が率いる小さなグループのアジトだった。
「なんでここがバレた」
女は腕を組み、グライムを睨みつけた。
「簡単だ」グライムは倉庫の中を見回しながら言った。「この間会った時、アンタがしきりに重心をずらしてた方角があった。あれで、だいたいの見当はついた。あとは、悪党が身を潜めそうな場所を絞り込むだけだ。アジトになりそうな場所は、同じ悪党ならすぐにわかる」
女は舌打ちをした。
彼女の仲間の男二人も、奥から様子を窺っていた。
一人は壁に寄りかかり、もう一人は木箱の上に座って、緊張した面持ちでグライムと連れの男を見ている。
グライムはそんな三人をまるっきり無視して、連れてきた男を倉庫の隅の椅子代わりの木箱に座らせた。
男はここに至るまで、ほとんど口を利かなかった。
表情も乏しい。
長く牢の中で過ごした人間特有の、感情を表に出さない癖がついているようだった。
何年も喋る相手もいなければ、誰でもこんな表情になる。
「話を聞かせてくれ」グライムは、男の正面に立って言った。「アンタは誰だ?」
男はしばらくグライムを見つめてから、諦めたように息を吐いた。
「グァヴァだ」
その名前を聞いて、グライムの表情がわずかに動いた。
「グァヴァ……。魔牢を設計した男の名前だな」
「そうだ」グァヴァは自嘲するように笑った。「もっとも、今のこの姿を見て、それを信じる者がどれだけいるかわからんが」
グァヴァは自分の手を持ち上げ、しわの寄った甲を見つめた。
長い指はエルフのものだが、その皮膚は乾き、張りを失っている。まるで枝のようだった。
「魔力を盗まれた……魔力の器ごと盗まれた。奪われた瞬間から、体の中で何かが止まった感覚があった。それから、坂を転げ落ちるように老いていった。魔力を持つ種族が長命なのは、生命力の代わりになるからだ。魔力そのものが生命力の一部を担っているからだと言われている。魔力を失えば、時の流れは何倍にもなる」
「魔牢を設計した男が、魔力を持たない者として、扱いを変えられたということか」
「そうだ。魔力を盗まれた時点で、オレは魔法使いでも技術者でもなくなった。この国にとっては、ただの厄介な老人だ。だが、知識は必要になることがある。だから、ああいう場所に放り込んで、時代に忘れ去られるのを待っているんだ」
「誰に盗まれた?」
グライムに聞かれるが、グァヴァは口をつぐんだ。
「言えないのか」
「言わないほうがいい。君がどこまで首を突っ込むつもりか知らんが、この国の深いところに触れると、ろくなことにならんぞ」
グライムはそれ以上追及しなかった。
実際に捕らえられていた者の言葉だ。今このタイミングで効果的な言葉が思い浮かばなかった。
「この国から出してくれるんだろう」
グァヴァは顔を上げると、疑わしそうな目でグライムの顔を見た。
「いつの間に牢から国に変わったんだ……。せめて街だろう。それも難しいぞ」
「わかった……。逃がしてくれるなら資料を渡そう。魔牢の設計図の一部だ。当然今は持っていないが、隠れ家に戻れば見つからないように保管してある。この街から無事逃げられれば、グライムにきっと届ける」
妖精族の女が横から口を挟んだ。
「子どもだってもっとましな嘘をつくよ……」
「わかった……グァヴァ。アンタを逃がす」
女は呆れた顔でグライムを見た。
「本当にそんな約束を信じるのかい?」
「グァヴァを信じるわけじゃない。国を信じる必要がないだけだ」
「カッコつけてるけどさ……。どうやって? アンタらの脱獄はもう知れ渡ってる。街には包囲網が引かれてる頃だろうよ。ネズミ一匹だって出られやしないよ」
「確かにな」グライムは軽く肩をすくめた。「オレの容姿は、この国じゃ確実に知れ渡ってる」
パットンがいる以上、グライムの姿はすぐに兵士たちに共有され、特定されるだろう。それも承知の上だった。
だからこそ、愚直に逃げるという選択肢は取れない。
かといって大掛かりな準備をするには時間もコネもない。
ここは王都でもなければ、相棒のボンドもいない。この状況で、どうグァヴァを逃がすか、グライムは頭をフルで働かせていた。
一方、女はグライムがなぜそこまで落ち着いているのか理解できないという顔をしていた。
グライムが王子と知り合いということを知らないので当然だ。
「いい男なのは認めるけど、自分で言うと嫌味だよ……」
女が呆れ混じりの嫌味を言うと、グライムはニヤリと笑った。
「じゃあ、そのいい男を増やそう。協力してほしい。アンタたちの手を借りたい。時間はかからない」
「あたしらが手伝う理由がないだろう」
女は即座に返した。
木箱に座っていた男も、壁に寄りかかっていた男も、同意するように頷いた。
「報酬を払う」
「突然なんだい……降って湧いたように。口から出任せじゃないだろうね」
「悪い話じゃないはずだ。報酬はこの国の至宝の一つだからな」
女は一瞬、意味を理解しかねる顔をした。それから、失笑した。
「あれは城から盗まれたんだよ。六、七年前にね。そんなものが今さら……あたしらに手に入るはずないだろ」
「それが……この街にあると言ったら、どうする」
グライムの言葉は、彼女の胸を打つのではなく、鼓膜に静かに痕を残すよう沈み込んだ。
「なんでそんなことを知ってる? って聞くね……」
「六年前、オレはこの国にいたからだ。盗まれた至宝は三つ。一つは先日、秘密裏に別の形に変換された。二つ目はこの街の、とある石像のどこかに隠してある。三つ目は――」
グライムは人差し指を口元に立てると、子どものようににっこり笑った。
「教えられない」
女はグライムの顔をまじまじと見つると、何かに気づいて目を細めた。
「あんた……あのグライムだね。国を騒がせた、あの大泥棒の」
「山賊だったり、怪盗だったり、大泥棒だったり……。偽名と一緒に、二つ名もどんどん増えていくな」
グライムが肩をすくめたきり、女はしばらく黙っていたが、やがて短く息を吐き、手を差し出した。
「グライムなら、断る理由はないね」
「なら、今から作戦を話す」
グライムはその手を握った。
グライムが作戦の内容を三人に伝えると、女は男二人に目配せをし、すぐに作戦の準備に取りかかるよう指示を出した。
だが、グライムが「待て」と止めた。
「大丈夫だよ。裏切らない。今はね。この目で宝が本物だって確かめるまでは」
女が片手を振って言うと、グライムは首を横に振った。
「違う。無作為に噂を流すな。まずは酒屋からだ。酒屋なら、半信半疑でも商売の種になる話は耳に入れておく。そのうち、取引先の一人が『今日は何か催しでもあるのか?』と聞いてくる。同じやり取りが何度か繰り返されれば、確かめるための問いは、いつしか『ある』という前提の話に変わる。そして、確認から生まれた噂は、誰が最初に言い出したのか分からなくなる。意味のある噂ってのは、バラ撒くんじゃなくて――育てさせるんだ」
女はしばらくグライムを見てから、その手腕を確認するように頷いた。
「本当に、あのグライムなんだね」
「その噂の広め方は失敗例だな」
グライムは頼んだと三人に言うと、グァヴァを逃がすルートの確認のために彼を連れて、路地へと消えていった。
女は男二人に、酒屋から話を広めるよう指示を出すが、男は動かなかった。
「本当にやるのか?」と聞くと、もう一人の男も頷いた。
「アイツを突き出すほうが楽だろ」
「何言ってんだい……。グライムに協力したほうが得に決まってる。突き出したところで、この街の牢に入るだけだろう。あんな男が牢に入れたから安心できる相手じゃない。頭一つで街をひっくり返しかねない。あいつがこの街に居続けること自体が厄介なんだ。だったら、今のうちにさっさと街の外へ追い出したほうがいい」
男たちは目を合わせると何も言わず、頷いてから倉庫を出ていった。
女がグライムを信じるのには理由があった。
この国は、この街を中心に荒れていく。女はそう考えた。
六年前も同じだったからだ。
六年前。グライムが城から秘宝を盗んだことで、この街にも混乱の波は押し寄せて来た。
城から一番近い街ということもあり、ここに隠されているのではないかと大捜査が入ったからだ。
大混乱に陥いった裏社会の勢力図は、大きく塗り替えられた。
その混乱のおかげで、路地裏で震えて生きるしかなかった子どもだった妖精族の女にも、裏社会で生きる隙間が生まれた。
魔法の使用を許されていない種族である自分が、生き延びられたのは、あの混乱があったからだ。
もちろん、それはグライムが意図したことではない。
それでも、自分の人生を変えたきっかけが、あの男だったことに違いはない。
ならば今回も、再び流れに乗るだけだと。




